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蒼き流星

 豪華な装飾の施された執務室で女性がペンを取る。机には山のような書類が並び、彼女の繁忙振りを如実に表している。


 彼女の名前はグレース。澄んだ青空のような水色の瞳に、腰まで伸びた長く艶やかな髪は瞳と同じ色だ。太ももまでスリットの入った濃紺のドレスは、彼女の身体に合わせて美しい流線形を作り出しており、その姿は非常に煽情的だ。彼女に姓はなく、家族もただ一人しかいない。その美貌と謎に包まれた出自が彼女のミステリアスさに拍車をかけている。心なしか、彼女が執務を行う部屋そのものからも神秘的な雰囲気を感じる。そのせいか、彼女の部屋を訪れる下士官は皆、部屋に入る前に身なりを整えるという。


 今日もまた、一人の士官がグレースの執務室へやってくる。



「お忙しいところ失礼します。私はエンリケ・シルバ少尉です。ベルマン元帥から言伝を預かって参りました」



 トントントンとドアをノックとして入ってきたのはまだ若い青年だった。きっと士官学校を出たばかりなのだろう。グレースに向ける眼差しも緊張の色を隠せていない。



「ふむふむ、ベルマンは一体どんな無理難題を私に押し付けてきたのでしょう?」



 若い士官を少しからかってやろうと彼女は考え、足を組み彼に太ももを見せつける。エンリケは驚いたように一瞬そこに釘付けになる。だがすぐさま任務を思い出し、目を彼女の顔へ向け直した。彼の任務に忠実な様を見て彼女はニッコリと笑う。



「既に書面では通達済みですが、例の人語を解する魔獣がこの地方に向かっている、と本部は推測しておりまして――」


「あぁ……私に討伐を命じに来たわけですね」



 この手の命令は珍しいことではない。グレースはグロリアスの治安維持機構の上級士官である。階級は大佐であり、グロリアスでは1地方の治安維持を任せるよう規定されている。つまり彼女の担当地域の問題であれば彼女の管轄となるわけだ。


 グロリアスは137の地方から成っているが、その広さや治安レベルはまちまちである。彼女の担当するアドリア地方はアペニン島とアドリア海を囲む沿岸が含まれている。陸地面積は他の地域と比べると狭いが、アドリア海は広い上に海竜という魔獣が現れることもあるため、治安レベルは中とされている。これは人間の居住区の安全は保障されているが、それ以外の地域は危険であることを表している。このレベルはグレースのような治安維持機構の人間がいくら頑張っても滅多に向上することはない。これは都市計画に拠るところが大きいからである。


 人の言葉を理解する魔獣は先日より隣のアルプス地方で観測されており、甚大な被害をもたらしているという情報はグレースの下へも届いている。



「ええ、その通りです。このままですと最初にシルポートという街に到達するのではないかと予想されています」


「え?ミラノやトリノではないのですか?」



 予想外の情報に思わず素の声が出てしまった。彼女は周りの士官達が自分のことをどう見ているのか知っているため、自分でもそのイメージに沿った雰囲気を作るようにしていたのだが、彼の一言でその化けの皮を剥がれかける。



「はい。こちらへ伺う直前にアペニン島へ上陸したことが確認されました」



 実におかしな話だとグレースは思った。何故ならアルプス地方からアペニン島までの道中にはいくつかの大都市が存在しているからだ。件の魔獣は人の多い都市を狙って襲撃を繰り返す傾向があった。従ってアルプス地方から近く、人口も多い沿岸部の都市が狙われるのは必然だと思ったのだ。特にミラノは周辺都市の中でも格段に人口が多いため、あらかじめ防衛部隊を組織し送り込んでいた。



「どうなっているのですか?まさか既に沿岸部の都市は壊滅したと?」


「いいえ、全ての都市は健在です。サヴォイ方面を経由し、海を渡って島に向かったようです」



 自分の管轄下にある国民が生命を脅かされたかもしれないという事実と、全ての対応が後手に回っている事実にグレースの表情が硬くなる。しかしサヴォイ方面を経由したとなると、尚更トリノに被害がないことが疑問だ。件の獣には方針転換を図らなければならない理由でもあったのだろう。思い当たる節は一つある。



「まぁ何故あの島へ向かったのかは考えても仕方のないことでしょう。魔獣は何匹いるのですか?確か集団戦闘を仕掛けてくるから手を焼いたとか」


「ええ、上陸した敵は18体とのことです。あのアルプスのハイネ大佐が殉職した相手です。これまでのものとは異なり、高度な連携を取ってくると報告されています。アルプスの生き残りによると、人間を罠に嵌めるために囮を使うこともあるようです」



 ハイネとはグレースと同じく一地方を任された上級士官だった。山岳における機動戦を得意としており、そんな変態じみた芸当が出来るのは彼と彼の直属の部隊だけだった。グレースも戦闘技能はかなり高い評価を得ており、グロリアスの中でも指折りの強者と言われているが、仮に山岳地帯で彼らと戦うことがあれば逃げおおせることにさえ骨を折るだろう。


 彼らがいたからアルプスの平和は守られてきた。しかし2週間前、件の魔獣によって彼と彼の部隊は壊滅。一時的に防衛部隊を失ったアルプス地方へ周辺地方から討伐隊が送られたが、あと一歩のところで群れを逃がしてしまった。その群れが自分の管轄へ逃げてきたというわけだ。トリノを襲わなかったのも追撃を恐れてのことかもしれない。



「敵討ちという柄ではありませんが、彼のためにもキッチリ仕事をこなさなければならないようですね。ただちに第3近衛分隊に出立の準備を」



 そこまで言ってふとエンリケを見ると、彼は緊張で震えていた。一体どうしたのだろう。そんなに緊張させるような態度を取ってしまっただろうか。訝し気に彼女は問いかける。



「……どうかされましたか?」


「あっ!いえ、私もその部隊に配属されたばかりで……」


「ははーん。初陣なのですね」



 グレースはこんな場面で不安な気持ちを和らげるほど気の利いた言葉を持っていなかった。だから自分の尻を軽く叩きながら冗談めかしてみる。



「安心しなさい。私が先導しますから、貴方は私のお尻だけを見ていればいいのです。……見放題ですよ?」


「はっ!?」



 そのままエンリケの脇を通り過ぎ、グレースは衣装ダンスから制服を取り出す。エンリケは一瞬何を言われたか分からずポカーンと口を開けていた。普段は下品な冗談は言わないようにしているため、余程意外だったのだろう。



「口が開きっぱなしですよ」


「あ……ああ、すいません。大佐がそんな冗談を言われるとは」


「私は貴方より年上ですから。あまり夢を見るものではありませんよ」



 彼は苦笑いする。いくらか緊張は解れたように見えた。



「ところでシルバ少尉、いつまでここに?私はこれから制服に着替えるのですが。まさか見たいのですか?」


「え!?見せ……!?いえ!!何でもありません!!失礼します!!」



 彼は脱兎のごとく部屋から飛び出して行った。グレースは「はぁ」とため息をつく。やりすぎたかもしれない。部下の扱いは難しいものだ。堅苦しい態度は相手を萎縮させてしまうし、寛容すぎることも増長を招く。今回は趣向を変えて煽情的な女性を演じてみたが、これも良き上司の姿ではなさそうだ。彼はちゃんと招集に来るだろうか、と彼女は少し反省するのだった。

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