ダブリン撤退戦:艦載魔導士
その報は突然グロリアスにもたらされた。リヴィエラ北部に位置するグラン・テスト地方から、海を挟んで向こう側に浮かぶ、アイルランド島沿岸部に魔獣の大群が現れた。近くにあるウェールズ島という無人島から出現したと思われ、同島嶼海域上空には飛行する魔獣が確認された。グロリアス政府は島守備隊への増援として周辺地域より3個師団規模の討伐隊を編成するが、これが到着する前にアイルランド守備隊は壊滅。700万人のアイルランド島民は島からの避難を余儀なくされていた。
「ベルマン元帥、作戦指示を」
「……」
ベルマンは参謀本部から提出された作戦を承認しかねていた。その作戦内容があまりに危険すぎるためだ。
「輸送艦艇に魔獣であふれかえる海路を突破することは出来ん。それを満足に護衛する戦闘艦艇も無い」
「しかしアイルランド島民700万人を見殺しには出来ません!」
「分かっている」
顔色一つ変えず、ベルマンは一杯の水を飲む。そして重い腰を上げてペンを取る。
「お待ち下さい!」
そこに現れたのはピンクのメッシュの入った髪の女性だった。彼女は肩で息をしながらベルマンに一冊の紙束を突き付ける。
「劉女史、これは?」
「私の研究成果です。飛行機、御存じですよね」
「ああ、旧人類文明の遺産の一つだな。恐ろしく早い乗り物だ」
「あれを船から飛ばすことで制海権を効率的に奪取出来るんです」
劉女史曰く、その昔は空母と呼ばれる巨大な滑走路を持つ艦船が存在したらしい。これを航空基地として利用し、広大な海の索敵と襲撃を迅速に行うのだそうだ。飛行機を量産出来るという前提があれば、確かにそれは魅力的な戦法だとベルマンは感じた。
「だが飛行機の数は限られている。数機しか現存していないものを作戦の主要戦力とは出来んよ」
ベルマンの言う通り、飛行機は旧人類文明の遺産であり、今の産業レベルでは再現出来ないのだ。貴重である以上に、補充の出来ない部隊は使い勝手が悪い。だが劉女史は得意げに胸を張って答える。
「いいえ、飛行機は使いません。魔砲兵を使います」
「魔砲兵を?ああそうか……。飛行が出来る魔砲兵だな?」
「はい。飛行機よりは数を揃えられるはずです」
「試してみる価値はあるな……」
ぺラリと一枚、劉女史から手渡された冊子がめくられた。ぺラリぺラリとそれは次々とめくられ、ベルマンは黙って頷く。
「よし、この空母戦術を試してみようじゃないか」
彼はペンを取ると、その表紙に「承認済み」とサインした。
木と肉の燃える臭いがダブリンの空を覆っていた。港には島中の人間が殺到し、出港する船の上は人でギュウギュウ詰めになっている。市街地のすぐ向こうではアイルランド守備隊の残存戦力が決死の防衛戦を繰り広げていた。一匹でも多く魔獣を道ずれに、一秒でも長く戦線を維持することが彼らに託された使命であった。
だがそれはもう戦線と呼べるようなものではなく、ゲリラ的に各所で抵抗を続けているに過ぎなかった。アイルランド守備隊は最早風前の灯であった。そして彼らの玉砕はアイルランド島民の全滅も意味していた。その未来を回避するために兵士は孤軍奮闘する。市街地には既に魔獣が侵入しており、逃げ遅れた市民が襲われ惨殺されていた。その死臭と市内各所で発生した火事の熱波に追われて、人々は港の船に殺到した。だがその船を狙う魔獣が海に潜んでおり、出港した傍から沈められ、乗客は食い散らかされるのであった。ここはまさに地獄と形容するに足りていた。
新構想の下で編成されたアイルランド増援部隊にフゥラとセオドールは組みこまれていた。二人は数少ない飛行が可能な魔砲兵であったからだ。ローゼンスタインは不平不満を述べていたが、彼らが選抜されたのは至極当然であった。彼らの他にもアドリアの主力人員は多数この作戦に参加していた。
今、彼らを乗せた輸送船がダブリンの街に接近していた。
「準備はいいか!既にダブリンの市街地にまで魔獣は侵攻している!我々の目的は魔獣の討伐ではない!市民の救助である!一人でも多くこの輸送艦まで空輸しろ!輸送艦周辺の制空、制海戦闘はゲルマニアの連中に任せ、我々は一気呵成に敵包囲網を突破、その後市民の救助に当たる!これを可能な限り繰り返す!以上だ!作戦名はシーライオン!現時刻をもって開始!」
イザベラは激しく揺れる船上で、手すりに掴まりながら手短に叫ぶ。その横顔を高い波が殴りつける。ずぶ濡れになった彼女は舌打ちをしながら甲板を蹴って飛び上がる。フゥラ達がその後に続き、上空でくの字型の突撃陣形になる。周囲眼下には8隻の輸送艦が見える。その周囲に展開するのはゲルマニアの兵士たちだ。彼らは既に戦闘に入っており、空と海から襲い掛かってくる魔獣から船団を守っていた。総勢1万前後の兵士がその任に当たる。対して突撃を敢行するのは2000人前後の部隊だ。これが今回用意出来た救援隊の全容であった。当初の予定よりも大幅に人員が削減されたものの、その練度は非常に高いベテラン兵ばかりであるため、戦力としてはむしろ増強された結果となった。そんなことを現場の兵士は露しらず、ただただ彼我の戦力差に驚愕するばかりであった。
「どこ見ても魔獣だらけだなオイ!帰ってくるまで船残ってるのかぁ!?」
「無駄口を叩くなオルコット!……飛行が出来る兵士は皆ベテランだ。安心して背中を任せろ」
「はいっ!」
「繰り返し言うが積極的に戦闘する必要はない!救助を最優先にしろ!……とはいえ敵の包囲網は突破しなければならない!さあ見えたぞ!私の先導に続け!突撃!」
雄叫びをあげて突撃部隊は敵包囲網へと突っ込んでいく。先鋒のイザベラの発砲音を皮切りに続々と魔砲が発射され、色とりどりの爆発をあげる。魔獣も初撃こそ無防備に喰らうものの、すぐに体制を立て直して一丸となって先鋒を潰しにかかってくる。
「なんだ!?ここまで群れてくるだと!?」
イザベラも思わず驚きの声をあげる。敵魔獣の構成は大型怪鳥であるイーグル種が主で、他は未確認の魔獣ばかりであった。その既知のイーグル種のこれまでにない統率の取れた動きに彼女は違和感を禁じえなかった。しかし彼女も一歩も退かない。魔導小銃の先に刺突爆雷を装着して迫ってくる魔獣に突き立てる。ドン!と爆発音がしてイーグル種が海に墜落していく。
「ひるむな!進め!流動的な相手の防備は薄い!」
いくつもの銃口が敵集団に向けられ、一斉に発射される。各個撃破ではなく面での制圧に重きを置いた爆裂魔法が一気に炸裂し、複数匹のイーグル種が落下していく。爆発の煙が晴れると、そこにはぽっかりと穴が開く。
「今だ!」
真っ先にイザベラが敵包囲網の穴に飛び込む。同じく近衛のフゥラ、セオドールも遅れずに続き、その更に後ろに一般兵士達が続く。なだれ込む兵士達を押しとどめるほどの衝撃力をイーグル種は持たず、徐々に穴は広げられていった。
ダブリンの街が見える。既にアイルランド守備隊は沈黙したようで、辛うじて戦闘の可能な男性市民達が必死の抵抗を続けていた。港の沿岸部には女子供が足の踏み場もないほど密集し、中には海へ落下する者もいた。それを空から、海から、陸から、全ての空間から魔獣が襲い掛かり、一人、また一人と逃げることも出来ずに命を落としていく。それはもう虐殺としか表現のしようのない状況であった。その魔獣に木っ端を蹴散らすような勢いで突撃隊が襲い掛かる。まだこの港に侵入した魔獣は少なく、そんな烏合の衆は熟練兵士達の敵ではなかった。あっという間に魔獣は蹴散らされ、兵士達は急いで市民を抱きかかえる。
「しっかり私に掴まれよ。そう、そうだ。しっかりな」
イザベラも一人の女性を抱きかかえる。人間一人抱えるとなるとやはり重い。復路の機動性に不安を感じながらもイザベラ達は続々と飛び上がる。そして全速力で先ほどの突破口へと逆戻りしていった。突破口はゲルマニアの兵士によっていくらか維持されていた。脇目もふらず、彼女はその合間を縫うように飛びぬけていく。同様にフゥラとセオドールも続く。時折味方の銃弾がかすったり、敵の吐く炎が肌を舐めたりした。しかしそれをものともせず兵士達は進む。ベテランであっても、市民を抱えた状態では満足に回避行動も取れず、何人かが海へと落下していくのが見えた。輸送艦までの道のりは息つく暇もない戦場であった。また一人、フゥラの隣の兵士が海へと落ちる。流石の彼女も、身に迫る危険をひしひしと感じていた。
(リサルディ中佐!このままでは我々は全滅してしまいます!)
(分かっている!市民を運んだらスリーマンセルを組め!二人が護衛、一人が輸送だ!)
(了解!)
イザベラ達は多大な犠牲を強いられながらも何とか輸送艦までたどり着く。そこで市民を下ろすとすぐさま二回目の突撃を開始する。今度はスリーマンセルでの行動である。イザベラはフゥラ、セオドールと組んだ。
「行くぞ!」
「はい!」
三人は勢いよく地面を蹴って出発する。輸送艦はあっという間に視界から消え、鉛色の海の色だけになった。頭上では相変わらず激しい砲火が飛び交い、時折魔獣が黒焦げになって落下していく。再度そこを通り抜けると救助を待つ市民の姿が見えた。一度に千人も運べていないのだ。何人の市民が生き残っているのかは分からないが、その往復回数が尋常でないことは分かり切っていた。それでもイザベラはまた一人の市民を抱きかかえた。




