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生命の箱舟 リリン  作者: 胸毛ボルサリーノ将軍
終わりの始まり
36/45

既に時遅し

鈍色の空からちらちらと雪が降ってくる。分厚い乳白色の雲は相変わらずアルプス地方に鎮座していた。アドリアの増援部隊は総勢千名。これ以上の余剰人員は本当に誰もいないところまで駆り出されている。谷にあらかじめ敷設された防衛線が幾重にも並ぶ中、その上空をクリス達は急ぐ。


目的地は旧シャルニッツ村だ。現状ここが魔獣との最前線となっており、現在も散発的な戦闘が続いている。ミッテンヴァルトの街は既に陥落しており、グレースが消息を絶ったのもそこである。クリス達に下された指令はそこの調査だ。既に展開している部隊は防衛線の構築にあてがわれており、容易に動かすことが出来なかったため、余剰人員のクリス達が偵察隊に選ばれたのだ。その規模は100名。偵察部隊にしては多すぎる数だが、それは彼らに下される任務が偵察よりは調査・捜索に近いものであったためであった。


アルプスの空は厳しく、急ごしらえのちぐはぐな防寒具では、魔法で断熱しなければ凍えてしまいそうであった。本来なら降るはずのない雪がますます寒さを増長させる。徒歩ではないため、旧シャルニッツ村まではそう掛からなかった。銃声の響く戦場へクリス達は降下する。クリス達の到着を待つのは若い下士官であった。グロリアスの制服をはためかせ、クリス達は彼の目の前に着地した。


「ミケーラの班だな。お早い到着ご苦労。早速だが補給が済み次第ただちに偵察任務についてもらう」


「はっ!」


「補給はこっちだ。ついてこい。補給しながら現状の説明を行う」


下士官は手で方向を示しながら大股で歩いて行く。クリス達はゾロゾロとそれに続いた。補給所にはたくさんの携帯食品が置かれ、慌ただしくそれらは担ぎ出されていっていた。ミケーラ達精鋭兵は無言で手近な携帯食品をポケットに突っ込み、いくつかは口に放り込んでいた。クリスもそれを真似していくつか口に放り込む。その様子を見ながら下士官は話を続ける。


「昨日13時頃、我々は大規模なアルビオン種の攻撃を受けた。地下からの奇襲に対し、前線部隊は対応することが出来ず、前線が崩壊。潰走することになった。これを受けてグレース大佐率いる近衛分隊が反撃に転じる。甚大な被害を出しつつも、アルビオン種の討伐には成功。ただし大佐はここで消息を絶った。この報告は奇跡的に生還したリサルディ中佐によるものだ。そこでミケーラ班にはこの報告の裏付け、及びグレース大佐の捜索を命じる。作戦は本日8時30分より開始。日没前17時には帰投すること。以上だ。質問はあるか」


「大佐を確保した際の連絡手段は?」


「信号弾による連絡を行う。確保した場合はその生死に関わらず赤の信号弾を上げて欲しい。こちらからの帰投指示は黄色の信号弾だ。緊急事態に陥った場合は青の信号弾を使うこと。援軍の要請があるなら続けて緑の信号弾を撃て。他は?」


「魔獣との遭遇時の交戦規定は?」


「極力戦闘は避けること。偶発的な戦闘が発生した場合の判断は現場指揮官のミケーラ、君に一任する」


「了解」


「さて質問は以上かな。では出発してくれ!幸運を祈る!」


クリスは最後にビスケットを口の中にねじ込んだ。パサついた小麦の味が口いっぱいに広がる。一行はミケーラを先頭にして、「くの字型」の突撃陣形で出発する。道中には2重の防衛線が敷かれ、兵士たちが魔獣との戦闘を繰り広げていた。クリスが思っていたよりは数が少なく、報告にあったような大軍勢で侵攻してきているわけではないようだった。そのまま邪魔されることもなく、一行はミッテンヴァルトへ到着する。


ミッテンヴァルトの惨状は言葉では言い表せないものがあった。市民の避難は事前に完了していたものの、地盤沈下のような地形の変化が著しく、倒壊した建物の大半は泥の中に沈みつつあった。人影はまばらに見つかるものの、そのどれもがこと切れており、生存者の発見は絶望的に思われた。クリスの胸の奥に鈍重な空気が溜まっていく。辺りは不自然なほど静まり返っていた。


「ひでーなこりゃ。何したらこうなるんだ」


静寂を切り裂いたのは男の声だ。ため息交じりに呟くのはグロスハイムだった。キョロキョロと周囲を見回す彼の眼は、あまりやる気の感じられるものではなかった。隊長のミケーラも少し途方に暮れているように見えた。


「恐らく魔法の行使によるものだろう。つべこべ言ってても仕方がない。手分けして捜索するぞ」


「了解了解」


ミケーラの指示でクリス達は10班に分かれて捜索を開始する。クリスはミケーラ直属の班となった。崩壊したミッテンヴァルトの市街地をクリス達は低速で飛行していく。あるのは泥と腐った魔獣の死骸ばかりで、人らしきものはなかなか見つからない。


「(セオドール……フゥラ……、グレース。どこだ)」


見つかって欲しいのか欲しくないのか、よく分からない心境のまま時間だけが過ぎていく。10分ほど捜索した後だろうか。不意にテレパシーでの広域通信が行われる。


「生存者を発見!近衛の生き残りです!」


「了解した。私ミケーラの班はただちに合流する。他の班は捜索を続行」


その報を受けてミケーラの班は合流へ動き出す。当然クリスも合流することになった。それは大きな壁画のある家の軒下であった。首から上の亡くなった女性の遺体を抱き抱え、絶望に目を見開いたままの近衛隊員がいた。側には見たこともない軍刀が落ちており、その軍刀のマギアニウムが不気味な紫色に煌々と光っていた。遺体の方の肩に付いた階級章は大佐だった。クリスは背筋に寒いものが走る。ミケーラが一歩前に出て女性とのコミュニケーションを図った。


「階級と名前は」


「し……シンディ・レフメネンコ。近衛第一分隊所属の一等兵です」


シンディと名乗った女性はとても近衛とは思えない怯え様でミケーラを見ていた。彼女は短い息を細かく吐く。


「それは……グレース大佐なのか?首から上はどうした」


「あ……あ!……あ!これは……グレース大佐です……」


シンディは極度に緊張しながら答える。そしてそれ以上は無言でぬかるんだ地面を指差した。ミケーラは彼女が指差すあたりに腕を突っ込む。しばらくグルグルと地面を掻きまわした後、突然ミケーラは血相を変える。


「クリス、キルヒアイゼン、手を貸せ。私が沈まないように掴んでいて欲しい」


「ああ!」


「分かった」


二人がかりでミケーラを支えると、彼女はズブッと両腕を泥の中へと突っ込む。そして何かを掴んで力任せに引っ張り上げようとした。彼女の背筋にグッと力が入り、美しい陰影を作り出す。クリス達も協力し、その何かは引き上げられる。


それは年端もいかない少女だった。泥だらけで顔はよく分からなかったが、衣服は一切身に着けていなかった。故に身分を証明する者は何もなく、どこの誰なのか知るすべは無かった。ミケーラは自分の上着を脱ぎ、泥だらけの彼女に着せる。そして簡単な水を作り出す魔法を使って彼女を服の上から洗った。


すると美しい水色の髪が泥の中から現れた。そう、まるでグレースのような色合いの髪だ。幼いその少女は、どこかグレースの面影を残した人物であった。


「ミケーラ、この子……」


「まあ、似ているな。生きてはいるようだ。シンディ、この子がどうかしたのか?」


妙な違和感を覚えつつも、ミケーラはシンディに問いただす。幸い少女の命に別状はないようで、すやすやと寝息を立てていた。

そんな穏やかな彼女の表情とは対照的に、シンディの表情は混乱に満ちていた。彼女は抱えた女性の亡骸と少女を交互に見て素っ頓狂な声を上げる。


「あ……!?なんで……!?そこにはグレース大佐の首が……、首が飛んでいったはずなのに!」


「なんだと……!もっとよく探すぞ!」


ミケーラの命令でクリス達は一斉に泥を掘り返し始める。クリスは頭の中が真っ白になっていた。つい先日まで一緒に過ごしていた人が死んだなんて、そう簡単に受け入れられるものではなかった。スコップを振るう腕が振るえる。疲れたわけではない。液状化した地面はそう多くなかった。いずれ泥はかき出され、グレースの首が見つかるはずだ。だが、そんな未来は見たくなかった。一掻きするたびに、頭から冷や水を被るような悪寒がした。


「はぁ……はぁ……」


「見つからんな……どういうことだ?」


30分ほど作業を続けただろうか。休みなく泥を掻きだし、ようやく堅い地面に辿り着いた。結果としてはグレースの首は見つからずじまいであった。クリスはそれをどこかほっとした様子で受け止めていた。キルヒアイゼンはスコップを地面に付き刺した。


「シンディも錯乱していたのでは?どうする、ミケーラ」


「あれはグレース大佐の遺体で間違いなさそうだが……」


ミケーラは顎を撫でると、信号弾の用意をキルヒアイゼンにさせる。色は赤であった。


「一班と二班は大佐の遺体とその少女を連れて帰投せよ。残りの班は調査を続行」


クリスは少女を連れて帰るように命じられた。布で包まれた少女を彼は担ぎ上げ、空へと舞いあがる。その心境は複雑であったが、決してネガティブなものではなかった。彼はまだグレースの死を信じられないでいたからだ。何も感じることがないのだ。


そのまま妙な違和感を抱えたまま、クリスは30分ほど飛行を続けた。すると肩に担いだ少女がもぞもぞと動き始めた。布の中からはらりと水色の髪が零れ落ちる。


「ん……」


「目が覚めたか?」


「ここは……」


「インスブルックに向かう途中だよ。君、名前は?」


少女はまん丸な水色の瞳をきょろりとクリスへと向けて言った。


「グレース」


その衝撃的な一言にクリスは耳を疑わざるを得なかった。雲の切れ間から薄明光線が降り注ぎ、少女の顔を照らした。今、まさにその少女はグレースと瓜二つな両の目をクリスへと向けていた。吸い込まれそうな美しい瞳に、クリスは目を奪われてしまうのだった。


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