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生命の箱舟 リリン  作者: 胸毛ボルサリーノ将軍
終わりの始まり
35/45

正式入隊

雨が降っていた。雫が地面に当たって飛び跳ねる。空気はどこかじっとりとしていて、着ている服はベタベタしている気がした。クリスは寮の自室で今日も本を読んでいた。柔らかい紙を一枚、また一枚と彼はめくる。本のタイトルは「上級魔法入門・中」。上巻は読み終わり、実践も一通り終えていた。クリスは本を読みながらいくつか気になったことをメモしていた。大抵実践してしまえば解決してしまうようなことだが、解決しなかったことはグレースに尋ねたいのだ。彼女がいつ帰ってくるのかは未定だ。だからそれまで出来る限り自分で出来ることはしておくことにしていた。メモの枚数は十数枚。ローゼンスタインにも聞いてみたが、魔法を扱えない彼には分からなかった。ミケーラ達は街道の巡視へ向かっていて、現在は駐屯地に居なかった。頼れる人物を待つしかない状況だからこそ、彼の本を読み進める手は速度を増す。明確な目標があり、それに対して行動出来る時の人間の集中力は凄まじいものがある。文章を読むことが得意なクリスではなかったが、今は一度読んだ文字が頭の中に定着し、すんなりと自分の知識とすることが出来ていた。


どれくらいの時間が経っただろうか。彼の周囲で時を刻むのは、ただ雨だれの音だけであった。ふと気が付くとすっかり外は暗くなっていた。時計を確認すると時刻は十八時。食堂が開く時間だ。クリスはベッドに投げっぱなしの財布をひっつかむと、手早く身支度を整えて部屋を後にする。


部屋の中に居た時は気が付かなかったが、駐屯地内で人が慌ただしく駆け回っている。すれ違う人々の顔に少なくない焦りの色が見て取れた。何か異常事態が起こったことは明白であった。



――食堂に誰か居たら聞いてみるか。



クリスはそう考えながら食堂へ向かう。今日の食堂は昨日よりも閑散としていた。自分以外にはほとんど人が居なかった。当然顔見知りの姿も見当たらない。面食らったクリスは食堂の入り口で立ち止まる。



「お、クリスじゃないか。とっとと進みな」



立ち止まったクリスは声の主に背中を押された。この感じはミケーラだ。見なくても分かる。ぶっきらぼうな彼女の仕草は別に悪気があるものではない。今はいつも通りの彼女の態度が少し安堵感を与えてくれた。



「帰還したのか。お疲れ」


「ああ……。それより大変なことになったな。遠征軍が敗走して大佐と近衛の大半が行方不明とは……。私達も明日には前線行きだってさ」


「は……、え…………?」



クリスに雷で打たれたような衝撃が走る。ミケーラの口から出る言葉の大半が理解不能だった。グレースが行方不明?近衛の大半も?セオドールとフゥラは?様々な表情をした彼らの顔が次々と頭の中に浮かぶ。まるで彼らの走馬灯でも見ているようだ。あんぐりと口を開けて驚愕の表情をするクリスを見て、ミケーラはしまったという顔をした。



「……聞いてなかったか」


「え……。セオドール達はともかくグレースが……? いや俺は何を言っているんだ……」



激しく動揺したからか、少しでも心に浮かんだ思いは全て口から漏れ出てしまう。セオドール達はともかく、なんて普段なら絶対に口にしない。当然彼らには無事で居て欲しい。強くそう願っている。だがそれよりも事実を受け入れたくない心が、出来事の本質を見ようとしていなかった。あんなに強そうなグレースが負けたなんてことは、本当はどうだっていいのだ。真っ先に知らなければならないのはセオドール達が生きているかどうかなのに。



「クリス、今は友達や大佐のことは考えるな。勝手な憶測で悩んだり悲しんだりする必要はない」


「だ……だけど」


「無事だと信じろ」



ミケーラはクリスの首根っこを掴んで席に着かせる。そして「待ってろ。飯取ってきてやるから」と言い残すと皿を持って行ってしまった。彼女はどっさりと肉を盛った皿を持ってすぐに戻ってきた。クリスはその間何も考えなかった。少しでも頭を働かせようとすると三人のことを考えてしまいそうで。



「ほらよ。私の大好きな肉で固めてやったぞ。お前も好きだろ」



彼女は肉ばかり大量に盛った皿をクリスの前にドンと置くと、少し優しげに喋りかけてくる。ミケーラには悪いが、クリスは今食事をする気分になれないでいた。とりあえずフォークは掴んでみたものの、食べ物を口に運ぼうと思えない。



「ミケーラ……悪いけど……」



クリスが席を立とうとすると、ミケーラは身を乗り出し、彼の肩を掴んで強引に座らせた。彼女の思いがけない行動に、クリスは頭の中が真っ白になる。ミケーラの瞳は真剣そのものだった。嫌がらせでやっているわけではないらしい。



「どうしてこんなことするんだ?」


「今日は特別な日じゃない。お前にとって代わり映えしない日常の一ページでしかない。だから、お前は普段通り振る舞うべきだ」



クリスはその言葉に違和感を覚える。彼女の言いたいことは理解出来るのだが、どうにも腑に落ちない。ミケーラはクリスの肩に手を置いたまま話を続ける。



「お前の考えていることは分かる。だが今は考えるな。“もし”とか“かも”で頭を悩ますな」


「言いたいことは分かるけど……それでも心配なんだ」


「心配するなと言ってるわけじゃない。感情に身体を乗っ取られちゃダメだって言ってるんだ」



まるで感情をコントロール出来ないお子様のように扱われたと感じたクリスは少しむっとする。しかしそれを口に出すのは堪えた。そうしてしまったら本当にお子様だからだ。クリスは黙ってフォークで皿に盛りつけられたステーキを口に運んだ。いつもと違ってステーキの味はよく分からなかった。不味いわけではなく、感じるはずの味が上手く認識出来ないのだ。彼はそのまま気だるげに咀嚼を続ける。



「それでいい」



ミケーラの細い腕がクリスの肩から離れる。彼女はドカっと椅子に座りなおした。クリスにはその動作がいつもより尊大に見えた。クリスは黙って食事を進めた。ミケーラは自分の皿に手も付けず、黙ってそれを見続けていた。クリスは彼女の視線が妙に気になって仕方がなかった。



「……なんだよ」


「…………」



クリスの問いに彼女は何も答えなかった。ただ黙って見つめている――いや、観察していた。彼女が自分の何を見ようとしているのかは分からない。だが沈黙を続けられると気になるのだ。クリスは食事の手を止める。



「食べないのか?」


「……いいや、食べるさ」



クリスが促したことにより、ようやく彼女は食器を手に取る。しかし、いつものテーブルマナーもへったくれもない豪快な食べ方ではなかった。どこか違和感を拭えないのだ。例えるなら、初めて高級料理店に来た庶民のようなぎこちない感じなのだ。ミケーラは片時もクリスから視線を外さずに食事を口に運ぶ。今なら皿の肉を全部野菜に変えてしまっても気が付かないだろう。それほどに彼女は料理に無関心だった。あまりにもジロジロ見られるものだから、クリスは段々と腹立たしくなってきた。



「ミケーラ。おい、あんまりジロジロ見るな。何か言いたいことがあるならハッキリ言えよ」



クリスはガチャンと食器を置く。別に音を立てたかったわけではないが、自分が思っていたよりも随分と派手な音がした。クリスは自分の立てた音に少し驚いていたが、対するミケーラは眉一つ動かさなかった。彼女はまだ何も言わない。それが逆にクリスの神経を逆なでする。



「ったく……何なんだよ……!」



苛立ちを隠そうともせずクリスは席を立つ。するとようやくミケーラが口を開いた。



「明日」


「あ?」


「……明日お前も一緒に私達と出撃だ。リヴィエラやユーゴの連中と一緒に」



唐突な彼女の言葉に、クリスは言葉の意味を飲みこむまでしばしの時間を要した。クリスはまだ正式入隊すら済ませていない。まともな訓練もせず前線に投入とは一体どういうことなのだろうか。クリスは混乱に唇を震わせながらミケーラに尋ねる。



「明日……? それは……俺で間違いないのか……?」


「間違いない。出して大丈夫か見極めるよう、最終的な判断をするように命令が出された。私に」



ミケーラは椅子の方をあごでしゃくり、再びクリスに着席を促した。無視するわけにもいかないため、クリスは大人しく椅子に座りなおす。



「クリス・レイフィールド。まずお前の評価できる点。学習意欲に溢れ、かつそれを座学で終わらせず、しっかり会得することが出来ること。これが出来る人間はそういない。それに素直だ。だがな、生き急いでいるのか何だかは知らんが、無理をしていけないところで無理をする」


「俺何かしてたか?」


「グレース大佐との一件、忘れたとは言わせないぞ」


「あ……確かにあれは……」



はぁ、と嘆息する声が聴こえた。ミケーラが足を組みなおすと、彼女の浅黒い肌が柔らかい皺を作る。

クリスはバツが悪そうに姿勢を正した。彼女はそんな彼をジロジロと見つめ続けた。



「まあ、それでもお前は上級魔法が使えるように訓練している。この戦力を遊ばせておく必要もない」


「えっ……じゃあ」


「ああ、連れて行く。だが勝手な行動は絶対にするな、いいな」


「ああ!」


元気よくクリスは答える。ミケーラはその様子を眉一つ動かさずに見ていた。食事も全然進んでいない。そんな二人のところへ一人の男が現れる。


「おっ、うまく行ったみたいだね?」


ローゼンスタインだ。何やら白い布でくるまれた物を手に持っている。ミケーラは懸案があるのか口を尖らせて言う。


「まあ……、私個人は反対だがな。無駄死にさせたくない。正規兵がやられているんだ。そんなところに素人連れて行くなんてどうかしてるよ」


「心配かけるようなことはしない。約束する」


「どうだか……」


再びミケーラは嘆息する。実力は認めつつも、やはり心配な部分はあるということだ。そんな彼女をよそに、ローゼンスタインはおもむろに布のヴェールを剥ぐ。

そこには小さな箱があった。彼がその箱を開くと、グロリアスの国旗の彫り込まれたバッジがあった。


「正式入隊おめでとう。歓迎するよ」


彼はそれをクリスに手渡した。鉄製のバッジは思っていたよりずしりと重さを感じるものだった。クリスはゆっくりと慎重にそれを自分の服の襟にとりつけた。それははやる気持ちの裏返しだったのかもしれない。


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