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生命の箱舟 リリン  作者: 胸毛ボルサリーノ将軍
終わりの始まり
34/45

魔獣の大攻勢:死

一気に進めましたので一週間ほどお休みをいただきます。続きをご期待下さい。現在第三章の冒頭まで書き進んでおります。

戦況は順調にこちらに傾いていた。第三連隊による側面攻撃も成功し、こちらの損害は軽微なまま敵個体の激減に成功した。第三連隊よりもたらされた「敵後続見えず」の報を受け、グレースは満足げに万年筆をクルクルと回した。ベルマンの軍も戦闘区域に近づきつつあることから、魔獣の殲滅は時間の問題だと考えられた。


グレースは教会で各所から寄せられる情報を元に軍を指揮していた。彼女の他にも何人か人がおり、教会の中は慌しかった。さぞ神も嘆いていることだろう。いや、神がいるのならこんな困難は与えなかったかもしれない。神と対をなす悪魔が引き起こしている可能性もある。不毛な思考を頭から振り払うように、彼女はつややかなその髪をグシャグシャにかみ毟る。その後仮眠用のブランケットに頭まで包まって椅子に横たわった。


昔、本で読んだことがあった。人同士で争っていた時期では、指揮官は前線に出てこないのが普通だったとか。もし自分がその時代の指揮官であったなら、今頃アドリアのふかふかなベッドが彼女を包んでくれていたのかもしれない。あの感触を少し懐かしみながらブランケットの端をぎゅっと握る。前線からは爆発音や衝撃音が響いてくる。まだ兵士達は戦っているのだ。グレースは熱々のお風呂とふかふかのベッドが恋しかった。もうどれだけそれらに触れていないのだろう。劣悪な環境に彼女がうんざりしているところに、バタバタと駆け足で近づいてくる足音がした。グレースは頭だけブランケットから覗かせる。



「大佐! お休みのところ申し訳ありません!」


「どうしたの?」


「はっ! 出現した魔獣の殲滅が完了したことをご報告致します!」


「分かりました。下がっていいですよ」



報告に来た兵士は敬礼して彼女の前から立ち去ろうとする。しかし彼がグレースに背を向けた瞬間、地面が大きく揺れた。衝撃でガラガラという派手な音を立てて教会の壁や天井が崩れる。グレースは咄嗟に落ちて来た瓦礫を再び壁や天井として再構築する。



「さっき私に報告しに来た貴方! ここの被害を確認次第私に報告して頂戴! 私は外の様子を直接見てきます!」



指名された兵士は状況が飲みこめず周囲をキョロキョロと見回していたが、グレースの言葉に小さく飛び上がる。その彼の横をグレースは全力で走り抜ける。


教会の扉を開け、戦場が見渡せる場所までたどり着いた頃には心臓の鼓動が耳にまで届いていた。息が上がっていたからだけではない。家々に阻まれ前線の様子は教会からは見えない。だが前線の様子は見えなくても前線がどんな状況になっているのかはすぐに分かった。



「嘘でしょ……」



情けない言葉が思わず口を突く。グレースはすぐに踵を返して教会に置きっぱなしの自分の武器を取りに戻る。彼女は教会の扉を開くなり大声でその場に居た全員に指示する。



「ここは放棄します! 全員今すぐ撤退の準備を始めなさい! 大至急!! 通信兵は全部隊に直ちに撤退せよと伝令! 繋がらない場合は広域テレパシーの使用を許可します! 手の空いている者は……そこの貴女! 近衛を呼び戻して頂戴! そっちの貴方はインスブルックに状況を報告!」



中はまだ混乱していたが、彼女の一声で異常事態だと分かり、その場に居た全員が慌てて行動を始める。



「大佐……、あの、一体何が……?」



声を掛けたのは先ほどグレースが指示を出した兵士だった。グレースは深呼吸をして息を整えながら答える。



「アルビオン種よ。それもかなりたくさん」


「魔獣なら倒せば良いのでは……」


「無理よ。あの数は止められない」



グレースはそのまま大股でツカツカと奥まで歩き、椅子に立て掛けてあった試作参式軍刀を手に取った。軍刀は彼女が触れると微光を発し始める。軍刀の状態は良好。



「私と近衛で殿を務めます。大型輸送車両に“人”を乗せられるだけ乗せてすぐに出発し、シャルニッツで防衛線を再構築して下さい。物資は後でも回収可能ですから置いていって構いません。車両には高速な移動手段を持たないものを優先して乗せて下さい。乗り切らなかった兵士は分隊単位で離脱するように指示を。そこの通信兵に伝えておいて下さい」


「あ……、はい! 了解であります!」



グレースは返事を待たず外へ急ぐ。彼女が外への扉を開くと丁度イザベラ達が帰還してくるところだった。激しい戦闘をしていたようで、イザベラの左胸は血で真っ赤に染まっていた。



「イザベラ……貴女……、行けるの?」


「いえ、これは部下のものですので問題ありません」



イザベラは表情一つ変えることなく言い放つ。見れば近衛の数が一人足りない。



「そう……。リサルディ中佐、前線の様子を報告しなさい」


「はっ。地下より突然出現したアルビオン種によって北西部の前線は真下から崩壊しました。我々が離脱する直前まで第二防衛線で戦闘を行っていましたが、残念ながら上級魔法を扱えない者では相手にならず、一方的な被害を被っております。敵の数は不明。少なくとも十体以上。それと……」



イザベラは少し言いよどむ。彼女が口にしようとしたことを察したのか、近衛達の間にも張りつめた空気が流れるのを感じた。



「それと?」


「はい、非常に信じがたいことなのですが。アルビオン種は倒すと増えるように思われました。死骸から新たなアルビオン種が作られるのです」


「……他に見た者は?」



グレースが尋ねると何人かの兵士が頷く。近衛達は精強なエリートだ。如何なる状況でも、これまで彼らが挫けることはなかった。その彼らの顔に不安の色が見て取れるのだ。グレースは撤退を指示したことが間違っていなかったと確信する。



「そう。なら尚更私達がどうにかしなきゃいけないわけね。……大丈夫よ、復活しなくなるまで攻撃すればいいんだから。さぁ撤退戦の殿をするわよ! 付いてきなさい!」



戦場から吹く風でグレースの長い髪が靡く。人工太陽から降り注ぐ光が向かうべき敵を照らしていた。そのあまりの巨体に、グレースの背筋はゾクリと疼く。それでも彼女は地を蹴って空へ飛び出す。


第二防衛線まではすぐそこだ。眼下にはついさっきまで生命活動をしていたはずの肉体の一部が無数に転がっていた。市街地まで死体が転がっている理由は簡単だ。アルビオン種の攻撃があまりにも強いため、衝撃でここまで飛ばされてきてしまっているのだ。前線ではまだ戦闘音が続いている。何人かの熟練兵が持ちこたえているようだ。


アルビオン種は上空から見る限り、2-30体は居るように思えた。数体なら各個撃破したいところだが、この数では先にこちらの魔力が切れる。イザベラ達の話によれば、倒すと増えるとのことなので潜在的な数はもっと多い。


街北東部に配置した部隊も背後から急襲を受けたようで、総崩れになりながら撤退しているのが見えた。街西部の防衛線が健在なこと以外、良い情報は何も見当たらない。



(あの前線を襲っている一団をまず潰し、前線の兵士を逃がす。それ以降は出来るだけ時間稼ぎを行え。攻撃手段は自由!)


((了解!))



威勢の良い声と共に近衛達は散開する。グレースは軍刀に魔力を込めつつそのまま全速力で直進を始める。



「はぁぁぁぁぁッ!!!!」



グレースは抜刀し、アルビオン種の腕目掛けてそれを振り下ろす。加速エネルギーをのせたその一撃は、衝突時の衝撃で腕に致命的な裂け目を作った。中途半端に繋がった腕は、自重を支えきれずにだらしなく垂れ下がる。


彼の者の怒れる眼光がグレースを穿つ。だがその燃える双眸が次に目にしたのは眼前に迫る彼女の姿だった。グレースはアルビオン種の左目に取りつくと、短く呪文を詠唱する。



「“凍りなさい”」



彼女の言葉に、触れていた物質が応える。アルビオン種の眼球から急激に水分が失われていくと同時に、その眼球が凍り付き始めたのだ。アルビオン種はたまらず頭を振って身もだえる。グレースはその直前に凍った眼球を蹴って離脱する。


その彼女の頭上が急に暗くなる。彼女を狙って別のアルビオン種が握りつぶそうと手を伸ばしてきていたのだ。アルビオン種の手のひらは大きく、指の隙間から逃げることは簡単ではない。グレースは凄まじいスピードで自身に迫る指の一つに狙いを定める。



「汚い手でぇぇぇ触るなあああぁぁぁぁぁァッ!!!!」



グレースは家程の太さのある指を極限まで圧縮した高密度の氷の刃で切り飛ばす。そして本体から切り離された指を軽い爆破魔法で吹き飛ばした。アルビオン種の手のひらで覆われていた頭上に空が差す。グレースはその隙間からするりと抜け、攻撃を躱した。だがアルビオン種もやられてばかりではない。



「やだ!!誰か助け……たす……ぎゃああああぁぁぁぁ!!!!」



脱出したばかりのグレースの左方で近衛の一人がアルビオン種の手に叩き落とされた。彼女は地面へ真っ逆さまに転落し、潰れたトマトのように無残に内容物をさらけ出した。もうピクリとも動きはしない。少しでも油断すれば次ああなるのは自分かもしれない。軍刀を握るグレースの掌が汗ばむ。彼女は服で手を拭き、近衛を一人始末したアルビオン種を見上げる。



「ベラの言ってたこと、実際に確かめなきゃダメよね。仇は取らせてもらうわ」



グレースは大きく息を吸い込み、大きな魔力を軍刀に込める。



「仮想空間をアクティブ化。オブジェクト配置。パーミッションを再定義。オブジェクトの結合を無効化。……ティターン・キュリオテテス・クレーパ」



彼女が詠唱を終えると軍刀から淡い珊瑚色の光が迸る。その光は周囲を飲みこみ、そして一瞬で消える。グレースは瞬きをした。次の瞬間、巨大なアルビオン種の左肩から右脇腹にかけて一直線に亀裂が走る。まるで機械が引いたような直線は寸分の狂いもなく真っ直ぐで、その断面は完全に平面になっていた。断末魔をあげることも許されず、そのアルビオン種は大きな音と共に地面に倒れ込む。この時アルビオン種達が音に気を取られ、僅かな隙が生じた。グレースはそれを見逃さず地上の兵士達にテレパシーを飛ばす。



(ここまでよく耐えました! 後は私達が引き継ぎます! 今のうちに撤退しなさい!)



了解、と土煙の中から何人かの声が響く。その直後、土煙の中から数十人程度の兵士達が脱兎のごとく駆けだしてきた。まだ無事なアルビオン種が無防備な彼らに腕を叩きつけようとするがそれはイザベラに阻止される。イザベラはアルビオン種の脇に大量の土砂を張りつかせ、その腕が思い通りに下ろせないようにしたのだ。アルビオン種の腕は僅かに地面に届かず指が空を切る。だがそのイザベラの背後に別のアルビオン種が迫っていた。グレースは咄嗟にそのアルビオン種の両肩から脇にかけてを爆薬化した。そしてそれらを起爆し、本体から切り離す。



(ベラ!)


(助かりました大佐)


(いいわ。まだ少し時間を稼がなきゃいけなさそうね)


(はい)


(近場のを一気に片づけようと思うのだけれど、どうかしら)


(少なくとも敵の混乱は起こせるはずです。それに乗じて逃げることは可能かと)


(分かった。やりましょう。私は持っている魔力を全て消費してしまうから、撤退の時に担いで貰ってもいいかしら?)


(構いませんとも!)


(それじゃ近衛に集合を掛けて下さい)


(了解!)



イザベラはグレースの方へ飛んでくる。そのままイザベラはグレースを背中に背負う。彼女の背中に身を任せたグレースは先ほどと同じ魔法の詠唱を開始する。今度は複数を目標にするため、彼女は目を閉じて集中を高める。周囲ではアルビオン種が地面を踏み鳴らす音や、近衛達の放った魔法の発する様々な音が飛び交う。だがそれらは雑音に過ぎない。グレースは魔法で自身の感覚を鋭敏にしていく。


始めは密着したイザベラの心臓の音が聴こえ始める。次にドクドクと彼女の身体を流れる血潮の音が。更に離れたところに居る近衛達の鼓動も聴こえ始める。そして極限まで高められたグレースの聴覚はアルビオン種の体内音までを感じ取る。近場に居るアルビオン種は8体だった。


いつもなら周囲の体内構造まで分かるのだが、今日は未知の相手が原因だからかアルビオン種の詳細な体内構造までは分からなかった。そこに僅かな疑問を抱きつつ、グレースは魔法を行使する。



「ティターン・セラフ・クレーパ!」



それは先ほどの魔法の上位版だ。首と腰の二か所を真横に切り裂く不可視の刃が戦場を走り抜ける。狙いを定めた八体のアルビオン種は三つに切り裂かれ、ゴトゴトという岩が崩れるような音を立てながら地面に崩れ落ちた。その衝撃で風が吹き、グレースの頬を撫でた。二人は警戒しながら周囲の様子を確認する。


近辺で戦闘中だった近衛達は一斉に戦域から距離を取り、グレース達の元へ集まってくる。アルビオン種はまだまだ居るが、現在行動可能な個体とは距離があるため、それらから攻撃されることはなかった。周囲の安全を確認したグレースは、近衛達が集合する間に懐に忍ばせていたチョコバーを一気に口へ突っ込む。魔力を大量に消費したからか、口の中に広がるカカオの風味がいつもより芳醇に感じられた。



「チョコバー七本分くらい一気に消費したかも」


「私のをお召し上がりになりますか?」


「ありがとう。でもまだ大丈夫。必要になったら貰うわ」



グレースがチョコバーを飲みこむより早く近衛達は集まった。何人かはやられてしまったようだが、生き残った者達の目から戦意の炎は消えていなかった。彼らに応えるためにもグレースは口の中の物を急いで飲みこむ。



「七人か……。しばらくこの場で待機します。撤退中の第一、第二、第四連隊が健在な第三連隊と合流したことを確認したのち我々も撤退を開始します。それまで敵をここで阻止します。しばらくは時間が稼げたはずです。今のうちに魔力の補給を。それとシンディ、ヒルデ。まだ教会にいくらかの食料が残されているはずです。持てるだけ持ってきて下さい」


「「了解」」



グレースは緊急出撃したため非常に軽装だった。手持ちの食料は用心のために持っていたチョコバー一本しかなく、大量の魔力を消費した彼女の身体は軽い空腹感を訴えるのだった。


幸いなことにシンディとヒルデの二人はすぐに食料を持って戻ってくる。彼女らはカバンにめいいっぱいクッキーやチョコパー、水などを詰め込んで来ていた。グレースはその中からポケットに入る分だけ掴み取る。



「全員携帯出来る量を取りなさい」



二人が持ってきた食料は明らかに全員分より多かった。アルビオン種が向かって来るまで、グレースはひたすらに食料を口に運ぶ。最初の方は美味しかったチョコバーの味も、四本目に差し掛かったあたりでくどいと感じるようになっていた。それでも時間の許す限り、詰め込めるだけ胃に詰め込んだ。


活動中のアルビオン種は徐々にこちらへ近づいているものの、相手の射程範囲にはまだ入っていない。グレースはシンディ達の持ってきたカバンから水筒を取り出すと、パサついた口内に一気に流し込んだ。ちょうどその時だった。イザベラが「大佐!」と鋭く声を上げた。


グレースは慌ててイザベラの視線の先に目をやる。すると、なんと切り刻んだアルビオン種の死骸が崩れ始めたのだ。驚いたグレースは水筒を口から離す。そして崩れたアルビオン種の残骸は、一度離散した後再びアルビオン種としての形を取り始める。



「復活……ねぇ」


「あれがそうです。生きているパーツをより合わせて別個体を作っているのか、それとも不死身なのかは分かりません」


「どっちでもいいわ。いきなり至近距離に現れるなんて卑怯な真似してくれるじゃない」


「先ほどの上級魔法をもう一度使われますか?」


「いいえ。これでよく分かったわ。闇雲に敵を倒しても無駄ね。全部ダルマにしてしまいましょう」



グレースはイザベラの背でもっと敵をよく見ようと身をよじらせる。幸いなことにアルビオン種が復活した周辺に逃げ遅れた兵士は居なかった。彼らはまっすぐグレース達に向けて歩きはじめる。



「慌てて攻撃する必要はありません。近づいてきたものから順次行動不能にしていきます。総員戦闘準備! 散開せず火力を正面に集中します!初弾用意! 弾種は榴弾!目標、前方のアルビオン種右肩!」



グレースの号令に合わせて近衛達は魔導小銃を構える。魔導小銃は少量の魔力を込めることで特定の魔法を連射可能にする道具である。自由度は大きく下がるが、誰でも少ない魔力消費で魔法を扱うことを可能としている。近衛達は照準を敵に合わせ、彼女が再度号令を飛ばすのをじっと待つ。周囲は息も凍るほどの寒さだったが、近衛達の手は興奮で汗ばんでいた。ズシンとアルビオン種の足音が響く。また一歩、こちらに敵が近づいた。再びズシンと音が響く。まだギリギリ敵の攻撃範囲ではない。しかし次はないだろう。グレースははやる気持ちを抑える。そして再度大きな音が鳴り響いた。



「撃て!!」



近衛達は一斉に銃の引き金を引いた。構えた銃口から一斉に様々な色の光線が飛び出す。それらは我先にと目標へ突き進み、岩のように堅い表皮に突き刺さる。光線は着弾した箇所で爆発し、その周辺を吹き飛ばした。上級魔法ほどではないが、集中砲火を浴びせかけることで敵の分厚い装甲を破壊することは可能なようだ。



「第二射用意………………撃て!!」



彼女の号令に合わせて再度銃から光線が発射される。既に損傷した部分に再度の攻撃が加わり傷が広がっていく。傷口からは青だか緑だか分からない濁った液体がドバドバと溢れていた。アルビオン種は痛みに大きく呻く。



「動きが鈍ったようね。第三射用意…………撃て!!」



三度目の一斉射が再び右肩に命中した。その肩は大きく損傷しており、そのままでは使えないことは明白であった。そのアルビオン種は右肩を庇いながらしゃがむとその場で動かなくなった。



「あれは放っておきましょう。次! 十時の方角から接近する個体!」



近衛達は一斉に指示された方角へ銃を向ける。そしてグレースの号令で再び発砲した。今度も三度の一斉射で敵を行動不能にすることに成功する。アルビオン種は接近されると厄介な相手だが、距離を取りつつ火力を集中して戦えば十分に対応可能なようだ。初期対応は上手くいかなかったが、今後は対処可能な敵となるだろうとグレースは思った。


五体目のアルビオン種を行動不能にする頃には、遠方に居たアルビオン種も攻撃範囲内になっており、周囲から圧を感じるほどになっていた。包囲を警戒したグレースは後退の指示を行う。



「総員後退。速度はリサルディ中佐に合わせなさい」



グレース達は後退しながらアルビオン種へ射撃を加える。しかし自転車ほどのスピードで後退しながら撃つため、今までよりも命中精度が落ち、敵に有効打を与えられていなかった。



「一度全速力で下がりましょう。元々第三分隊が陣地を構築した場所から再度攻撃します」



「「了解」」



一瞬ふわりと身体が浮いたかと思うとイザベラが一気に速度を上げた。このスピードなら目標地点まで三十秒も掛からないとグレースは感じた。この時、ビキビキという地鳴りのような音をグレースは耳にする。不審に思い、彼女は地上を見下ろす。眼下には変わらずミッテンヴァルトの街並みがあり、異常は確認できなかった。しかしなおも地鳴りは続く。



「イザベラ、聞こえる?」


「ええ。何なんでしょう」



イザベラも警戒を強める。何か手掛かりはないかと彼女が視線を下に移した次の瞬間、前方の地表に大きな亀裂が走る。咄嗟にイザベラが叫ぶ。



「総員停止!!」



しかし速度の付きすぎたイザベラ達はすぐに止まることが出来ない。そんな彼女達をあざ笑うかの如く、亀裂は更に広がり、ついに地面からアルビオン種がその姿を現した。至近距離に出現したそれを回避することが出来ず、イザベラ達は次々とアルビオン種に突っ込んでいった。アルビオン種の堅い皮膚が眼前に近づき、イザベラは思わず目をつぶった。数秒後、身体全体に強い衝撃が走る。



「ぐぁっ…………!!!!」



まるで稲妻に打たれたような衝撃だった。そのままイザベラはバランスを崩し、地面に落下し始める。辛うじて意識は保っていたが、身体のあちこちの感覚が無く、自身に重大な損傷が起きたことは明白であった。頭の中で死にたくないと自分の声が叫ぶ。


混濁する意識の中、左右に目を配れば、自分と同じように落下する部下の姿が目に入る。手を伸ばそうにも身体が全く動かない。意識がハッキリしないせいか、魔法も上手く使えない。


誰かが肩を叩いた。イザベラは誰が叩いたのか確かめたかったが、首が上手く動かせなかった。イザベラはそのまま落下し続ける。地面に激突するまで二十秒も掛からないだろう。青い瞳の女性が視界に入り叫んだ。耳もやられてしまったようで、彼女が何を言っているのかよく分からなかった。



「イザベラ!! イザベラ!! しっかりしなさい!!」



いつの間にかイザベラの落下は止まっていた。気が付けばグレースに彼女は抱えられていた。グレースも無傷ではないらしく、右手首がおかしな方向へ曲がってしまっていた。それでもその右腕には近衛の誰かが抱えられていた。



「たい…………さ」


「よかった……! 頑張りなさい、すぐに治療してあげるから!」



グレースはそのまま低空を飛行しながらアルビオン種の脇をすり抜けた。彼女が上空を見上げると、一人の近衛兵が呆然としているのが見えた。それはヒルデという女性兵士で、隊内でもベテランの一人であった。彼女の動揺はグレースの位置から見ても分かるほどだ。グレースはすかさずテレパシーを送る。



(ヒルデ! 貴女は無事だったのね!?)


(え……ええ、最後尾だったので何とか回避に成功しました……。でも……)



ヒルデは地上に墜落した仲間達を凝視していた。周囲に敵がいることも忘れて。



(私の後ろに続きなさい!)


(で……でもみんなが……)


(命令よヒルデ! ついてきなさい!)



ヒルデは激しく動揺しつつもグレースの後ろについた。グレースはそのままアルビオン種から少し離れた街のはずれに着地する。



「うっ……ぐぅ……。クソッ…………!」



歯を食いしばりながらグレースは折れた右手首を見た。複雑に骨折しているものの、治せない怪我ではなかった。早鐘のように鳴り響く心臓を落ち着けながら、彼女は自身の手首に魔力を集中させる。



「んぐッ……!!ハァ…………」



バキッと音を鳴らして手首は元通りになった。一瞬だけ耐えがたい激痛が走り、グレースは苦悶の表情を隠せない。彼女は前かがみになって手首を抑えたまま数秒固まる。



「大佐……大丈夫ですか……?」



彼女の状態を心配したヒルデが声をかける。その顔は今にも泣き崩れてしまいそうな情けない表情をしていた。そんな彼女を安心させるためにもグレースは虚勢を張る。



「ええ……大丈夫よ。はぁ……イザベラとリオネロの治療をすぐにするわ。終わったらすぐに逃げるわよ」


「は、はい!」



グレースは完治した右手をイザベラに、左手をリオネロに翳す。彼女はその両手に同時に魔力を流し込んだ。イザベラは全身の複雑骨折、致命的なことに背骨の損傷が確認された。リオネロも同様に全身を複雑骨折していた。こちらは出血が激しく、既に意識を失っていた。どちらも詳細に体内を調べる時間はなかった。グレースは力任せに自分の魔力を二人の体内に押し流していく。グレースが行っているのは応急処置だが、非常に無理な変化を身体に強いるため、二人はあまりの激痛に白目を剥きながらジタバタと痙攣する。数秒その状態を続けるとグレースはパッと手を離した。



「終わったわ。ヒルデはリオネロをお願い。行くわよ」


「了解!」



その時だった。再び地面に亀裂が走った。瞬時にグレースは悟る。敵は直下だ。



「ヒルデ、イザベラもお願い。私はここでこいつを始末するわ」


「でも……!」


「早く行きなさい!!!!」



ヒルデは零れ落ちそうな涙を堪えながら二人を抱えて地を蹴る。彼女は二人の命を背負ったまま一人で逃げなければならない。その胸中が不安でないはずがない。グレースは一抹の申し訳なさを感じながら、亀裂の先に潜む敵を凝視する。



「あまり舐めるなよ……下等生物が……」



ぼそぼそとグレースは言葉を吐き捨てる。地の裂け目は更に広がり、今にも地中から敵が飛び出してこんばかりだ。グレースはポケットからクッキーを取り出し齧る。そして短く呪文を詠唱した。



「“動くな”」



グレースの周囲の空間がグニャリと歪む。それと同時に彼女の周囲十数メートルの範囲が地面にめり込んでいく。まるで空から何か押し付けられているかのようにどんどん地面は沈み込む。彼女の足元の土は圧縮され砂岩のようになっていた。地中の敵は上からの圧力に負け、地上へ出てくることが出来ない。



「ヒエラルキア・セラフ・ラヴァ」



彼女の言葉に応えて地面の温度が急上昇する。それは際限が無く、次第に地表はグツグツと煮えたぎるマグマ状になっていく。地中の敵は全身をマグマの熱で焼かれるが、グレースが上から押さえ付けているので外に出ることが出来ない。マグマの中で敵がどうなっているのか考えたくもないが、しばらくしてグレースは地中からの押し上げを感じなくなる。


彼女は静かに後ろを振り返る。アルビオン種達が半円状になりながら彼女を取り囲もうとしているのが見えた。グレースはため息をついて両手開いて前に突き出す。


すると地鳴りのような音と共にマグマが胎動を始める。それはゆっくりと、鎌首をもたげるようにマグマの中から無数に現れる。



「不死なら効果がないかもしれない。でももし再構築しているのなら、こうすればもう復活出来ない」



マグマの中から現れたのは巨大な手のようなものだった。それは蛇のようにアルビオン種へ伸び、彼らに絡みつく。グレースが両腕を引き絞るように動かすと、マグマの腕もそれに連動して動き、アルビオン種をマグマの中へ引きずりこもうとする。マグマは粘性が高く、一度身体にくっつくと簡単には剥がせない。アルビオン種達は燃える腕を引き剥がすことが出来ず、次々とマグマの中へ引きずり込まれていった。その様子を見て、これまでひたすらに前進を続けて来たアルビオン種達が一斉に停止する。


グレースはその隙を見逃さない。追撃の一手のためにグレースは腰の軍刀に手をやる。しかしそこにあるはずの軍刀はなかった。どうやら衝突の際に落としたらしい。グレースは焦ることなく軍刀の補助無しで次の魔法を実行する。



「ヒエラルキア・スローンズ・トーレント。ヒエラルキア・デュナミス・ヴィブラシオン」



彼女は続けざまに二つの魔法を放つ。するとまず彼女の背後からアルビオン種目掛けて大量の水が噴出する。その量は土壌の排水能力を遥かに上回り、流れていかなくなった水がどんどん彼らの足元に溜まっていく。そこに中規模の地震が発生した。アルビオン種達はぬかるんだ地面に足元をすくわれて次々と転倒する。しかしそれで終わりではない。転んだアルビオン種達は当然立ち上がることを試みる。だがぬかるんだ地面がまるで底なし沼のように彼らの手足を離さなかった。まともに身動きすることすら敵わないまま彼らはズブズブと地中に飲みこまれていく。



「ふぅ……」



グレースは大きく深呼吸する。冷たい空気が肺に入ることで魔法の負荷でぼんやりしかけた頭が冴えてくる。まるで極めて高い集中力を発揮した脳に新鮮な酸素が行き渡っていくように気さえした。



「……あの試作型失くしたら怒られちゃう」



液状化した大地を見て、グレースが今度はため息をついた。恐らく今頃泥の中だろう。共にこの死地を潜り抜けた使い勝手の良い武器だっただけに残念だった。念のため、彼女は沼地の上空から地上の様子を調べる。


既に脅威となる魔獣はどこにも見当たらず、泥の下で暴れている様子もない。その代償として街の南部一帯が液状化してしまい、数棟の建造物が泥の中に沈んでしまった。仲間の遺体も全て泥の中だ。周囲は不安を感じさせるほどの静寂に包まれていた。魔獣や人どころか、動物の気配すら感じられなかった。まるで世界そのものまで殺してしまった、そんな気分を感じた。


その時だった。泥の中で何かが僅かに動いた。上空からでは豆粒のようにしか見えないそれを確認するため、グレースは慎重に高度を落としていく。地中からアルビオン種が飛び出しても対応可能なギリギリの距離まで彼女は接近する。目を凝らして注視してみれば、それは泥まみれの布に見えた。そう、この泥の中で動く布など正体は一つしかない。



「今助けます!」



それは泥から突き出した人の一部だ。見えていない部分は泥の中に埋没してしまっているのだろう。見えているのは背中の部分だ。早く引っ張り上げなければ手遅れになってしまう。グレースはすぐさま魔法を使い、その人を引っ張り出す。



「大丈夫ですか!? ごめんなさい私の魔法に巻き込んでしまって……」



それはグロリアスの制服を着た女性だった。泥まみれなせいで、見覚えのある兵士かも分からない。彼女は手に何か棒状の物を握っていた。まだ体温はあったが、息をしておらず、心臓も止まっていた。早急に処置が必要と判断したグレースは彼女の胸に右手を翳す。その掌から淡い光が溢れ出した。グレースは彼女の心肺を自身の魔力で規則的に動かす。力加減を間違えれば臓器を潰してしまう慎重な作業だ。グレースは息をするのも忘れて右の掌に全神経を集中させる。一、二、三、四、五。リズミカルに何度も何度も同じ作業を繰り返す。まだ彼女の心臓は自力で動こうとしない。



血流は確実に脳に行き渡り始めていた。あと少しだ。グレースはめげずに同じ作業を繰り返す。五分ほどたっただろうか。苦しそうな呻き声と共に女性兵士の身体が大きく痙攣した。少し遅れて意識も戻ってくる。彼女の瞳に薄っすらと光が宿る。グレースは安堵のため息を長く吐いた。



「はぁー…………。気が付いた? 私の言葉は聴こえている?」



女性兵士は状況が飲みこめていないようで、目を見開いて慌てて周囲を見回す。そしてその惨状が信じられないとでも言いたげにパチパチと瞬きした。



「階級と名前を教えて頂戴? 私はグレース。階級は大佐よ」


「あ……存じ上げております。近衛のシンディです……」


「シンディ!? ごめんなさい。あんまりにも泥だらけで気が付かなかったわ! 今泥を落としてあげるからね」



そう言ってグレースは周囲の泥水から清潔な水を作る。それを彼女の全身にかけて泥を洗い流した。



「いえ……私は一体……。そ、それよりアルビオン種は!?」



シンディは自分で発したアルビオン種という言葉にビクリと身体を震わせる。そして恐怖にカタカタと震える身体を鎮めようと彼女はぎゅっと手を握りしめる。グレースは彼女を落ち着かせるために自分の胸に抱き寄せる。



「安心して。私が倒したわ。貴女は戦闘中にアルビオン種に激突して意識を失っていたの。もう大丈夫よ」


「倒したんですか……? あれを……?」


「そうよ。さぁ、みんなが待っているわ。私達も帰りましょう」



シンディは最初こそ動揺していたが、徐々に平静を取り戻してきていた。だが突然彼女は悲鳴を上げる。それと同時に彼女がグレースの腰に凄まじい力でしがみつく。



「いやぁぁぁぁ!! やめてぇぇぇぇ!! 誰なの!? こんなことやめてぇぇぇぇぇぇ!!!!」


「落ち着いて、シンディ。どうしたの?」



何とか落ち着かせようとグレースは試みるが、彼女が落ち着く様子はない。錯乱しているようにも見えたがどうにも様子がおかしい。それより彼女の華奢な身体からは想像もつかないほどの力が発揮されていることが事態の異常性を訴えかけていた。グレースも慌てて周囲を見回す。しかし魔獣も人も、何も見当たらない。



「シンディ、シンディ。誰も居ないわ。痛いから離して頂戴」


「誰かが私の中に入ってくる!! ……ぅ……う…………うわああああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!」



ついに彼女は訳の分からないことを口走り始めた。彼女は鯖折りにせん勢いでグレースを締めあげる。あまりの力に思わずグレースの口からも苦悶の音が漏れる。



「んっ…………。ちょっと……! いい加減にしなさい……!」



グレースは腕を振りほどこうと抵抗する。シンディの腕は堅く締め付けてきており、生身のグレースではビクともしなかった。そのため彼女は魔力を込めて腕力を底上げしようとする。するとピタリとシンディの動きが止まった。



「……シンディ?」


「やだぁ…………」


「どうしたのシンディ?」


「やだぁぁぁぁぁぁッ!!!!」



彼女は肩で息をしながら否定の言葉を叫ぶ。訳の分からないグレースはあくまでも彼女に優しく語りかける。



「ねぇシンディ、もう怖いものはないからこの手を離して? ねぇ……」


「だめええええええええええええぇぇぇぇ!!!!!!」



ガリッという骨に響く嫌な音が顎の下あたりから聴こえた。そしてその音が聴こえた瞬間、痛いほど締め付けられていたシンディの腕が感じられなくなった。何が起こったのかと、音のした方向をグレースは見る。


だが首は動かなかった。いや、それどころか勝手に後ろに傾いたのだ。グレースは自身に起こった事を理解するまで多少の時間を要した。首はそのまま際限なく傾き、ついに一回転する。


その時ようやく理解した。シンディに抱えられたままの自分の首から上のない身体と、空中に浮く試作参式軍刀を見て。



――ああ、あれに首を刎ねられたのか。私は死ぬのだろう。



べちゃりと音を立ててグレースは泥の上に落ちた。ひんやりとした泥が妙に心地よかった。グレースは顔の左側から徐々に沈み始めていた。彼女の長い髪が周囲に散らばる。痛みや苦しみは不思議と感じなかった。ただただ抗いがたい深い微睡みが彼女に近づいてくる。唯一動く目を使って彼女はシンディを見た。彼女はようやくグレースの身体を離し、声にならない悲鳴を上げながら後ずさりする。そしてガックリと膝を折った。その姿は非常に痛々しいものだった。もし彼女が本心からやったことならこうはならないはずだ。グレースは薄れゆく意識の中、最後の力を振り絞ってシンディに語り掛ける。



(シンディ……。よく……聞いて……)



テレパシーを飛ばすたびに脳の活動が著しく落ちていく。たった少しの言葉を送っただけで彼女の視界はどんどん暗転していく。



(貴女だけでも……無事に……戻って……)


(そんな……私大佐になんてことを……)


(本心じゃないと…………分かっているわ…………。何が……起こった…………のか……ちゃ……ん…………と…………ベ……ラ……に…………。…………お……ね……が………………い…………………………)


(大佐……大佐! グレース大佐!)



視界は完全に失われ、耳に残響のようにシンディの自分を呼ぶ声が聞こえる。それは徐々に歪んだ音に変わっていき、ついに言葉と認識出来ない音となる。そしてその音さえも認識出来なくなった時、グレースの身体は生命活動を終えた。


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