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生命の箱舟 リリン  作者: 胸毛ボルサリーノ将軍
終わりの始まり
32/45

魔獣の大攻勢:一時の休息

グレースは住民たちが教会と呼ぶ建物へやってきた。建物の扉を開くと、暖かな空気と共にスープの美味しそうな香りが彼女の鼻腔をくすぐる。


中を覗くと既に何人か先客がおり、グロリアスの兵士もいれば、戦いに参加した住民もいるようだ。彼らが並ぶ先には大きな鍋があり、そこから湯気が立ち昇っていた。まだ若い女性がそれを掻きまわしており、10代にも満たない少年が皿を配っている。グレース達は彼からスープ皿を受け取るが、少年はイザベラの顔を見ると、何かを思い出したかのように建物の奥へ逃げていってしまった。



「……ベラ、怖がらせちゃダメよ?」


「なっ!?私はそんなに怖い顔をしているのでしょうか……」


「笑顔が作りやすくなるように、あとで顔面マッサージをしてあげましょうか?」



グレースは空いている手をわきわきと動かす。


「何ですかそれ……嫌な予感がするので遠慮しておきます」



グレースは残念そうに手を引っ込めた。そして自分がローラと同じような動きをしていることに気が付く。もしやこれは上司となった者の定めなのだろうか。



「あ!おはようございます!街を助けて頂いてありがとうございました!どうぞ、この街で育てられた牛肉の入ったスープですよ!」


「まあ、美味しそうです。頂きます」



グレースは礼を言ってスープを受け取る。琥珀色のスープにはたくさんの具が盛り付けられていた。彼女らの好意に甘えつつ、彼女はスープに口をつける。スープは暖かく、一口飲むとその温かさが冷えた身体に染みるようだった。彼女がほっと一息ついていると、そこへ一人の女性がやってくる。



「あの……貴女がリサルディさんですか?」



女性は恐る恐る彼女に声を掛ける。グレースは隣からイザベラの顔をちらりと見る。彼女は驚いているのか、鉄面皮を被ったように無表情だった。その様子を見てなのか、相手の女性は萎縮してしまっていた。グレースはイザベラにしか見えないように、横で自分の口元を指で押し上げるようなサインを送った。



(スマイルスマイル)



イザベラは少し恥ずかしそうにぎこちない笑顔を作る。その笑顔のヘタクソさは想像以上で、グレースには口元を緩めながら青筋を立てているようにしか見えなかった。グレースは頭を抱える。



「はい。イザベラで構いませんよ」


「ああ、イザベラさん。父を助けて下さってありがとうございました。何とお礼を言えばいいのか……」



女性は深々と頭を下げた。その様子に彼女は少し面食らったように見えた。珍しく目をパチクリしている。



「いえ、職務ですので。当然の事をしたまでです。お父様の容態は?」


「御陰様で、先ほど目を覚ましました」


「それはよかった!」



今度はちゃんと笑顔を作れていた。自分が助けようとした者が助かったのだから当然ではあるが、その笑顔は屈託のない良い表情であった。女性は話を続ける。



「それと……父が今後の街のことについてお話ししたいと言っていたのですが、代表の方はどちらでしょうか」



イザベラはグレースの方を見た。女性も釣られてグレースを見る。そんなに一斉に視線を向けられると、何だかグレースは背中が痒くなるのだった。彼女は服装を正し、胸を張る。



「私がアドリア遠征軍の指揮を任されているグレースです。お父様はどちらに?」


「この度は助けていただきありがとうございました。どうぞ案内いたします」



この教会という建物は、元々は神様に祈りを捧げる場所だったらしい。アドリアにもいくつか遺跡として残されており、グレースも何度か訪れたことがあった。この教会はその中でも飛び抜けて美しく、旧人類が大切にしていたものだということが分かった。現在でも建物の維持管理は行われているようで、建物に施された装飾には埃一つ付いていない。


グレース達は彼女に続いて建物の奥にある小部屋へ向かう。そこは小さな部屋だった。以前はどう使われていたのか不明だが、現在はその部屋に二人の男が寝かされている。片方は意識があるようで、グレース達が部屋に入ると視線をこちらへ動かした。


「お父様、お連れ致しました」


「グロリアス治安維持機構所属、アドリア地方担当のグレース、階級は大佐です。お加減はいかがですか、ミッターマイヤー准将」


「ありがとうドロシー。ははは……御陰様でなんとか生きているよ。それと准将はやめてくれ。もう退役しているんだから」


「はあ」



准将と呼ばれ、ミッターマイヤ―は恥ずかしそうに苦笑いする。グロリアスでは退役時に更に上位の階級を与えられるため、退役しても階級に「元」は付かない。グレースはそれを遵守しているだけだが、彼にとっては好ましくないらしい。


彼は包帯でグルグル巻きにされた状態でベッドに寝かされていた。治療魔法の使い手がいなかったのか、彼は自然治癒に任せた状態で安置されている。彼からは薄い消毒液のような香りが漂っていた。不憫に思ったグレースは彼の身体に触れる。



「お身体に触れることをお許し下さい」


「治療魔法かね?どうせなら隣の彼にしてあげてはくれないだろうか」



そう言われグレースは彼の隣で寝かされた人物に目を向ける。まだ若い青年のようで艶やかな黒い髪に浅黒い肌をしている。その青年はスヤスヤと穏やかな寝息を立てて寝ていた。どうやら出血多量で昏倒してしまったらしく、脳に重大な障害が残る恐れがあるのだという。理論的には脳だって魔法で治せるはずだが、グレースはそんな事例は耳にしたことがなかった。身体の傷は治っているようで目立った外傷は残っていなかった。あとは目覚めるのを待つだけなのだという。



「脳の修復は難しいですね。細胞を作りなおしても、それに以前の細胞と同じ情報を与えることは不可能ですからね……」



彼女の言葉にミッターマイヤ―は悲しそうに目を伏せる。一時的とはいえ共に戦場を駆けた仲間なのだ。さぞ辛いことだろう。



「私が駆け付けた時には既に意識がありませんでした。大動脈を損傷したのかあまりにも出血が酷く、その場で止血をしましたがこの有様です。私がもう少し早く彼の下へ駆けつけることが出来たら彼は助かっていた。そう思うとやりきれません」



イザベラは悔しそうに歯噛みする。彼を魔獣の群れから助け出したのは彼女だ。グレース達にとって、仲間の死に遭遇することは珍しいことではない。しかし、仲間であろうとなかとうと、あと少しで救えたものが救えなかった時が一番堪えることを彼女は知っている。



「イザベラ、貴女の責任ではないわ。作戦の成否は将たる私に懸かっていたのだから。それでも自分が悔しいと思うのなら、今はいっぱい悔やみなさい。そして悔恨の念に押しつぶされそうになったら私に話しなさい」


「大佐……」



グレースはイザベラの肩にそっと手を置いた。その手に彼女の温もりが伝わってくる。イザベラはちらりとグレースに視線を向けた。その横顔は酷く落ち込んでいるように見えた。


普段は高圧的に振る舞っているが、今の地位に収まる前の彼女はもっと小心者だった。配属当初から上官だったグレースはそんな彼女をずっと見てきた。それ故に、軍人らしく成長してくれた彼女が誇らしいし、可愛らしくて仕方がない。しかし同時に、それは彼女の被った仮面であり、この状態の彼女は自分を責め続けるということも知っていた。



「ところで何か話があるとお聞きしたのですが?」



グレースはミッターマイヤ―に向き直る。わざとらしいテーマ転換かもしれないが、本題に入ることを誰も咎めはしない。彼は思い出したように口を開いた。



「ああ!そうだった!実は今後の予定について尋ねたいんだ。随分と少数精鋭で来たようだが、援軍はこれで全部なのかね?」


「いえ、本隊はもうまもなく到着いたします。敵戦力が不明でしたが、今行かねば街に危険が及ぶと判断し、機動力と戦闘力の両方を兼ね備えた部隊の一部を先行させました。閣下の前でこのような無様な作戦を実施することになり、面目次第もございません」



グレース達将校は戦力の逐次投入をしてはならないということを士官学校で脳みそに刷り込まれる。故に今回取った作戦はそれに反するものである。これを行ってはならない理由は各個撃破される可能性が高まるからだ。つまり仲間を死の危険に晒す行為であり、他の将官に侮蔑されることも少なくないのだ。それを正直に述べる彼女の表情は堅いものだった。


彼女の申し開きにミッターマイヤ―は自分の髭を撫でる。彼は複雑そうな表情をしていた。



「ふむ……。助けてもらった私が言うのもなんだが……まあ准将として発言するのなら、確かに、君たち先行部隊が壊滅することもあり得たからね。戦力の不明な相手に対して少数の部隊を先行させるのは良い作戦とは言えないだろう。しかし、結果論ではあるが君の判断は間違っていなかった。君たちが来なければ、間違いなく住民に被害が出ていた。つまり君の取った作戦は、君が持てる手札の中で最も良いカードだったと言えるだろう。そもそもそんな手札しか用意出来なかったことに問題があるのだ。それは君の采配のせいかもしれないし、グロリアスの指示が遅いせいかもしれない。そこは私には分からないかな。だから君の判断に問題があるように私は思わない。今後も精進しなさい」


「勿体ないお言葉です」



グレースは深々と礼をした。その表情が少し緩んだようにイザベラには見えた。



「まあそれはそれとして、率直に申し上げるとミッテンヴァルトは季節外れの猛吹雪で物資不足に陥っている。本隊が来るまでは何とかなるが、何千何万という規模の腹を満たすほどの食料や飲み水がない。そこでアドリアの補給線や軍団の規模を知りたいのだ。知ったところでただちに対策を取れるというわけではないが」


「それはご心配なく。アドリアの兵士は食事にうるさいので、当面の食料として一週間分の食料を持参しています。軍団規模は4万ですが、一部をインスブルック、旧シャルニッツに残し、補給任務と守備に当たらせています。従って、こちらにやってくるのは3万弱となります」


「了解した。当面は問題がないと捉えて良いのかな?」


「はい」



彼女は胸を張って答えた。初めての大規模作戦ということもあって、本作戦では物資面ではあらゆる面で余剰を確保してある。周辺地方やグロリアスの強力なバックアップもあり、物資面では不自由しなかったのだ。無駄の多い作戦と言えばそれまでだが、初の試みである以上、不足の事態に備えるべきだと判断したためだ。



「それでは本隊合流後の迎撃計画について教えて欲しい。防衛線の構築なら私達地元民の力が必要だろう?」


「ええ、お力添え感謝します。まず我々は迎撃のための陣地構築を行います。ベラ、地図を」



そう言われると、イザベラは制服の内ポケットから均一に折りたたまれた地図を取り出す。そこにはミッテンヴァルトの街と周辺地図が描かれていた。



「街の北口、ちょうど閣下が交戦されていた辺りに、砲撃のための高台とその少し先に敵の進行を阻む堀を作ります。堀の手前で立ち止まる魔獣を砲撃で仕留めていくというオーソドックスな作戦です。堀の内側には魔剣士を展開し、堀を飛び越えてきた場合に対応させます」


「陣地の構築に充てるリソースはどうなっているのかね?」


「人員としては工兵二千人体制で実施します。設計図はアドリアの建築技師達に急遽作成させたもので、高台は堀を作る時に出た土砂を、堤防のように台形に盛ることで作るようです。私は詳しくないため、本隊合流後に担当の者を向かわせます。構築予定のラインはここです」



彼女の白い指が地図に引かれた赤い線をなぞる。線は街を覆うように半円型になっていた。ミッターマイヤ―もかつてはこのような作戦を指揮する立場であったが、この規模の防衛線を構築することがなかったため、人員と規模が釣り合っているのか確信が持てなかった。彼はうーんと唸り、疑問を彼女にぶつける。



「こんな大規模の陣地構築は前例がないが、二千人で足りるのかね?あと西の山岳地帯は魔獣なら容易に突破可能だと思うが、ここには陣地は設けないのか?」



ミッテンヴァルトの西側には丘のような傾斜の緩やかな山がある。街はそれを避けるように建築されており、刀の切っ先のような形になっている。北側には広大な農場があり、グレース達はここに防衛線の構築を提案していた。ここは西の山と東の山が最も接近する場所で、守るにはちょうど良い場所だ。しかし西側の山は低いため、人間ならまだしも魔獣は容易に踏破してくるはずだと彼は考える。地図上では広大な山岳のように書かれているため、あたかも魔獣の侵攻を阻止するための天然の要害として使えるように見えてしまうが、それは誤りなのだ。



「陣地の構築は半日で終わらせる予定ですが、これはアドリアの護岸工事に必要だった人工(にんく ルビ振る)を参考にしております。西側の山岳地帯については、私も先ほど確認しました。冬場はスキー場になるようですね。私も魔獣ならあの程度は越えてくるという意見には同意です。幸い深い木々に覆われていますから、魔剣士達を展開することを検討しています」


「ふむ、人員については了解した。ただ視界の悪い状況ではガルムが強大な脅威になり得る。特に夜間は不利だ。彼らを守るための砲兵陣地を手前の山に作らせた方が良いだろう。ちょうど北の防衛線も射程範囲に入るような良い峰がここにある」


「なるほど、ベラ、ただちに現地の確認を」


「了解」



そう言われ、イザベラは二人に敬礼すると足早に部屋を後にする。彼女が部屋を出ると、ミッターマイヤ―は表情を崩す。



「あの子は武人然とした性格を演じているようだね。何だか放っておけない感じがするよ」


「あら、やはり閣下の目は誤魔化せなかったようですね」



二人はにこやかに笑う。そしてグレースは思い出したようにミッターマイヤ―の腹部に手を当てる。



「先ほどはしそびれてしまいましたが、どうか今しばらくお待ち下さい」


「ああ、お願いするよ」



グレースが魔力を込めると、ミッターマイヤ―の全身に体験したこともない激痛が走る。しかしそれも一瞬での出来事で、一呼吸着く前に全身の治療が終わっていた。



「驚いたな。一介の衛生兵より遥かに手際が良い」


「お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたします」



そう言ってミッターマイヤ―はベッドから起き上がる。その様子を見て、娘のドロシーが息を呑むのがグレースには見えた。


そして彼は立ち上がりグレースの方を向く。彼の身長は彼女よりも頭一つ分大きく、彼女は彼の顔を見るためには首を上に傾けなければならなかった。



「さて、私も仕事をしなくてはね。住民の避難はさせたほうがいいかね?」


「ええお願いします。作戦に100%はありませんから」


「分かった。住民をセ―フェルトへ避難させよう。ドロシー、彼を頼めるかい?」


「お任せ下さい」



彼はそう言うと上着を羽織る。



「それでは私はこれで」


「ああ、街の事をよろしく頼む」



二人は堅く握手を交わした。彼の手のひらは自分のものよりゴツゴツとしているな、とグレースは感じるのだった。


外に出ると陽はすっかり昇り、本隊も到着したところで、街中は人で溢れ返っていた。あれほど激しく舞っていた雪が嘘のように止み、厚く垂れこめていた雲もすっかり消えていた。雪は解け初め、頭上に輝く二つの太陽が彼女を照らすのだった。


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