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生命の箱舟 リリン  作者: 胸毛ボルサリーノ将軍
終わりの始まり
31/45

魔獣の大攻勢:アブソリュート・ゼロ

ミッターマイヤ―は群れの中心で魔獣と戦っていた。既に魔力残量は心もとなく、早急に離脱したいところだった。しかし今戦場を離脱すると魔獣が一気に街に押し寄せてしまう。故に彼らは、不退転の覚悟でそこに陣取り続けた。周囲は隙間もないほど魔獣に囲まれており、状況の打破は極めて困難だった。空は藍色に染まっており、夜のベールは取り除かれようとしていた。



「この物量は……、流石に厳しいねえ……」



アイビーが肩で息をしながら呟く。彼女の頬には切り傷があり、そこから出血していた。彼女の他にはデインが近くにいたが、彼も右脇腹を負傷しており、大量の出血を起こしていた。



「デイン、動けるか?」


「無理だな……。私のことはいい。二人は補給に行ってくれ」



デインは銃を杖替わりにして立ち上がる。その動作は緩慢でおぼつかない。彼はそのまま銃を構えようとする。



「そんなこと出来るわけがないだろう!何か方法があるはずだ!」



彼の顔には焦りの色が見えていた。彼にとって魔獣一体の相手は大したことではない。しかしこれほどの数の魔獣を相手にするとなれば話は別だ。先ほどから倒しても倒しても魔獣の数が減る気配がない。むしろ増えているのではないか、と錯覚するほどだった。彼らと魔獣はにらみ合っていたが、魔獣側がジリジリと距離を詰めてきていた。



「ミッターマイヤ―……ここで君たちまで倒れたら……街が危ない。頼むから行ってくれ」


「仲間を見捨てるような奴が街を救えるものか!ここでお前を見捨てて!次は街を見捨てるだけだ!」



そう言って彼はデインを担ぐ。彼はアイビーとアイコンタクトを取る。



「任せな。後ろから援護する。アンタはそいつ担いで突っ切りな」



彼女は銃を構えた。そして大きく息を吸い込んでスコープを覗き込んだ。ミッターマイヤ―はスキー板に推力を与えると、軍刀片手に群れに吶喊していく。その道を拓くように後ろからアイビーの放つ銃弾が彼を追い越していく。彼の正面には弾は当たらないため、正面にいる魔獣を刀で一刀両断する。緑の返り血を浴びながら、なおも彼は前進を続けた。何匹か魔獣を斬り臥せるころには、群れの終わりが見えてきていた。その先には未だ無傷の街並みが見えた。


彼は援護の手がないことに気が付き、ふと後ろを振り返る。そして彼は見た。彼の遥か後方で、アイビーが魔獣に食いつかれ、魔獣の中に消えていくのを。



「アイビィィィィィィィ!!!」



彼の叫びに応えるものはなかった。ただ彼の慟哭が谷に響き渡る。彼は仲間を失った悲しみに燃えながら群れから飛び出した。魔獣達はそれを全力で追いかけ始める。それは彼らが逃げることによって街に魔獣を引き込むことになるのだった。



「デイン!すまない、あとは自力で戻ってくれ!」


「お前は……?」


「このままじゃ街に魔獣が行ってしまう。だからそれを止める!」



無茶だ!と背後でデインが叫ぶが、彼はそれを無視して群れを迎え撃つ。魔力残量はほぼないため、彼は残った魔力を全て刀の魔力増幅機関に集中させる。そして突っ込んでくるガルムの首を刎ねる。頭部を失ったそれは彼を飛び越えて背後の雪に着地した。


ガルムの集団は彼に襲い掛かるが、彼はそれを次々に切り伏せた。しかし無傷というわけにもいかず、身体は切り傷でボロボロになってしまった。回復に割く魔力などないため、彼は血を垂れ流しながら戦闘を続行する。


そしてガルムの集団の後ろから数体のイエティ種が姿を現した。彼は迷わず剣で斬りつけるが、その刃は分厚い毛に阻まれて届かない。


魔力切れだ。


グロリアスの制式軍刀は、魔力を込めることで切れ味が増すように設計されている。元々イエティ種には物理的な攻撃は通りにくいが、それに加えて軍刀への魔力供給が途絶えてしまったため、彼の攻撃はほとんど通用していないようだった。


イエティがその毛むくじゃらな腕で軍刀を掴む。ミッターマイヤーは引き切ろうとするが、軍刀はビクともしなかった。それどころかイエティに軍刀を折られてしまう。



「くそっ……!!」



彼は悪態をつく。折れた刀にはまだ刃の部分が残っていたが、彼にはそれでこのイエティ達が倒せるようには思えなかった。


イエティはそのまま彼に殴りかかってくる。彼は咄嗟に折れた刀で防ぐが、その衝撃で完全に刀は使い物にならなくなり、右肩には激しい痛みが走る。



「ぐっ……!!」



どうやら骨にひびが入ったらしい。彼の肩は服の上からでも分かるほど腫れ上がり、それ以上の駆動を困難としていた。彼はまだ動く左腕に刀を持ち替え、その折れた刃先をイエティに突き立てる。しかしまたしても体毛に阻まれ、肉に到達しない。


イエティは素早い動作で彼の身体を掴む。その大きな掌は人ひとりをすっぽりと包みこめるほどの大きさだ。彼はそのまま持ち上げられ、ギリギリと身体を締め付けられ始めた。


彼は抵抗しようとするが、バキバキと身体から嫌な音が響く。それと同時に形容しがたい痛みが腹部から全身へ駆け巡った。あまりの衝撃に目の前が光ったようにすら感じた。それは命のひび割れる音だ。完全に割れてしまったら自分は死ぬのだろう。それを阻止するためにミッターマイヤ―は何度も折れた剣を突き立てた。


愛する娘の顔が脳裏をよぎる。彼女を残して死にたくない。



「くっそおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」



口からは血が溢れ出した。彼の無念の叫びが谷に木霊する。ガルム種が次々に彼の横を通り過ぎ、街へ向かって行った。やめろ!そこには娘がいるんだ!と彼は叫ぶが魔獣は聞く耳を持たない。


その時谷に朝日が差し込む。その光は山の影から姿を現し、彼の顔を照らした。まるで天国へと導く架け橋のように、太陽と自分の間に光の道が出来上がる。そしてその道の先に小さな黒い点があることに気が付く。



(こ……リア…………答……)



何かが頭の中に聴こえてくる。しかし遠すぎるのかノイズ混じりにしか聴こえてこない。その影はどんどん近づき、やがて小さな人影となった。それがハッキリと聴こえる距離になった時、ミッターマイヤ―の胸に歓喜の嵐が吹き荒れる。




(こちらアドリア遠征軍第一近衛師団、生存者は応答せよ!)



それはアドリア遠征軍の姿だった。朝日を背にそれは猛スピードでこちらへ向かってきていた。数は多くないようだが、彼にとってこれほど嬉しい知らせはなかった。テレパシーを送る魔力も残っていない彼は歓喜の声を口に出す。



「ここだ!!助けてくれ!!」



彼の叫びを聞きつけたのか、その方角から何発もの銃声が聴こえた。どうやら街へ向かった魔獣を討伐してくれているらしい。その最新鋭の装備で全身を固めた彼らの正面火力は凄まじく、瞬く間に魔獣の波が押し返されていく。彼を掴んでいたイエティもいつの間にか脳天をぶち抜かれ、彼を締め付ける力はなくなっていた。


ミッターマイヤ―は安堵のため息をつく。よかった、街はこれで安全だ。張りつめた緊張の糸が解れると、急に眠気が襲ってきた。寝てはいけないと理解していたが、精根尽きた彼は微睡みに身を任せた。




(大佐!魔獣の数が多すぎます!このままではこちらにも被害が出ます!)



切迫した声でイザベラがテレパシーを送る。グレースの眼下には今までに見たこともない規模の魔獣の群れが犇めきあっていた。そのあまりに異常な光景に彼女は息を呑む。しかしいつまでも気圧されているわけにもいかず、彼女は一つの決断を下す。



(リサルディ中佐、セラフ級の魔法を行使します。一旦下がってください)


(ここで使われるのですか!?)


(今、敵の勢いを削がねば街まで押し込まれてしまいます。生存者はいないか探してください)



そう指示するとイザベラの班が群れの上空へ飛んでいく。そして群れに突入したかと思うと、何人かの生存者を救出して戻ってきた。その鮮やかな手際にグレースは感心する。



(どうやら少し前に指揮系統が崩壊し、誰が生き残っているのか不明なようです。目視では他に生存者は確認出来ませんでした)


(分かりました。群れから離れなさい。全ての責任は私が取ります)



イザベラ達は救出した生存者を街へ下ろしに向かう。グレースは街の北門に陣取り、魔獣の群れに向けてぶつける魔法の準備に入る。


彼女は目を瞑り、その肌に触れる世界を感じる。穏やかな風が頬を撫で、山の切れ目から差し込む陽光が彼女を照らす。その光がほのかな温もりを与える反面、地に舞い落ちた雪が彼女の足を冷やす。魔獣の足音が空気を揺らし、それは彼女の鼓膜をも揺らした。人と魔獣の流した血が、鉄臭い香りを周囲に充満させ、それは彼女の鼻腔に侵入してくる。ある人々は脅威に怯え、またある人はアドリアの登場に胸を奮わせている。魔獣はただ欲望の赴くままに街へ向かう。まるでそれらは満たされることのない空腹を訴えるように、だらだらと口から涎を垂らしていた。そして遥か遠くに見える巨像は、悠々とその巨体を揺らす。それに合わせて地面が振動し、それがグレースの足の裏にも伝わってくる。隣にイザベラが着地した。彼女は息を整え、その眼差しでこちらを見ている。その胸は興奮で高鳴っており、その鼓動は彼女の耳にまで届いていた。


私は空気だった。全てを満たし、全てを包み込む空気だ。


私は光だった。万物を照らし、万物に温もりを与える光だ。


私はガルムだった。ああ、目の前の女はなんて美味そうなんだろう。


私はイザベラだった。大佐はどんな魔法を見せてくれるのだろう。興奮で胸の鼓動が収まらない。


今、彼女はこの世界と一つになっていた。世界のあらゆる物が彼女であり、彼女はそれらであった。故にそれらに干渉することは容易だ。彼女は干渉すべき相手を定める。そして彼女は裁定の言葉を紡ぐ。



「ティターン・セラフ・アブソリュート・ゼロ!」



彼女は繋がった世界から熱を奪っていく。熱はどんどん彼女に送られ、彼女は内から湧き上がる熱を手のひらに集めていく。それに伴って魔獣は次第にそのスピードを緩めていった。そしてある時点で完全に動きを止め、精巧な剥製のようになった。それらは内部まで完全に凍り付いていた。魔獣達は立ったまま氷の彫像となっていたのだ。見渡す限りの魔獣は全て氷の彫刻へと変貌を遂げていた。遥か彼方の一団は魔法の効果範囲外だったためかまだ生身であった、それでも群れの半数以上を仕留めることに成功し、ミッテンヴァルトはしばしの安寧を手に入れた。



「お見事です、大佐」


「まだ油断しないで。報告にあったムルナウを壊滅させた魔獣がいたようには思えなかったから」


「あの大きな魔獣がそうではないのですか?」



イザベラは山のように大きな魔獣を指差す。確かに報告では巨人のような未確認の魔獣によって前線が突破されたとなっていた。しかしあれは簡単に倒せてしまっている。敵より圧倒的に数の少ないミッテンヴァルトなら頷けるが、正規兵の守備隊を置いていたムルナウがあんな魔獣にやられるとは、彼女には到底思えなかった。



「あれにムルナウが落とされたというのなら、今度ベルマンに文句をつけなければいけないわ。アンタのとこの教育どうなってんのよってね」


「はあ、では報告にあった魔獣はどこにいるのでしょうね」



イザベラは氷原を見渡した。美しい彫像以外にそこには何もなく、水を打ったような静けさだけが残っていた。


グレースはポケットに入れていたシュガーコーティングのされたビスケットを齧る。香ばしい小麦の味と甘ったるい砂糖の味が絶妙に絡み合って口の中に広がる。彼女はそれを一気に噛み砕いて飲みこむ。



「あれほどの魔法を使われたのだからお疲れでしょう。住民が暖かいスープを提供してくれるようです。いかがされますか?」


「あら、それなら頂こうかしら」


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