街へ
クリスが住んでいる場所はアペニン島と呼ばれている。昔は本土と繋がっていたようだが、今は完全に切り離されて離島となっている。島の北部には失地が存在するが小規模なものである。シルポートはその反対、島の南部にある港湾都市で、本土との交易のため非常に活気のある街である。
クリスもシルポートには何度か訪れたことがあるが、そのたびに商人達に珍妙な物を押し売りされるためあまり良いイメージはない。彼とは対照的にフゥラはショーケースに並ぶスイーツ目当てにシルポートへ行きたがる。そろそろ村にも洋菓子屋さんの一つや二つ出来てもいいと思うのだが、これがなかなか出来てくれない。
シルポートまではアペニン中央線と呼ばれる街道を通る。アペニン中央線は島の北部から南部を貫く大きな道で、ここを基準に街道はいくつか枝分かれしている。この枝分かれした街道を通って物資は各所に届けられている。
アペニン中央線は島の物流の要であり、これが使えなくなると多くの民が物資不足に悩むことになる。街道はコンクリートで出来ており、ところどころ街灯も設置されている。魔獣を撃退するための守衛も配備されており、人とすれ違うことも少なくない。
この街道は自動移動機関の使用も可能なように作られているため、時折その姿を見ることが出来る。自動移動機関は旧人類文明の遺産で、当時はオートモービルと呼ばれていたようだ。四輪タイプと二輪タイプが存在し、高速な移動を実現する機械である。この機械の原理は既に解明されているが、部品を再現することが難しいため出回っている数は決して多いものではない。燃料も貴重なものを使っているため、多くの人は蒸気機関車を使って移動する。最も、クリス達が移動する区間に鉄道はないのだが。
クリス達一行は山道を抜け、平地に広がるこの街道を歩いていた。季節は初夏、まだまだ暑さは極限を迎えていないが、動いていればそれもまた些末な差でしかない。
アペニン島は比較的温暖な気候であり住みやすい土地と評されるが、他の土地を知らないクリスにとっては暑すぎる土地だった。加えて街道からの輻射熱が彼を襲う。日差しは時折雲の切れ間から覗く程度のものなのに、どうしてこんなに暑いのだろうか。クリスは心の中で悪態をつきつつ額を流れる汗を拭う。
すれ違う馬車の御者が手を挙げてこちらへ挨拶をした。それに対してセオドールが挨拶を返す。それを見てクリスはふと思う。
「セオドール、馬車とか用意出来なかったのか?このままじゃシルポートに着くころには汗だくで動けなくなっちまうぜ」
既に歩き始めてから三十分ほど、涼し気な顔をしている二人とは対照的にクリスは暑さで溶けてしまいそうな錯覚を覚えていた。
クリスも二人のように気候に合わせて薄着だが、仕事柄日の光に晒されることに慣れていなかった。
彼の仕事は錬金術師である。クリスの住んでいる村にある錬金術工房の主、ザジに弟子入りしている。今は見習いの身でザジにはいつもドヤされている。昨晩も鉄を土にしてしまったばかりだ。
「たまには外に出ろよ。昔はよく外で遊んだじゃないか」
いかにも昔を懐かしむような言動だが彼の口元は半笑いだった。セオドールがはぐらかす時は大体正当な理由はない。今回は自分が歩きたかったから、とかそんな理由だろう。
オルコット家はいくつかの馬車を所持しているため用意出来なかったはずがない。彼の娯楽に付き合わされているのだと思うと自然とため息が出てしまう。
「いいじゃない。クリスと一緒にどこかへ行くなんて本当に久しぶりなんだし。ザジさんの弟子になってからずーっと工房から出てこないんだから」
ヘトヘトのクリスを横目にフゥラはどこか楽しそうだった。彼を見つめる意地らしい目の脳裏には、いつの記憶が呼び起こされているのだろう。そんな彼女の横顔に、クリスはかつての彼女の面影を見るのだった。
彼女に会ったのはクリスが十歳の時。彼女はまだ六歳だった。孤児だった彼女をどこからかセオドールの父が拾ってきたのが始まりだ。セオドールの父は孤児院を経営しており、クリスとフゥラはそこの出身である。村の人間もその孤児院の出身が多い。
セオドールは同年代の子供も多かったことからよく孤児院に遊びに来た。身分の違いはハッキリとしていたため最初クリス達は萎縮してしまっていたが、セオドールの明るさは誰からも好かれるようになった。
その時から今日まで、三人は仲が良い。
「たまには可愛いこと言うんだな、オマエ」
「たまには~?いつもの間違いでしょ」
フンッと鼻を鳴らして彼女の目が小馬鹿にしたようなものへ変わる。今のような人を馬鹿にした態度さえなければいつも可愛いだろう、とは思う。
「ま、変わってなくて何よりだ。半年くらい見てなかったからな」
クリス達の話を聞いてセオドールはフフっと笑った。しばらく彼らと会っていなかったのはザジのところへ弟子入りする前に、錬金術の基礎を学ぶために本土へ渡っていたからだ。
島へ帰ってきてからも工房で修行の毎日だった。セオドール達にも仕事はあるため両者の予定が噛み合わなかった結果、しばらく会うことがなかった。逆にクリスの知っている二人もまた、前回会った時と変わらないように見えた。
「お前らはもうちょっと変わっていてもよかったと思うけどな」
とクリスは少し皮肉を言ってやる。するとセオドールは
「俺たちが変わっちまったらよお……クリスが帰ってくる場所がなくなっちまうじゃないか!」
などと天に両腕を広げ、くるくると無駄に回り、仰々しいポーズを取りながら冗談めいたことを言っている。クリスはあまりの滑稽さに周囲に哀愁が漂っていることは触れないことにした。だがそんな彼の配慮を尻目にフゥラまで
「私たちなんて優しいの!」
などと同じく天を仰ぐ珍妙なポーズを取りながら馬鹿なことを言い始めた。なるほど、寒いコントの技術は少し成長したらしい。そのポーズがなんなのか些か気になるところではあるが、彼らのコントは完全に見なかったことにして歩みを進める。
「そういえば覚えてる?前にシルポート行った時のこと」
フゥラはコントが受けなかったからか話題を変える。前回というともう半年以上前のことになる。クリスが本土へ行く時の見送りに二人が来てくれた時のことだ。
「あ!あの時お前ギャン泣きしてたよな!」
「え!?ちょっとそれは言わない約束で…!クリス?違うからね?」
セオドールがニヤっとしながら言う。フゥラは顔を真っ赤にして否定するが、その様子から事実なのだろうと想像がつく。
「へぇ、お前可愛いところあるじゃん」
彼女の意外な一面を聞いてしまってクリスはニヤニヤと笑う。いつもやられている分取り返さなくては。きっと寂しかったんだろう、そう考えたクリスは彼女の顔を覗き込み、赤ちゃん言葉で話しかける。
「よーちよち、寂しかったでちゅね~お兄さんに甘えていいんでちゅよ~」
「キモっ……」
その一言からは冗談抜きの純粋な嫌悪感が伝わってくる。地味に傷ついたクリスは頭の中で一連のやり取りをなかったことにして歩みを進める。
「こほん!冗談は置いておいて!あの時にした約束覚えてる?」
フゥラはわざとらしく咳払いをしながら言った。その頬はまだ少し赤らんでいる。そしてクリスに向ける眼差しは何かを期待しているようだった。
「あ?何だっけな……」
言われてみれば何か約束をした気がする。覚えていないのだから大した約束ではなかったはずだ。フゥラは指を弄りながらクリスが答えを出すのを待っている。
「……覚えてない?シルポートの洋菓子店で……」
洋菓子店という単語を聞いた時、その言葉が稲妻のように脳内を走り、一つの記憶を呼び覚ます。
「ああ!アンティコのケーキを奢る約束だったな。しかしよく覚えてたな」
アンティコとはシルポートにある有名な高級洋菓子店である。ブルーベリータルトが美味しいと評判で、お土産に買っていくと非常に喜ばれる。オレンジ色の灯りによって照らされる店内も綺麗であり、購入したケーキをそこで食べることも出来る。女の子にとって一度は行きたい憧れのお店というわけだ。
クリスは本土へ出発する直前、帰って来たら三人でそこのケーキを食べに行こうとフゥラに約束していた。口約束だったがついに果たす時が来たようだ。
「うん!楽しみにしてたんだから!」
余程楽しみなのだろう、彼女はパッと顔を輝かせる。きっと今からどのケーキを食べるのか考えているのではないだろうか。その一方でクリスはサイフにそんなお金が入っていたか不安になるのだった。
そんな雑談の最中、フゥラが何か見つけたように急に足を止めた。それに合わせて二人も足を止める。気が付けば周囲に人影はなく、ただ街道を吹き抜ける風の音しか聴こえない。不気味なほどの静けさにただならぬ雰囲気をクリスも感じ取った。
「どうした?」
セオドールが周囲を見回しながら怪訝な顔で彼女に尋ねる。というのも周りは平地で非常に見晴らしが良い。そのため何か異常があれば彼らの視界に入ってもおかしくない。
しかし周囲を警戒してみても異常は見当たらないのだ。
「……誰かに見られている気がしたけど……気のせい……かな」
「本当か?」
フゥラの歯切れの悪そうな返答に対し間髪入れずにクリスが返す。例え勘違いでも警戒するべきだと考えたからだ。魔獣が近くにいるなら襲われる可能性もある。周囲に人がいないのも、この周辺で魔獣出現に応じた外出禁止令が出されたからかもしれない。そうなれば街道は閉鎖されてしまうため、必然的に人はいなくなる。
「この平原なら、流石に俺でも襲撃は事前に察知出来ると思うぜ」
周囲に異常がないことを確認してからセオドールが言った。立ち止まった時は懐に手を入れていたが今はその様子はない。警戒心はいくらか緩んでいるようだ。
「もう見られている感じもしないし、本当に気のせいだったのかも……」
自信なさ気にフゥラが呟く。周囲を見渡す限り生物の影はなく、時折吹く風の音がするだけだ。クリスは未だに気配の片鱗すら感じていなかった。その後もしばらく3人はその場に留まったが、特に異常は見られなかったため先に進むことにした。
しばらく歩くと行く先に複数の人影が見えた。目を凝らして見てみると、全身を鎧に身を包んだ男が五、六人ほど歩いているように見える。
「ありゃ衛兵か?固まっているなんて珍しいな」
鎧に付いた紋章を見る限りでは街道の衛兵のようだが、セオドールの言う通り二人以上で行動しているのは珍しい。
歩みを進めることで両者の距離はどんどん縮まっていく。途中で向こうもこちらに気が付いたらしく、先頭を歩く巨大な剣を担いだ茶髪の大男が軽く手を挙げる。それに対しセオドールが挨拶を返す。茶髪の大男はセオドールよりも長身で肉付きも良い。凄まじい戦闘力だろうな、と思ったところで先ほどのフゥラの件を思い出した。仮に先の視線が彼らによるものだった場合、勝ち目はない。セオドールもそのことには気が付いているようで、彼の指が落ち着かないように動いていた。
そんな男二人の警戒とは裏腹に、その原因を作ったフゥラは、何処吹く風とでも言うように無警戒だった。彼らは見た目通り街道の衛兵ということだろうか。そうこう考えているうちに両者はお互いの顔が見える位置まで近づいた。大男の獲物のリーチに入るか入らないかという距離に差し掛かったところで、衛兵達は足を止め、こちらへ話しかけてきた。
「こんにちは、私はアラン・ヴァッカレラ。本土から増援でやってきた衛兵だ。聞きたいことがあるんだが、時間は大丈夫かな?」
大男は見た目通りの低い声だった。言葉は思っていたよりも優しいものだったが、その見た目は荒くれ者のそれそのものだった。クリスとフゥラはその気迫に若干萎縮していた。口では大丈夫かな、などと相手の了解を得ようとしているが、断ったら力づくで情報を引き出そうとするようにクリスは感じた。そんな二人とは対照的に公の場で慣れているだけあってセオドールは普通に応対している。
「もちろんですよ。何かあったのですか?」
「実は凶暴な魔獣が出て、そこらの村を荒らしているという報告があってね」
そこらの村というとどこなのだろうか。クリス達の住む村もこの近くだ。そんな話が耳に入ったら村が心配になる。
どうやら大男達はその討伐を命じられていたようだった。その獣の外見は大きなゴリラのようで、腕や足、更には魔法を使って街を狙って襲撃を繰り返しているらしい。神出鬼没で急に現れたと思ったら霧が晴れるように消え去るのだとか。そのおかげで対応が後手に回ることになってしまうため、こうして討伐隊を編成して各所を哨戒させているのだそうだ。何でも南の灯台が襲撃され、甚大な被害を出したらしい。
「心当たりがあるなら何でも教えてほしい」
衛兵の一人がそう言った。衛兵はフルプレートで全身を覆っており、頭にもフルフェイスの鉄兜を被っていたため、非常に不愛想な外見をしていた。しかしその鉄兜から聴こえる声はまるで子供を諭すように落ち着いた声だった。
あいにく三人ともそのような魔獣は見たことも聞いたこともなかった。それよりもそんな凶悪な獣が居るのならもっと噂になっていても良いはずなのだが、とクリスは疑問に思った。衛兵たちは偽物ではないと思う。だが彼らの言うような化け物がいるのなら、クリス達が出かける前から街道は閉鎖されていてもおかしくないうえ、外出禁止令が出されている可能性もある。現実ではそのようなことは起こっていないのだが、それは何故なのだろうか。
「初耳です。そんな凶暴な獣がいるのに外出禁止令は出ないのですか?」
クリスがそう尋ねると衛兵たちは顔を見合わせた。アランも少し困ったような顔でため息をついた。箝口令が布かれるような内容だったのだろうか。
「ついさっき出たんだ。本来ならこっちへは来ない予定だったとか聞いたよ。よかったら見回りついでに村まで送っていくが、どうかね?」
外出禁止令はついさっき発令された。それはつまりクリス達が非常に危険な状況にあるというを表す。アランはそれを不憫にでも思ってため息をついたのだろう。見るからに軽装な若者3人など、その魔獣からしてみればいい餌でしかない。それを察したフゥラの顔が曇る。
見た目とは違ってアランは人当たりが良い人間のようだ。確かに安全を取るのならアランの提案に甘えたいところだが、実は今回の買い出しリストの中にはインシュリンのような医薬品も含まれている。そのためあまり時間をかけたくないというのが本音だ。特に、村で初めてジストニア患者が発生したのだが、その治療薬が全くないのだ。今日明日で命を落とすようなものではないが、早急な解決が望まれていることを三人は知っている。
「お気持ちは嬉しいのですが、道を急がなければならないので……」
「そうか。なら君たちはどこか隠れられるところに身を隠しなさい。目的地が遠いのなら少し先に進んだところに関所がある。そこに衛兵が待機しているはずだから行くといい。私に指示されたと言えば保護してくれるはずだ」
セオドールの言葉に、アランは心配そうな目を向ける。ここからは丘が邪魔で見えないが、彼のいう関所は歩いて三十分もあれば着くらしい。クリス達もいつも通っているはずなのだが、いつもは馬車に乗って行くため道中に関所があったのを気にしたことがなかった。言われてみれば検問で馬車が止められていた気もする。
「それでは」
クリス達はアラン達に手を振ってその場を後にした。アペニン島は狭い土地ではないためその化け物に遭遇する確率は高いものではないだろう。彼らはどこか事態を楽観的に捉えて進むのだった。




