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生命の箱舟 リリン  作者: 胸毛ボルサリーノ将軍
終わりの始まり
24/45

治療

瞼の裏で暖かな光を感じる。男が身動きをしようとすると、ふわふわの毛布が肌を撫でた。薄っすらと瞼を開けると眩しい光が目に飛び込んでくる。



ここはどこだろう。



男には直前の記憶がボンヤリとしかなかった。男はゆっくりと過去の自分をトレースしていく。確か魔獣の群れに追いつかれそうになって、逃れるために雪の中を飛んで……。


そして男はハッと思い出す。自分が抱えてきた二人はどこにいるのだろうと。彼は毛布を跳ね除け起き上がろうとする。しかし身体は思うようにいう事を聞かず、上半身を少し傾けただけで激痛を訴える。



「痛っ!」



彼は自分の身体に目をやった。着ていたはずのグロリアスの制服は脱がされ、代わりに白い包帯がグルグル巻きにされている。


周りを見回してみると、ここは木造のログハウスのような場所らしい。壁には大きな丸太が積み重なっており、暖かな空気と芳しい木の香りを提供している。奥には台所があり、鍋が火に掛けられていた。鍋からは何か薬膳料理のような香りが漂い彼の鼻を突く。中央にある暖炉の熱が部屋全体を包んでいた。窓の外では雪が舞っており、自分がまだアルプスのどこかにいることが分かった。



「おにいちゃん!」



声のした方向に顔を向けると、そこにはミーシャが居た。膝にガーゼを貼られているものの、大きな外傷もなく健康そうだった。彼女は満面の笑みでマルスへ抱き着く。



「ミーシャ!無事だったか!お母さんは?」



ミーシャが飛び込んで来たため、マルスの身体には耐えがたい激痛が走るが、再会できた感動がそれを上回る。彼はどうやら無事に魔獣の群れから脱出することに成功したらしい。この子の母親はどこだろうか。



「おかあさんはまだねてる。おいしゃさんがだいじょうぶだっていってた!」



ミーシャは奥の部屋を指差していった。そこには確かにミーシャの母が寝かされていた。その胸が穏やかに上下するのを確認して、彼はほっとする。血色もわずかに回復しているようで、その唇には再び朱が差していた。



「ここはどこか分かるかい?」


「ここはミッテンヴァルトだよ!おにいちゃんがつれていってくれたの、おぼえてない?」



ミーシャに言われてあの後の記憶を辿ろうとするが、何故か空へ飛び立ったところまでしか思い出せない。ミーシャによれば、一瞬だけ見えた光の方へ飛んだら街へ辿り着いたのだという。しかし降りる時に魔力が尽きたため、マルスは二人を庇うようにして雪の上に落ちたとのこと。その時の衝撃で彼は気絶してしまったため、ミーシャが助けを呼んで、ここまで運んできてもらったらしい。



「そうか、助けを呼んできてくれたんだね。ありがとう」



マルスがミーシャの頭を撫でると、彼女はえへへと笑った。服越しに伝わる彼女の熱が、自分があの地獄を脱したことを如実に語っていた。


地獄を脱したといっても、それは一時的な話である。魔獣の群れは間違いなくここへ向かっており、いずれここも地獄へ早変わりだ。どれほどの猶予があるのか定かではないが、ゆっくり寝ている暇がないことだけは確かだった。少し寝たからか、彼の身体にはわずかに魔力が戻ってきていた。彼はその魔力を使って身体の修復を始める。全てを治し切るには魔力が足らないため、自然回復の促進に努めた。


そうこうしているとログハウスの入り口が開き、誰かが入ってくる。それは小柄な男性だった。厚着をしているので顔や体型までは分からなかったが、様子を見るに、どうやらこの家の主らしい。彼は起き上がっているマルスを見るとニコっと笑いかけてきた。



「おおよかった!目が覚めたんだね」


「助けて頂いてありがとうございます。私はアルプス防衛軍所属のマルス・アイマール訓練兵です。ここは病院……というわけではなさそうですが、貴方は?」



マルスは再度部屋を見回して言う。薬棚や診察台があるわけでもないため、小さな診療所でもなさそうだ。部屋の内装は一般的な民家のそれそのものなのだ。小柄な男は防寒具を取り、マルスに挨拶をする。



「どうも、私はこの家の主、ワン・ホンファン(王紅煌)です。医者見習いの身ですが、貴方達のお世話をするように言われています。どうぞよろしくお願いします」



ワン・ホンファンと名乗った男は礼儀正しくお辞儀をした。見た目はマルスより若いように見え、短く切りそろえられた髪が清潔感を醸し出していた。見習いということは師がいるのだろうか。



「詳しい話が聞きたいので先生を呼んできてくれませんか?そこの方の容態も気になりますし……」



マルスがそう言うと、ワン・ホンファンは少し悲しそうな目をする。今のマルスの言葉はお前では力不足と言っていることに等しい。彼は失礼な物言いをしてしまったことを恥じる。



「ああ、すみません。貴方じゃ力不足と言いたいわけではないのです。ただ――」


「あっ!いえ!実は魔獣の群れが街郊外に集結しつつあるので……大人達はみんなそこへ出払ってしまっているんです。だからごめんなさい、先生を呼ぶことは難しいのです」



彼のその言葉にマルスは愕然とする。危惧していた事態はもうすぐそこに迫っているというのだ。魔獣という単語を聞くと、ミーシャの顔に影が差す。彼女は不安そうにマルスの胸に顔を埋めた。彼はあやすように彼女の後頭部を優しく撫でる。



「つまり……ここの住人は徹底抗戦する気でいると?」


「ええ、その通りです。今こちらにアドリアの遠征軍が向かっているようで、それまで持ちこたえようとしているんです」



マルスはアドリア遠征軍の存在を知らなかった。自分たちの敗北を受けて組織されたのだろうか。それとも窮地に立たされた彼らの妄想なのだろうか。真偽のほどは不明だが、兎に角無謀なことを実行しようとしている市民がいることは分かった。彼はそれを直ちに止めなくてはと焦る。もう一度立ち上がろうとするが、やはり身体は自由に動かない。



「あーダメですよ!まだ安静にしていないと!治癒魔法使っても二日は寝ないと動くのは無理です!」


「止めないと!勝てるわけがない!早く逃げないといけないんだ!」



マルスは必死の形相で彼に訴えかける。胸元に埋まっていたミーシャが怯えたように顔を上げる。


ワン・ホンファンは宥めるようにマルスを静止するが、彼の興奮は収まらない。彼は諦めたように彼らが置かれた状況について述べる。



「逃げるって言ったってどこへ逃げるんですか。この吹雪の中、近くのゼ―フェルトかテルフスまで歩くんですか?それこそ無謀ですよ。私達には戦う以外の選択肢がないんです」



ゼ―フェルト、テルフス、どちらもミッテンヴァルトから最も近い都市の名前だ。この吹雪の中、歩いて辿り着くのは絶望的だろう。まして満身創痍のマルス達には至極難しい事であった。


逃げることが出来ないと言われ、マルスは押し黙る。折角ここまで逃げてきたつもりだったが、実は追い詰められていたとは何とも受け入れがたい事実だった。



「おにいちゃん……またこわいのくるの?」



ミーシャが不安そうに尋ねる。気がつけば彼女の身体は震えていた。母親の代わりになるかは分からなかったが、少しでも彼女が安心出来るようにその小さな身体を抱きしめる。



「戦うしかないのか……」


「残念ながら……」


「失礼、興奮しすぎました。それなら私を動けるように治してくれませんか?ベッドに寝たまま魔獣に食われるのはごめんなので」



マルスの申し出にワン・ホンファンは難しそうな顔をする。先ほど医者見習いと言っていたが、もしやまだ治療魔法を使えないのではないか、とマルスは不安になる。そうなると彼が自力で身体を修復しなければならなくなる。単純骨折や浅い切り傷は簡単に治せるが、内臓にダメージが入っていたり異常の原因がどこか分からなかったりする場合は、専門の治療魔法が使える者でないと難しい。残念ながら、それは一介の訓練兵に出来る範疇ではなかった。故に彼にそれをやってもらえると嬉しいのだが。



「どうしました?もしかしてまだ治療魔法は出来ないのですか?」


「いえ……ただ経験がないもので。いきなり人に治療魔法をかけるのは無理です」



医者がどのように医療魔法を学んでいくのかマルスは知らないのだが、その口ぶりから察するに、最初は小動物などから始めていくのだろう。彼はその理論を学んだ段階であって、これから小動物へ実践する段階ということだ。確かにいきなり人間は責任が重すぎるかもしれない。



「多少おかしなことになっても恨みませんよ。むしろこのまま放置された方が恨みます」


「いやそんなこと言われましても……」



彼の言葉はごもっともだ。先ほどミーシャの母親から自分の身体を提供すると言われた時は自分もそう思ったからだ。彼女の勢いに押し切られて血を飲むことになったが、結果的に良い方向には転がったはずだ。今回はミーシャの母親のように、自分が彼を勢いで押し切らなければならないようだ。



「練習だと思ってやればいいじゃないですか。やらずに後悔するのって最悪ですよ」


「失敗したらその時の方が後悔するじゃないですか!」


「失敗したらその時はみんな死ぬ。後悔する者は残らない」



マルスはこのままだと彼らを待ち受ける運命をハッキリと告げる。正規軍で勝てない相手に戦闘訓練も受けていない市民が勝てるわけがない。戦線が崩壊すれば魔獣は市内へ雪崩れ込むだろう。そして家屋の中に隠れた人間を食い散らかすのだ。ガルミッシュ=バルテンキルヒェンのように。それはさながら地獄だ。やっとの思いで魔獣に襲われそうになっているミーシャたちを助けたが、このミッテンヴァルトには訓練兵すらいないのだ。生き残れる者はいないだろう。



「私が戦列に加わったところで高が知れている。だが一度あれと対峙した経験は活かせるはずだ。頼む」



彼はマルスの目を見つめる。その目に迷いがないことを悟ると、諦めたように頷く。



「私も人を救いたくて医者の道を選んだんです。もし私の力が誰か大勢を救えるというのなら、挑戦してみる価値はあります。……もっとも、私はまだ医者ではありませんが」



彼の目に信念が宿る。どのような経緯でその道を志したのかは知らないが、その目には並々ならぬ決意が溢れていた。マルスも未成年だが、まだ若いのに良い目をしていると感じた。



「さ、傷口を見せて下さい。まずは今の状態を確認します。ミーシャちゃん?だったかな。そこの鍋の火を切って、こっちへ持ってきてくれないかな?」


「うん!」



ミーシャが鍋のところへ駆けていく。その間にワン・ホンファンはマルスに巻かれた包帯を剥がしていく。包帯の下の傷は全て塞がっていた。しかし内部はまだ治りきっていないらしく、ところどころ内出血の痕が残っている。また骨も複雑骨折を起こしていたらしく、満足に身体が動かない理由がこれだった。そもそも何でこんな大怪我をしているのかマルスはよく覚えていないのだが、恐らく落下時に負った傷なのだろう。雪の上に落ちたはずなのにおかしいなあ、と彼は思う。包帯を全て剥がしたタイミングでミーシャが鍋を持ってくる。中には何か薬草を磨り潰したようなドロドロとした緑の液体が入っていた。それは禍々しいとしか表現出来ない凶悪な臭いを発していた。彼はそこに何か白い粉末を溶かす。



「ありがとうミーシャちゃん。さて、出血は収まったみたいですが、骨が治っていないようですね。内臓は私の先生が治したはずなので大丈夫でしょう。それでは始めますね。まずはこれを一杯飲んでください」



彼は木のカップに先ほどの液体を注いで差し出してくる。カップの中ではゴポゴポと飲み物が立ててはならない音を緑の液体が立てていた。初めて見るものにマルスは怖気づく。



「あの……これ何か聞いてもいいですか?」


「骨や肉を繋げるための薬です。これを魔法で適切な位置へ導き、離れてしまった組織と組織を繋げるんです。まあ、糊みたいなものだと思ってください。あれだけ人を炊きつけておいて、まさか飲めないなんて言いませんよね?」



ワン・ホンファンは笑顔でカップを押し付けてくる。マルスはとんでもない奴をやる気にさせてしまったと焦る。後悔するのはどうやら自分だったようだ。見た目と臭いは口に入れてはいけない何かだが、医者が出すものなのだ。きっと口に入れても大丈夫な成分で出来ているはずだ。そう信じて彼は恐る恐る緑の何かを口に運ぶ。


そのドロっとした液体は口へ入るなり猛烈な刺激臭を放ち始めた。味は舌をビリビリと痺れさせるほど濃く、最早何の味なのかさっぱり分からなかった。我慢ならない味と香りに、マルスはそれを一気に胃へ流し込む。だが今度は胃の底から臭いが沸き上がってきて、結局口から悪臭が漂い続けるのだった。彼が液体を飲み干すと、ホンファンがマルスの胸に右手を当てた。手を当てられたところから自分の身体の中に何かが入ってくるような感覚が伝わってくる。そしてそれは身体の隅々まで浸透していくのが分かった。



「それでは今から骨を繋げていくわけですけど、大の大人でも泣き叫ぶほど痛いらしいので、動かないようにして下さいね。骨がズレてくっついてしまいますから」


「はい、善処します」


「それでは左肩から」



彼がそう言うと、左肩を内側からへし折られるような激痛が走る。あまりの痛みに声を出すことも、それどころか息をすることすら出来なかった。身体が硬直する。骨折した時の何倍もの痛みだった。その痛みはしばらく続いたが、彼が手を離すと驚くほどの速さで痛みが引いていく。



「どうですか?問題なさそうなら続けますが」


「ハァハァ……大丈夫だ、続けてくれ。出来ればもう少し優しくお願い」


「諦めて下さい。次行きますね」



ホンファンの目は本気だった。仕事を完璧にやり切るという決意に満ちていた。故にマルスが弱音を吐いたところで、それが仕事の邪魔になるのなら聞き入れない。彼が手を添えると、再び身体に激痛が走る。マルスは歯を食いしばって耐えた。


そんな作業を一時間ほど続けると、ようやく彼の身体は元通りになった。終わるころには汗でシーツがベタベタになっており、彼の顔からは様々な液体が溢れてよく分からないことになっていた。辛うじて意識を保っていた彼は身体を起こす。



「お疲れ様でした。身体は問題なく動きますか?」



ホンファンに促されて全身の具合を確認する。動かしてみた感じでは問題がなさそうだ。戦闘できるほど回復しているのか定かではないが、これなら前線まで歩いていくことは出来そうだ。



「想像以上にこれは……!ああ、大丈夫そうだ!ありがとう!」



想像していた以上に普段通りの快調さを手に入れたマルスは驚きを隠せない。お世辞抜きでいつも以上に身体がスイスイ動くのだ。



「治療魔法って身体の中をあるべき状態に再整形するようなものなので、元々身体に異常を抱えていた人はいつも以上に身体が快適になったように感じるんですよ。マルスさんいつも横向きになって寝るでしょう?」


「ああ、確かに。何で分かったんです?」


「背骨が曲がっていたのですぐに分かったんですよ。曲がった状態に治す方が難しいので、本来あるべき状態に戻しました」



確かにマルスはいつも横向きになって寝ているが、まさかそれで背骨が曲がってしまうとは思いもしなかった。背骨が真っ直ぐになったおかげなのか、少し地面が遠くに見える気がした。


何はともあれ、無事に身体を治すことの出来た彼は服を着替え外に出る。そんな彼の後ろ姿を見送る影が一つ。



「おにいちゃん、行っちゃうの?」



ミーシャは弱弱しい面持ちで彼を見る。彼女を一人で残していくのは忍びなかった。もし自分が倒れてしまったら、彼女は一人で逃げることが出来るだろうか。そもそも彼女の母親もまだ目を覚ましていない。万が一ここに魔獣が来るようなことがあれば、彼女は見捨てなければならないだろう。ミーシャにそんなことが出来るのだろうか。


ミーシャの後に続いて、ホンファンも家の戸口から姿を現す。マルスは彼と目が合った。



「ホンファン、もしものことがあったらその子を頼めますか」


「こんな小さい子を見捨てて逃げることがあれば、それは末代までの恥です」


「それを聞いて安心しました。ワン・ホンファン、お世話になりました。ありがとう」



マルスが手を差し出すと、ホンファンはその手を握る。二人は堅く握手を交わした。


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