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感情の奔流

 帰還したグレースは机の上に積まれた報告書の山を見てため息をつく。これらは全て今回の襲撃に関する報告書だ。敵の分析からこちらの被害へ至るまで、事細かに記述されている。


 本来なら前線へ出張ることよりも、こういったお役所仕事が彼女の主要業務なのだ。だが彼女は見た目に反してそういったことが苦手だった。故にお役所仕事は部下のレオナルド・ローゼンスタインという人物に丸投げしていたのだが、現在その彼は議会に今回の事件の報告へ向かっているため不在である。そうなると必然的に彼女の下へ全ての報告書が回ってくるわけである。


 グロリアスの地方自治は領主を束ねた議会が担っている。あくまで治安維持機構は警察のようなものだ。重大な事件が起これば議会へ方向する義務が発生する。



「ねえこれ全部私の仕事なの?」



 彼女は自分より先に執務室に来ていた人物へ訪ねる。そこには鮮緑色の美しい髪の女性が来客用の椅子に腰かけていた。髪は腰の高さまで伸びており、見た目に合った若草のような爽やかな香りを放っている。この女性はローラ・ベレッタという。彼女は治安維持機構のトップ、4人の元帥のうちの一人だ。実はグレースとは士官学校からの同期である。



「あれはグレースちゃんの席だからねぇ」



 ローラは困ったような顔をして答える。彼女は勝手に机の上の資料を見ていたようだ。来客用の机の方にいくつか散らばっているのが分かる。そのどれもが件の獣に関するものだった。



「それで今日はどうしたの?私に何か用事でもあった?」



 グレースはローラとは仲がいい。視察にかこつけて遊びに来ることも少なくない。でも今日は疲れたからやめてほしいとグレースは考えていた。しかし邪険にあしらう気はないため、彼女の正面に座る。



「安心して。今日はちゃんと仕事で来たんだから」



 ローラはニコっと笑って答える。彼女は若くして元帥の座に登りつめた天才、それに既に二児の母というステータスまで持っている。出来ることなら精神だけ入れ替えたいと彼女は常々思っている。性格も至って穏やかで、一部では人類の母とか言われているのだとか。



「いつも仕事じゃないのに来るのが問題なんだけどね……」



 グレースはボソっと呟く。別に彼女と会うのが嫌なわけではない。むしろ会いに来てくれるのは嬉しいのだが、何事にも限度があるということだ。



「そう邪険にしないでよぉ。今日はこれを届けに来たのよ」



 そういって彼女は黒いカバンから一枚の茶封筒を差し出す。グレースが封を切ると、中には何枚かの紙が入っていた。どれも彼女の印鑑が押された指令書だ。グレースは興味なさそうにそれを封筒の中に戻す。



「指令書?部下にでも届けさせれば――」


「そんなのグレースちゃんに会いたかったからに決まってるじゃない!」



 グレースの言葉を途中で遮りローラが叫ぶ。と、同時に彼女の姿が一瞬消え、間発を入れずグレースにダイブしてくる彼女が目の前に現れる。


 彼女は世界でも珍しいテレポートの使い手だ。彼女は北米全地方の統括のため、いつもはニューヨークに滞在している。しかしこの能力のおかげで世界のどこへでも一瞬のうちに行けてしまう。グレースの執務室へも一瞬のため、実は部下に任せるより彼女が直接届けた方が遥かに早い。



「ちょっ……!」



 驚くグレースをよそ眼に、ローラは彼女に倒れ込む。そして身体を強く抱きしめ、顔に頬ずりをしてくる。グレースは腕力で抵抗しようとするが、一体その華奢な腕のどこにそんな力があるのか、ローラの拘束には一寸の綻びも見られなかった。



「あ~!グレースちゃん温かい!独り占めしたい!」


「うわぁ!?ちょっとやめてよ!!私達もう三十歳越えてるのよ!?こんな学生みたいなこと……!!」



 学園では女学生同士で抱き着いているのは珍しいことではない。だが彼女達はどちらも女学生の倍近い年齢だ。そろそろ落ち着いた振る舞いを覚えても良いころだ。グレースはそういう事を言いたいのだが、ローラはお構いなしに今度はグレースの髪の匂いを嗅ぎ始める。



「年齢なんて関係ないよ。私がやりたいと思ったらやるの。あ、シャンプー変えた?」


「ええ変えたわよ!!そういうことは息子にしてあげなさい!」



 ローラには二人の子供がいるが、片方は今年で七歳のはずだ。そろそろ私の代わりになってほしいものだ、とグレースは思う。というかシャンプーの匂いを覚えるほど絡まれていることに気付き、背筋が寒くなる。



「だって嫌がるんだもん~」


「私だって嫌がっているのよ!?」



 彼女の息子は自分の母が友人にこんなことをしていると知ったら一体どう思うかグレースは心配になった。ローラのスキンシップは彼女の気が済むまで続いた。ローラはひとしきりグレースの身体を弄ぶと、気が済んだのか彼女を解放した。疲れたグレースは生命力を吸い取られたように、ぐったりとソファに寝転がった。彼女とは対照的にローラはツヤツヤとした顔で指令書を広げはじめる。そしてその中から一枚の紙をグレースに差し出す。



「この指令書の内容を読んで?」



 グレースは乱れた髪を直すこともなく、乱暴にその紙をひったくる。



「捕縛命令……」


「人聞きの悪い言い方ねぇ。重要参考人の保護よ」



 そこには今回の事件に関係した人物の捕縛命令が書かれていた。名目はローラの言った通り重要参考人の保護である。獣の動向など彼らが知る由もないため、尋問をするわけではないだろうとグレースは思った。ただ事の仔細を聞きたい、そんなところだろう。



「既に一人は保護下にあると聞いたけど、どうなのその子?」


「ん……。あの子はまだ寝ている。怪我していたし」



 実は先ほどの出撃でグレースは一人の被害者を保護した。かなりの重傷だったが、彼女の魔法でなんとか一命は取りとめた。ついでにその被害者を食べようとしていた件の獣も殺しておいた。見たところ相当悪趣味な魔獣らしく、被害者の命を弄んでいたように見えた。被害者は、足は潰れ内臓もいくつか破裂していたし背骨も砕けている部分があったため、グレースもいっそのこと慈悲をかけてやるべきかと考えた。だがうわ言のように誰かの名前を呼んでいたのをとても哀れに思い、手を尽くすことにしたのだ。なんて名前だったか……トールとか言ってたっけ、とグレースはその名前を思い出そうとするが、答えには辿り着かない。そんなグレースをよそに、ローラはカバンを持って立ち上がる。



「そっか。ここに参考人のリストがあるから漏れなく保護しておいてね。それじゃまたくるから!」



 もうしばらく来なくていい、と言おうとしたが、そんな隙も与えず彼女の姿が消えた。嵐のようにやってきて、嵐のように去る。一体どこが「人類の母」なのか教えてもらいたいとグレースはため息をつく。


 時刻は20時を回ったところだった。もう来客はないだろうと思い、彼女は制服をはだけさせる。そして何気なくリストの名前を目にした。そして聞き覚えのある名前を目にする。



「セオドール……そうかこの子の名前を呼んでいたのか」



 なら早く会わせてあげないとね、とグレースは思った。彼女もローラのようにテレポート出来れば今すぐ連れてくるところだが、残念ながらその魔法は使えないため、正規の手段を用いて連絡を取るより他ない。明朝にでも出発しようかと彼女は考える。その準備をするために彼女は通信機で部下を呼び出すのだった。







 クリス達はシルポートに宿泊していた。シルポートは美しい街だ。昼の景色も去ることながら、夜は街の灯りが幻想的な夜景を作り出す。クリスはホテルのベランダから眼下に広がる街並みを見る。今の彼にはそれがフゥラへ手向けられた花束のように見えた。色とりどりの灯りが悲しく煌めき、それはまるで脆く儚い人の命の輝きに似ている。


 セオドールは別の部屋に泊まっている。何事もなければフゥラも一緒にここまで来ていただろう。しかし現実はそうならなかった。誰しもいつかは死ぬ。それは世界の真理だ。しかしこうも早く彼女にそれが訪れるとはつゆほども思っていなかった。



(もっと優しくしてやればよかったなぁ…)



 結局彼はフゥラにはお礼すら言えていない。たまには放っておいて欲しいと思ったこともあった。だがいざいなくなってしまうと、自分を繋ぎ留めておく何か大事な物が心から零れ落ちたようになり、ふわふわと感情が宙に浮かぶような感覚に襲われる。怒りたいのだろうか、悲しみたいのだろうか。感情がどちらにも落ち着かないため分からない。結果としてホテルに着いてからクリスはフゥラのことをぼんやり考えているだけであった。そうしていると心地よい夜風が彼の頬を撫でる。



(前にシルポートに来た時もいろいろ買い物しに来たんだよな)



 この街には様々な工芸品や珍しい食物が集まる。前に来た時はドラゴンフルーツという奇妙な形をした果物を食べたり、日本刀という美しい武器を見たりした。初めて見るものを前にして彼女はキラキラと目を輝かせていたのをよく覚えている。今回もそうなるはずだった。彼女はクリス達を守ってくれた。守ったところで自分には何の見返りももたらさないのに。



(何のケーキ食べたかったんだろうなぁ)



 アンティコのケーキを食べに行くという約束もついぞ果たせなかった。この後悔は一生ついて回るのだろう。あそこでこうしておけば、ああしておけばと数多の“もしも”を考えてしまう。



(いつも守られてばっかりだったなぁ……。何かしてやれるわけでもないのに、本当に優しい子だった)



 彼女があんな死に方をするような罪を何か犯しただろうか。少なくともクリスはそんな話を聞いたことがない。常に他人を思いやり、困っている人間を見捨てることが出来ない人間だった。それなのに何故あんな目に合わなければならなかったのか。今回も街の住民を見捨てられなかったからあんな選択をしたのだろう。彼女がこの街を守ったと言っても過言ではない。結局あの後付近に獣は見つからず、どこか遠くに逃げおおせたと見られている。


 もしあそこでフゥラが行動しなければ、今頃この街は炎に包まれていることだろう。今、この夜景が見られるのも彼女のおかげなのだ。眼下で人々が行き交うことも、温かい我が家へ帰ることも、全ては彼女が行動したおかげだ。彼らは今日の暮らしが彼女に守られたことなど知る由もないだろう。当然彼女も知ってほしくて実行したわけではないだろうが。


 クリスの心の中にふつふつと湧き上がってくるものがある。ぼんやりとしていた彼には、初めはそれがどんな感情なのか分からなかった。それはどんどん胸の内を満たしていく。気がつけば無意識のうちに手すりを強く握りしめていた。彼は驚いて手を離す。強い力で握ったからか、彼の手には赤く手すりの跡が付いていた。



「何に怒りたいんだ、俺は」



 その感情は怒りだった。一体何に、何のために。ぼんやりとしたクリスにはハッキリと分からなかった。あの時のようにフゥラの声が聴こえることもなかった。それはこの先永遠に訪れないのだ。




 翌朝、クリスが朝食を取りに売店へ向かうとセオドールと鉢合わせた。避ける理由もないため、同じテーブルに座るが、明るく談笑するという気分にはなれなかった。二人は軽く挨拶をして食事を摂ろうとする。美味しいと評判のホテルを選んだつもりだったが、朝食は無味無臭に感じられた。


 しばらくすると、ホテルの中に重武装の兵隊とそれを先導する一人の女性が入ってくるのが見えた。周囲の人はその異様な光景を見て道を開ける。その一団はまっすぐこちらへ向かってきているように見えた。



「あれこっちを見ている気がするんだけど」


「さあ?あんな美人知り合いにいないね」



 クリスはセオドールを見るが、彼も首を振って知らないと言う。きっと別の誰かに用事があるのだろう。そう思ってパンを食べようとした時、クリスの真横で女性が立ち止まる。驚いたクリスが顔を上げると、そこには青空のように透き通った水色の髪と瞳を持った女性が立っていた。遠目に見ていた時は気にも留めていなかったが、その女性は非常に美しく、二人を見据えたその双眸に吸い込まれそうな錯覚に陥る。そう、何か他の人間とは違って見えるのだ。言うなればそれは神性に近い何かだ。恐らくこのときクリスは口を半開きにしたままだっただろう。向かいのセオドールも手に持ったサンドイッチからトマトが落ちるのを気にも留めていない。そんな滑稽な様子の二人を見て、女性はクスっと笑い彼らに問いかける。



「初めまして。私はグロリアスの治安維持機構所属、アドリア地方の統括を任されているグレースです。セオドール・オルコットさんとクリス・レイフィールドさんで間違いありませんか?」



 彼女の口から風鈴のように雅な音が奏でられる。二人はそれが言語だと理解するまでに一瞬の間を要した。グロリアスの人間が一体何の用だろう。まぬけ面を晒したままのセオドールは、慌ててサンドイッチを置き、返事をする。



「ええそうです。一体どんなご用件で?」


「昨日の事件に関してお話を聞きたいのです。ご同行願えますか?」



 二人は顔を見合わせる。断る理由はない。むしろ今後このようなことが起こらないように情報を役立てて欲しいとすら思う。ただ――



「もちろん構いません。ただ、少しだけ出発までに時間をくれませんか?」


「構いませんが、理由をお聞きしても?」







 何もない大地を一陣の風が吹き抜ける。砂埃が舞い、口の中が砂っぽくなる。二人は再びあの場所に来ていた。フゥラが死んだと思われる場所だ。昨日は既に陽も傾いていたため断念したが、今日は彼女の遺品を集めにきたのだ。


 彼らは一時間ほど探したが、見つかったのは彼女の髪の毛と指輪、靴そして折れたナイフだけだった。遺品を探す間、二人は終始無言だった。だが集め終わった時、クリスが口を開く。



「昨日のシルポートの夜景は綺麗だった」



 セオドールは何も言わずこちらを見る。



「でも何故かその景色を見ていたらとてもイライラしたんだ。なんでだと思う?」


「さあな。お前はどうしてだと思うんだ?」



 セオドールは少しぶっきらぼうに返す。自分ではよく分からなかったとしか言えない。しかしそれ故に気になるのだ。



「分からない。一体何に怒っていたのか分からないんだ」



 クリスは自分の胸中を正直に話す。



「俺はフゥラがいなくなって悲しかった。もっと優しくしてやればよかったと思った。でもどうして怒りが沸くのか分からない」


「なんだよ答え出てんじゃねーか」



 セオドールは頭を掻く。彼は軽くため息をついて続ける。



「自分が許せないんだろ。許せない自分に腹が立ってるんだろうよ。何でなのかは分からないけどな」


「自分が許せない、か……」



 そう言われると自分には至らぬ点が多かったように思える。だから後悔することも多い。もう一度チャンスがあるのなら今度は後悔のないように接したい。



「もう一度会えたら……」


「もう一度なんてない。やめてくれ」



 クリスの言葉を遮ってセオドールが言う。辛いのは彼も同じだ。きっと昨晩嫌というほど後悔したのだろう。彼は少しも顔色を変えずに言ったが、それは仮面を被ったように表情に一切の変化を許さないようにしているからだろう。不気味なほど無表情な彼は地面の血痕を撫でる。



「フゥラは……もういないんだ…………」



 消えそうな声で彼は呟いた。彼に振り回されることもあったが、彼はクリスをずっと引っ張ってきてくれた存在だ。そんな彼の打ちひしがれる姿は見たくなかった。



「クリス、俺も自分に怒りが沸いてくるんだ。無謀だと分かっていてあいつを一人で行かせた自分にな」


「でもそれは……」


「関係ないんだ!そんなことは!」



 近くの草むらにいた小動物が驚いて逃げ出していった。クリスは彼が声を荒げるのを初めて見た。初めて見る彼の一面にクリスも驚く。その様子を見て彼は謝罪する。



「あ……すまない。らしくないな」



 彼は肩を落とす。クリスにはその背中がとても小さく見えた。気を紛らわせるためにふと懐中時計を見ると、針はグレースとの約束の時間を差そうとしていた。クリスは彼の姿を見て自分が何に怒っていたのか理解した。そしてそれを彼にも伝えたいと思った。



「セオドール」


「なんだ」


「俺は自分の弱さに怒っていたみたいだ。肉体的にも、精神的にも弱い自分に」



 セオドールは黙ってクリスの話を聴き続ける。まるで自分もそうだと言わんばかりに頷きながら。



「さっきもう一度はないって言ったな。確かに生きて会うことはもうないかもしれない。……だとしたら、死んだ時フゥラに見られても恥ずかしくないような人間になりたい。それがあいつの死に誠実に向き合うことになるんじゃないかって思う」


「はっ……言うじゃねえか」



 セオドールは小さく笑う。彼は顔を拭い、クリスの方へ向き直る。その目が僅かに赤らんでいたことは触れないでおく。



「俺もそう思うぜ。強く……ならなきゃな。今度はあいつを守れるように」


「ああ」


「帰ったらまずは葬式だな。ちゃんとケーキ買って来いよ。あいつが好きなのはプリンケーキだ」



 彼は遺品の入った袋を肩にかけ、街の方へ歩いて行った。

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