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<物語の前のあらすじ>
よその世界から女の子が来るようになって数か月、女の子に関わる魔法使い達も、魔法使いの卵たちも、その日常にすっかり馴染んでいました。女の子は転入生のようによその世界からやって来たので、魔法の世界のことは何も知りませんでした。けれど、さまざまなことを全て吸収しようとする前向きな姿勢のおかげで、優秀な魔法使いの卵として学内で期待されていました。この物語の主人公は、もちろんその女の子ですが、教科書には直接出てきません。教科書での主人公となるのは、魔法使い見習いの可愛い男の子です。男の子は賢い子だったので、女の子と同じくらい優秀でしたが、少し気が弱いせいか魔法使いになることにためらいを持っていました。この物語は、そんな男の子がお師匠様である西の魔法使い(魔法使いの先生のようなもの)に相談をする場面が描かれています。
あらすじが書いてある教科書なんてはじめて、と陽菜は驚いた。そして大好きな魔法使いが出てくる物語であることに喜んだ。陽菜は再び本の世界へと入り込んでいった。じりじり、と蛾が誘蛾灯に近づいて愚かな音を立てるのが聞こえた。
「ただいま帰りました」
あいさつだけは元気よく、といつも言われています。男の子は家のすみまで聞こえるような声を出しました。
「お帰りなさい、今日はより道してこなかったのね」
西の魔法使いがハーブを右手に持って、出むかえてくれます。魔法使いの修行をするために西の魔法使いのもとへ住みこみで弟子入りして数か月経ちます。ルールを守らないと厳しいけれど、さっぱりとした優しい性格の彼女のことが男の子は大好きでした。
「ハーブのクッキーがあるから手を洗ってらっしゃい」
「はーい」
いつものように、西の魔法使いは男の子にてきぱきと指示を出します。男の子はカバンを机の上に置いて、石けんで手を洗いました。
男の子が手を洗っている間、西の魔法使いは魔法で温めたティーカップと、自家製のハーブクッキーを机に出しました。そしてキッチンへ行き、手を洗いました。
ティーポットからカップへお湯を注いでいると、男の子が浮かない顔で戻ってきました。
「どうしたの?浮かない顔して」
西の魔法使いはハーブクッキーを一口かじりながら、弟子を見つめます。
「あの、お師匠様」
男の子が真剣な顔で西の魔法使いを見返しました。その目は迷っているようでした。
「お師匠様って、子どもの時どんな感じでしたか?」
「どんなって、急に言われても困るけど、今のあなたみたいに魔法使いになりたくて修行に明け暮れていたわね。仲良く遊んではいたけど、東の魔法使いに負けたくなかったから」
弟に負けるなんて許せない、って子どものころは思っていたしと西の魔法使いは笑いながら続けます。負けず嫌いのお師匠様らしい言葉だ、と男の子は思いました。魔法で宙に浮かせたポットから、こぽこぽとティ―カップにお茶が2杯入ります。自分の口もとへ持ってくると、魔法使いは一口お茶を飲みました。もう1杯のお茶は男の子の手もとまでふわふわと飛び、男の子が手を出すと持ち手を右にして受け取られるのを待っていました。
東の魔法使い、と言うのは西の魔法使いの弟で、世界一の魔法使いの称号を持っています。弟子入りして数か月経ちますが、東の魔法使いの腕は師匠よりも格段に上であることに男の子は気づきはじめていました。
「東の魔法使い様は弟だけど、他に遊び相手っていましたか?」
「ほかに?」
不思議な顔で、西の魔法使いは弟子を見つめます。先ほど入れたハーブティーが2杯、温かな湯気を立てています。
「そうね、学校の子たちと何人かで遊んだような気がするけど、あんまり覚えていないわね。学校よりかは魔法使いになってからの方が今も仲良くしてもらっている方が多いかもね。それがどうしたの?」 「誰か男の子のことをちょっといいなとか、かっこいいとか思ったことはないですか?」
「あったと思うわよ」
弟子の言うことに合わせて、西の魔法使いは答えます。優しいまなざしで、弟子の言うことに耳を傾けます。
男の子は少し迷いながらも、お師匠様の顔を見て、こう言いました。
「僕、好きな人がいるんです」
「知ってたわ」
魔法使いになってから、初めて取った弟子です。初めてなのでわからないことだらけでしたが、彼女は彼女で目いっぱい弟子を見守っていましたのでわずかな変化には気がついているつもりでした。
「えっ、僕言いましたっけ?」
「聞いてないけど、師匠としてそういうのは分かるものよ」
いつも遊んでいると、仲良くなるものよね、と西の魔法使いは続けます。
「でも、最近ちょっとよく分からなくなってきたんです」
「何が分からないの?」
「自分の気持ちが、分からないです。こんなこと初めてです」
「大人だって自分の気持ちなんて完璧には分からないのよ」
「そうなんですか。じゃあ分からないままなのかなぁ」
困ったような表情をして、下を向きます。まだ声変わりのしていないボーイソプラノの声と、栗色のショートカットからのぞく白い首筋は女の子のようです。
「でも話すことによって、何かがいい方向に変わるかもしれないわね。私でよければ聞くわよ」
「ホントですか?」
小づくりな顔立ちと、黒目がちな大きな目を輝かせ、男の子は師匠に笑顔を見せました。身体も気も弱いと弟子入りの時に彼の両親は言っていた気がします。だけど、困ったときは自然と師匠である私に前向きに頼れるし、私が教えたこともほぼ習得するこの子は本当にいい子だ、と西の魔法使いは男の子を信頼していました。
男の子は西の魔法使いの顔を少し見つめ、テーブルの上のティーカップを持ち上げて一口お茶を飲みました。
「その子に会えるから、学校に行くのも楽しいし、魔法の修行も頑張れるんです」
「いいじゃないの」
「でも、そうでもなくて」
男の子が目を伏せると、長いまつげの下に影ができます。深い陰影のある顔は、絵になるくらい整っていて、まるで一枚の油絵を見ているようです。
「僕、最近、嫌なやつになったように思うんです」
「どうして?」
「新しくできた女の子の友達といる方が楽しくなってる気がするんです」
「そうなの?」
男の子はその女の子の名前をあえて出しません。西の魔法使いはその女の子が誰のことを言っているのかは分かっていましたが、あえて何も言いませんでした。耳を赤くしながら話す、弟子を見守り続けます。
「最初はみんなで遊ぶようになってから仲良くなったんです。女の子ですし、明るくて失敗してもすねずに頑張るところがいいなって思って好きになったんです」
「わかるわよ」
「でも、一緒に遊んでるとノリが違うなって思うこともあったんです。でもなんとか仲良くやっていたんですけど、春から違う女の子も一緒に遊ぶようになってから、僕その女の子のこともいいなって思うんです」
「どんなところが?」
注がれたハーブティーに手を添えはしても、口を付けずに西の魔女は弟子の話を聞きます。
「どんなところ?ですか?」
師匠の質問に対して、努力して頭を働かせました。男の子のどんなことでもいい加減にできない性格が、他人とは思えず愛しいと西の魔法使いは思うのでした。
「かわいいのもありますけど、やっぱり僕の知らないことを、いっぱい教えてくれることですかね」
男の子は、女の子の暮らす世界にある物語や歌、遊び道具を思い描きながら答えました。
「彼女、お兄さんから教えてもらった歌とか、童話っていうお話とかいっぱい知ってるんです。すごいねって、みんなでいつも感心するんですけど、得意げにもならないんですよ」
初めは話すことに戸惑っていたけれど、話し始めると止まらなくなったのか、男の子は話を続けます。西の魔法使いが知る限り、こんなに熱中して話す弟子を見るのは初めてでした。
「そんな風に喜んで聞いてくれる人なかなかいないからうれしい、ありがとうってそれだけ言うんです」
壁のはと時計が3時半の時報を鳴らしましたが、二人の師弟には聞こえていないようでした。
だから、すごいなって、と言いながら、男の子はこう語りました。
「全然聞いたこともない、見たこともない話を聞くのが面白くって、その子と話しているとなんか世界が広がったって、思うんです」
弟子の目は海の遥か向こうを見つめている灯台のようでした。広い世界を見つめている弟子に対して、置いていかれたような気持になりながらも、良い影響を受けている今の状態が喜ばしい、と西の魔法使いは思いました。
「あとは、元の世界に帰るために、魔法使いになるための修行も頑張ってて、一緒にいるともっとやらなきゃ、って思わせてくれるし、あとは、何というか」
「まだあるのよね。何?」
耳を赤くしながら話し続ける弟子に、西の魔法使いは邪魔をしないように優しく見つめるだけで、続きをうながす以外の言葉をかけません。
「僕が悩んでいることに対して、ちゃんとした言葉を返してくれるところがあって」
「ちゃんとしたって?」
「僕が真剣に悩んでることに対して、変にからかったりとか、軽く流したりとかせずに、きちんと受け止めてくれて、考えて応えてくれるんです。だから、一緒にいてくれるのがすごく、すごくうれしい人だって思います」
西の魔法使いは目の前の小さな男の子をゆっくりと見つめ返してこう言いました。
「いいなあ、すごくうらやましいわ」
二人の前に置かれたハーブティーはすっかり冷めていました。西の魔法使いは弟子に練習のため温めの魔法を使うよう言いつけました。男の子は精神を集中させて、2つのカップに両手を突き出します。
男の子が両手を突き出してからしばらくして、カップがわずかに揺れ、温かい湯気がゆっくりと立ちのぼりました。魔法使いと弟子は顔を見合わせてお茶を一口飲んで、にっこりと笑いました。ちょうどよい温度で、温めることに成功したのです。
「ずいぶん魔法も上手になったわね」
「ホントですか?」
「やっぱり、同じくらいの年齢の子どもと一緒に修行した方が上達するわね。優秀な女の子がいることも上達の秘けつなのかしら」
西の魔法使いがそう言うと、男の子は真っ赤になりました。
「私、うらやましいって言葉を使うのは大嫌い。相手にあって、私にないものを認めるってことだからね。だけど、かわいい弟子だから認めても構わないわ。だから、今日だけ特別に言うわ」
温め直ったハーブティーを飲み干し、続けます。
「今の状況、本当にうらやましい。私が子どものときは、そんなこと考えもしなかった」
師匠の初めて見せる、さびしそうな顔に、男の子は少し困ってしまいます。
「私が子どものときは、弟が優秀な魔法使いとして最初から最後までずっと一番だったし、弟もそれを当たり前だと思ってた。先生も両親も、悪気はなくても弟ばかりに注目してたわ。私がいくら頑張っても、その差は埋まることはなかった。それに、そんなに魔法使いになろうとして努力する友達はいなかったのよ。魔女にでもなれたらいいかなって修行してる人ばっかり。だから、私はなんとか魔法使いにはなれたけど、やっぱり弟には勝てないし、他に魔法使いになった人なんていないし、一人で修行してなったみたいなもんだったわ」
弟は努力しなくてもすぐに魔法覚えちゃうし、と師匠は微笑みます。弟子としてかける言葉を探していると、師匠は話を続けました。
「だから、あなたはラッキーなのよ」
「僕がですか?」
「だって考えてごらんなさいよ。魔法使いになりたくて前向きに頑張ってる好きな女の子もいるし、同じくらいの実力で、一緒に魔法使いになろうと頑張っているかわいい女の子がいて、しかもその子とは話も合うって最高だと思うわよ。もっと仲良くなっちゃいなさい」
違う世界から来た、黒髪のとびっきりかわいい女の子、とね。
師匠がいたずらっぽく微笑むと、再び男の子の顔は真っ赤になりました。
「お師匠様、もしかして僕が誰のこと言ってるかわかってるんじゃないですか?」
「どうかしらね」
いたずらっぽく微笑む師匠の視線から逃げるように、男の子は慌ててハーブティーを一気飲みしますが、彼には温度が高すぎて飲めません。慌てながらお茶を冷ましている姿を見ながら、西の魔法使いは言いました。
「私も10歳のころに戻って、一緒に魔法使いの修行がしたくなっちゃったわね」