39.天恵を宿す者
「久しぶりに全力で体を動かせた気がするにゃぁ」
ぐぐ、と伸びをして気持ちよさそうにバステトは言う。
「そりゃ何よりだわ……あなたの能力は、魔術じゃないわよね?」
「アラクネから聞いてなかったのかにゃ?」
二人の視線がアラクネへと向かうと、彼女は「全部話していたらアンフェアすぎるでしょう?」と首を傾げてみせる。
どうやらアラクネは知っていた上である程度の情報を伏せていたらしい。
たしかに私だけが情報を持っているというのもずるだとおもうし、それで私がバステトに勝ったとしても、彼女は納得しないだろう。
そういう意味では必要な制限だったと思う。
「そう考えると……アラクネってもしかしてバステトに私のこと結構話してたの?」
「なんだ、お前知らないにゃ? こいつあちこちでお前のこと惚気てまわってるにゃ」
「……は?」
「ちょっ! 惚気てなんかないでしょう、訂正しなさいバステト!」
「ほー、あれで惚気てないのかにゃー、こりゃあアラクネの惚気は相当な糖度になるにゃー」
どたんばたんと暴れ始める二人を横目に、なんとなく顔が赤くなる。
そうか……私の失敗って、あちこちで吹聴されていたのか。
はずかしいなぁ……。
二人が落ち着くまで、なんとなくもどかしい時間を過ごすことになった。
「バステトの能力というのは魔術によるところではなく、天恵と呼ばれるものよ」
「天恵?」
我に返ったアラクネが、バステトの「こいつも意外と面白い奴だったにゃ」という言葉とともに戻ってきたのは少ししての話。
そして彼女の口から出てきたのがそんな言葉だった。
「神が与えた、と言われる"魔術によらない能力"……とでもいえばいいかしらね? 正確なところはわかっていなくて、説明できないそういった能力への呼称、というのが実態ね」
「いわゆるところの才能とかとは違うのよね?」
「天恵は開花するものじゃないわ。才能は開花させるものでしょう?」
「え? ……あー、うん。そういう扱いなのね……」
思わぬところでスキルの扱いを知ってしまったが、そういうものだったのか。
「天恵、ねぇ……なるほど」
おそらくは重力操作か、それに近い能力なのだろう。
そう考えればバステトのあの異常なまでの運動性能にも納得できるところがいくつもある。
彼女にとって、重力は自身を縛る軛ではなく、自身を吹き上げる追い風、重力を味方につけた落下運動にも近いエネルギーの移動が、あの見た目にそぐわぬ異常な攻撃の重さと、移動速度につながっている。
そりゃあ、読み違える。
そもそもの計算基準が間違っているんだから、初手で遅れをとるに決まっているじゃないか……。
しかしそう考えてみると、速さを捨てて受け止めることを選んだのは結果として正解だったのだろう。
もっとも、ただの運動性能だけであっても私より上だったように思える。
私の敏捷値、相当高いはずなんだけどな。
「それで、バステトは私を認めてくれるのかしら?」
そう、そもそもはそういう話だったのだ。
バステトが次に参加する任務が危険度の高いものであり、ミスティルテインとしては一人で行かせたくない。
それを拒否する本人を納得させることは、果たして出来たのだろうか。
「んー……まぁ、及第点かにゃぁ?」
「手厳しいなあ」
「そうかしら?」
「え?」
及第点という採点に対しての私の言葉に、アラクネが異を唱える。
「ミスティルテインにいる戦える人員、全員相手に落第を申し付けた手練からの評価としては破格じゃないかしらね?」
「そいつはまた……高く買われたもんですな?」
「興味を持つには十分だったにゃ。それで、エウレカ島に同行するって話だったかにゃ?」
「ええ、私達──ミスティルテインは戦力を失いたくない、色んな意味でね」
「──つまり、アタシが負けると?」
じろり、と研ぎ澄ませた氷のような視線がアラクネを向く。
その視線に、かすかにアラクネが竦んだ。
仲間に対してでも、こんな殺意を向けるのか……。
「アラクネはバステトのことが心配なんだと思うよ?」
「心配されるほどアタシは弱くにゃい」
氷のような視線がこちらへと向きを変え、それに合わせたように背筋がすぅっと冷たくなるのを感じた。
とんでもないものだが、本気で殺しにかかるようなことはないだろう……たぶん。
「バステトはさ、持ってる魔力の殆どを身体強化に当ててるんでしょう?」
「まぁ……そうだにゃ」
「つまり魔術に対する抵抗は弱いんでしょう、あなた?」
「……」
不愉快そうに眉をひそめたバステトは、けれど痛いところを疲れたのかそのまま次の言葉を待つ。
「アラクネは単純に、そういうところを補う役割の人間が一緒にいたほうが安全だって判断しただけだと思うわよ? だからカルバリウスじゃなくて、アラクネと私だった、違うかしら?」
言い分は理解できてしまうのだろう、だからこそ苛立っているというのがまぁ、手に取るようにわかるのだけれど。
「正直手合わせしてみた私の感想を素直に言うなら、正面からまともにぶつかってあなたに勝てる相手なんて想像もつかないわよ」
「……そ、そうかにゃ?」
率直な賛辞にバステトが少しだけ、けれどわかりやすく照れる。
……意外とちょろいんじゃないかなこの子。
「だからこそ、絡め手でこられないか心配なんでしょう。魔術に関する知識とかも、あんまり収めてないタイプだとおもうんだけど、どう?」
「まあ、詳しくはにゃい……」
「つまり、組織として合理的な判断ということよね。まあ、アラクネはそれも踏まえた上で、個人としても心配してるんだとおもうけどね」
お人好しだからねー。
わざわざ危険な手札を切るのは、そうしないと相手を上回れないと判断出来たときだけでいい、ましてわざわざ自分の手札を制限する必要などは基本的にないのだ。
少なくとも、この世界にまっとうに生きている人にとっては。
「ぬー……しょうがないにゃぁ……」
どっかで聞いたセリフだなぁ。
「直接戦闘は私にゆずるにゃ。それが条件だにゃ」
「交渉成立ね」
今度こそあらためて、ちゃんとした握手をして。
こうして、私達は彼女と同行することになった。
動いたらお腹が空いた。
そう言い出したのはバステトだった。
確かに私とアラクネも合流する前に軽食を食べた──激しい運動をすることが前提になっていたからだいぶ控えめに──ぐらいで、審判……というよりは見ていただけのアラクネと比べると、確かに私もお腹が空いた。
どちらかと言うとエネルギーを補給したいという方が近いだろうか。
「リーシア、ついでに現状どんな感じに話が進んでるか話してやるから奢るにゃ」
「私? 別にいいけど、なんで私?」
「アラクネが人に奢れるほどの金を持ってるとは思ってないからにゃ」
はっきりきっぱりと言い切るバステトから、ちらりとアラクネに視線を向けると、同じようなタイミングで明後日の方向へと視線をそらされた。
……さもありなん。
バステトがどれ位お金を持っているかはわからないが、この中で自由に使えるお金が一番多いのはおそらく私だろうし、アラクネと私ならその選択は正しいだろう。
「わかったわかった、勝者にはご褒美だものね。今日は私が奢ろうじゃないの、そのかわり条件があるわ」
「ご褒美に条件とか普通つけるかにゃ……」
「この街のとびきりおいしいお店に連れていきなさい」
「その話、乗ったにゃ」
一瞬で目の色を変えたバステトが私の手を固く握る。
そんな彼女の瞳は、先程の戦いよりも飢えた──飯を見る目をしていた。
──???
『感じる……あの日の匂い、約束の気配を……』
空に浮く島を突き破り、大地まで突き立った根。
空を埋めるように葉を茂らせる生まれたての大樹。
一体どれほどの樹齢を重ねればそれほどの巨大さに育つだろうか?
現状のエウレカ島は、巨大な大樹の中腹ほどに浮島を捉え繋ぎ止めた姿をしている。
その繋がれた浮島の上で、一頭の巨大な獣が何かを待ち続けるようにシエルズ・アルテの街を見つめていた。
獣の周りには凍りついたかのように微動だにしない人間たちの姿がある。
皆一様に、驚いたような顔をしていた。
リーシアが見ればどこぞの伝承を思い出して居ただろうが、それとは決定的に違うことが一つある。
それは、人の身のままであるということだ。
『早く来い……リーシア・ルナスティア。その時こそ、我は約束を果たそう。そして……約束を果たせ……』
ただ疲れただけの色を宿した鉛色の瞳に光はなく、その表情は読み取れずとも膿んだような重苦しい停滞がその獣の周りを包んでいた。
『我は……もう……』
──終わりたいのだ。




