38.軛を持たぬもの
バステトの先導に従ってシエルズ・アルテの都市部から森林地帯へと足を進める。
この先に体を動かすのにちょうどいい開けた場所があるのだという。
鬱蒼とした森は、けれど神樹の森ほど深くはなく、ある程度頻繁に人の手も入っているのか歩きやすかった。
植生は知っているものとはだいぶ異なり、今まで足を踏み込んでいた南、西とはやはり違うことが伺える。
神樹の森ではツル科の植物は太く丈夫だったのに対して、こちらは細く、代わりに本数が多い。
その分葉の大きさも小さく、代わりに節一つから三~四枚の葉が伸びていた。
足元に降り積もり葉は、広葉樹と針葉樹の間ぐらいの、どっちつかずの感触。
柔らかいかと思えば時折葉がパキパキと割れて音をたてる。
なぜかと思い、手近な木の根元から上を見上げてみると、生い茂る葉のシルエットが三種類あることに気づく。
若々しい涙滴型に近い葉。
少し色が濃く、水分を失って丸まり始めた葉。
老いてその身を丸め、トゲのようにした葉である。
試しに一つ、鋭くなった葉を摘んでみると、刺さりそうなほどの硬さであった。
これが踏んだときにぱきりと折れるから、不思議な感触を足に残すのだろう。
視線を前に戻せば、アラクネとバステトがこちらを見て足を止めていた。
その表情は待たされているもののそれだ。
「ああ、ごめんごめん。またせちゃったわね」
「別にいいけどにゃ……ほんとに調子狂うやつだにゃ」
かりかりと頭をかきながら、バステトはまた先導にもどる。
それを見て、ようやく気づいた。
彼女は自分の得物とおもわれる、アラクネが言っていた双鉄爪と思わしき武器を持っていない。
私と違ってインベントリを持っているわけでもないのだから、そもそも持ってきていないのだろう。
本気ではないのか、あるいはそれが彼女の本気なのか……。
今考えても仕方ないか。
更に十数分ほども歩けば、視界がひらけて森のなかの広場とでも言うべき場所へとたどり着いた。
およそ百メテル四方ぐらいが開けた草原となっており、地面を草花が埋め尽くしていた。
その地形は、少し考えると妙なものだった。
言ってしまえばクレーターのように外周が一番盛り上がり、内周に行くに連れてくぼんでいく。
なぜこんなふうに開けているのかと思ったが、見上げてみてその理由に至る。
そう遠くもない距離に、浮かぶ島の影。
こういうふうに地形ができているからこそ、かつて大地だった島が浮かび上がったと認識されているのだろう。
「まぁ、このへんでいいにゃ。それじゃあ、始めるにゃ」
こきこきと体をほぐしながら距離を取るバステトに合わせて、適当な距離を測って対面に立ち、禍太刀・藍染胡蝶と《ソードダンサー》をそれぞれに構えてみせる。
それを見てバステトはニヤリと笑い、両手を広げ、軽く握ってから開く。
その後に生まれた魔力で形成された爪は、太さが十セテル、長さが百セテルにも及ぶ程の強大なものだった。
それが左右一対で五本ずつ。
ゆらりと両の手を下げれば地面をえぐるほど。
アラクネが作った爪が、出力を抑えていたにせよせいぜい人の手に収まる代物だったことを考えると、このバステトという子はとんでもない人物なのだろう。
まさに、猫の神という名が相応しい。
「準備はいいかにゃ~?」
「ええ……いつでも良いわ」
彼我の距離、直線にておよそ十五メテル。
左手にソードダンサーを逆手に、右手に藍染胡蝶を順手に構え警戒態勢を取る。
装備は万全、これだけのお膳立てがあれば、彼女の初動にも十分についていけるだろう。
「それじゃアラクネ、合図よろしくにゃ~」
直後、にたりと笑みを浮かべたバステトの目が豹変した。
ぎらりと光る、と表現する以外にないような目の色に、狩る側の意思が宿る。
今この一瞬でバステトは何処か飄々とした猫娘から、容赦なく得物を蹂躙する猫の神へと変じたような、そんな圧倒的なプレッシャーを纏ってみせた。
じわりと、手に汗がにじむ。
「ふぅん……怯まないのは及第点かにゃぁ?」
視界の端でアラクネが銀貨を取り出し、高く弾く。
普通ならばすぐに頂点に達し落下運動に切り替わるであろうそれが、やけに長く感じられた。
スローモーションでくるくると回るコインが登っていき、頂点に達したところでゆっくりと停滞。
たっぷり十数秒ぐらいをかけて、落下運動へと転じたような、そんな間延びした感覚。
説明されるまでもなく理解できる。
あまりにも圧倒的なプレッシャーを前に、極度の集中状態へと強引に引きずり込まれたのだ。
コインがぱさりと地面に落ちた、それを視界の端に捉えずつつ彼女を注視する。
次の瞬間には彼女の姿がかき消えていた。
右側を防御しろと、本能が警鐘を鳴らす。
それに合わせるままに振り向きざまに剣を向ければ、迫る五本の巨大な爪があった。
──みしり、と何処かが悲鳴を上げた音が聞こえた気がした。
およそ爪の攻撃とは思えない重い衝撃に体が真横に吹き飛ばされる。
浅く滞空した体をその身体能力と幻惑の舞姫によって制御して、距離が生まれたであろうバステトを捕捉するべく視線を向けると、至近距離の彼女と目が合った。
彼女の攻撃で横に吹き飛ばされたはずが、すでにまた彼女の攻撃圏内にいるという、ありえない位置関係。
常軌を逸した追撃速度に刀の切り返しが間に合わない!
「"物品開放"──"時計の針"!」
視界にうっすらと時計の針が重なり、その流れが停滞する。
それに合わせてバステトの動きが一瞬だけ緩やかな物に変わった。
その僅かな間に刀を切り返しこれを受ける。
空中で二度目の衝撃を受けながら、なんとか私は着地して態勢を整え直した。
バステトはというと受け止められたこと、そして自分に起きた現象に首を傾げつつ、底冷えするような冷たい目で私を見据えている。
「おまえ──面白い術をつかうにゃぁ?」
にたりと、その口が歪む。
面白い得物を見つけた、とでも言わんばかりの表情に背筋が凍るような錯覚。
これが手合わせという形式でないのなら、文字通り私は狩られる側にいるだろう、そんな相手。
「まったく……とんでもない相手だわ。祖は万物の根源──」
「のんきに詠唱なんかさせにゃい!」
バステトが地を蹴る、その一瞬を見計らって空へと跳躍する。
見極めるための情報がまだまだ不足している以上、多少不利であっても払わなければならない危険である。
果たして、私が空に逃げたことに気づいた彼女の跳躍は、私よりも遥かに早いものだった。
「空に逃げ場は……!?」
愛染胡蝶からいつの間にか持ち変えられたシャドウブリンガーは、その肉厚な刀身と見た目以上の質量を持ってバステトの爪を受け止めてみせる。
彼女の威力を受け止めきれず姿勢こそ崩れるものの、スキルによる恩恵は空中での姿勢制御にも有効なのだ。
距離をとったところで互いに着地、先に動いたのは当然のごとくバステトだ。
いや、違う。
着地するよりも早く、彼女に動きがあったことを私は見逃さなかった。
明らかにおかしな重心移動。
それが何なのか、確信はまだない。
ソードダンサーをインベントリに格納し、シャドウブリンガーの質量制御を最大にし両手持ちでバステトの爪を受け止める。
その重量は彼女の体躯からは明らかに異常と言えるほど……。
「詠唱破棄──"能力値増強式"・筋力増加!」
一気に強化された筋力で、バステトの激突後も続く重圧を力の限り振り払う。
彼女はそれを察したのか、一度ふわりと重力を感じさせない動きで距離を取り、私の様子を伺うように構える。
「一度目は本能、二度目は能力……三度目は、なにかにゃぁ?」
「バステト、あなた実は他人を試すの好きでしょう?」
「どうかにゃー?」
にっと笑う彼女の顔に、いまは寒気を感じない。
それでも、まだ終わるつもりはないらしく、ゆるりと姿勢を警戒態勢から戦闘態勢へと移行させる。
満足させるまで終わりそうにない、そんな彼女に付き合うのもまたよい経験になるだろう。
「"能力値増強式"・敏捷増加!」
「今度は魔術も在りでくるといいにゃ、展開できるならにゃ!」
「いいでしょう、私の"可変詠唱"を止められるものなら止めてみなさい!」
大地を弾けさせて距離を真っ直ぐに詰めてくるバステトの全力の一撃を、両手持ちしたシャドウブリンガーで受け止める。
そのあまりの衝撃に足が僅かに地面にめり込む感触。
やはりこの負荷は敏捷性からくる運動エネルギーだけではない。
「"瞬影閃"!」
彼女の爪を弾きざまの三連撃を、彼女は両の爪でたやすく弾いてみせる。
「ふぅん──こんな感じかにゃ?」
そういった直後に彼女が放った左右の爪から繰り出される連撃。
まずは右爪が上から、それを受け止めた私の隙を穿って左の爪が繰り出される。
とっさに遮断の刻印魔術で防いだ瞬間、彼女姿がかき消えていた。
本能的に前へと距離を詰める、その一瞬後。
背後の空間を爪が引き裂き、私の髪を巻き込んで散らす。
相手の使った戦闘技術を一瞬で理解し、自分流に再構築、挙句の果てにそれを更に上のものへと昇華する戦闘センス──!
結果として終始後手に回る戦いを繰り広げ、彼女が満足する頃には冒険者としての体である私がすっかり息の上がった状態へと追い込まれる有様だった。
シャドウブリンガーを杖代わりになんとか立とうとするが、いかんせん体力が限界でそのままへたりこんでしまう。
爪を消したバステトはまだまだ余裕といった体で、けれどご満悦の様子だった。
事が終わってようやく現実に引き戻されたアラクネが私のそばにかけてくるのは、そのすぐ後の話し。
さて……合格はもらえるのだろうか?




