35.運命に火を灯して
ふと落ちた影に空を見上げれば、頭上を小型の飛翔船が飛んでゆく光景があった。
比較的距離が近いというのに風が強く舞い上がったりしないのはこの世界の飛行技術がそうしたものに頼っていないからなのだろう。
久しぶりに異世界なのだと感じる出来事があったように思う。
シエルズ・アルテの発展具合はロジックロックとは大きく異る。
生活の基礎となる場所が大地であるか、それとも空であるかというのは大きな違いかもしれないが。
もともと複数の世界がごった煮のようにされた世界にあってなお、この国はこの世界における一つの異界のようだった。
まだ国のはずれのような位置だからか、その様相は貧民街のような有様だが、進む国の中心の方を見れば空を飛び交う技術の群れがある。
「……貧富の差が激しいのかな?」
私のつぶやいた声にアラクネは、見たとおりにねと返す。
共通認識、ということだろう。
社会情勢としてはロジックロックのほうが遥かに安定しているように思う。
「この国は発展が始まってそう時間が経っていないの。飛翔船が開発されてまだ十数年、その間に急速にポーステイル群島の開拓が進んだから貧富にかなり偏りが出ているのよ」
「……飛翔船開発はそれだけ大きな転換点だったってことか」
「それまでも飛行技術はある国だったのよ。……でもそれはあくまで個人のレベルだった」
つまり、個人レベルの小さな探索から、大規模な国力を用いた開拓に切り替わった。
それにより国は豊かになったが、その変化は中央から始まりまだ外側までは届いていない、ということなのだろう。
進む街道のずっと先、私達の目指すシエルズ・アルテの空に浮かぶ、一つの巨大な浮島と、そこへ続く空中回廊が霞んで見えた。
当時の、私が知るゲームの世界設定では――
その国の発祥は空を目指した青年の一歩から始まった。
まだ飛ぶことを知らぬ身でありながら、空に浮く島々を目指さんと、最初の石を築き始めた青年の名は今や失われて久しい。
だが、その青年は確かに空に浮く島へと足をかけたのだ。
高く浮く島々に、重い石を積み重ね、長大な回廊を築き上げ最初の島へと渡ったその心は、我々の大切な導なのだ。
だっただろうか。
「ねえ、アラクネ……この国を起こした人の名前って、伝えられているの?」
「どうかしらね、私は知らないわ」
「そっか……」
手を伸ばしても届かない、空の高みへと手を伸ばして……それを掴み取った人。
知る機会があるのなら、知っておきたいなと、なんとなく思った。
国内へ入るのにロジックロックのときのような手続きは必要がなかった。
それだけ、出入りが管理できていないということなのだろうが、冒険者としては楽である。
その分、治安も少し悪いようだが。
「さて、リーシア。このあとはどうする? 会おうと思えばすぐにでもバステトと会えると思うけど?」
「先に宿を取りたいわね。装備もその子を相手する用に切り替えないといけないもの、今後の私達のことがかかっているのなら、万全の体勢に整えておかないとね」
「じゃあ、手伝うわよ。今日は一旦宿を取って、連絡をとるのは明日でいいかしらね?」
「それで間に合う?」
バステトは現在国主導の調査飛翔船の乗員としてカウントされている。
何かあってあちらが動き始めたらこちらからの介入は難しいことになるだろう。
「聞いた限りではまだ準備中で、計算した限り出発までにはあと十日ぐらいあるはずだから大丈夫でしょう」
「なら平気かな? 最悪ならエリアルに追っかけてもらえばいいか」
むしろそうすればなし崩し的に同行するということが可能なのではないだろうかとふと思うが、どっちが博打だろうね。
街の様子は、ウィルヘルムともロジックロックとも、スプリングファーミアともまた違うもので、剣と魔法の中世ファンタジーに、スチームパンクを混ぜて三で割ったような足りなさがある。
一度発展してから衰退し、また再発展を遂げているような印象、とでも言えばいいだろうか。
そこが、急発展の歪みなのだろう。
少し古くなった木造家屋の間に張り巡らされた紐と、そこにつながれて風に煽られる洗濯物。
かと思えば石造りの立派な家が間に建っていたりする。
文明程度をぐちゃぐちゃに混ぜ込んだような町並みは、なんとなく私を不安にさせた。
あるいは、かつての私の国も発展途上はこんな感じだったのかもしれない。
「とりあえずギルドに向かいましょう」
「ん、必要ある?」
「この街は移り変わりが早いから、今の情報を仕入れておかないと店の場所もままならないわよ?」
知らない街をあてもなく散策する、というのも楽しいと思うのだけれど、たしかに今の目的を考えればあまり悠長な時間の使い方をしているわけにもいかないか。
どうやら、気ままな散策はお預けのようだ。
「それに、この街のそばを飛ぶ必要が出たときには、登録を済ませておいたほうがあとの面倒がないもの」
「登録?」
「ええ。この街には、ギルドの前身となる組織があったの、名を――飛翔者連盟」
記憶を辿ってみるけれど、当時のゲームにそんな組織はなかったように思う。
とすれば、それはこのマギカの世界に、私の知るこの世界が現れた後に生まれた組織ということだ。
迂闊に動くのは得策じゃないと、そう判断してアラクネの話の続きを促す。
「名前から察してもらえると思うけど、飛翔船技術を生み出す核ともなった集団でね。この街で空を飛ぶ場合は、ギルドに登録して身分と所属をはっきりさせておく必要があるの」
「治安維持のため?」
「……どちらかと言えば、利益管理かしらね。そもそもの発祥が、飛翔者同士が協力しあってより大きな成果を手に入れるために結成された互助組織だから」
なるほど、どこの世界も利権やなんかは当然存在するわけだ。
それに飛翔船にかかわっているとなると、国ともつながりがあることになる。
アラクネが行くべきと判断するわけである。
「それじゃあ、ちゃっちゃと登録を済ませて、食事にしましょうか」
そう言ってアラクネの後をついていきながら空を見上げると、巨大な飛翔船がゆっくりと通り過ぎていくところだった。
あの規模で軍を送り込み開拓する、というのであれば……私の望むものとはだいぶ違う光景、人の手による手のひら大の開拓ではなく、工業的なそれになってしまうだろう。
彼らがまだ少数で助け合っていた頃の時代も、見てみたかったな。
アラクネの案内するままに続く道、雑多な出店が並ぶ中を少し足早に進もうとするアラクネだが、私がそれらの並んだ品に目をつけていることに気づいてその足を止める。
「ちょっと、リーシア。ちゃっちゃと済ませるって言ってたわよね?」
「すこしぐらい見ていってもいいと思わない?」
そんな私の反応に、アラクネは呆れたかのように視線を泳がせたあと、自分でも興味のあるものを見つけたのか少しだけ別行動をすることとなった。
ざわざわと人の声で賑わす露店街を、客引きに捕まらないように横目に見ながらゆっくりと歩を進める。
お目当てとしてはやはり刀剣類なのだが、それらしい店は見当たらない。
どれも細工小物とか生活雑貨とか、良くてナイフ程度のもので、そのナイフにしたって粗悪な代物だと私の目――万物の叡智を使わない――でも見て取れる程度のものである。
なんとなく食指がうごいたのだけれど、外れだったかなと内心で小さくため息を付きつつ、ぐるりと反対側の店の列へと足を向ける。
やはりこれといった出物はなさそうだなと思った矢先、不意に鼻腔をくすぐった香りに思わず足を止めた。
「おや、若い娘さんが足を止めるとは珍しいね」
黒い艶のあるテーブルクロスの上には木製の小箱が並べられている。
数はそう多くはなく、香りの元はどうやらこの木箱の中にあるようだ。
まだ品出しの最中だったのか、奥からまたいくつか並べ、最後に老婆は小さな小箱を置く。
箱には何も記されておらず、情報といえば匂いだけ。
「若い娘さんは匂いが付くからって嫌がるんだけどねぇ」
「匂い……ああ、煙草ね?」
「一本一本、手巻きした特性の葉巻さ。長時間かけてじっくりと燃えるから、魔術の触媒に最高だよ?」
どうだい、買っていかないかい?
そう言葉を続ける老婆の言葉に、この国の元となった世界の魔法形態を思い出す。
プレイ期間が長いわけではないゲームだったが、確かあの世界では魔法は触媒を消費して使用するという制限があった。
元素結晶というNPCの販売するアイテムがそれぞれの属性魔法のトリガーとなっており、上位の魔法ほど消費量が増える仕組みだったのだが……彼女の話を聞く限りではどうにも触媒の概念が変わっているようだ。
私が使うことはない魔術形態かもしれないけれど、一応後で確認しておいたほうがいいかな……。
と、ぼんやり考えていると、三十を過ぎたぐらいの男が足を止め寄ってきた。
この世界の男性にしてはやや長め――といってもせいぜい耳が隠れるぐらいだが――の髪赤い髪に、紅と緑のオッドアイ。
鋭い目、というよりはやや眠たそうなその視線が、ちらりと私の顔を覗く。
直後、少しだけ驚いたようにその目が見開かれた。
一瞬の間固まった彼の仕草に、かすかに開きかけた口。
それをごまかすように頬を掻くと、わずかに口元に笑みのようなものを浮かべて、彼は視線を老婆の方へと戻した。
「おや、今日は人がよく寄ってくるねえ」
「懐かしい香りがしたんで、つい……な」
その言葉に、老婆ははてと首を傾げる。
「まあ、いいさ。ちょいと大仕事が入ってな、長持ちするいい触媒を探してたところなんだ。一箱の本数と値段はいくらだい?」
「二十本入りは少しおまけして2500シル、質は保証するよ。バラ売りなら一本150シルだ」
「燃焼時間は?」
「大体二刻ってところかね、ゆっくりくゆらせるだけなら三刻ぐらいもつよ」
一本150シルって、並の宿代ぐらいだしなかなかに高級品か。
でも触媒だし、取引してるのは冒険者だからなぁ。
貨幣価値っていうか、金銭感覚が違うよね。
「とりあえず一本くれ、味と香りを確かめたい」
そう言って銀貨を渡し葉巻を受け取った彼は、自前の道具で器用に火をつけて紫煙をくゆらせ始める。
若さに反して手慣れた所作は驚くぐらいに自然体で、とても様になっていた。
老婆も驚いたようにその姿に見とれているぐらいである。
「間違いない、な。一箱と……そうだな、一本をこの姉ちゃんに」
「おや、奢るねぇ」
老婆はくっく、と笑って一箱を彼に渡し、そうしてから一本を私に差し出す。
私はと言うと展開についていけなくて、隣の男性へと視線を送る。
「ああ、別に口説こうってわけじゃない。……ただ、もしも、運命に引力というものがあるのなら、きっとこれはその産物だ」
「……はい?」
どう聞いてもなんか下手な口説き文句にしか聞こえないんだけど?
「じゃあ、俺はもう行く……また縁があったら会おうぜ、リーシア」
「は? え、あ……」
そう言って名も知らぬ彼は早々に雑踏の中へと消えていってしまった。
老婆に進められるままに道具を借りて火をつけ、煙草というものを初体験した私は、一箱を購入して店を出るときになって、その違和感にようやく気がついたのだ。
なぜ、彼は私の名前を知っていたのだろうか?




