幕間-実りの秋
かんっ、とひときわ高い音を響かせて、その日最後の薪割りを終える。
時間にしてみれば一刻ほどのものなのだが、おもったよりも遥かに重労働なのがこの薪割りという作業で、斧をブンブン振り回すのだから当然なのだが結構腰に来る。
元ゲームキャラということもあってか、体の方はしこたま丈夫なので痛めたりということは無いんだけどね。
散らばった薪は集めて、乾燥用の小屋に割った薪を積み上げておく。
本来ならば乾燥に一年半程は必要らしいのだが、それだと今年の冬に間に合わないので、魔術具を併用した高価な代物に仕上げた。
大体二月か、三月ぐらいで使える程度には乾燥してくれる優れものである。
少し前に割った物はもうそろそろ使える頃合いだろうか、冬の到来までには準備は終わる予定、今から楽しみだ。
季節は過ぎて、秋の匂いがし始めた頃合いで、私は冬をちゃんと過ごしてみるための準備中。
去年の冬は日常的に刻印魔術を使いまくるというものだったから、今年は少しばかり普通にこの世界を過ごしてみたいというものである。
それにしても……。
「はー、あっつい。涼しくなってきたとはいえ朝からやるもんじゃないねこれ、汗だくだわ……」
頬に張り付いた髪を剥がしながら軒下に腰を下ろして空を見上げれば、とても高い空が氷樹に透けて澄み渡っている。
まばらに流れる雲がいいアクセントとなっていた。
そよぐ風はほのかにひやりとした冷気をまとっていてなんとも心地よく、ごろりと仰向けに転がって空をみあげていたら程よい眠気が襲ってくるのである。
なんとも、のどかなものだ……。
このまましばらくうたた寝して過ごすのも悪くない。
そんな風に考えていたら、屋根の上でこそっと影がうつった。
嫌な予感がした次の瞬間、屋根の上から私めがけて御鏡が降ってきて身を捩って回避する。
御鏡は私のお腹、具体的にはみぞおちのあった位置をめがけて着地した。
『避けるなんてひどいわ姉様!』
「みぞおちに落ちてくるなって言ってるでしょう!」
『じゃあ何処に落ちればいいの!』
「私の居ないところに降りなさいよ!」
痛いんだぞアレ! ほんとに痛いんだぞアレ!
御鏡をもにもに引っ張りながら起き上がる、程よくやってきていた眠気も完全に何処かへと行ってしまった。
「まったく……」
ほどよくもにった所で膝の上に載せ、今日の今後の予定を考える。
インベントリの収納制限がない関係上、食料なんか全て入れておけば腐る心配もないのだが、それはいくらなんでもイージーモード過ぎる。
そう考えて家にはちゃんと蔵を備え付けたわけなのだが、あんまりまだ食料を備蓄してないんだよね……。
「何か狩りにでも行くべきかなぁ……」
『お肉?』
「そうねぇ……インベントリにも在庫が少ないから……」
でももっと切実な問題があるんだよね。
獣肉は狩りに行けば自分でいくらでも手に入れられるけれど、農作物はそうはいかない。
ここ半年ばかりで育てた家庭菜園で賄うには量が少なすぎるし、そもそもとして主食とするべき穀物が致命的に足りていないのだ。
森に採集に入るというのも手なのだが、さてどうしたものか。
「リーシアさまー、いらっしゃいませんかー?」
表の方から聞こえた聞き覚えのある声に御鏡を抱えて立ち上がる。
訪ねてきたのは案の定ノフィカだった。
今日は普段と違い農作業用の丈夫さを重視した服装――言ってしまえばジャージのような姿で、これはこれで見慣れていない分新鮮だなぁ……。
「裏手にいらっしゃったのですね。おはようございます」
「うん、おはよう。どうしたの、珍しい格好してるわね」
「収穫期なんですよ、それで汚れてもいいようにこんな格好なんです」
ノフィカの答えにそういえば村の畑もきれいな黄金色にそまっていたなと思い出す。
視線をそちらへと向けてみれば収穫が始められていて、金色に染まった畑に徐々にではあるが茶色が混ざり始めていた。
まだまだ畑の面積からすれば極わずかだが、これから数日かけてこの景色が一気に変わってゆくことは想像に難くない。
季節の風物詩というやつは確実に時の流れを感じさせてくれる。
「それで? 何か用事があったんじゃなかったの?」
「あ、そうでした。もしよろしければなんですが、収穫を手伝ってもらえないかと思いまして」
そう言いながらもノフィカの様子は少々恐縮気味だった。
理由はなんとなく想像がつく。
神使いだの水姫だの賢者だのと、この村で私にくっつく接頭辞は多いのだ。
私は気にしていないし、普段はノフィカももう少し気軽なのだが、それだけ重労働ということなんだろうね。
「いいわよ、どうせ暇してた所だしね」
「本当ですか! 助かります、去年は冬が例年より長く厳しかったので、今年からもう少し準備を……ということになったら予定が詰まってしまって」
絶対に氷樹が原因ですよねそれ?
「氷樹のかけらの売上のおかげで、色々準備できたから今年の冬はきっと楽だっていってましたけどね」
「……そう」
なんだろうね、この何とも言えない感じ。
厳しくなったはずの冬を例年より楽にっていうのは……いいことなんだろうけどさ。
「リーシア様は冬の準備は順調ですか?」
「んー、たぶん?」
ぎりりりり、とノフィカの首が軋んだ音を立てながらこちらを向いたように見えた。
貼り付いた笑顔が軽く恐怖である。
なんとなく、この季節に準備が順調かどうかもわからないとかお前正気で言ってんのか、という本音が見える気がする。
「肉は適当に今度狩ってこようとおもってるんだけど、穀物類がなくてね。良ければ村の麦を少し買わせてもらいたいんだけど」
「それは大丈夫だと思います。いつも作付けは多く行っていますし……でも今の時期ならお金よりも干し肉だとか、保存の効くものと交換のほうが喜ばれるかもしれませんね」
「もうちょっと早めに狩りに出ておくべきだったかなぁ」
「そうですね、出るなら今月中がいいと思います」
今が空の月の第四週目。
今年は残すところ魂の月、天の月、星の月の三ヶ月と少し、冬の盛りは二月後の天の月であることから、もう残る準備の時間は長くない。
今月が終わればいよいよ冬の始まりである魂の月だ。
「ノフィカ、収穫ってどれぐらいかかるの?」
「そう、ですね……村人総出で、収穫した小麦を脱穀して水車小屋で小麦粉にして……十日ほどでしょうか?」
……狩りに出る時間、あるかな?
畑での作業はそれぞれある程度分担されているらしく、村の女達が麦を一抱えほどずつ草紐で束ねたものを、男たちが鎌で刈り取っていく。
刈られた麦は草編みのシート……まぁ、ござのようなものが敷かれたところで集められて脱穀され、集めたものが袋に詰められて水車小屋のほうへと運び出されていく。
村人総出との言葉は本当にそのままのようだった。
「あれ? なんか、小さい子達がいる?」
エウリュアレ村で一番若かったのはノフィカとゼフィアだと思うんだけど。
「ああ、今年の春に幾つかのご家族が移住してきましたから」
「へえ……」
「大体リーシア様の所為です」
「所為!?」
「あ、違います。おかげです」
それは、本当に言い間違いですか?
「偉い賢者様がいる、っていうのはそれだけで色々と恩恵があると考える人は多いですから。来年にはもう少し、移住してくる人も増えるかもしれません」
「恩恵、ねぇ……」
「ええ。なのでこれからは、リーシア様が頼られることも増えると思います。住人が増えれば尚更です。ユナさんも結構なお年ですから……」
そうか、今までそういうのはユナさんが請け負ってたんだよね。
これからはもうちょっとそういうの自覚していかないとダメかもしれないねぇ……。
「まぁ、それについては冬の間にでもユナさんを交えてお話するとしまして、今日はこっちです」
「そだね、何をすればいいのかな?」
「手が足りてないのは脱穀のほうですね、あっちにいきましょう」
「ほいほい」
エウリュアレ村はその成立の経緯のためか女性が少ない。
その為、女子供でやっている作業のほうが遅れが出ているようだ。
ノフィカから渡された櫛を手に、麦穂から粒をばらしていく。
麦の実が景気良くばらばらと散っていくのはなかなかに壮観なのだが、実のつき具合はちょっと貧弱かもしれない。
詰まっていないというか、なんというか……。
「ねえ、ノフィカ。今年って、どんな感じなの?」
「麦の具合ですか? 豊作だとおもいますけど、それがなにか?」
私が麦粒を載せた手を差し出したのを見て察したのか、ノフィカの答えはすぐだった。
「……んーん、なんでもないわ」
流石にすぐにどうこう出来るアテもないので思ったことは飲み込んでおく。
分けてもらった麦でこっそり栽培を試してみるのもいいだろう。
植物の育成を助ける刻印魔術、なんてのは……流石にないだろうけど。
とりあえず考えを脇において作業に集中すること暫し、先程から見覚えのないご婦人三人ほどと、その側で作業を手伝う子どもたちがどうにもチラチラと私に視線を向けるのが、非常に気になる。
おそらく新しくやってきた家族、なんだろうね。
私の場合服装もこちらの一般的なものとはだいぶ違うから目立つんだろう。
そもそもエウリュアレ村自体が小さな村だし、春から暮らしていれば顔を合わせていない村人のほうが少ない、むしろ居ないだろう。
私みたいな引きこもりでもない限り……。
時折麦束を持ってくる男性と言葉をかわしては、ちらりと視線を向けてくるのは正直うっとうしい……のだが、だからといってどうしたものか。
いっそ話しかけてきてくれる方がまだ対処のしようがあるというか。
そんなふうに困ったように視線を返してみると、それに気づいたのかこそこそと近づいてきた。
「あの……山の方の家に住んでらっしゃる方ですよね?」
「へ? あ、ええ……そうですけど」
「ということは噂の賢者様の、お弟子さんとか、ですか?」
……ごめん、どっちにせよめんどくさかったわ。
「コンスタンスさん、弟子じゃありません。ご本人です」
「……えっ? え、ええっ!?」
間に入ったノフィカの言葉に、コンスタンスと呼ばれたご婦人は私を三度見ほどしてようやくその言葉の意味を理解したのか、困惑と驚きと失言を混ぜたようななんともいい難い表情で固まってしまった。
どうやらこちらの世界でも、賢者の称号というのは相応に歳を重ねたものの代名詞のようで、見た目同年代の私が当の本人であるとは認識し難かったらしい。
驚いていたその視線に、僅かに混ざる嫌な空気……。
「そ、そうなんですか……思ったよりずっとお若いんですね?」
私は知っている。
こういう反応はだいたい、勝手にしていた期待が失望へと変わったときのものだ。
つまり、私は今後こういう人たちの相手もしなければならないということか……。
まぁ、その失望は概ね当たっているかもしれないけどね。
嫌な感触の残る中、私は麦穂をほぐすことだけに、逃げるように集中することにした。