32.神樹によりて
「あ、姉さんみつけた!」
「おおぅ?」
上の方の根から飛び降りてきたのはラヴァータだった。
「なかなか戻ってこないから探しに来たんです。みんな心配してま……なんか服変わってますね?」
「……色々ってほどじゃないけど、少しあってね」
「姉さんに何かあるとは思ってませんでしたけども、無事でよかったです。金色蚕、見つかりました?」
「うん、この通りよ」
そう言って手元の箱を見せてやる。
そこには元気な金色蚕が数十匹、敷き詰められた葉を黙々と食んでいた。
大きさからして繭になるまではまだ暫く掛かるだろう。
「おおぉお……これが金色蚕なんですね。夕日のせいか金赤色にみえますが」
「多分少しは金色っぽいんじゃないかな?」
興味深そうに覗き込むラヴァータに見せてやりつつ、なるべく起伏の少ない場所を選んで歩きながら野営場所までを案内してもらう。
その脚力から、私ほどではないにしても――私はゲームシステムの影響でチートレベルの身体能力値してるからな――十分に神樹の入り組んだ地形を踏破できるようで、案内として頼りになるものである。
時折根の端から芽を出している葉をちぎっては箱へ補充しつつ野営地へともどってみれば、そこには夕食の準備まで済ませた男たちが待っていた。
「あー! 姐さんもどってきた!」
そんな声に思わず苦笑してしまう。
遠くの方で鳥が数羽慌てて飛び立ってしまった。
「ベイレス、あんまりうるさくしないの。寝床を求めてやってきている子が逃げてしまうわ」
「はいっす。……以外っすね、そういうの気にするタイプじゃないと思ってたっす」
「そうね……気にするタイプではない、んだろうけど……なんでかな」
箱を床に置き、残る葉の状態を調べる。
すでにそこそこ減っているようで、相変わらず蚕と言うのは葉をよく喰うんだなというのがわかる有様だった。
インベントリから集めた葉を多めに追加してやる。
時間もだいぶ遅くなってきたし、蚕の活動も鈍ってきたようだからこれだけあれば十分だろう。
あとは私達の食事だった。
「今夜はうさぎと鳥とイノシシ肉の串焼きっすよ」
「また肉ばっかりね。野菜もちゃんと取らないと」
「この森の植物の見分け付くの姉さんだけだったからどうしようもねっすよ」
「ああ、それじゃあ仕方ない、か……」
毒のある山菜引っ張ってきたらまずいしね。
「これが金色蚕ですか? 意外と普通っすねぇ……」
そんなことを言いながらつんつんとつつくベイレス、金色蚕は少しだけ動きを止めたあと、また葉を食む作業に戻った。
「それにしてもリーシアは、なぜ迷いもせずにここを選んだんだ?」
相変わらず少し引っかかるような喋りをするカルバリウスだったけれど、多少慣れてくれたのかその喋りは少しだけ区切りが長くなっていた。
対して私は、知っていたということはできず答えに困る。
私からしてみれば、前の世界のオンライン開拓ゲームの最終開拓地、神樹の森という場所に金色蚕がいるというのは事前知識だったのだが……。
「別に、不思議なことじゃないでしょう? スプリングファーミアの近場で一番可能性が高いのはここだと思っただけよ。目的地にランドマークがあるなら、とりあえずそこを目指そうとするものじゃない?」
と、そんな風にごまかして答えることしかできないのが少し申し訳ないけれど、言い訳としては通っていると思うんだ。
「……いや、そう――だな。確かに、その通りだ」
どうやら納得したのか、カルバリウスは手元のカップへと口をつける。
中に入っているのは豆を焦がして煮出した汁……ほぼコーヒーのようなものだ。
苦すぎて私の口にあわなかったけど。
「そういや姐さん。帰りはどうするんです?」
「帰り?」
「また永祈様でびゅーん、とか?」
そもそも行きで永祈を使わなかった理由というのが、降り立つ場所があるか不明だったからというのが理由なんだよねぇ。
それが解決された以上、使わないで徒歩で帰る必要というのはないか。
しいてあげるならばそのほうが冒険らしい気がするぐらい。
ただ、それはあくまで私にとっての話であって、この世界に生きる人間を私の趣味で危険に付き合わせる必要はないだろうね。
「じゃあ明日の朝、片付けを終えたら帰りましょうか」
そんな私の言葉に、カルバリウス以外が沸く。
そういえばこの面子のなかでカルバリウスだけはクロウ達を見たことがなかったことを思い出した。
ちょっと明日驚かしてやることにしようと、今は詳細を話さないでおくことにする。
「結構時間がかかったようで、おもったよりも速く収まったかな……これは」
あとはスプリングファーミアに戻って交渉が終わりさえすれば、こちらでの私のやるべきことは終わる。
そう思うとこの旅は長いようで実はまだ一月ほどしか経っていないということに思い至ってしまった。
その割には、色々あった気もするけれど……。
またしばらく暇になるだろうし……少し普通に世界を回ってみるっていうのもいいのかな?
「リーシア、礼を言う」
「んぁ? 何よいきなり」
「お前が来てくれなかったら、こんなに早く事態は、進展しなかっただろう」
だから、感謝する。
そう続けるカルバリウスの表情はよく読めないけれど、少なくとも喜んでいるのだろうことだけは伝わってくる。
本当に不器用なんだなぁと、思わず苦笑してしまった。
「アラクネからの頼みだったしね。それに、協力する代わりに情報提供って約束だし?」
「それでも、だ」
「そりゃ、どういたしまして」
と、素直に受け取っておくことにした。
やいのやいのと騒ぎ出すベイレスたちをカルバリウスに押し付けて、私は少し離れたところに腰を下ろす。
そこで深く深くゆっくりと呼吸をして、ようやく人心地ついた気がした。
すっかりと日が暮れてから見上げる新緑の天蓋は、とっぷりと闇を湛えていた。
星一つ無い漆黒の天蓋。
変化が起きたのは、月が天蓋に差し掛かって見えなくなって少しした頃、神樹が淡い光を湛え始めたのだ。
それらはゆっくりと、根から葉へと立ち上る。
周囲の空気までもがそれに流されるようにざわめき始め、肌でわかるぐらいの濃密なマナがめぐり始めた。
気づいているのは私だけのようで、それを息を殺してそっと眺める。
地下深くから組み上げられたマナが、ゆっくりゆっくり根を、幹を通して空の頂へと汲み上げられてゆく。
それは蛍の光よりも淡やかで、静かに降り積もる雪よりも穏やかで、虹色に輝くシャボン玉よりも儚げだった。
その光景に、声を殺して、息を潜めて、ただ静かに見守る。
魅入られていた、と言ってもいいだろう。
降り注ぐわけではなく、立ち上っていくばかりだから、掌にそっと受けてみることもできないのが残念でしょうがない。
無意識に差し出した掌をくすぐるように、光の粒が溶けるようにすり抜けていった。
世界装置、万物の叡智では確かそのように表記がされていた。
その所以が、この現象なのだろう。
世界に満ちるマナを循環させるための機構。
それは人の手では踏み入ることのできない、神によって秘められたものだ。
「……まさか、ね」
代弁者は、私の生み出した氷樹もいずれそうなるかもしれないと言った。
けれど今この光景を見た私には、それはありえないように思える。
私が踏み入れる領域の外側に、それはあるように思えるのだ。
もしもそうなるとしたら、それは私が生きている間の話では無いだろう。人の手によって生み出されたものが、果てしない時間と言うもので濾過されて神秘として昇華されるぐらいの時間が必要なはずだ。
私はただ、その光景が終わりを告げる頃合いまで、ずっとそれを見上げているだけだった。
「なんじゃ、また来たのか。しばらく見ないから帰ったかとおもったわい」
「今度はちゃんと交渉の手札を持ってきたわよ。たっぷり悩ませてあげるから覚悟なさい」
「ふむ……まぁ、よかろう。上がるがよい」
「お邪魔するわ」
応接間へと案内されてお茶が振る舞われる、それに少しだけ口をつけてから、箱をテーブルの上に置く。
中からはかさかさと葉を食む音がきこえていて、それが聞こえているのかベケットさんはすでに真剣な表情だ。
「……なんとなく、予想はついた。おまえさんたち、神樹の森のどこまで潜ったんじゃ?」
「神樹の根本までよ」
「なんと……」
開けてもよいのか、というベケットさんを頷くことで促し、それを確かめてもらう。
期待半分、疑い半分という様子であったが、箱を開けた瞬間にそれは確信へと変わる。
「金色蚕……まさかまた目にすることになるとはな。ギルドではいい報酬がついていたと思うが?」
「ギルドでの換金はしなかったわ。そのほうが強い手札になるもの」
「ふむ……まあ、そうじゃろうな」
「さ、交渉といきましょう。私達が欲しいものは飛翔船の帆布、量は以前提示したとおり、対価として用意したのは見ての通りよ」
正直、これですんなり話が収まってくれればいいなと思うのだが、交渉という手前すんなりは行かないだろうと思っている。
だから、ちょっとえげつない手札を考えてはある。
できれば使いたくないから、このままの条件で飲んで欲しいけど。
「ギルドにかけている懸賞金と比べると、ちと厳しいかのぅ?」
「そう? じゃあ残念だけど森に返してきましょうか」
「……冗談じゃよ。容赦も躊躇もない娘だの」
「こういうのは下手に出たら負けでしょう?」
少しの沈黙の後、互いの笑い声が漏れた。
この条件を受け入れてもらえなかった場合、私達の取る手段は二つあった。
一つはギルドに持ち込んで換金すること、そうすれば結構な額の資金になりはする。
ただしこの選択肢の場合、どのみち金色蚕は街の資源として街で飼育されることになる、ベケットさんにとってこれでも問題はないのだ。
対してこのまま持ち帰って森に帰すとなれば、私達の手元に資金は残らないが、街も金色蚕を手に入れられないという寸法である。
死なばもろともというか……ちょっと使いたくない手段だった、脅しみたいだし。
「まあ、その気の強さは認めようかの。じゃが、納期は一年伸ばしてもらおう」
「ふむ、一年ね……どう?」
「あ、ああ……多分、構わないとは思う」
「じゃ、それで。契約書はよろしくね?」
私の言葉にベケットさんは「しっかりしとるわ」と笑いつつも承諾するのだった。
こうして、私の一月ほどの旅はひとまずの終わりを告げた。
神樹編はこれにて終了です。
帆布の入手に目処が経ちましたから、リーシアは少しゆっくりとすることでしょう。
少し幕間が挟まります、よろしければおつきあいください