31.紡ぎ車の魔法
新緑の天蓋は今は絨毯となって、私の足元に広がっている。
一瞬の間に神樹の上へと連れられたのだ。
「おやおや、珍しいお客さんだねぇ」
「うむ、話せる客となるとどれ程ぶりかのぅ」
突然の声に呑気な返事が重なる、神樹の代弁者とやらに声をかけたのは糸車をからからと回している醜い老女だった。
私しってるよ、これ見た目で判断すると悪いこと起きるって。
偏見、ダメ、絶対。
代弁者がぱちんと指を鳴らすと、足元の枝がするすると音もなく伸びて形を作り始める。
程なくして形作られたのはテーブルと椅子である、どことなく既視感を感じつつも促されるままにその一つへ腰を下ろして――
「さて、何を話そうかの」
すっ転びかけた。
「特に話すことがあったわけじゃないの!?」
「いや、久しぶりの客だったもんでな。つい」
つい、じゃねぇよ。
と思ったけどもまぁ、急ぐわけでもないしいいかと思い直す。
ベイレスたちは若干心配させることになるかもしれないが、まぁ大丈夫だろう。
「いきなり呼ばれたから私はてっきり何か重要な話でもされるのかと思ったわよ」
「まぁ、必要とあればできるがの。日がな一日光合成してばあさんと茶をしばいとるだけじゃ些かつまらんのでなぁ」
光合成……なんだろう、なんだろうこの気持ち。
この世界で光合成なんて言葉聞きたくなかった気がする……。
「ときにお前さん茶は何が好きじゃ?」
「は? ええと、紅茶が」
「紅茶、か……ふむ、上手くできるかのう」
テーブルの上の小さな枝がするするとのび、ポットやティーカップを形作ってゆく。
なんでも木で出来るのかという気はするが、そのへんはもう気にしていても仕方がないだろう。
ポットの蓋はないようだが、そこへするりと伸びた枝から次々と葉が茂る、それらは最初は淡い綺麗な緑色だったが、次第に色が濃くなってゆく。
やがてすっかり綺麗な深緑色になったものから枯れたように萎れてゆき、はらりはらりとポットの中へと積もってゆく。
やがて新たに生まれる葉もなくなった頃、枝から水が吹き出した。
木の中には水が通る管もあるから分からないでもないが、蛇口のようである。
やがてたまった水がどういう理屈か沸き上がるまで数分、気づけばお茶の準備が出来上がっていた。
準備の光景を眺めているだけであっという間に時間が過ぎていたらしく、老婆も茶の席へと腰を掛ける。
「さてさて、お主の名はなんというのじゃ?」
そんな極当たり前のことから思わぬ茶会は始まった。
「ふむ、北東に強いマナを感じたが……お前さんじゃったのか」
「あはは……まずかった、ですかね?」
話は二転三転し、私が金色蚕を探しに来たことから、どこから来たのかなどと移り変わって巨大な――魔法の領域の反応があったことえと至って自分のやらかしを話さなくてはいけない羽目になっていた。
とはいえ、二人は特に驚いたり怒ったりはせず、おやおやあらあらと気にした様子も見せなかった。
「良いのではないか? あのへんはもともとマナの滞留し易い場所じゃったしのう」
「マナの滞留?」
大体イメージは出来るのだが聞きなれない言葉ではある。
魔術を使う際に消費するもの、という認識ではあるものの、もしかしたらもっと違う性質のものである可能性だってある。
半年の間にウィルヘルム王国立大図書館で学んだ知識には、マナは普遍的に存在するものであるという解釈が主流だった。
一部、限りある資源であると記載する書物もあったものの、いずれも主流からは外れる説である。
「マナはあまねく存在しておる。空にも、地にも、天にもな。それらはゆっくりと流れながら存在しておる、その循環を助けるのがこの神樹や、あるいは自然に存在する大規模な何かなんじゃよ。淀めば無論、悪いこともおこるのでな」
……水の循環みたいだな。
「お主の生み出した氷樹も、やがてその循環を担うじゃろう。代弁者も生まれるやもしれんな」
「……うへぇ」
ますますやらかした感が……。
世界に大干渉とか勘弁してほしい、その管理者的な人から文句言われてないのだけが救いか。
「旅を続けるのであれば他の代弁者に会う事もあるじゃろ」
「うへぇ……気のいい人であることを祈るわ。ああ、そういえば」
なんとなしにそのまま採取するていでいたけれど、こういう人がいるなら確認を取って許しを得たほうがいいんじゃないかと思い至る。
何も関係を悪くしたいわけではないのだから。
「金色蚕のことなんだけど、養蚕をするにあたって必要な分を分けてはもらえないかしら?」
「普通の葉を食わせた養蚕では良い成果は見込めんとおもうがの、それで良ければ好きにするが良い」
「助かるわ。私達の目的は金色蚕を持ち帰ることであって、その後は管轄外だからね」
とはいえ、それによって手に入る絹に強い何かを求めるわけではないだろうから、そちらも目的は果たせるだろう。
つまるところ何も困ることはないということだ。
「わしゃてっきりハベトロットの作る服が欲しくてやってきたのかと思ったんじゃが、違ったんじゃのう」
「求められる事も減ったもんさ、寂しいものじゃよ」
ハベトロット、そう……ハベトロットなのだ。
スコットランドの伝承に登場する糸紡ぎの妖精、彼女の作った服は病気を癒す力があるという逸話を持つ存在。
こんな世界であればこそ、病気を癒す力を持つ服というのは財宝に匹敵する価値があるだろう……いや、それは以前の世界でも変わらないか。
いや、でもさぁ……。
「ここまで来るのが難しいだけだと思うよ?」
「そうかの?」
「そうかえ?」
二人してかわいく小首を傾げるな。
獣人族も離れて久しいって言ってたし、そもそもここに来るまでに結構な数の魔物と遭遇している、挙句に門も閉ざされたままだったのだからそりゃ訪れるものも居ないだろう。
私にとってはちょっとしたクエストの報酬程度かもしれんが、この世界の基準で行くとなかなかに厳しいと思うぞ。
「まあ、よいわ。嬢ちゃん、一寸採寸させてもらえるかの」
「へ?」
「たまには服を作らんと腕がなまっちまうからねぇ」
あ、これ私生贄ですね?
まぁ、それならせっかくだし作ってもらおうかな。
とりあえずと魔術隊精鋭服を脱いで見せるとハベトロットは興味深そうに仕立てを見ていく。
ゲーム時代のアイテムはその辺どうなっているんだろうねぇ。
「お嬢ちゃんはこういうのが好きなのかい? 他にも好みのものを持ってるなら見せてもらえるかの」
「うん、ローブやコート系。剣も下げるからウエストは絞られてる方が好きかな」
インベントリから取り出したローブやコートを見せてみるとしばらく細かく見分した後に何やら納得したように彼女は頷いてみせる。
「ふぅむ……結構厚手の生地じゃなぁ……よし、一つ作ってみるかね」
軽くそう言って少し距離を取ったハベトロットが指を鳴らすと、新緑の絨毯から次々と木々が伸びてくる。
棚に紡ぎ車に機織り機、様々な裁縫道具一式。
一瞬にしてそこは一流の洋裁店さながらの光景である。
生地も色とりどり揃っているが、あれはまさか全部シルクなのだろうか。
少し頭のなかで手順を組み立てていたのだろうハベトロットは、迷うこともなく生地を選び出し裁断を済ませていく。
その手順には一切の淀みがなく、一種の芸術とも呼べるような洗練されたものである。
シルクを幾重か重ねて縫い合わせることで厚みを出しているのだろう、なんて贅沢な使い方なんだ……。
衣擦れの音が音楽のように折り重なる。
やがてあらかた作り終わったのだろうか、手が止まる。
すっと差し出された掌の上に伸びてきた枝から金具が幾つかハベトロットの手に落ちて小さな音を立てる。
ボタンは見ればわかるが、それ以外の金具は何処に使うのか見当もつかない。
それらを衣服に取り付けていく作業はものの数分という所だろうか……。
はじめから終わりまで、時間にしておよそ一時間ほどの出来事だった。
「よし、着てみるがよい」
「へっ!?」
服って、こんな短時間で仕上がるものだったっけ? と、ちょっとあっけに取られたけれど、広げてみれば確かに私好みのコートである。
無下に断ることもできず、しばし固まっていると更衣室まで用意してくれた……洋服店だなこれはもう。
マギステルエリートコートを脱いでインベントリに収め、改めて仕上がったコートがどんなものなのか確認させてもらうことにした。
シルクを何枚も折り重ねて厚みを出しているためか、特有のたわみ方としっかりとした重量感がある。
金具は胸のところに左右対になるようにあしらわれた飾りボタン、肩と腰、袖のあたりにあしらわれた防御用の金具に別れるらしい。
これは私が剣を使うから、そういう意味で急所を護るように配置されているのだろう。
金属は深い紫色に輝いている。
万物の叡智た限りではアダマス鋼という金属らしい。
金属にしてはやや軽く、それでいて強靭とのことで……貴重品っぽいなぁ。
上だけを見るならばジャケットのような感じだが、裾は前側が膝の上あたり、後ろはふくらはぎぐらいまでと長い丈になってる。
腰の部分は絞られているがベルトはなくボタン式、太ったら着れなくなるな。
全体の配色は黒で、赤と紫でアクセントが入っている。
ご丁寧にしつらえてある鑑で写してみると、黒い装束に薄い青銀色の髪がよく映える。
「ううん……いいわね。めっちゃ私好みだわ」
くるりと回って背中を映してみれば丁寧な刺繍で刻印が施されている。
これは【遮断】か……強い力を感じることから相当の防御力もありそうだ。
神樹の葉を食んで糸を産んだ金色蚕、その意味がようやくわかった。
この絹は蚕の体の中で凝縮されたマナの塊なんだ。
「どうかの、サイズは合うかえ?」
「あ、はい。ぴったりです、好みにもバッチリ……」
着替えた姿をお披露目をすればハベトロットは私の姿を見て満足そうに頷くのであった。
「ばあさんの作った服を見るのは久々じゃが……なかなかにはいからな感じじゃな」
「こういうのがいまふうなのかのぉ」
ごめんなさい、私の好みです。
舞い散る木の葉とともに気づけば元の場所へと戻っていた。
陽はすっかり傾いて、まるで森が燃えているかのような目に焼き付くような朱色。
ざぁと吹く風からは夜の匂いが漂って、間もなく帳が降りることを知らせていた。
「本当に、よかったんでしょうか?」
「かまわんかまわん、ばあさんは人の服を作るのが好きでな。あんな楽しそうにしていたのは久しぶりに見たんじゃ、ありがとうなお若いの」
「むぅ……」
万物の叡智で軽く見てみたんだけども、アーティファクト並の装備だと思うんだよなぁこれ……本当に御礼できないのが心苦しいんだけども。
「もしも気になるなら、そうじゃなぁ……お前さんが認める相手を今度連れてきてくれればええ。ばあさんも喜ぶじゃろ」
それは、服を求めてってことよね……認める相手、か。
アラクネでも連れてこようかなぁ。
「それでは、また尋ねてくるのを楽しみにしているでな」
「はい、また必ず」
そう言ってお別れをして、金色蚕を集めてベイレスたちのところへと戻るのだった。