30.世界装置
ある時、森が突如として開かれた。
広がる花畑は斜めに差し込む陽の光に照らされて色とりどりに咲き誇っている。
見渡す限りの花畑は、けれど気づいてみれば皆一様に頭を垂れるように同じ方向へと向いている。
その先に、自然と視線は誘導されていく。
果たして――どれだけの樹齢を、重ねればこれほどに育つのだろうか?
"神樹"、と、畏れ敬うのも頷ける、それだけの圧倒的な存在感。
見上げれば果て無く高く、空を覆うように茂る新緑の天蓋。
絶対的なまでの威容。
降り注ぐ木漏れ日はまるで幾つもの天上へ続く梯子のごとく……。
「これが、神樹……」
思わず漏れた吐息は誰のものだっただろう。
あるいは、自分のものだったかもしれない。
ただ、その光景に目を奪われて、私達の誰一人も歩き出そうとすることもなく、その光景に魅入られていた。
ざぁ、と風が森の木々を凪いでいく。
その身が抱える大量の木の葉ゆえか、風に煽られて降り積もるように枯れ葉が散る、それをただ見上げて――
「――……」
何か言おうとしてそれをやめた。
言葉にすることは、きっと無粋だ。
ただ行動だけで、静かに礼をする。
そこにあるものに敬意を払う、そのために。
深く呼吸を繰り返すことしばし、私が前に進むのに気付いてか、慌てて皆もついてあるき出した。
「姉さん、これ……踏み込んで大丈夫なんすかね?」
「取って食われたりはしないでしょう」
常識的に考えればそうだろうが、果たしてその常識が通用するものと見ていいのか、今ひとつ確信は持てない。
突如として動き出し喰われる、そんな非現実な想像も目の前の大樹ならば実現する未来の一つかもしれない。
「馬鹿馬鹿しい。そもそもそんなことがあり得るなら、金色蚕を持ち帰ったという前例がおかしなことになるでしょう。火を放とうとか切り倒そうってわけじゃないんだから、変に怯えないこと」
「うぃっす」
太く、広く、猛々しく伸び広がった大樹の根は、それをよじ登り進むだけで一苦労というものであった。
「あねさん、おらだめだ。これ以上進めそうにねえ」
一番に脱落したのは案の定ポエットで、ここに一人だけ残すわけにも行かず、ベイレスとラヴァータが残ることになり、カルバリウスも足元がおぼつかないということで残る事となった。
「結局行くのは私一人か。まあそのほうが気楽ではあるわね」
五人の中で最も身軽な私にとって、後続を考えなければこの程度の入り組んだ根などちょっとした遊び場程度の代物である。
軽く飛び移りながら先へ先へと進んでいけば、程なくして幹の根までたどり着くことができた。
ふと振り返り今まで通ってきた景色を眺めてみれば、神樹を見上げるのとはまた違う景色が出迎えてくれた。
ベイレスたちの姿ももはや見えないほどに遠い。
「……冒険て、楽しいな」
知らぬ土地を歩み、見たことのない景色を望む、初めて食べるものを楽しみ、親しいものたちと夜を過ごす。
以前の世界であれば決して知ることのなかった生。
命の危険を感じたことがないではない、だがそれも含めて生きているという強い実感。
ぐぐ、と体を伸ばす。
ほんの一瞬だというのに、世界がより鮮やかになったように思えた。
「んー、このあたりには居ないか……上の方かな?」
根本、といっても多くの太く節くれだった根が張っていてすでに結構な距離を登ってきているのだが、葉が茂る場所までは遠い。
時折幹から伸びている小さな枝葉を探してみたがすべて外れだった。
どう登ったものか……見上げてみるが葉の生い茂っているところまでは数百メテルはある気がする。
『姫、我が翼であればこのぐらい一飛びですが』
「んー、それはそうなんだけどねー。過去に手に入れてるってことは何かしら手段があると思うのよ」
『なるほど、それが気になる……と』
「うん。だからまぁ、謎解きみたいなもんなのよ」
下にあるのか上にあるのか、それが問題だと思いながら、根の隙間へと降り立ったり、根の上へと飛び移ったりしつつ移動を繰り返す。
考えてみれば、こんな高く飛べるのもこちらに来たからだなと思う。
あちらの世界では垂直跳びにしたって世界記録で一メテルに至るまい。
そんな自分が今、根を壁蹴りしながらビルの上ぐらいまで飛び上がるのだから不思議なものである。
しばらく移動を繰り返すと、やがて少し開けた場所へとたどり着いた。
直径でおよそ十メテルほどの空間は、落ち葉が降り積もりふかふかとした感触を伝えてくる。
屈んで確認してみれば、良い感じの腐葉土になっているようだった。
「……むぅ、なんか良さげな土ね。袋とかあったかなぁ……ちょっと持って帰りたい」
『お嬢様は時々よくわからないものを持ち帰りたがりますね……』
「いや、ちょっと庭造りにも挑戦してみたくてね」
ハーブ類は家で育てているが、それ以外のものも育ててみたくはある。
何より土を変えれば育ち方もまた変わるかもしれない、という園芸知識ほぼゼロの思考回路が囁くのだ。
幸いにして、時間はしこたまありそうだしね。
「しかし袋……袋かぁ……」
そんなアイテムあっただろうか……。
ざっとゲーム時代の記憶を漁ってみるが、これと言って思い当たるものはない。
しいてあげるならクエスト中に魔物を生け捕りにしてこいと言われて麻袋を渡されるという、お前それは無茶があるだろうみたいなものがあったがそれも使ってしまえばそれきりだ、インベントリに入っているはずもない。
結果、土の採取は見送ることにした。
たんたんと飛び回りながら神樹の周りをぐるりと廻るように移動すること半刻ほど、思わず足を止めた。
木の洞である。
ただしサイズは桁違い、皆がいれば並んで入れるぐらいの巨大さがある、そしてその奥にも枝葉が茂っていた。
内部にたまった土埃や落ち葉が土となり、そこに種が落ちたことで繁殖でもしたのだろうか。
神樹の中の森……と言うには少し控えめではあるが、そこは確かに命が育まれている。
そっと、傷つけないように足を踏み入れる。
内部は薄暗がりだが、ファミルの花粉を入れた小瓶が十分な光量であたりを照らしてくれた。
果たしてそこに目当てのものは――居た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
金色蚕
神樹に生息する蚕。
通常の植物でも生育する。
神樹の葉を食んで育った個体は魔力を帯びた糸を吐く。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ミッションコンプリートである。
しかし、この説明を見る限り神樹の葉もそれ自体も特殊なようだね……。
ちょっと万物の叡智みよう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神樹
遥かな深き地からマナを組み上げる世界循環システムの一つ。
その全てに高純度のマナを宿す。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
……見てはいけないものを見てしまった気がする。
世界循環システムってお前、それなんかまずいやつだろ。
でも、知ってしまえば確かにこの空間には強いマナが溢れているのが感じ取れる、魔物が強いのもその影響ということなのだろう。
「ありゃ……?」
金色蚕を一匹つまみインベントリに入れようとしてみるが入れることができない。
何度か試してみるけども一向に反応がない……ふむ。
『いかがされました、姫?』
「いや、インベントリに蚕がはいらなくてさ」
『生き物をそのまま入れるのは無理でしょう』
ああ、たしかに言われてみればそれは無理か……。
ゲーム時代はそんなアイテムもインベントリに入った気がするが、あの頃はそもそもインベントリの外に持つという概念がなかったからなぁ。
となると箱かなにかが必要か……箱……箱ねぇ。
そうだ、多分あれがある。
インベントリにどうせ開けずに残っているはずのギャンブルアイテムを探して画面をスクロールしていく。
まったく、検索機能でも追加してくれればいいのによう。
なんて思いながらしばらくスクロールしていった末にそれは見つかった。
――古びた装備箱
インベントリから取り出してみると、そのサイズは縦横高さとも四十セテル程度の大きさだった。
何がギャンブルアイテムかというと、開けるとランダムで装備が出てくるという代物なのだがさて、この世界なら箱を開けてもなくなるまいとレッツギャンブル。
まぁおまけだしどうせ出てくるのはゴミだろう。
ぱかー。
「おお?」
箱を開けたらでてきたのは全長八十セテルほどの剣だった。
お前どうやって入ってたんだ、と思わなくもないが、まぁそういうアイテムなんだし仕方ない、是非もないね。
しかして開けてでてきた武器はフォースドブレイドという騎士剣だった、それもネタの類の……。
「懐かしいなぁ」
柄を握り構えてみればずしりと重い感触が伝わってくる。
フォースドブレイドは騎士専用の剣で、攻撃力はそこそこの高品質武器だ。
ではなぜネタなのかというと、付与されている能力が原因である。
あの時代、武器はもはやベーススペックなど基本的に飾りで、追加効果がどのようなものかで選ばれる時代になっていた。
まあ、どこのゲームでも似たような、ある程度世界がインフレしてしまったあとだからこそ起きた現象である。
そんな時期において、追加効果がネタ方向にフルスロットルで振り切られていたのがこの剣なのだ。
騎士は基本的に、ストレングスを中心として、防御ステータスをアジリティかバイタリティに振るのが基本だった。
そんな武器に、なぜか読解者の追加詠唱が付与されていたのだ。
しかも、下級魔法四種がランダム二レベルで発動するという、しょうもない性能で。
無論、扱えるのはネタステータスとも呼ばれるインテリジェンス型騎士というわけで、市場ではレア武器だというのに破格の安値で取引されることとなった。
読解者が装備できていればまだ救われていたのではないだろうか……結局装備条件の問題で扱うことすら許されなかった憧れの武器、こうして手に入るというのもなんだか不思議なものだ。
軽く何度か振り回してみるけれど、今であれば扱えないということはなさそうだ。
「……うん、今度試してみるか」
感慨にふけるのも今は後回しということで、箱に金色蚕を回収し、合わせて葉を摘み取ってゆく。
どれ位食べるのかは知らないが、神樹の葉以外でも食べるというのなら途中でも補充は利くだろうしそこそこの量でいいだろう。
ちぎった葉のほうはインベントリにも入るようだし。
「その金色蚕は神樹の葉を食べるからこそ価値のあるものを生む、人というのはそれを持ち帰ろうとするのじゃから不思議な生き物じゃのう」
「ふぉうっ!?」
背後から突然声をかけられて危うく集めていたものを取り落とすところだった。
振り返ってみると、そこに居たのは年老いた老人というのがふさわしいような何かだった。
もしも敵意を感じていれば即座に攻撃行動に移ってすらいたかもしれない。
幸いなことに、敵意と言うものは特になく穏やかな笑みを浮かべるだけだったが。
「……貴方は、何?」
「何、か……。うむ、良い目をしておる。そして不躾に覗くものでもないようじゃのう」
いや、相手によっては見るけど……。
「儂は神樹の代弁者……とでもいうのかのぅ」
「代弁者……なるほど、まあありえるとは思ったけど」
「うむ、話が早い。じゃがここで立ち話もなんじゃし、少し場所を移動するとしようかの」
「は?」
直後、突如として風が吹き荒れた。
降り積もった落ち葉が激しく舞い、風は私のローブを激しくはためかせる。
土埃に目を閉じた、その一瞬に浮遊感を感じ気がつけば私ははて無く空を見渡せる場所に居た。