18.三匹の獣人と森の有事
馬車は平坦な草原を軽快に進んでいく。
そんな中、ヘリエルは幌の上でうんうんと考え事に頭を捻っていた。
「ヘリエルー」
馬車の手綱を握りつつ──馬が賢いので私は握ってるだけだけど──頭上に意識をやるが、正直さっきから鬱陶しいのである。
「さっきから何考え込んでんの?」
「いや、気になることがあってな」
「そんなのは見てればわかるわよ」
「……あー」
「ヘリエル、貴方が何を気にしているのかはしらないけれど。そのまま一人で悩まれるのは迷惑だわ、なにかあるなら話しなさい」
「むー、確信があるわけじゃないんだが」
ひょいと幌の上から御者台に降りてきたヘリエルは隣に腰を下ろす。
アインツとライラが近くによってきたのを確認してから、ヘリエルはようやく話を始めた。
「昨日の狼たちのことなんだが、あれは草原の狼じゃないかもしれない」
「ほう」
「……リーシアのその反応は気にしてないのか予測済みなのか、それとも意味を理解してないのかどれだい?」
多分三つ目ですがそんなことわざわざ口にはしません。
あえて黙ることで話を促してあげることにする。
「まあいいか。ここから東の森まではかなりの距離があるんだ。そんなところから縄張り意識の強い狼どもがこんな草原まで出張ってきたとすれば、そこには何かしらの理由がある」
「なるほど……」
そういう考えは無かったな。
けど言われてみれば納得できる考えだ、縄張りを追い出されたと考えるならば森に何かしらの脅威があったと考えるのは妥当だろう。
それも、狼の群れが逃げ出すような何かだ。
何が考えられるだろうか……まさかミノタウロスだのミスリルクロウラーだのではないとおもうが。
「妥当な考えだな。ここまで影響があるかわからんが、護衛をするにあたっては考慮するべきことだ。ライラはどう見る? 森の狼だったとおもうか?」
「そうね、可能性は十分にあると思う。場所が森だったらもっと苦戦してたとおもうな」
あなた達あれ以上の苦戦ってきっと喰われてますよ?
とは、口が裂けても言わないけれど。
「リーシアはどう思う?」
「んー……そうだねぇ、としか?」
「いい加減だな」
まあ、自分でもそう思うけど。仮に狼が狼が逃げてくるような脅威であったとしても、私を脅かせる脅威ってのはそうそう──いや、結構あるか。
うーん、ここから森までの距離だと流石に魔術でしらべるっても、彼らに見せられないしなぁ……。
「どっちみち、そんな脅威に遭遇したら私達じゃどうしようもないんじゃない? 行くにしても引き返すにしても、もう道も中間ぐらいでどっちにしても微妙でしょう」
「そうなんだよなぁ……」
「ていうかさ、そういうことならもう伝えて注意を促しておくしか無いと思うよ?」
「リーシアに同意だな」
少しだけ呆れたように言うアインツに、雇い主に伝えてくる、とヘリエルが馬車を降りて掛けていった。
隊商が突然動きを止めたのがそれから十数分ほど後の話だ。
不意に聞こえた笛の音、そして止まる隊商。
握っていただけの手綱から手を離して幌の上へと飛び移り前方の方を見てみれば、何やら見知らぬ三人組と剣呑な雰囲気になっている。
「リーシア、いくよっ!」
勢い良く飛び出したライラ、そしてその後をアインツがどしどしと付いていくのを見て、私も馬車の幌のうえをひょいひょいと伝って行くのだった。
グズヴィルが見たら怒りそうだけど。
先頭の馬車の前では、三人組の獣人──あれは狼と兎と、熊……いや、狸か? あのしっぽは狸だな、うん。
ライラ、アインツ、そして私がやってきたのに気づいて先頭に立っている狼の青年が小さく舌打ちした。
あれは爪系武器か、かっこいいなー。
隣の兎さんは脚甲つけてるしまあ、蹴り技つかいなんだろうね。
後ろの狸だけ一般人っぽいな、さてこの状況はどういうことなんだろうか。
ヘリエルは剣を向けて三人を牽制し、グズヴェルはその後ろで頭抱えて震えてる。
よく見るとヘリエルも剣を持つ手が若干震えてるな、そして兎さんの足元が若干凹んでるね、震脚でもしたのかな?
見た感じちょっと汚れてるけど普通の、強いて言うならゼフィアと似た感じがする。
何ていうか、村での活動をある程度考慮に入れた上で戦えるようにコーディネートしたような、そんな感じ。
そして若干汚れているんだが、その汚れ方がなんていうか汚らしい野党というよりは、そう……仕事帰りのゼフィアに似ている。
んーむ、裏の事情がわからんな。
「お前たち! 無理に歯向かおうとしなければ危害は加えない! 十日分の水と食料、それだけよこせば見逃してやる!」
なるほど、物取りか。
にしても、要求がなんていうか切実っつか、奥ゆかしいというか……金品じゃなくて水と食料なんだ?
「どうなんだ! 水と食料ぐらい余分に積んでいるだろう!」
んー、こういう判断と言うか交渉事は、頭の役目だよね。
いつまでも頭抱えてお知り向けて怯えてないで骨のある所見せてほしいんだけどなこのおっさん。
そんなことを繰り返していたら、兎さんが足を軽く踏み上げて多分二度目だろう震脚をかました。
どがん、というなかなかに豪快な音が響いて二つ目のくぼみができる、その音に飛び上がるグズヴィル。
ヘリエルもそれに気圧されて剣先が下がり気味。
一応確認のために、その場に居る全員を万物の叡智てみたけども、ヘリエル達がレベル二十台なのに対してお向かいさん、名前は狼のベイレス、兎のラヴァータが共に五十台、非戦闘系の狸さん、ポエットくんでも二十台。
私一人いりゃ制圧できるだろうけども、どうしたもんかねー。
あんまり人同士では争いたくないんだよな。
「む、無理だっ! おまえら、お前らなんとかしろっ! こういうときのために雇ってるんだろうがっ!」
まぁ、予想通りの返答だなぁ。
「……仕方がないか。お前、護衛のリーダーか?」
「そ、そうだ」
「……恨むなよ」
ヘリエルが剣先を向け直す間も与えず、一瞬の踏み込みで間合いを詰めて放たれた掌打が腹を貫いた。
軽く吹っ飛び転がるヘリエルだが、あかんね……一撃で意識を刈り取られてら。
完全に防御が間に合ってないし、やろうと思えば一撃で殺せてるな。
鎧の上から鎧を傷つけず、ってことは発勁に近い技か。
「これで力の差がわかっただろう、殺す気が無いこともだ。水と食料、それだけで見逃すと言っているんだ!」
「ひいいいぃいぃぃぃぃっ! む、無理だ……そんな余裕はないいいいいぃぃぃぃぃぃ」
「まだわからないのか!」
「まーまーまー、落ち着いて」
話が進まなさそうだから割って入る。
と言うか私は護衛だから追い払う義務がある気がしないでもないんだが、こんな草原の空白地帯の真っ只中で水と食料だけをよこせって言う輩はどう考えても切羽詰まってるんだよね。
ここで追い返したらきっと野垂れ死ぬ、そう思うとなかなかそうし難いものもあるわけで。
「とりあえずグズヴェルさん、水と食料の余裕がないってのはどうして?」
「ど、どうしてって……」
「この状況で手札隠す意味はないでしょ、ほらほら」
「お、お前護衛だろう!」
「いや、状況の確認してるだけ。水と食料の余裕がないってことはなんかトラブったら私らにもひっかかってくるしねぇ」
いけしゃあしゃあと、けれど確認したいことを言ってやる。
この護衛の仕事、水と食料は雇い主持ちなのだ。
余裕がないってのははっきりいって私達にとっての不安要素である。
「ば、馬車をある程度早くすすめることを前提にして、水と食料を、かなり切り詰めて商品を載せてあるからだ。トラブルが合った場合でも、そこの護衛にはきちんと飯を出さねばならん、その契約が果たせなくなる」
あ、意外とそのへんはちゃんとしてる。
うーん……。
「ねえねえ、あんた達はなんで水と食料だけ要求してんの?」
「あ……そ、そんなことはどうでもいいだろう!?」
「そうかー、事情は話してくれないかー……」
一度制圧するしか無いかな。
できるかな……相手を殺さないやり取りなんて。
ゼフィアとの手合わせでだいぶ練習はできてるとは言え、こちらから手を出せばこの二人の獣人は躊躇も容赦もしないで殺しに来るだろう。
それを制圧か……。
「できれば、さ……おとなしく、降伏してほしいんだけど」
私の言葉に獣人三人、そして後ろの三人……ああ、辛うじて意識を取り戻したヘリエルも何言ってんだこいつはって顔してるね。
「実力の差もわからない女は、酷い目に遭うと相場が決まっているぞ」
「あら、心配してくれるの? でも安心して、実力の差がわかってないのは貴方だから」
にやりと笑って返してやる、それが合図で一瞬の間に踏み込んでくる狼さんと、剣を抜く私が工作する。
高く跳ね上がったそれが血を撒き散らして落ちてくるまで、ほんの数秒。
自分の両腕がなくなって悲鳴を上げるのと、私がシャドウブリンガーの切っ先を兎さんに向けるのがほぼ同時。
「べ、ベイレス!?」
「はい、動かない。両足斬り飛ばされたいかしら?」
しんと静まり返る中、私の声が場を支配するのは当然。
「命まで取ろうってわけじゃないのよ、どっかの誰かさんと同じでね。降伏なさい、そして話をしましょう」
逆らえるものは、誰も居なかった。
治療をした後にふんじばって護衛の馬車に乗せて、馬車は再びガタゴトと進む。
グズヴェルは殺せ殺せとうるさかったけど、そこはまぁ拒否しておいた。
雇い主だからって人に誰を殺せとまで命令する権利はない、あくまで結んでいるのは護衛契約のみだ。
「それで、どうしてこんなことしたのよ。見た感じまっとうな野盗じゃないわよね?」
まっとうな野盗って……なんだ? という感じで首をかしげるヘリエル達はおいておき、キリキリ吐かせるべく話を急かす。
「まっとうな野党ってのがなんなのかよくわからんが、たしかに俺達は野党じゃねぇ。そう謗られる覚悟はしてたけどな」
「はいはい、そんで?」
「村が襲われて逃げてきたんだ。スプリングファーミアまで助けを呼びに行きたかったが、急だったから食料も何もなく着の身着のままだった、だから食料が必要だったんだ」
「なるほど、他の物品を要求しなかったのはそういうわけね」
「早く移動するのに最低限の食料以外は邪魔になるからな……で、俺達はどこで魔物の餌にされるんだ?」
「は?」
一瞬言葉の意味がわからなかったのだが、三人の様子からその言葉の意図がわかった。
余分な食料がない、つまりこの三人を面倒見ることはできない、そうなれば何処かに捨てていくしか無いということだ。
うーん……。
「そういうつもりは無いなぁ」
「つもりがなくても、食料も水もないのならどうしようもあるまい」
まあ、そうなんだけどもうーん……全部まるっと解決する方策は流石にないなぁ。
食料は私がどうにかできるが……野盗という行為を行ってしまった彼らに食料をぽんと渡して元気でねー、なんて無罪放免するわけにも行かないだろう。
となると連行だが、護衛中だしなぁ……。
「そう言えばヘリエル達的にはどういう処分をするのが適当だとおもう?」
という私の質問に、ヘリエルはあっけらかんと答える。
「殺して埋めとくのが一番手間はないだろ」
これは私がなんか言わないと屠殺コースになりそうだ……。




