幕間-空を泳いで
森のなかに時折大きな鳥の泣き声が響く。
そんなうわさ話が村に広がるのにそう時間はかからなかった。
もとよりエウリュアレは小さな村であること、村人のつながりが強いため、そうした話はすぐさま全体に広がる。
そうして村長とユナさんが神妙な顔で私の家を訪ねに来たわけである。
わたしとしては渋い顔をするしか無い。
そしてそんな私の表情を見て、ユナさんはすぐに悟ったのだろう、盛大に眉をひそめた。
「というわけで村の者が心配しておりまして、少し調べていただけないかと」
「その必要はないよマクネス、原因はこの嬢ちゃんだろうさ」
「いや……うん、なんていうか……申し訳ない」
本当に、申し訳ない。
いや、誰も悪くはないのだ……私だってきっと悪くはない。
ただ……私の持つ最後の契約獣を出しただけで……。
「私の契約獣をね、この間森で呼び出したんだけど……」
その時に喜び勇んだその子が思い切り声を上げた、それだけの話なのである。
「そんなデカい奴がいんのかい……」
「うん、えっと……村長の家よりはデカい子が」
「……危険は無いんだね?」
「ないです」
はぁ、と大きな溜息一つついてマクネス村長を引っ掴むと、そのまま帰っていった。
隣ではアラクネがお茶を片手に私を横目に見ている、その目はどこか恨めしそう、とでも言えばいいだろうか?
なんとなく非難されている気がしてちょっと目をそらしてしまう。
「契約獣って……伝承では一人一体って話だったのになんかもうね」
「そんな制限なかったけどねぇ」
そもそも運営の収入源だったからそんな制約を設ける意味もなかっただろう。
一度に出せるのが一匹のみ、というのがねじれて伝わったんだろうと思いつつ、その制限がなくなったこの世界で同時に出せるようになったことを私は内心で感謝していた。
「クロウとエリアル、と呼ぶ契約獣は見たことがあるけれど、他にもいるのね?」
「永祈と御鏡だね」
「……私、会ってないんだけど?」
「え、いや、御鏡は見てるでしょ?」
というか今貴方の足元でゴロゴロしてるじゃないですか。
そう思って視線を向けるとアラクネは御鏡を撫でて抱っこしてかわいがっている。
御鏡もわかっていてか喋りもしない、そもそも御鏡たちの言葉が私以外に通じているのか確認したこともないんだけどさ。
「で、その永祈と御鏡ってのはどんな子なの?」
キラキラと目を輝かせるアラクネに、このすっかり家畜化した猫のような有様をしたのがカーバンクルだと伝えていいものか、私は暫くの間、黙したままに考えを巡らせるのだった。
アラクネを連れて森の奥まで足を運ぶ。
季節が春というのもあって、大分過ごしやすいことと、芽ぶきの時季を少し過ぎた頃合いで緑に萌える山々と言うのは美しいものだった。
……虫がちょっとうざったいけども。
小高くなったところを迂回し、村の見張り台から見えない開けた場所までついたところで私は倒木に腰を下ろした。
ここまでくれば遠慮無く出しても大丈夫だろう。
「クロウ、エリアル、永祈、でておいでー」
もう召喚に長々しい詠唱をすることもなく三匹を呼び出す、御鏡は元から足元をとっとこついて来ていた。
今は羽根を伸ばしてもらうために元のサイズで呼び出しているが、クロウは全高一・五メテル、全長三メテルほどの巨体だし、エリアルもほぼ同じ。
これぐらいならばもう村で呼び出しても案外馴染んでくれそう……と言うのは私の考えすぎかも知れないが、問題なのは……永祈である。
永祈が呼び出されると周囲が薄暗くなる、太陽に雲がかかったわけではなく、原因は今呼び出した事にある。
両翼を広げればゆうに二十メテルを超えるであろう巨体、体高は五メテルほど、頭部は黒く、首周りは黒に近い深い濃紺色だが、尾へすすむに従い徐々に薄く赤くなりなり綺麗なグラデーションを見せている。
しいて言うなら夜明けの空のようだ。
その背には十数人が乗れるほどの余裕がある。
私が村で召喚しない理由がこれ、永祈はロック鳥なのだ。
戦闘系のステータスは設定されていなかった、当時のフルパーティ十六人が同時騎乗可能というゲーム内最大の騎乗ペット、それが永祈だ。
きょろきょろと周りを見回していたアラクネが上を見上げ、その姿に暫くの間硬直──彼女の名誉のために二本の尻尾がぶわっと膨れ上がったことは見なかったことに──して様子を伺う。
永祈はそんなアラクネを見て、空へ向けて高らかに喜びの声をあげたのだった。
切り分けたスプリントボアの肉を上に放ってやると器用に永祈が攫っていく。
エリアルやクロウにも同じように放ってやるとと、これも同じく器用に空中でキャッチする。
特に食べる必要は無いらしいのだけどね。
たまにほいほいと肉を投げてやりつつ、アラクネと一緒にサンドイッチをかじる。
サンドイッチと言っても薄切りにしたパンに挟んだものではなく、フランスパンみたいなやつを半分に切って具をいろいろと挟んだ、サブマリン・サンドイッチと呼ばれるタイプ。
……ちょっと、食べづらいけど。
「とまあ、こんな子なんだけどね」
「ロック鳥にグリフォンにフェンリル狼にカーバンクル……貴方と一緒にいると本当におとぎ話の中にでも紛れ込んだ気になるわね」
「千年もすればあなたの事だってお伽話になると思うよ?」
「何言ってるの、現実お伽話は違うわよ」
そうかねえ?
おとぎ話の定義なんざしらないけれど、自分が知ることすらできない遠い遠い昔の話というのなら、例え現実の延長だろうが変わらないだろう。
千年どころか五百年だってお伽話みたいなものだと思うけどね、私は。
ちなみに御鏡はすっかりアラクネに懐いたのか、事あるごとにアラクネの膝の上で撫でられている。
御鏡いわく、アラクネは撫でるのが上手だそうだ。
自前の毛皮があるからなんだろうけどもなんとなく悔しい。
いや、私が下手って可能性もあるか。
最後の一欠片を飲み込んでお茶をすする。
優雅なピクニックという感じで、なんとも平和である。
アイゼルネのこととかどうにでもなってこんな日が続けばいいのになー……とおもったけど、よくよく考えたら私そういう世界から来たんだよねぇ。
当時は平和だなあ、なんて思わなくて、当たり前のものだったけど。
こういう風に環境が変わるとあの世界が、というよりあの国がどれだけ恵まれていたのかわかるというものだ。
「どうしたの、なんか難しい顔してるけど」
「ん……いや、なんでもないわ」
詮ないことを考えたと、頭から考え事を掃き出した。
「そういえば、アラクネは契約獣とか持たないの?」
という、私のふと思いついた一言に、アラクネはものすごいジト目を向けてきた。
その心情を読み取るのであれば、持てるならほしいわよ、というところだろうか。
「契約の仕方とか、何も残ってないのよ。……でもそうね、よく考えれば私の前に知ってそうな人がいるわね」
フフフ、という表現が似合いそうな顔をして急に詰め寄ってくるアラクネに思わずちょっと引いた。
契約の仕方といっても、私の場合ガチャで手に入れたアイテムを使うだけだったから、仕方もなにもないんだけどなー、とおもうのだが……流石にそんなことが言えるわけでもない。
設定上のお話はあったはずだが、それが通用するかどうかは不明だし。
しばらくアラクネとの無言の笑顔でのやり取り──ちょっと怖かった──をしながら、契約獣の作り方が判明したら、また大きく世界のバランスが変わりそうだな、なんて考えるのだった。
「そういえばこっちに来てから永祈で飛んだことないのよね」
「……騒ぎになるんじゃないかしら?」
「エウリュアレ周辺ならもう大丈夫でしょ」
どっちかといえば手遅れだしね、というふうに肩をすくめてみせる。
アラクネの手を取り促すと、彼女もそれほど気にしていなかったのか、それとも空を飛ぶ誘惑に抗えなかったのか、さして抵抗することもなかった。
ひょいと永祈の背に乗り込む、ふわふわとした羽がとても触り心地がよく、水平線と山の稜線、晴れ渡る空が一望できた。
「こりゃ特等席だねえ。ほらほら、アラクネもおいで」
「急かさないでよ……っと」
アラクネがとなりで永祈にしっかりしがみついたのを確認して合図をすると、永祈はその大きな翼をはためかせて飛び立つ姿勢になる。
ばさりばさりと翼がはためくたびに風が荒れ狂い草原をたなびかせる、その風はちょっとした暴風のようだ。
やがて少しの浮遊感とともに、永祈の巨体が空へと舞い上がった。
空へ落ちるということがあるとすれば、それはおそらくこんな体験なのではないか。
永祈の飛行はそう思わせるにたるものだった。
急激に上がる高度にも不思議と耳が痛くなることはなく、只々流れていく風とめまぐるしく変わる景色が私達を迎えてくれる。
急激な上昇というものが体の感覚を狂わせたのか、それとも永祈がはしゃいでアクロバティックな飛行をしているのか、それはもう感覚の渦に飲み込まれて判断が付かない。
やがて空高くでそれが収まった頃、飛び込んでくる景色は四方を遮るものなど何一つ無い何処までもはてなく続く空と、水平線に続くように伸びる白い雲、陽の光を反射してキラキラと輝く水平線だった。
遥か眼下に、手に収まるほどの大きさになったエウリュアレ村らしきものを見つけることができる、一体どれぐらいの高度なのだろうか……。
強い風が吹いているのだろうが、永祈はその風の流れに乗るように翼を広げる。
時折翼をはためかせる音以外には何もない、自由な世界がそこには広がっている。
「これは……癖になるなぁ」
自然と口の端がほころぶ。
こんな体験、前の世界では決してすることなどできなかっただろう。
高さというものはこんなに恐怖を感じないものだっただろうかとどこかで考えつつ隣を見ると、アラクネはその景色に呆然としていたようだ。
落ちないように一応腰に手を回して支えておく。
やがて彼女の口からこぼれたのは、ごく平凡な少女のような笑い声だった。
「すごい……こんな広い空、初めてだわ!」
無意識に両手を離してしまったアラクネを慌てて捕まえつつ、永祈に好きに飛ぶように伝える。
くるりと方向を変えた永祈はそのまま、氷樹を旋回するように飛行を始めた。
氷樹の高さを超えていることを考えれば、高度は五ケテルを超えているのだろう。
その割に息苦しくもないのは、そういう世界だからなのかもしれない。
「いいなぁ……飛翔船じゃあ絶対にこんなの味わえないわね」
「ふふん、うちの子だからね」
「いいなぁ……」
アラクネはその景色に心をすっかり奪われてしまったのか、その後夕日に変わる頃までずっと空の果てを眺め続けていた。
こうしてこの日は、私の契約獣である永祈を紹介し、空を泳ぐだけで過ぎ去っていった。




