33.もう一つの夜空
「まずは結論から話しましょうか」
大体予想はついてそうだけどね、と前置きしてからアラクネは口を開いた。
「貴方の魔術──神話級魔術は暴走することも無く完了したわ。アイゼルネ側の術者が放った火は数日間かけてゆっくり鎮火した」
私がこの状況で寝ていられたのだから、つまりそういうことなのだろう。
ある程度予測していたことだが、改めて彼女からの説明を受けてようやく人心地ついたといったところか。
「もっとも、その影響が残らなかったわけではないけどね……」
そう言ってアラクネは窓の外へと視線を向ける。
そこには私が生み出した氷樹が、星々の輝きを受けて煌めいていた。
「アラクネ……私、どれぐらい寝てた?」
「一月ほどになるかしらね」
「そんなに!?」
一応猶予を考えて、効果時間を一週間と設定したはずなのだが、どうやらその辺りは失敗したらしい。
一体どんな設定になってしまったのか分からないが……。
「その様子だとアレは想定外なのね……まあ、問題無いわよ、たぶん。今のところ何か困ったことが起きてるわけじゃないし」
「だと良いなぁ……はは……」
「とりあえず話を続けるわね、アレを私たちは氷樹と呼称しているわ」
わかりやすい命名だなぁ、好きなように呼べばいいと思うけど。
「アイゼルネの兵士たち……倒敗兵とか言ったかしら、アレが撒き散らした炎は氷樹が散らす木の葉……木の葉って呼んでいいのか少々疑問ではあるけど、それによって相殺されるように鎮火したわ」
その辺りの術の設定はちゃんと機能したということなのだろう。
一安心、といったところだろうか。
「不思議な事に、周辺の魔物だとか、植生に対して影響はなし。あと焚き火とかは対象になってないようね」
「魔物も対象外か……その辺りはよくわからないなぁ」
可能性があるとすれば、魔物は悪意ではなく本能で人を襲うから、とかだろうか?
「氷樹の本体の成長は止まっているわ」
「そう……本体?」
その言い方はなんかありますね?
「普通の木と同じぐらいの大きさの氷樹が……この村の半径五ケテルぐらいでかなりの量生えてるそうよ」
「……」
「心当たりは、無いみたいね?」
「ない、ね。そんなふうに刻印を組み合わせたつもりはないよ」
私の答えにアラクネは小さく溜息をつく。
私が起きれば何かわかると思っていたのだろう。
少々期待を裏切ってしまったようだ。
少しだけそのことについて思考を巡らせていたアラクネは、すぐにそれを切り替えたのか続きの話へと話題を変えた。
「あとは、エウリュアレのことについて話しましょうか」
「それは気になってたから助かるわ、けどちょっと待って」
「うん?」
私の寝床にかけてあった毛布を一枚剥がし、傍らですっかり寝落ちてしまっていたノフィカにかけてやる。
私で少し肌寒いのだから、このまま寝ていては風邪を引いてしまうだろう。
大したことのない動作だっただろうに、少し息が上がる。
思いの外、体の消耗が激しいのは、一月寝ていた所為だけなのだろうか……?
一応自分の状態を確認しておいたほうがいいかな、と考えて自分のステータスを呼び出してみれば、体内マナがほぼ枯渇状態だった。
ゆっくりと回復はしているようだが、全快にはまだまだ時間が掛かるだろうが、特に問題はなさそうだと思考を戻す。
「どっちが気遣われる側なのかしらね」
「そりゃあもちろん」
ノフィカでしょう? と首をかしげてやると、アラクネは改めて呆れたようにため息を吐いて見せた。
「つい先日、ひと月前から駐屯していた騎士団の小隊が首都へ引き返したわ。本当は貴方が目をさますのを待っていたのだけれど、流石に滞在できる期間も限界だったようね」
「ああ、小隊が一つ滞在となればそれなりにいろいろかかるもんね」
軍を置けると言うのは、そこにその軍を支えるだけの収入があるということにほかならない。
エウリュアレで支えるのは相当の負担になるだろう。
食料を首都から運ぶのであればコストは更にかさむはずだ。
「騎士団長のユリエルが、貴方のことを随分気にしていたわ」
「私?」
「彼は騎士団長だから、ウィルヘルム王国の上層部……国王に事の顛末を報告する義務がある」
「ああー、そうか……そうだよね」
「事態をよく理解していないようね?」
いや、なんとなくその一言でわかった気がする。
つまるところ、私がしたことも報告しなければいけないわけだ。
氷樹を作っちゃった事とか、アイゼルネの隊長格をやっちゃったこととか。
アラクネは、死んでいなければおかしいとまで言った。
そんな私が生きているとなれば、国としては接触を考えるだろう。
「まぁ、仕方ないか」
「あら、意外とあっさりしてるのね?」
「んー、覚悟はしてたつもりだからね。少なくとも何もしなかった場合の結果に比べれば、今というのは奇跡みたいなものだろうし」
「……そうね、それは確かにそのとおりだわ」
小さく肯定するアラクネをよそに、改めて件の氷樹を見上げてみる。
星々の光を受けて輝くもう一つの夜空がそこには広がっていた。
こうして見ている限りは綺麗なものなんだけどなぁ。
「そうそう、貴方が使ったあの氷の魔法? 伝承系最秘奥とかいってたあれ、とんでもないわね」
「ん? ああ、七支八閃とかのこと?」
「見える範囲一面を凍りつかせたアレよ」
「うん……なんか、まずいことあった?」
恐る恐る聞いてみると、アラクネが少しだけ困った顔をして視線をそらす。
なんだろう、聞くのが怖いような……。
「貴方のアレにそって……海が中ほどまで凍りついて橋ができてる」
そこまで届くとは思わなかった。
今度は私がアラクネから目をそらす番である。
「ま、まあ……そのうち溶けるでしょ……たぶん」
「そうあってほしいわよ」
「方向気にしておいてよかったわ。村を巻き込んでたら大事だった……」
「その点は英断だったわね、おかげでとんでもない物を見せられた気がするけど」
氷樹という前例があるからか、一抹の不安が残るのだが、それ以上の不安を笑顔のアラクネが煽ってくるのはなぜでしょうか?
「そ、そういえば……ゼフィアとか、カレンさんとか、ガヴィルさんとか、他の皆は無事なの?」
「カレンさんは母子共に無事よ、少々貧血気味だけどね。ガヴィルさんがあれこれと面倒見てる。貴方は治癒術師としても有能なのね、私なら助けられていたかどうか……」
「いやぁ、多少そういう知識があっただけだよ」
万物の叡智もあったしねぇ。
「ゼフィアは……結構重度の貧血だった所為でしばらくは療養してたわ。今はまた剣を守護剣士としての業務にもどってるけど、今回の一件が相当堪えたのか、倒れるまで修行を続けることが多くてちょっと心配されてるみたいね」
なるほど、手も足も出なかったことを悔やんでいるんだろうが、あれはそもそも基準にして考えてはいけない相手だろう。
カレンさんだってまともにやりあえ無かったのに……いや、それも若さなのかな。
「とりあえず落ち着いたら私が様子を見に行くことにするわ」
「それがいいと思うわ、彼女も気に病んでいたしね」
そう言って傍らで寝息を立てているノフィカを示され、これはちょっと優先度を高めにしておかないとだめだなぁと思うのだった。
「ところで貴方、あの時確かに……エルグラハムの大剣で断ち切られたわよね?」
突然切りだされたエルグラハムとの戦いの事を思い出し、思わずお腹あたりをさする。
後が残っているわけではないが、改めて言われると断ち切られた時の感触を思い出して背筋が寒くなるのを感じた。
「そう、見えただけでしょう?」
「そう? まあ、話せない事なんでしょうね……」
そう言って少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべたアラクネに、何故か──ひどく不快感、というよりはもどかしさだろうか──を感じた。
胸が少し苦しい気がする。
そう、気持ちが理解するよりも前に口が動いていた。
「話してもいいけど、信じられる?」
アラクネは驚いて狐にでもつままれたかのような表情をし、いつも寝ている耳までもがぴんと立っている。
言ってしまった手前もう引っ込められないのだが、なぜ私はそんなことを口にしてしまったのだろうか……。
「信じるわ、実際に目の当たりにしたから……いえ、貴方が話すなら、信じる」
──貴方が話すなら。
その一言に、自然と顔がほころぶのを感じた。
我ながら単純だ。
「あれは……スキルの一つでね、直前の攻撃をキャンセルして相手の背後をとる、って言ってわかる?」
「きゃんせるってなに?」
「あー……うーん、無効化?」
「それはつまり無敵ってこと? いくらなんでも非常識よ?」
そうだよねぇ、攻撃を無効化とかチートもいいところだよねぇ。
「いや、リキャストはあるんだけど」
「りきゃすと?」
「んっと、再度使えるようになるまでの時間」
「……?」
「続けては使えないのよ……ええと、おお」
リキャスト時間とか今見たけど結構変わってるなぁ。
もともとは五分だったはずなのに、今三時間ってなってる。
これは今後はちゃんと考えて使わないといけないなぁ。
「私のあれは一度使うと三時間は使えないわ」
「奇妙な制限ね。いえ、それを考えても余りある効果何でしょうけど、神話の時代のスキルというのは、興味深いわね」
ゲームの理不尽て、こういうことなんだねぇ。
「貴方が言ってた、規約外ってことと、関係があるのかしら」
「……そうだね。私は、少しだけ、この世界の規約の外側に居るんだ。それがどういうことなのか、上手く説明はできないんだけど」
「なんとなく、わかるわ」
そう答えるアラクネに、私は口を噤む。
彼女がどのような答えに至ったのか、気になった。
「きっと、規約外の力っていうのは私たちに対してひどく理不尽なものなんでしょう?」
その答えは、私の推測と一致する的確なもので、それだけでも彼女の聡明さがわかる。
「貴方がちょっとちぐはぐに見えたのも、なんとなくわかった。貴方は、自分の規約外の力をあんまり使いたくないのね」
「……たぶんね」
少しだけ感じる寂しさ、それは私がこの世界の人と、どうあがいても隔絶した位置にいるだろうと否応なく感じさせられた距離感ゆえだろうか。
言ってしまえば存在事態が理不尽の塊だろう私からすれば、何もかもが遠く感じる。
私がなんとなく自分の力を、スキルを使いたがらなかった理由は、もしかしたらそこにあるのかもしれない……。
この世界の人たちとの距離、それがもたらすどうしようもない孤独感から逃げたかったのか、と。
「うん……やっぱり、いろいろ理由はできたけど……リーシア、私は貴女に仲間になってほしいと、そう思う」
「そっか……」
そう、結論づけたのか。
「考えておくわ」
ほんの短い猶予期間が欲しくて、自分のことも一度見なおさなければならないと判断しての返答。
そんな私の返事に、アラクネは小さく頷いて返す。
急かしはしないと、そう言っているようだった。
「ん、ぅ……」
「あら、起こしちゃったかしら?」
気づけば寝ていたノフィカが眠たそうにしながらも顔をあげていた。
まだ理解が追いついていないのかぼんやりしているが、次第にその表情が驚きのものへと変わる。
彼女の見開かれた薄い銀色の瞳は、すぐに涙と一緒に閉じられてしまった。
「リーシア、様……目が覚めたんですね、よかった」
「なんで疑問形……あ」
そうか、私は彼女の前でゲーム時代の、この世界にとっては神話の時代の名前、スノウ・フロステシアを名乗ってしまった。
そのせいでどっちで呼べばいいのか、決めきれなくて混乱しているのだろう。
私はそんな彼女の頭を、あまり力の入らない手でそっと撫でてあげる。
あの状況だからああ名乗ったけれど……私は──。
──私は、もうあちらの名を名乗る気は無い。
未練がないといえば嘘になる、無くしたくないつながりがあるのは確かだ。
けれどそれは一度目の死という形によってどうしようもなく奪われた。
マギカと出会い、自分の役割などを知り、なくしたものがもう二度と手に入らないと知ったときから、振り切るきっかけをどこかで探していたのだろう。
それはとっくに見つけていた、足りなかったの私の覚悟だけ。
「心配かけたわね。もう大丈夫よ、あと……私のことはリーシアでいいわ」
「はい、リーシア様……よかっ、た」
あらら、また寝ちゃった……緊張の糸が切れたかな、一月の間ずっと私のことを見てたって言うならしかたがないけど。
先ほどの不安げな表情とは打って変わって、今の彼女の寝顔はとても穏やかだ。
写真に撮れないのが残念だね。
それにしても、昔は本名よりもスノウ呼びされる方が落ち着いてたっていうのに、今はすっかりリーシアって呼ばれることに慣れちゃったな。
そしてそれを心地良く感じている自分がいるのも確かだ。
私にとってはもう"スノウ・フロステシア"は過去の事なのだ。
今の私はリーシア・ルナスティア、それでいい。
眠るノフィカの頭を撫でながら、私はそう結論づけた。
そんな私を見てアラクネは小さく微笑む。
そういえば、私は一月も寝ていたというのになぜアラクネはまだ居るのだろうか、所属からしてそんな暇でもなさそうだけど。
「そういえば、アラクネは一月もたったのにまだこんなところに居ていいの?」
ふと思い立った疑問を特に何も考えず彼女に投げてみる。
ミスティルテインという組織がどの程度の規模でどのように活動しているのか、私は全く知らない。
だからといって、一月も落ち着いていられるほど暇な組織でもないと思うのだが。
「仲間は承諾済みよ。私としても、貴女のことは気になっていたから……いい話も、できたしね」
「ふむ」
「まあ、そろそろ一旦仲間との顔合わせは必要かな。数日したら出発するつもりよ、また訪ねてくるけどね」
「それじゃあ、返事はその時に、でいいのかな?」
「ええ……いい返事を期待しているわ」
話を終えた後、アラクネが小さく付け加えた。
──貴方のことを心配してたのは、彼女だけじゃないのよ?




