30.譲れない正義の宣誓
倒れたカレンさんへのとどめとばかりに振り上げられた大剣は、すんでのところで戦斧によって受け止められた。
二つの刃がぶつかり合い激しい火花が散る。
刃が欠けたのは戦斧のほうだった。
「チッ……良い剣つかってんじゃねぇ、かっ!」
強引に力だけで振りぬかれた戦斧に大剣の男が距離を取る。
「馬鹿野郎、なんで先走りやがった!」
「……ご、ごめ……、っく……」
「リーシアの嬢ちゃん、ここは俺が時間を稼ぐ! ……カレンを頼む」
そう言われてようやく思考が戻ってきた。
呆けている場合ではない、私はカレンさんに駆け寄って治癒の刻印術を施す。
応急処置で出血を抑えるが、この状態ではもっとちゃんとした処置をしないとまずいだろう。
……この人は、身重だというのになんて無茶をするのか。
そっと傷が開かないように抱え上げる。
「……無茶しないでよ」
「カレンほどじゃねぇさ」
戦斧を構え、大剣の男を睨みつけたままのガヴィルさんにそう声をかけて、カレンさんを運ぶ。
すでにノフィカとゼフィアは治療が済んでいたが、ふたりともすでに戦えるような状態ではないだろう。
カレンさんを見たアラクネの表情から察するに、治療が難しいだろうことは一目瞭然だった。
「カレンさんは私が治療するわ、アラクネは二人をお願い。流れ弾が来ないとも限らないから」
この世界の医学がどれ位進んでいるのかは分からない。
私が学校で学んだ程度の知識でどこまでやれるかもわからない。
それでも、人の状態を見ることができ、刻印魔術の卑怯なまでの組み合わせ幅があればきっと私の治療が最善だろう。
まずは状態を把握する、そのために私は万物の叡智を起動した。
「リーシア!」
アラクネに呼ばれて後ろを振り向けば、時間稼ぎも限界だったようだ。
あとは傷を塞ぐだけだからとアラクネに後の治療を託し、スペル・キャストとソードダンサーを鞘から抜く。
治療の間、なんとなく浮かんだ疑問は自然と私の中で結実しつつあった。
それは確信へと変わり私の行動を後押しする。
数十メートルの距離の先で、砕けた戦斧の柄を頼りに立ち上がろうとするガヴィルさんを、真上から断ち切らんと振り下ろされる大剣。
もう、いろいろと限界だ。
「"能力値増強式"-敏捷度」
急激に増幅された私の敏捷度は、彼我の距離を一瞬で詰めるに十分なものだった。
そのまま振り下ろされる大剣の間に割って入り、スキルを発動する。
"剣戟反射"。
本来なら相手の剣戟を弾くはずのそれは、拮抗する形でせめぎあい、やがて止まった。
振り下ろされた大剣が中途半端な位置で、私が逆手に持ったスペル・キャストに止められている様は、はたから見れば異常と言ってもいいだろう。
確かに、止まったことが異常だ。
本来なら、大剣が不自然に弾かれているだろうに。
「やっぱり、そうなのね……」
「なぜ、俺の大剣を片腕で止められる!?」
男の叫びを前に、私はガヴィルさんに再生の刻印魔術をかけて下がるように促す。
その態度がよほど男の神経に触ったのか、大剣の切っ先をこちらへと向けて更に声を荒げた。
「答えろ女!」
「簡単な話よ……あなたも、わたしも、規約外ってことでしょう、上手く機能していない」
「規約、だと……?」
そう、規約なのだ。
この世界の規約、刻印魔術やそれに付属するもの、スキル。
ノフィカやゼフィア、カレンさんにガヴィルさん、そしてアラクネが持つようなスキルは、この世界の本来の規約の中にある。
そしてその外側にあるものが、私のスキルや魔法。
たとえば"剣戟反射"なら、相手の攻撃を弾き返すという事象が、この世界の規約より優越して処理される。
そんな卑怯のようなもの。
それがきちんと処理されないということはつまり……こいつも私と同じ、規約の外側に居るということだ。
あの異常な防御力もおそらくその一つ。
(マギカに報告することができたわね……)
『お嬢様』
『姫』
「そうね、規約の外側にいるというのなら、私が遠慮する必要は一切ないわね……クロウ……エリアル……来なさい!」
『仰せのままに!』
『御意!』
叫ぶと同時に私から立ち上った光はすぐさま収束し二つの影を形作る。
それらがクロウとエリアルになるまでに時間はかからなかった。
「クロウは隊の前方を、エリアルは後方を援護。構う必要はないわ……なぎ倒しなさい!」
本来の巨大な姿を取り戻したクロウとエリアルは私の指示を果たすためそれぞれ走りだす。
すぐに森のなかへ消えていった二匹の背を見送りながら、改めて大剣の男へと剣を向ける。
「良いのか、放ってしまって。一緒にかかってくればよかったと後悔するぞ」
「いいえ、もう十分よ……そろそろおしまいにしましょう。それにしても私の刻印魔術でも傷一つ無いとは、大した鎧ね」
「当然だ、蛮族の弓や剣、魔術など物の数ではない。なにせこの鎧は我らが神の手による伝承の再現なのだからな」
「伝承の再現?」
「そうだな、お前ぐらいの手合ならば名乗ってやってもよかろう」
別にいらないけど。
「我が名は、エルグラハム・ディスカーン! 誇り高きユングフラウ神より聖別を賜りし征伐部隊の長よ!」
「……一応、忘れるまでは覚えておきましょうか」
「前回の粛清から十二年、此度も良き粛清ができそうだ」
「十二年前?」
気になることを口にしたけれど、目下思考は別のことへ使われている。
一つ確信があるとはいえ、こいつを倒すに至る筋道がまるで思い浮かばない。
私のスキルであれば対抗できるのかもしれないが、それも不完全である以上決め手にはなるまい。
先程も試したとおり鎧の防御は貫けていない、他のアプローチが必要だ。
「──十二年前のアイゼルネの部隊は全滅してるって聞いてるけど……あなたもしかしてその生き残りか、逃げ延びた一人なのかしら?」
見た感じの言動から、エルグラハムが言われると反応しそうな言葉を選ぶ。
こういう輩は挑発混じりにしたほうが口を滑らすのではないかと思ったからだが、さてどうなるか。
「逃げた? ふっはははははははははは! 貴様らごときに逃げることなど天地がひっくり返ってもありえん! 我らの命は貴様らのものとは異なるのだ!」
うまく情報喋るように誘導できた、かな?
「我らは異教徒六百六十六の命を捧げれば新たな生を得る、それが我らが神、ユングフラフ様のお力よ! 故に我は新たな生を! 肉体を! 力を! 授かったのだ!」
「……残機?」
ふざけてるのか?
まるでゲームの残機みたいじゃないかそれ。
規約外にしても度が過ぎる。
とはいえ、エルグラハムに冗談を言っているような様子は見えない、どちらかと言うと狂気じみた信仰が噴き出しているような感じだ。
少し私が考えを巡らせていると、エルグラハムは何かに気づいたかのようにノフィカへと視線を向けた。
「そういえばそこの娘と似た髪色の女も斬って捨てた記憶があるなぁ、年頃からして母親だったか? はっはっははははははははは!」
ノフィカに視線を向ける。
安い挑発なのだろうが……それは予想外の効果を発揮することとなった。
アラクネのおかげで傷はすでにふさがっているようだが、血の跡だけが生々しく傷跡が大きかった事を物語っている。
彼女は何かに気づいたかのように、その表情を蒼白なものへと変じさせていた。
その表情は信じられないものを見た時のそれだ。
「嘘です……あのとき、あなたはバリスタで貫かれて……」
「バリスタぁ? そういえば以前死んだ時はそんなだったか、我らには些細なことだ。この鎧もその時の報奨で手に入れたもの、屹立する城塞とやらの伝説を模倣した絶対鎧よ!」
一瞬頭が痛くなる名前が出てきて私は顔をしかめた。
屹立する城塞。
私が二つ名をつけたアーネンエルベの仲間で、非実用的なまでに防御力を高めた所為で攻撃能力がほとんどなくなったヤツのことだ。
こいつは攻撃能力も十分高いみたいだけど……それを模した鎧ってことは。
「そんなの……嘘です」
「嘘なものか! 先ほどの魔術ですら傷一つつかぬ代物──「嘘です! 」」
ノフィカの叫びはどこか悲痛なもので、思わず周囲に居た誰もが静止した。
エルグラハムでさえも、だ。
ゼフィアはアラクネのおかげでなんとか意識が戻ったのか、彼女の前に立ちはだかりふらふらとしながらもなんとか剣を構えている。
この場で一番状況を理解できていないのはおそらくアラクネだろう。
目の前に居る男がかつて母親を殺し死んだはずの存在であり、そんな相手がノフィカに取って一番大好きな、大事とも言い換えていい物語の英雄が身につけていた鎧を、レプリカと言えど身にまとっている。
幼なじみであるゼフィアは一刀のもとに切り捨てられて血塗れで、カレンさんは瀕死の重傷。
そんな納得しがたいことがいくつも重なったのだ。
いくらなんでも、心の限界を超えていておかしくない。
「──単輪の円卓が、あなた達の手に落ちるなんて、信じない」
震えてうつむくノフィカを、つまらないものを見るような目で睨みつけるエルグラハム、その前に私は立ちはだかった。
スペル・キャストに込める魔法は私が最も愛用した"氷結槍"。
「よく言ってくれたわ、ノフィカ」
泣きながら俯いていた彼女が顔を上げるのが、振り返らなくてもわかった。
私の言葉の続きを待っているのだろう、杖にすがって、それでも私の背中を見ているのだろう。
この場で、彼女の叫びに答えられるのは私しか居ない。
「単輪の円卓が奴らに下るなんてありえない、そんなの私が許さない」
「貴様も下らぬ、事実を認められぬ女だっ──「五月蝿いのよ有象無象が!」」
彼女の憧れる、ノフィカの大事な物語の英雄たちはどんなだった?
私は知っている、何度も夜に聞かされた、彼女の愛する冒険譚を。
理不尽に立ち向かい不敗。
不幸を覆し大団円。
終わりなき冒険譚はいつも希望を持って綴じられる。
きっとそこにあるのは圧倒的な理不尽なのだ。
平凡な明日しか来ない町娘に、仕事に追われる村人に、あるいは生活のままならない冒険者にとっての理不尽。
けれど理不尽は、多くの人にとっての夢だった。
憧れだった。
ならばそう在ろう。
「さっきから聞いてりゃ、たかだかレプリカ程度で私の仲間を愚弄するなんざ、ふざけんじゃ無いわよ!」
お前は見たことがあるのか?
ゲーム中最大攻撃力を誇る魔物の、最強の一撃を受けてなお平然と立ち尽くす、防御馬鹿の姿を。
知らないだろう、ただ似つかせてなぞるだけのお前に、私の仲間が追い求めてきた日々なんてわかるわけがない。
今まで、今日まで、できていなかった覚悟。
今に語り継がれる神話の名前、私の昔の名前を名乗ること。
その覚悟を今ここで決めようではないか。
今、私の前で泣いている彼女のために。
彼女の望む姿はどんなものだ?
魔物を相手に傲岸不遜、天を貫き大地を穿ち、海を断ち切る神代の者。
その伝承は語り継がれて、今やお伽話だとしても。
それを名乗ることが今後私にどんな影響を与えるとしても、今この場で彼女を泣かせるより、千倍マシだ!
「単輪の円卓、アーネンエルベが第三位」
なんで三位の位置なのかって、三番目に円卓に所属したから、それだけだ。
深い意味なんて無い。
私の称号だって自分で適当につけた、メンバーのもつけて回った。
そのほうが楽しかったから。
ただの内輪のお遊びのはずだった。
そんなもので彼女の涙を止められるなら、この舞台で踊ろうじゃないか。
「魔剣の賢者スノウ・フロステシアとは私のことだ!」
自由にならない、ままならない現実世界の軛を解き放って、自由になれる世界なら、自分のなりたい姿を演じれるじゃないか。
それを本当にする機会が、私の目の前にある。
それを本当にする力が、私にはある。
逃げる理由は、どこにもない!
「さぁ来なさい、有象無象の木っ端共」
どこまでも高圧的に、敵に対して冷徹に言い放つ。
傍若無人に、傲岸不遜に、傲慢無礼な有り様で。
剣先をエルグラハムへと向ける。
彼は憮然とした表情で、けれど大剣を無言で構えていた。
もう引き下がる余地はない。
引き下がれぬというのなら、吠えて猛って進むのみ!
「作り物なんかじゃありえない、神話というものを見せてあげるわ!」
聖別ってのはモノにするもので、人にするのは洗礼らしい。
だから間違いではないのです、彼は神の所有物なのですから。




