25.ドアの下の手紙
軽く仮眠を取るか、それともアイテムで凌ぐかを考えて寝ることに気持ちが傾いていた私は、けれども布団に潜り込むことはできなかった。
ドアの下に差し込まれた折りたたまれた紙に気がついたからだ。
用途は深く考えるまでも言伝用だろう、その紙を取り上げて開いてみる。
中は私がまだ覚えていない、この世界の文字が簡素に綴られていた。
統一言語のおかげで問題なく読むことはできるから良いんだけど、なんか読んでる気がしなくて物足りない。
リーシア様へ
夜遅くで起こしてしまうと思われたので手紙で書き残しておきます。
状況が変わりました、私はユリエルさん達と共にエウリュアレへ戻ります。
私の護衛はもう大丈夫です、あとはリーシア様のお好きになさってください。
えらく短く、それでいて何が起こったのかはさっぱりな手紙だった。
それともこれはあえて意図的に伏せているということだろうか。
よく見ればその手紙は文字が歪み、何度も筆が止まったようなところがいくつも見て取れる。
単純に考えてこの内容にまとめるのが精一杯だったのだろう、ノフィカにとって、あるいはエウリュアレにとってよくないことが起きたと予想するぐらいのことは出来た。
「とりあえず朝食かなー」
『追わないのですか?』
「置いてけぼりにされちゃったし、ね」
クロウの鼻と足を頼りに追いかけることぐらい余裕でできるだろう。
けれど私はそこまでするべきなのかちょっと悩んだ。
話もせず頼られもせず置いて行かれたことに対してちょっと落ち込んでいたのかもしれない。
そんな私は目先の空腹に意識を逸らされることをあえて選んだのだ。
いつもどおりの美味しいはずの朝食は、どうしてかひどく味気なく感じたと思えなかった。
朝食を食べ終え昼前まで軽く仮眠をとっていた、リリエラさんに起こされたのは昼の少し前というところだった。
すっかり元気になっていた彼女の表情に少しばかりの不安が混じっているのがわかる。
立ち話で済むほど早く終る内容ではないと察して私は彼女を招き入れた。
「ノフィカから仔細を聞いているのか、ちょっと気になってね」
そう告げる彼女の様子は、話していないだろうことを察していて、そんな私に事情を伝えることをして良いのか迷っているようだった。
それはきっとノフィカの決断を違える事だから。
私は軽く首を横に振り、ユリエルさんとエウリュアレへ戻るということだけを聞かされたと答える。
その答えに彼女は納得し、呆れたようにため息を付いた。
「やっぱりねぇ」
「何があったのか知っているんですね?」
「ああ、ユリエルからの話も全部聞いてる。その話を聞いた上で、エウリュアレに戻ると言い張るあの子を、私は止められなかった……」
何かあったのはエウリュアレの方、ということなのだろう。
未だ話すのを迷う彼女を促すでもなく、話すのを止めるでもなく、彼女が決めるまで私はベッドに腰掛けて待つことにした。
五分か十分か、あるいは一分も経っていないのかもしれないが、彼女はゆっくりと口を開く。
「あんたも、エウリュアレに関わった人間だから知る権利があるだろう」
それはおそらく彼女の言い訳だったのだろう。
そうでもしなければ口に出せないのだ。
「聞いた上で、どうするかは私が口を挟むことじゃないけど……」
「何をいいたいのか予想はつくわね」
「……そう、だろうね」
気まずそうに逸らされた目は、少しして私へと戻ってくる。
「エウリュアレから早馬が来たんだ、漆黒の布に鈍色の円があしらわれた旗を掲げる船がエウリュアレにほど近い海岸に上陸したらしい」
「……アイゼルネ?」
「ああ、忘れもしないよ。その旗を今でも私は鮮明に思い出せる、炎に焼かれて赤く染まった空にはためく不吉な旗だ、十二年前と同じことが起きようとしているんだろうさ。エウリュアレの人たちは足止めのために罠を張ったりして警戒してるらしい、今朝方には騎士団が足の早い部隊を率いて出発した、ノフィカはそれに同行してる」
なるほど、大きな戦いが起きるというのならけが人も多く出るだろう、そんなエウリュアレのことをノフィカは放ってはおけないだろうね。
「ノフィカが何も書き残さなかったのはそれが原因か」
知ったら私が首を突っ込むと思ってか、それとも私の行動を変に制限したくなかったか。
国同士の戦争となると流石に無理があると思ったか。
いずれにせよ、彼女はそういう判断を下したのだろう。
私としては正直この段階でアイゼルネと事を構えることに、利点は何ら無いんだよね。
現状の知られていないと思われる状態のままなら潜入という手もあるんだし。
うん、君子危うきに近寄らず。
「何が起きたのかは大体分かりましたが、それで?」
「それでって……! いや、そうだね。あんたが受けてた依頼は道中のノフィカの護衛で、ノフィカがそれを切り上げた以上、契約外の話だもんね」
「まあ、そういうことですね。私としてはリリエラさんが話してくれなければ事情もわからないままでしたから、その点は感謝していますが」
その点は本当に感謝している。
なんにもわからないままだったらきっと私はこの後どうするか考えて、何が起こったのかも知らないままに他の国に旅立っていたかもしれないのだから。
「そうかい……いや、そうだね、あんたはあの子の頼みだから動いただけなんだよね」
「この前の薬のことを言っているのなら、私は別にノフィカから頼まれてはいませんよ」
「……え?」
「私は用事を思いついたので少し出かけてきます」
「は、はあ?」
困惑するリリエラさんを置いて、私はさっさと街へと繰り出した。
街の様子はここ数日の賑やかさとは打って変わって不安が混ざったようにざわついている。
早朝に騎士団が隊をまとめて出て行ったのが一番の原因らしく、そこかしこでのうわさ話で戦争がどうだとかアイゼルネがどうだとか囁かれている。
(エリアル、エウリュアレまで本気で翔ぶとしたらどれ位かかる?)
『そうですな、半日もあれば十分かと』
(半日か……騎士団がエウリュアレにつくのに何日ぐらいと予想する?)
『報せから出立までかなり早いこと、事の次第が急を要するものですから行軍に慣れた部隊をつかっているとしても、人の足であれば早くて三日といったところでしょう。ノフィカ殿の馬より早いのは間違いないかと』
猶予は二日、少なくともその間にどうするか自分の答えを出さなければいけない。
エウリュアレの人々の問題であるとして他所へ旅立つにせよ、無謀にも軍を相手取るにせよ、だ。
軍を相手取るとか今の私ができるようなことではない気がするけど……。
さて、今私が確認するべきことはなんだろう。
そんなことを考えて私は足をギルドへと向けた。
ギルドの中はこちらも大騒ぎで依頼掲示板の前に特に人がごった返している。
前を見ようと争っていると言うよりは一つの大きく貼りだされた依頼を前に、パーティのリーダー達がそれぞれ眉を寄せて内容を何度も読み返しているといったところだろうか。
中にはこの前見たユーテリアのリーダーの姿もある。
彼らを横目に私は端のカウンター、クラリスの居るところへと足を運ぶ。
狸なことが知られているのか普通の要件では近づく人が居ないのだろう、そこのカウンターだけはぽっかり空いている。
「やや、これはリーシアさんー、本日はどのようなご用件ですかー?」
「あのごった返してる依頼、どんな案件なの?」
「大体予想はついているのでは?」
突然ふわふわとした雰囲気消すのやめてほしい。
声のトーンも急に下がるから人格が変わっているんじゃないかと疑うレベルなんだけどこの子。
「その反応、ギルドの方にも依頼として出てるってことね」
「それはもう、重要案件ですから。前線での戦闘、後方支援、最悪の場合の首都住人の護衛や撤退援助、いろいろですが事が起こってから人員が居ませんでは話になりませんからね、確保は再優先です」
しっかりしている、てっきり騎士団あたりが幅を利かせるかと思ったらそうでもないのだねぇ、トップがあの柔軟そうなユリエルさんだからかもしれないけど、そのへんの事情はよくわからん。
「リーシアさんもー、お受けになりますかー?」
「私は状況を見に来ただけよ。もう帰るわ」
「そうですかー、ではそういうことにしておきますー」
またご贔屓にー、と作り物の笑いを浮かべてクラリスは私を見送ってくれた。
ギルドがどういう動きをするのかはわかったのでこっちはいいとしよう。
次にどこに足を運ぶか考えてみたものの、騎士団には足を運んだところで私では無駄足になる事は想像に難くない。
となると私にまだ足りていないものを少しでも補うべく、私は王立大図書館へと足を運び一日を過ごした。
刻印魔術はやや漠然とした要素を含んでいる。
それが刻印魔術そのものの性質なのか、解明されていない何らかの影響によるものなのかは不明だ。
刻印は種類によってある程度の方向性を与えることはできるものの、マナ収束力とそれに対しての威力はそのままイコールとはならない。
マナを収束する力──魔力が馬鹿げて強かろうと、魔術を使う時の状態次第では大した威力が出ないこともある、特に精神を揺さぶられた時にそれは顕著になる。
逆に高ぶると強い方向に振れたりもする。
アーレイスさんの所で見せてもらった本にはそういったことが書いてあったわけだが、何をすれば高い威力が出るようになるのかがよくわからない。
勝手な印象を言うならば、魔法の効果や影響を明確にイメージできるほど効果が顕著になる印象である。
とまあ、そんなことを思い出しながら町外れであのあと更に買い足した──買い占めない程度にだが──刻印符と刻印針に魔術を込めている。
流石に失敗してうっかり宿に被害を出すわけにはいかないからね。
すでに二日目の午後であり、行動をするのならば今夜が時刻的にはタイムリミットとなるだろう時間に、未だ私はのんびりとアイテム作成なんぞをしているわけである。
数十枚の符を束ねて左の二の腕に作られているポケットへと詰め込んでいく。
入り口がゴムで作られており激しく動いても中に入れた符が溢れるようなこともなく、取り出すときには一枚ずつ簡単に取り出せるようになっているのは良く出来た作りだ。
その横に刻印針を仕込むことができるスリットがある。
数はそう多くなく、八本程度だがこちらに仕込んであるのは刻印魔術ではなく魔法だから数が少ないのは仕方ないだろう。
ちょっと、高かった。
そちらが終わったらゲーム時代に集めていた"土蜘蛛の糸"の残量を確認していく。
これは読解者のスキル、"物品開放"によって使用できるアイテムの一つでかなり有用だったために高値で取引されていたものだ。
幸いなことに倉庫の中身までまるごと私のインベントリに突っ込まれているため在庫の数は豊富なのだが、補充ができないのが少々辛い、消耗品である以上いつか在庫切れになるだろう。
何か代用できるものを探すことは今後の課題だ、今ではないが。
"物品開放"タブの方には重量の制限が適用されているため、とりあえず"土蜘蛛の糸"を80個ほどこちらへ入れておく。
他に何を設定するかはしばらく在庫の量と効果を考えて、"割れた懐中時計"、"槍の穂先"、"麻痺蛾の鱗粉"、"漢方薬"、"研究記録"、"古びた巻物"、をチョイスしておく。
割れた懐中時計などは特に高価なアイテムだったため在庫が少ないのだが、危険を考えると背に腹は変えられない。
「こんな風にアイテムひっくり返すの何時ぶりかしらねぇ」
『あの不届き者と対人戦をしたとき以来ではないでしょうか、姫が本気で怒ったのはあの時が最初で最後だったように思いますが』
私が唯一怒ったこと、私の仲間を侮辱した相手との対人戦のことを思い出し、少し懐かしい気分になる。
そういう所、普通に話して通じちゃうからなんとなく細部が違うことを忘れちゃうんだよねぇ。
『お嬢様はどうなさるかすでにお決めになられているのでしょう?』
「そう見える?」
『でなければここまで準備を整えようとしないかと』
「何言ってるの、私がそういう準備好きなのは昔からでしょう?」
『姫はどちらかと言うと、準備なしに突然行動してどうなろうと笑っているイメージでしたが?』
あー、ゲーム時代の私ってそう見えるのか。
実際その日に思い立って狩場を選んで大した準備もなしに突っ込んでデスペナ食らったりしながら盛り上がってた事はあるから否定できないな。
つまるところどっちも私なのだ。
『今の準備はあの対人戦の時を思い出します』
『あの時の姉様は目が据わっててちょっと怖かったの』
皆、口々に言う。
決して自分から答えを聞いたりはしなかった。
ただ待っているのだろう、私の号令を。
細かい準備を終えて立ち上がり、スペルキャストを抜き放ち明後日の方へと掲げる。
その方向の先にはエウリュアレ村があるはずだ。
「今夜ウィルヘルムを発ちます、夜間はクロウで移動、日が昇ってからはエリアルに交代。御鏡は憑依状態で待機、まずはノフィカ達との合流を最優先」
『かしこまりました』
『御意』
『はーい!』
どちらに転ぶかなんてわからないけれど、少なくともその場に居なければ何もできない。
後悔しない選択肢を選ぶためには、その場に居ることが最低条件なのだ。
「私達にも歴史をつくる権利はあるとマギカは言った、ならばその現場へ行きましょう。分岐点はきっと目の前に迫っているわ」
物品開放用のアイテムは現在26を準備しています。
……さて、どこまで日の目を見るかな?




