18.大図書館の司書長
最初それを見た印象は、石造りの巨大な神殿だった。
正面には石柱が立ち並んでいるが、それはところどころ焼け跡が残っている。
入口を守る高さにして3メートルほどの巨大な扉は鉄でしっかりと補強されており、簡単に壊せそうな代物ではない。
やや新しい木と古い木がまざりあっており、その扉で何かを阻んだであろう痕跡を見て取ることができた。
扉の前には衛視が二人立っており、それぞれ槍と剣を手にしている。
それがことさら、ここが重要な場所であると感じさせた。
ノフィカが言うには王国のあらゆる知識が集まる場所ということで、司書長には非常に知見に富み、高度な刻印魔術を操ることができる者しか就任できないという。
今代の司書長は有能ではあるが少々変わり者で本の虫だとかなんとか。
衛視に身分証を提示し、ノフィカについて図書館の中へ入ると、そこは紙とインクの匂いであふれたとても落ち着くひんやりとした空間だった、どこの時代であっても、やはり紙とインクは人の友なのだろう。
立ち並ぶ書架に収められた本たちはどれも大きく、そして分厚い。
小さく製本する技術がないのかもしれないが、そこがまた別の世界なのだと感じさせる。
「すごい蔵書量ね……これ、閲覧は自由なの?」
「入れる人には自由に公開しています、貸出は行っていませんが」
貸出まですると管理がたいへんだもんね、持ち出しなら基本的に入り口の衛視が待機していればある程度防げる、入館した人についてリストしておけば後から追跡できるというわけか……。
でもやっぱり貴重品だろうし盗難とかあるんだろうなぁ。
足を止めて一冊本棚から取り出してみる。
革張りの表紙は角が金具で補強されておりしっかりとした作りになっていて、開くと私の知る紙とは違う匂いが漂ってくる。
羊皮紙のようには見えないから植物由来なのだろう。
前の世界にこんな本があったら別の意味で高級品なんだろうなぁ。
印刷技術もないため、手描きのページが続いているのを少しめくり、丁寧に元あった場所へと戻す。
ここにある大量の本、そのすべてが人の手によって書き写され保管され、守られてきた知識なのだと考えると、その壮大さに圧倒される。
「まさしく、人の叡智の杜ね」
「そうですね……リーシア様は、本がお好きなんですか?」
「ええ、人が経験と知識と考えと体験を書き残す、いうなればそこには書いた人の生きた証が記されているといってもいい、それがずっと先の時代の人にまで届くというのはとっても素敵なことだと思わない?」
「……なるほど」
少々ヒートアップしてしまった気もするが、ノフィカはそれをただ静かに頷くだけで返した。
「何やら知識の杜で姦しくしておる奴がおるな、言うてる事は同意するが少し声のトーンを落とすがよいぞ」
背後から声が聞こえて振り返る、けれどそこには人は居らず……あれ?
「あれ? 今の声どこから?」
「ここじゃ!」
「おう?」
少し視線を下げると声の主が居た。
身長は目算で120センチほどだろうか、丈の長いスカートにゆったりめのシャツ、そしてピンで何箇所も止めて丈を調節しているダボダボのローブを纏った狐族の少女の姿があった。
黒字の布に金糸と銀糸の細やかな刺繍、ローブの腕には所属を表すのだろう複雑かつ緻密な紋章が施されており少女の見た目に対してどことなく不釣り合いさを感じさせる。
頭にピンと立った狐の耳からどことなく少女が不機嫌そうにしているのを感じるが……。
「お久しぶりです、レイさん」
「おお、その声はノフィカではないか、大きくなったのう。もう見上げねばならぬとは、時が経つのは早いものよ、何ぞ開拓に必要な資料でもでたかの? それとも別件じゃろうか、なんであれ遠いところまではるばる訪ねてくれた孫弟子のためならば、禁書庫の戒めだろうと紐解いてやろうぞ。ところでこやつはお前さんの知り合いかの? なかなか話は合いそうな奴じゃが」
なんだろう、このアラクネとは全く見た目が違って幼女じみてる狐の獣人、絶対に見た目通りの年齢じゃないことだけはわかるんだけども……。
気になるけど迂闊にこの人を万物の叡智と気づかれそうな気がするんだよねぇ、なんとなく。
「あー、えっと、初めまして。リーシア・ルナスティアと申します」
「わしはアーレイス・キャスティエじゃ。このウィルヘルム王国立大図書館の司書長を務めておる。よろしく頼むぞ話の合いそうな同類よ、気軽にレイと呼んでくれ」
どうしよう、年齢のことについて触れるのはタブーかなあ?
「一応気になっとるようじゃから聞かれる前に答えておくが、これでも一児の母じゃ、孫もおるぞ」
「ハァ!?」
思わず声が裏返った。
身長120cm程度の見た目ロリ少女が一児の母とか孫がいるとか何だこの合法ロリババア!
驚いている私の反応を見て、レイはにししと楽しそうに笑ったのだった。
案内されたアーレイスさんの私室はひどい有様だった。
いたるところに積み上げられた本、本、本の山、貴重品だろうというのにこんな扱いをしていいのかというように平積みにされており、中には少しばかり埃をかぶっている代物もある。
「少々散らかっていてすまんが適当に腰掛けてくれ。ここにある本は書架に並べる前の内容確認が済んでおらんものばかりでな、ユナのやつがいなくなってからわし一人では手が回らなくて増える一方じゃよ」
「あ、もしかしてユナさんの師匠って……」
「ん? もしやお主、ユナと面識があるのか? そういえばあやつはエウリュアレに住んどったか、あやつなんぞ言うておったかな?」
「刻印魔術について教えてもらいまして……、教えるのは師匠のほうが得意だと」
「ほう、そうじゃったか。であればお主もわしの孫弟子のようなものじゃな、何かあれば訪ねてくると良い、しかしあれが教える側か……いや、ノフィカを見ても思ったが、時が経つのは早いのぅ」
からからと笑うアーレイスさん、ユナさんとは違ってどうにも感情表現が豊かなタイプのようだ、ユナさんもかなりわかりやすい方ではあるけど彼女には及ぶまい……彼女、でいいんだよね?
アーレイスさんが淹れてくれたお茶に口をつけつつ、ノフィカが話を始めるのを待つ。
話しやすい人なのだけれど、私がべらべら喋っていると本題に入りづらいだろう。
アーレイスさんは私がそういうふうに促そうとしているのに気づいたのか、程なくして話の矛先をノフィカの方へと戻してくれた。
「それでノフィカ、今日はどういった要件じゃ?」
「神使いの伝承についてお伺いしたくて」
「ほう……なるほど、ユナの奴の手紙に書いてあったエウリュアレ神殿で眠りこけてるやつがいるって話は、シアの事か」
「シア? あ、私の事?」
「うむ。ユナが村長から相談を受けていたと聞いておる、それでわしもいろいろ調べてみたりしたんじゃがな……それについてはすでにあらかたユナに伝えてある」
その様子を見る限り、新しい情報なども手に入っていないだろうことは見て取れた。
「とりあえず神殿で眠りこけてたらしいのは私でいいみたいですが……」
「ふむ、ならば一つ話をする前にこれだけ答えてもらえるかの……シア、お主は何者じゃ? お前さんはどう答える?
突如として今までの話しやすい穏やかな雰囲気は霧散する。
アーレイスさんが今纏っているのは真剣な……人を見定めようとする者の空気だ。
それは単純に神使いという私の存在を警戒しているというよりは、自分の大事な人間のそばに居る存在に対しての警戒だろう。
「幾つか回答はある、いや……片方は願望かな。私が自分のことを指すのなら、神話の時代の残滓、と思っています」
私はこの世界にとっては異質な存在なはずなのだ。
ゲームの世界のキャラクターであり、それらのスキルを持ったままここへやって来た。
この世界の人々の生活がちゃんとある場所で、自分の好き勝手に振る舞えばとんでもない事になりかねない。
だからこそ、一歩引いた位置ぐらいに居るつもり、居るべきだと思うのだ。
「……気に入らん表現じゃな、願望というのは?」
「わたしは、この世界のことが右も左もほとんどわからない、そんな私に良くしてくれてる、私が仲間だと思える人たちの味方ではありたいと思ってる」
アーレイスさんはしばしそのまま私の顔を真剣に見つめてくる。
やがてその険しかった表情を解くのと、まとっていた空気が霧散するのは同時だった。
「お前さんが敵にはならんじゃろう事、嘘偽りがない事はわかった。威圧してすまんかったな、まだ図りかねておったんじゃ」
彼女は気が抜けたのか向かいのソファに腰を深く降ろす、そのさまは疲れてソファでそのまま眠りついてしまう子供のようだった。
「わしからの問いに対しての回答は及第点じゃ、他に何について聞きたい? 二人共それなりに聞きたい事柄があるのじゃろう?」
「……確かに、私はいくつもあるけど」
「私も今後のために確認しておきたいことがあります」
自分のことであり、自分が知らなければいけないこと、知っておかないと今後が危うくなる可能性のあることなど、可能性の羅列は常に進んでいる。
ノフィカも私が現れてからしばらく状況が動き続けていることで、自分なりにでもやらなければいけないこと、知らなければいけないことなどがいくつも浮かんでいることだろう。
「少し聞きたいこと、話したいことについてまとめておくが良い。わしはもう少しゆっくり茶と茶菓子を楽しみながら話せる環境にしておきたいからの」
そういって積み上がっている本を外部に積み直し、茶葉にお菓子に暖炉のポットを持ってくる。
持ってこられたお茶菓子は、ちょっとした軽食も兼ねておりここでしばらくの間お話が続くことは想像に固くない。
淹れられたお茶の色はうっすら赤みがかっていて、どことなく紅茶に似ていた。
「まぁ、こんなところかの。とりあえずノフィカの話から聞こうか」
「はい……では、レイさんは、闇色の霧については何かご存知ではないですか?」
「闇色の霧……? エウリュアレ神殿が現れた時に海から吹き上がってきたっていうあれかい?」
「そうです、リーシア様の現状と関わりがあるのではないかと思いまして」
「あいにくと、古い文献にそれらしき記述は見たことがないね」
アーレイスさんはそこで一度言葉を区切る。
木皿に盛られた焼き菓子を一つつまみ、考えをまとめる時間を取るついでとばかりに茶をすする。
再び口を開いたのは、たっぷり一分以上経ってからだった。
「十二年前のアイゼルネ大侵攻、当時の敵軍のリーダー格と思わしき奴がそんなものをまとっていたという証言が、いくつかある。夜の闇の中、炎に照らされながらの姿に見えた幻かとも思ったが、証言を集める限りどうにも事実らしいと、わしは思っとる」
「アイゼルネの……」
「あっちの大陸の情報はあんまりないからね、行き来ができるようになったのもここ数十年の話だ、古い文献に残っていなくてもおかしくはないよ」
嫌な名前が出てきたものだ。
行き来があまり活発じゃないからこっちの大陸にいれば比較的安全なんだろうけども……。
「この世界の神であるマギカ様ではなく、ユングフラウという神話にすら出てこない謎めいた神を信じている連中だ、わしらの知らないそうした系統の術を持っていたとしてもおかしくはない」
「確かに……では、その術の効果を解除する方法などは思いつきませんか?」
「術の効果を解除……それは何かしら術の影響を受けていることが前提になるけども、何かあるのかい?」
ノフィカが私の方を向く、釣られてアーレイスさんの視線が私を見る。
あれ、これもしかしてまた私絡みか?
「あー、もしかして私がいろいろ忘れてる事?」
「そうです、何かしら記憶を取り戻す手段があればと思いまして」
術の影響が残っているかもしれないってことか、確かにそれは考えなかったな。
スキルが使えなくなってるのはどちらかと言えばセーフティっぽいけども。
「わしが見た限りは、術の影響などは残っていないように見えるが……痕跡というものが感じられんからその心配はないと思うよ」
「そうですか……」
ノフィカはアーレイスさんの回答に対して黙りこんでしまい、そのまま視線は私の方へと移ってくる。
正直いきなり過ぎてこれといって聞いておきたいことが、明確な形で浮かんでいないのだが……。
一番知っておきたい世情というか、所謂一般常識とかってキリがないだろうし。
「……神使いが、神様と連絡を取るための手段とかってあったりするんでしょうか?」
結論を言ってしまえば、それができればすべて解決してしまう気がするのだ。
なんか私がやるべきことがあって、それを忘れているのだとしたら、もう一度聞いてしまえばいいじゃない。
記憶の空白が自分では一切自覚できない形だからそう思えるのかもしれないけれど、一番の解決法だと思う。
「ふぅむ……文献には残っていないけども、事柄によっちゃあ連絡を取るための手段があったのではないかとは言われてるねぇ。ただ明確にどういう連絡手段があったのかとか記録があるわけじゃないから、あくまで可能性としてはありえるだろうとしか言えないね」
「可能性があるとわかっただけでも助かります」
一度自分の持ち物を全部さらえてみる必要があるかもしれない。
なんだかんだでインベントリはごちゃごちゃしすぎて全部確認できていないし。
他にはどうしようか、考えればいくらでも聞きたいことは浮かんでくるだろうがそれでは時間が足りない。
「そういえば先ほど出てきたマギカというのはどういう神様なんです?」
「……そうか、神話なども詳しく知らないのか……神話の時代の人間に神話を話すというのもなんだか特異な状況じゃのう」
考えてみればそうなるのか、かなり面白い状況だなこれ。
ヘタすれば、というかすでにノフィカから話されたお伽話には登場してるんだよねぇ。
「かつてこの世界はアルス・マギカと呼ばれておった。しかしその世界は不完全で崩れ去ろうとしていたという、そこでこの世界の神であったマギカ様は多数の同じ運命を迎えようとしていた世界をより集めて一つの大きな世界として安定させた。それによりこの世界は今、ユニオン・マギカと呼ばれておる。その証拠にこの世界には多数の国があるのじゃが、こちらの大陸……アールセルム大陸の国と北洋のグレアリム諸島の国々はどれもほぼ同じ神話を持っておる。あちら……ポルセフェネ大陸の方はどうにも違うようじゃが」
「なるほど、主神とかそういう感じなんですね」
「うむ、もう一人創造神がいるようなのじゃが、この世界には関わっておらんようじゃな。そしてマギカ様を助けるように他の神々、エウリュアレ様などがいらっしゃるわけじゃ。ま、わしはかいつまんで話しとるだけじゃから、詳細が気になるようならば本を探すと良い、詳しく書いてあるじゃろ」
そういうアーレイスさんを前に、一つの疑問が浮かぶ。
ユニオン・マギカなんてタイトルのゲームは記憶に無い。
同じく、マギカという神にもまるで心当たりはない。
やはり、軸となった世界はゲームではないのだろう。
思いの外長く話していたらしく、アーレイスさんも仕事に戻るということでその場はお開きになったのだが、彼女はノフィカに外で待っているようにと言って部屋からだし、私はアーレイスさんとふたりきりで向かい合っている。
「ええと、何かお話が?」
いくら話しやすいと言ってもふたりきりじゃ少し緊張します。
しかも雰囲気が真面目なお話モードだよ。
「幾つか、話しておこうかなとおもっての。刻印魔術についてじゃが、本格的に学びたいならばわしの所へ来るといい、基礎から応用、発展まで教えてやれる程度には修めているつもりじゃ」
「それは……助かりますが、忙しいのでは?」
「ま、たまに人に教えるのは嫌いではない。それにいい頭の体操にもなる、本相手に静かに過ごすのは好きじゃが、たまに人と関わることもせんと耄碌するからのぅ」
確かに、孫がいるとなると相応の年齢だろうし老ける……老けるのか、この人?
見た目私より若いんだけどな。
でも本題はそれじゃないよね?
「それからもう一つ。例え神使いであろうと、大きな力を持っていようと、お前さんは人間じゃ、慎重になるのは良いかもしれんが臆病にまではならんようにな」
その言葉の意味が、私があまり大きな介入をしないことを意識していることへのものだと気づくのに少し時間がかかった。
たぶん、さっきの質問の時になんとなく察したのだろう。
自分ですら自覚できない私の反応を見て、アーレイスさんは呆れたようにため息をついた。
「決心が付きそうにないから一つ、天秤のかけ方を教えてやろう」
「天秤のかけ方?」
「何かに関わるとき、それに対する自分にとって最悪の結末と、それを避けるために自分が差し出すものを比べてみることじゃ、よく考えて後悔せぬ道を選ぶが良い」
「……よく、わかりませんけど。心に留めておきます」
「うむ、ユナにもよろしく言っておいてくれ」
軽く御礼を済ませた私はノフィカと一緒に図書館を後にした。
近い未来、それを嫌でも理解する日が来ることを感じながら。
アーレイスさんの年齢を詮索すると死ぬほど怖い目に合うらしいです。
リーシアに詮索させてみようかと書いている時に思ったのですが、片手で首を掴まれて泣いて漏らしかねない恐怖を作者が味わったのでやめました。
2016-3-16付で14話にアラクネのキャラ描写に不足していたものを追記しています。
結構キャラの印象変わってしまう事だったのでやらかした感。




