少尉任官
シリウス撤退作戦の開始から早くも半年が過ぎた日。
ハルゼ―はいつもの様にニューホライズンを周回していた。
この1ヶ月。
テッド達は地上へ降りる事もなく、地球往還船周辺のパトロールばかりだ。
シリウス側との派手な戦闘は影を潜め、黙々と人々を運んだり、或いは、VFA901の連中を揉んで練度を上げたりと、そんな日々を過ごしている。
エディ直々に行うシェルの運動理論と戦術の授業には、テッド達少尉候補生がアシスタントとして参加していた。そもそもに戦闘機のパイロットとして教育や訓練を積み重ねているのだから、ある意味で機材転換訓練と言えるものだった。
ただ、その転換先は戦闘機でも戦車でも、もちろん戦闘戦列艦でも無い。それはシェルという全く違う概念に立脚した戦闘兵器であると理解させるまでが大仕事なのだった。
テッド達は自分たちが積み重ねてきた戦闘の記録を見せてやり、併せて、どう考え、どう戦ったのかを全て話している。そんな授業を毎日毎日5時間近くやっているのだが、テッド自身は百時間の授業より一回の実戦だと思っていた。
そして……
――ザリシャへ行けばリディアがいる
その想いに身を焦がすテッドは荒れ気味な日々を送っていた。
ただ、1週間も経った頃にはそれにも慣れてしまっていた。
地上から届くニュース映像にリディアが出てくるのだ。
地球からの独立系メディアにはシリウス人民軍のインタビュー映像が流れる。
その放送に姿を見せたリディアとキャシーは、最後に意味深な言葉を吐いた。
『宇宙にだって地上にだって、市民の安全を祈っている人がいる』
心が繋がっている。
そんな満足感がテッドを包んでいた。
ただ、良い事ばかりではないと言うのも地上の放送が教えてくれている。
激しい砲撃を受けた地上は、廃墟ばかりの極めて不毛な景色になっていた。
独立の夢に浮かされたシリウス側にも厭戦の空気が出てきている。
どんなに取り繕ったところで、戦争とは不毛な行為の極みだ。
シリウス星系へ入植以来、累々と築き上げてきたものが全て瓦礫に変わった。
武力闘争の夢を見たコミュニストと夢想家達がシリウスへやって来て50年。
自らを追放した地球と戦えと、そう喧伝してきた活動家たちは肩身が狭い。
気がつけばニューホライズンの最大派閥が穏健派に切り替わっている。
先鋭化した武力闘争路線を取るグループが浮いている。
そして地球帰順派もまた微妙な立場で受け入れられている。
様々な問題をはらみつつも、ニューホライズンは安定し始めた。
ただ、それは見せかけの平和に過ぎないのだと……
重苦しい感情が地上を支配しているのだった。
――――――――ニューホライズン周回軌道上
2248年1月7日
「おいテッド! 放送の時間だぜ!」
ディージョの冷やかしを聞いたテッドは、苦笑いでモニター前に陣取った。
「どの娘だっけ?」
501中隊むけガンルームの中には、大型モニターが設置されている。
その前のど真ん中にはテッドが座り、その隣にはディージョとロニーが座った。
「あ、こっちっす。こっちのねぇさんが兄貴の彼女っす」
だが、ロニーの示した女性は全くの別人だった。
「おぃロニー! てめぇ!」
リディアと同じスラブ系な赤髪の美人で、リディアに負けず劣らずな容姿の女性だ。ただ、テッドにしてみれば興味の範囲外に居る人物で、おそらくはリディアの同僚だろうけど、だからなんだ?というレベルの話だ。
「なに言ってんすか! すっげー美人じゃねぇっすか!」
「いーから! てめぇは黙ってろ! 全然別人だ!」
必死に取り繕うテッドをして、皆が笑いながらも精一杯に茶々を入れている。
チームの仲間達がテッドとリディアを応援してくれている。
その空気が、テッドには何よりもありがたかった。
「ところで地上じゃ何やってんだ?」
やや離れた位置に陣取ったヴァルターも、興味深そうにモニターを見た。
ザリシャの街から遠く離れたサザンクロスの大ホールから生中継だった。
「なんかの式典か?」
「形式ばった事が大好きな連中だからな」
ジャンの言葉にドッドがそう答える。
ホールの中を埋め尽くしているのは、様々な人種的特長を持つ雑多な人々だ。
年齢層もバラバラで、同じといえば皆がシリウス軍の服を着ている事程度。
何が始まるのだろうか?と興味心身で見ているのだが……
「ほぉ……」
部屋の隅から突然声がして、皆が振り返った先にはエディが立っていた。
皆が一斉に立ち上がって中隊長を出迎えるのだが、エディは着席を指示した。
「これはまた…… 驚きだな」
部屋の中央で椅子に腰を下ろしたエディは、モニターの中に見える貴賓席を指差した。そこには幾人かのヘカトンケイルメンバーが座っていて、式典を見守っているのだった。何時ぞやニューホライズンの地上で見た映像を思い出すテッドとヴァルター。それ以外はポカンとした様子でモニターを見ていた。
――諸君らはこの星の文明を護る砦である
――この惑星に暮らす人民の盾である
――そして、その命を脅かす敵に向けられた刃である
淡々と続くヘカトンケイルの訓辞を聞く者たち。
501中隊の面々は、この儀式が何を意味するものなのかを理解した。
「何処でもやる事は変わらねぇんだなぁ……」
ボソリと呟いたマイクは、妙な笑みを浮かべていた。
荒れ果てたニューホライズンの地上で新たに軍務に就く者たち。
――志願兵が続々とやってきている……
ふとリディアの言った言葉をテッドは思い出す。
食うや食わずの生活をしている貧民たちが志願しているのだ。
連邦軍の壮絶な地上攻撃で荒れ果ててしまい、他に生活の手段が無いのだろう。
ただ、軍務に就いたところで最初にやる事は知れている。荒れ果てた地上を耕し、食糧を生産するのだ。それだけでなく、街を再整備し、工場を再建し、文明を再創造する。とにかくやる事だけは山ほどあるのだから、人手は多いほうが良い。
「軍隊といっても……」
「あぁ。公設の土建屋だな」
ふと呟いたステンマルクの言葉にアレックスが言葉を返した。なんだかんだで連邦軍は恵まれている。無い無い尽くしのシリウス軍とは違うのだ。そんなシリウス軍ではあるが、唯一彼らが連邦軍に勝るとしたら、それは……
――宣誓!
ホールに並んでいた人々の一角。
突如立ち上がった一人の男が大声で叫んだ。
その声を合図に全員が立ち上がって両腕を天に突き上げ叫び始めた。
――私は、このシリウスの光り降り注ぐ大地と惑星とを護る為、我々の生存圏を脅かす者たちから平和と独立と安定を勝ち取るため。防衛軍の使命を強く自覚し、シリウス人民憲章に謳われた一致団結と共存共闘の精神を持って、軍務の遂行にあたり、我々が護るべき人々の危機存亡に際しては、危険を顧みずこの一命を持って敵の撃滅に勤め、全てのシリウス人民の期待に応える事をここに誓う!
大勢の人々が大声を張り上げ気合を入れて宣誓を行なった。
その熱気に当てられたのか、テッドは黙ってその様子を見届けてしまった。
だが、その直後には、部屋の中に小さな拍手が響き、テッドは我に返った。
手を叩いていたのはエディだった。
「良いね。凄く良い」
何が楽しいのか、エディは満足そうに笑って様子を伺っていた。
会場の中が拍手と喝采に包まれ、その中で多くの人々が肩を抱き合っていた。
「相手にとって不足は無い。思う存分叩き潰そう」
――エディもシリウス人な筈だ……
ふとそんな事を思ったテッドは言葉を飲み込んでエディを見ていた。
だが、当のエディは一切の些事に気を止めず、静かに笑っていた。
「彼らはやる気だよ。素晴らしいね。この荒れ果てたシリウスに再び文明を興そうとしている。壮絶な努力が必要なのだろうけど、彼らの心は折れてはいない」
スッと椅子から立ち上がったエディは室内をグルリと見回した。
そして、倣岸な笑みを湛えて言った。
「我々の進む道は険しく辛く、そして容赦が無いだろう」
その言葉にテッドは表情を引きつらせる。
そして、ふと隣を見ればヴァルターもディージョも同じだった。
憎悪と苦痛の中で培養された不屈の闘争心は、最後の一兵まで戦うのだろう。
ニューホライズンと言う巨大な蠱毒。
純粋な意志が駆り立てる戦闘意欲は、並大抵のことでは納まるまい。
「さて、我々も儀式の時間がやって来た」
時計を確認したエディ。
いつの間にか1時間近くもモニターを眺めていたらしい。
「我々には我々の闘争原理がある。理論がある。意思がある」
エディはジッとテッドを見た。
その目が何を言わんとしているのか、テッドもよく分かっていた。
「我々の目指す目標に向かい、愚直に努力しよう」
エディの言葉に全員が『イエッサー!』と返事を返した。
それを満足そうに聞いたエディは、全員に移動を指示した。
大切な儀式は、なにもシリウスの専売特許ではないのだった……
――小一時間後
「地球人。テッド・マーキュリー」
「はっ!」
ハルゼ―のシェルハンガーには501中隊が結集していた。
隊長であるエイダン・マーキュリー少佐以下、全ての士官達も並んでいる。
中隊はこの日、新たな一歩を踏み出すべく大切な儀式を行なう事になっていた。
士官候補生が一列に整列し、ロイエンタール将軍の言葉を待っていた。
「テッド。君に地球連邦軍の少尉への任官を命ずる。併せて――
老将軍はテッドの胸と肩へ階級章のワッペンを貼り付けた。
飾りこそ無いモノの、真新しい星マークが一つ付いた少尉の階級章だ。
――シリウス派遣軍団総長直属、第501特務中隊への着任を命ずる」
この半年で、ロイエンタール将軍も一気に老いたと見える。
足腰こそまだまだ丈夫ではあるが、覇気はすっかり影を潜めていた。
いまはすっかり好々爺になっていて、テッドはそこに老いる哀しみを見た。
「君の双肩に掛かる責務は重い。だが、それに負けず、頑張ってくれ」
「イエッサー!」
元気よく答えたテッド。
ニューホライズンの地上で訓練を開始してから、およそ3年。
思えば様々な事があった。流れた月日の速さに驚くばかりだ。
シリウスの地上からは、まだまだ多くの地球派市民が離脱を続けている。
そろそろ船が足りなくなりはじめていて、関係機関が必死の調整を続けている。
そんな中、工場コロニーになっていたモノを改造する作業が進められていた。
一人でも多くのシリウス人を地球へ連れ帰る事。
テクノクラートをシリウスへ残すのは得策では無かった。
「さて、では宣誓と行こうか」
6人の少尉候補生が少尉へと任官し、その宣誓が行なわれる。
一列に並んだ少尉達は地球憲章に左手を沿え、右手を上げた。
「人類の母なる星、地球を護る宇宙軍士官の任を拝命するに当たり、私は――
宣誓の言葉を唱え始めたテッドは、ふとリディアの立場を心配した。
ザリシャの地上で見たリディアの肩には、シリウス軍の階級章があった。
チラリとしか見なかったのだが、そこには准尉の資格を示す物があった。
宣誓の大声を張り上げつつ、テッドはガラにも無く神に祈った。
――人類を導く多くの神と国家と、そして、他の宇宙軍兵士に対して自分の能力の限界を超えてなお、任務遂行を努力し続けることをここに宣誓する。私は自分が宇宙軍の中核的な存在であることを認識し、その規律の模範となるべく、軍人としての誇りをもってその重責に恥じる事の無いよう、完全完璧な任務の遂行を第一の目標とする」
一度言葉を切った少尉たちは、読み上げていた憲章のページをめくった
「私は人類を滅ぼしかねない強力無比な武器を扱う武人として、公の職務だけで無く職務を離れた一個人として、生活全ての面において公衆の模範となるべくを目指し、自己研鑚を怠らず、自らを取り巻く全ての同胞なる人々に対し公平明大に接し、また自分が求められる行動規範と能力を自覚し、規律ある生活を心がける。もって、宇宙軍士官としての任を拝命し、自らの尊厳と品格を掛けこれを誓う」
任官宣誓を終えた者達の顔付きが変わるのをエディは見ていた。
ソレはただの言葉では無く、自らの心と魂に刻まれた絶対的行動原則だ。
兵士であり軍人である以上は、生きるか死ぬかの土壇場に立つ時が必ずある。
その時、人間が何を思いどう行動するかは統計的に確立された答えなど無い。
だが、自らの犠牲で多くが救済されるとなった時、そこで迷わず捨て石となる事を選べるかどうか。そこに成熟した人間社会の理想像があるとされる。その理想社会を目指すべく、士官はその生き方をもって手本となる義務を負うのだ。
「ここからは……」
一息ついたロイエンタール将軍は、辛そうな目でテッドを見た。
そして、テッド以下、新任少尉の顔を一人ずつ確かめていく。
「……血で血を洗う撤退戦となる。それがどれ程辛いのかは、諸君らなら想像に難くないだろう。地上での撤退戦は辛いが、宇宙での撤退戦はもっと辛い」
深い溜息をひとつこぼした老将軍は、搾り出すように呟いた。
「人類戦争史で初めての経験だ。宇宙での撤退戦など経験が無い」
もう一つ溜息をこぼし、まるで吐いた息と共に身体が萎んでしまうようだ。
そんな姿を見せていたロイエンタール将軍は、死力を振り絞り顔を上げた。
「そんな中、諸君らは士官として重責を果たす事に成る。部下を率い、任務を果たし、そして、自らも生き残る努力をする。時には部下を見捨てる事になるかも知れない。時には恨まれて憎まれて、それでも駒の様に使わねばならない。上官は全部承知でそれをしなければならない。上に立つ者は、そんな不条理に耐えるのだ」
老将軍は小さく溜息をこぼして皆の顔をジッと見た。
テッドはその姿に将軍の辛さを垣間見た。
「諸君らは本当に厳しい事を行なう事になる。諸君らを護ってやりたいが、その前に儂が燃え尽きそうじゃ。なんとしてでも生き残れ。皆に神のご加護がありますように……」
悲痛な言葉と共にテッドは士官として任官した。
壮絶な撤退戦が幕を開けようとしていた……