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黒い炎  作者: 陸奥守
第四章 憎しみの果てに行き着く所へ
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生きた証


 ザリシャの地平に太陽が沈もうとしているころ、難民キャンプの中では久しぶりにまともな食事にありついた人々の笑い声が響いていた。

 宇宙から持って降りた緊急支援物資の中身は、ある意味で簡単な保存食などでしかない。だが、食うや食わずでここへたどり着いた人々にしてみれば、千汁万菜の豪華な食事だった。

 そして、そもそもに貧しいシリウスの人々にしてみれば、カロリーのある食事を摂れること自体が天恵の様な物で、焚き火で温めたパウチや缶詰の食事はささくれ立った人々の心を安らげる効果を発揮していた。


「まだあるから、腹いっぱい食べてくれ」


 笑顔で食料を配り続けるエディやマイクは、普段とは違う柔和な表情で難民に接していた。シリウスロボのパイロットたちも配布作業に加わり、凡そ2万人と聞いている難民たちの隅々まで食料が行き渡ったのだった。

 そんな作業に勤しんでいたジョニーは、一抱えもある支援物資を持って難民キャンプの中を歩いていた。行く先々で自治組織の男達が配布を手伝い、穏やかな空気で事が進んでいく。ある意味で配給慣れしているシリウスだけに、暴動や騒動が起きにくいという皮肉な一面を感じていた。

 ただ、ジョニーの足が難民キャンプの隅まで届いた時、視界の中に膨らみが幾つも並ぶ不思議な光景を目にしていた。


「これって……」


 キャンプの片隅あったのは、夥しい量で並んでいる土饅頭の列だった。その数は10や20で足りるモノでは無く、それこそ視界を埋め尽くす様に並んでいるのだった。そして、乾いた風に吹かれ砂塵が舞い上がる中だが、その土饅頭の列には何処かで摘まれた花が手向けられていた。


「すげぇな……」

「みんな死んじゃった」


 ボソリと呟いたジョニー。そこに突然、何者かの声が響いた。

 鈴を転がす様な少女の声だった。

 驚いて声の主を探したジョニー。

 そこにはまだ幼いと言って良い少女が佇んでいた。


「ここまで辿り着いたんだけど…… でも……」


 全く気が付かぬうちに、ジョニーのすぐ近くには名も知らぬ少女が立っていた。粗末な貫頭衣の上からジャケット状の上着を羽織っただけの姿だった。右手には何処かで摘まれた花を持っていて、その土饅頭に一つずつ花を手向けていた。


「君は?」

「……ロクサーヌ」

「誰か身寄りが居るのかい?」


 ジョニーの問いに少女はコクリと頷いた。ただ、どこか翳のあるその顔に、ジョニーは少女がこの難民キャンプの中で、後ろめたい欲望の捌け口にされている可能性を思った。

 そしてそれを言えず、ただ黙って耐えているのではと思ったのだ。シリウスの厳しい現状を知るジョニーならば、そんな想像も難くはない。シリウスでは良家と言われる家の子女とて、身体を売って金を稼ぐことは珍しくない。


「お金は有るか?」

「……ない。だけど、大丈夫」


 プイッとそっぽを向いた少女は何処かへと走り去った。

 去り際に見た少女は素足だった。サンダルひとつ履いてないあの状態では、冬の寒さに凍りついた大地が冷たかろうとジョニーは思う。そして、粗末な身なりの少女が温かく夜を越えるには、誰かに抱かれ肌を合わせ、朝を迎えるしかない。


 ――まさか……な


 この状況で誰かの弱味に漬け込む大人が居るなど……

 そこまでシリウス人が堕落しているとは思いたくない。

 しかし、人類最古の職業は殺し屋と売春婦だとジョークになるくらいだ。


 ──強く生きてくれ


 そう願うしかない己の無力さを呪う。

 そして、そんな自慰的行為に逃げ込む自らの卑怯さを嗤った。












 ――――――――ニューホライズン リョーガー大陸中央部

          連邦軍 旧ザリシャグラード中央補給敞

          シリウス標準時間2247年3月16日 1730










 並んでいる土饅頭をひとつずつ辿っていったジョニーは、途中で古びたギターを見つけた。そもそもピアノはリディアの母親に教えられたもので、父がジョニーに教えたのはギターだった。ただ、そのギターも遠い昔に自警団が焼いてしまい現存していない。

 ジョニーはそのギターを持ち上げると、弦の張り具合を確かめ奏でてみた。乾いた音の響く懐かしい音色が辺りにこぼれた。


 ──えっと……


 記憶を辿って古い古い日々を思い出す。耳に蘇るのは軽やかなメロディ。そして、父親の武骨な手。節くれ立った指が奏でたのは、聴くものにステップを踏ませる音楽だった。

 ジョニーの指は無意識にその音を拾っていく。弦を弾く指の動きにあわせ、幼児達が土饅頭の周りで踊り始めた。沈む夕日に向かい音を飛ばせば、子供達は笑いながらステップを踏んだ。

 楽しそうに笑うジョニーは、いつの間にかすっかり忘れていた歌を口ずさんでいた。その前で長い長い影が踊っている。名も知らぬ民族舞踊のような舞が入り交じって踊っている。


 ──ジョン 覚えておけ

 ──音楽とは人の使える魔法なんだ


 ジョニーの耳の中。不意に蘇ったのは、父親の声だった。

 遠い日。父親の奏でるギターにあわせリディアの母親が歌っていた。その声に倣うようにリディアも歌った。拙い音程だったが、楽しそうに歌うリディアは満面の笑みだった。ギターを教えてくれと父親にせがんだのは、当然のなり行きだった。


 ──リディア……

 ──歌ってくれよ……


 それがどれ程虚しい願いか分からない訳じゃない。

 ただ、ソレでもやはり願いたくなるのだ。


 一度は掴み掛けた指先からスルリと抜け落ちたのは、まだ若い二人が夢見た日々の暮らしだった。決して豊かではないが、満ち足りた日々だったはずだ。いまはどれ程願っても届かない日々。夢のような日常は、文字通り夢の中にしかない。


 ──あれ?


 ふと気が付けば子供達はいなくなっていた。

 もしかしたらすべて幻だったのかとジョニーは思った。

 どんなに手を伸ばしても届かない幻想に酔ったジョニー。

 そして、そんな己の弱さを嗤った。


「あ~ぁ……」


 無心に弦を弾いていた指先は、まるで擦りきれたように鈍く光っていた。

 自分自身の身体が人工素材で作られている事を改めて突き付けられ、ジョニーは僅かに狼狽した。ただ今更になってソレがどうのこうのと喚くほど弱くもない。

 太陽に代わり上ってきた二つの月が放つ光を、すり減った指先が鈍く照り返している。そんな指で再びギターを奏で始め、リディアの口ずさんでいたメロディを思い出しながら歌った。ザリシャグラードの乾いた風に乗り、その歌声が空の向こうに溶けていった。


 ──風よ リディアに届けてくれ

 ──愛していると まだ、愛していると


 気が付けばジョニーは立ち尽くしていた。

 右の手を握り締めて立ち尽くしていた。


 悔しさに震えるジョニーの手のなかで、力を伝えるギアがかすかに軋んだ。

 悔しさに震える肩は、まるで鼓動のように響いている。


 ──リディア


 ふと見上げた空は群青に染まり、色を失いつつあった。

 ただ、ガラスの様なこの瞳に映る世界が真実かどうか。

 ふとジョニーは不安になった。


 そしてふと、あのシェルのコックピットで見た光を反射するものを思い出した。


 ──どこだ?


 あまりを見回せば、灰色に見える丘の上にソレはあった。

 かなりの高さと横幅だ。乾いた枯れ草を踏みしめ、ジョニーは足早にその丘を目指した。理由はわからないが、ソコに行かねばならない使命のようなものを感じていた。


 ──呼んでいるんだろ

 ──俺を……


 理屈では理解できない所でジョニーはわかっていた。自分がソコに呼ばれているのだと。そしてそれは、全く違う時間軸のなかで、誰かは分からない存在が同じ事をしていると確信していた。  


 ──待ってろ……


 一歩一歩進んでいくジョニー。その足下で枯れ草が乾いた音を立てる。乾いた風がソヨリと吹き、小さく咲いた可憐な花を揺らした。目を落としてその様を眺めていたジョニーは、その花の向こうにリディアの幻を見た。目を閉じれば在り在りと思い出される光景に、もう一度肩を震わせて歩きながら。


「スゲェ……」


 思わず声が出たソレは、磨かれた巨石に刻まれた膨大な人名だった。

 岩の周りをグルリと回ったジョニーは、夥しいその人名全てが、故人である事に気が付いた。何故なら、その人名の左と右に、シリウス歴の日付が書き込まれているのだ。


「……ジョン・ガーランド 25/7/S46」


 そこに刻まれた文字が自分のことだと理解するまで、ジョニーは僅かに時間を要した。ただ、それが自分であると確信した一番の理由は、ジョニーの名前の隣に書かれている文字だった。


「……リディア・ソロマチン・ガーランド 25/7/S46」


 ジョニーは右手でその文字をなぞった。微妙な凹凸が指先に伝わった。カタカタと揺れる指先。その振動で心の中にあった何かが。自分を支えていた何かが音も立てずに崩れていった。まるで、砂の城がただの砂に返る様に。

 そして砂漠が残った。渺々たる砂漠の中にジョニーは立っていた。何も無い。何も存在しない。ただただ、そこに自分が居るだけの砂漠。それは、今のジョニーの心象風景だった。


 ──そうか……

 ──そうだよな


 それは分かっていた事だ。

 常識的に考えれば、期待する方が間違いなのだ。

 一瞬で全てが蒸発したのだから……


「何を期待してたんだ…… 俺は……」


 グッと奥歯を噛んだジョニー。

 だが、ふと思い立った様にその場へ座り込み、石のモニュメントへ背中を預けギターを弾き始めた。口ずさむのは、リディアが教えてくれたあの歌だ。ギターとセッションする様に歌い続けるジョニーは、群青の空を見上げていた。


 ──聞こえるか?

 ──リディア 聞こえるか?

 ──誰も知らないこの歌を歌い続けるよ

 ──お前が喜んでくれるまで……

 ──もう二度と会えないリディア……

 ──恋しいよ


 声を殺して歌っていたジョニー。

 月明かりの下、まるで子守唄のように歌っていたジョニーだが、その歌が不意に途切れた。


 ──なぜ……


 ジョニーはふと空を見上げた。

 宇宙を飛んでいるときのように、漆黒の空がそこにあった。

 遠い空の果てに彼女が居るなんてのは幻想だ。

 雲果てる空の上も、地上も同じく血で血を洗う戦場でしかない。


 空を見上げていたジョニーは肩を震わせ俯いた。

 言葉では表現出来ない悔しさに震えていた。

 なんとも言えない悔しさだ。

 こんなに辛いのに……


 ──泣く事も出来ないなんて……


「こんな所に居たのか」


 乾いた風の吹き抜ける丘に声が響いた。

 声を殺して嗚咽していたジョニーの前にエディが立っていた。

 ややもすれば怒りを噛み殺している様な表情だ。

 だが、その眼差しには哀しみを見つめる色があった。


「エディ…… リディアが…… リディアが……」


 絞り出す様に呟いたジョニーの言葉は、エディの表情を一層険しくした。

 一歩進んでその巨大なモニュメントを見たエディも、ジョニーと同じように指で文字をなぞった。先の艦砲射撃で死んだ者達を記録したライフモニュメント(生きた証)には、膨大な量の『確実にそこにいた者たち』の名前が刻まれていた。


「……そうか」


 ギターを抱く様にして震えているジョニーは、うわごとの様に言った。


「泣きたいのに泣けないなんて…… 人間じゃ無いですよね」


 悔しそうにエディを見上げたジョニー。

 そのジョニーの横にエディは腰を下ろした。

 同じように、ライフモニュメントに背中を預けて。


「こんな事でと叱責するほど簡単な事じゃ無いのは解っている。だがな」


 エディの目に鋭さと厳しさが戻った。まるで父親から叱られている様に感じたジョニーは、その目を見る事が出来なかった。


「点呼に時間に現れないと皆がお前を探す。結果、仲間を危険に晒すことになる」

「申し訳ありません」

「お前が悔しさに震え哀しみに溺れていても、世界は進むしこの星はグルグルと回るんだ。お前の嘆きも憤りも世界は待ってくれない」


 弱まっていたジョニーの心を抉る様に、エディはキツイ言葉を吐いた。

 ただ、その言葉には愛があった。情があった。ジョニーはそれを直感した。


「男はやたらに涙を見せるな。親父さんはそう言わなかったか」

「……エディ」

「哀しみに溺れるお前を見て、リディアが喜ぶか?」


 ジョニーは頭を振って否定した。

 押し殺した嗚咽を漏らしながら。


「ならば強く生きろ。例え何があっても強く生きろ」

「……エディ」

「お前はまだ生きていかねばならない。これから地球へ行くんだ」


 項垂れていたジョニーは僅かに首を振り、エディの横顔をジッと見た。

 どこか遠くを見ているエディの目にも哀しみの色があった。


「お前の哀しみを理解出来るなんて薄っぺらい言葉は吐かない。お前がどんなに悲しんでいても、共感こそすれ理解なんて出来っこない。喜びも悲しみも、全ては心の内側の出来事だ。その理解を他人に求めているうちは、まだ子供って事だ」


 時には突き放すのも優しさだ。

 エディは遠まわしに()()()()()とジョニーに発破を掛けていた。胡乱な眼差しでエディを見ていたのだが、ややあってその言葉の意味をなんとなく得心したジョニー。深く溜息を吐いて、空を見上げた。


「地球がここと大して変わらないと良いんですが……」

「そんな期待なんかするな。精一杯裏切られるぞ」


 フンと笑ったエディは空を見上げた。


「同じ人間が暮らしていても、地球とシリウスは全く違う。全く違う人間が暮らしている。厳しい環境に入植して助け合ってきたシリウス人とは違うんだよ」


 不安そうな顔になったジョニーは、エディの言葉の続きをジッと待った。


「利己的で個人主義で全てが損得勘定だ。そうでは無い人間を博愛主義だの人道的な紳士だのと持ち上げるが、その実は嫌われ疎まれている。立派な人間である事をひけらかしている点数稼ぎだと爪弾きにされるのさ」


 呆然とした表情を浮かべるジョニーも空を見上げた。

 はるか彼方に黄色く光るサンが見える。

 あの恒星のすぐ近くに、人類のふるさと地球がある。

 ふと、言い様の知れぬ不安に襲われたジョニーは、エディをジッと見た。


「ブリテンの諺でな、礼儀作法(Manners )が人格(make)を磨く( the Man)と言うんだ。お前の親父さんと一緒だ。卑怯を許さず、不法を許さず、横暴を許さず。常に正義を持つこと。それを続けられるなら、ジョニーだってヒーローになれる」


 僅かに首をかしげたジョニーは言葉の意味を把握し損ねた。

 ただ、エディはその理解が浅くとも言葉を止めなかった。ただ、今は言葉を覚えていくだけで良いのだ。経験を積んだ時に言葉の意味を理解すれば、その時初めてその言葉が身体の一部になるのだから。


「本当に立派な人間ってのはどんな存在だ?」


 つかみ所の無い問いを発したエディは立ち上がった。

 それに釣られジョニーも立ち上がった。


「この問いに正解は無い。ただ、正解に近い最良の不正解は人の数だけ存在する。もし本当にその回答に困ったときには、お前の腰に下がっている、その拳銃に聞いてみると良い」


 エディが指差したのは、ジョニーの腰に今日もぶら下がっているコルトピースメーカーだった。官給品の自動拳銃もあるのだが、ジョニーは好んでこの拳銃を持って歩いていた。まるでそれが自分のアイデンティティそのものであるように。


「お前はもう一流の男を、本物の男を知っているんだろ?」


 その問いが何を意味するのかをジョニーも分かっていた。

 どんな敵にだって、恐れず怯まず退かず、信念と情熱で立ち向かった男。


「戦闘服に身を包み、死を恐れず銃を持って戦える男はそれだけで一流だ。だけどな、自分の信念をしっかりもって、胸を張って生きろ。シリウスからやって来た地球人だと、そう胸を張って。お前を笑う敵に立ち向かい、そして銃を抜くな。無知と嘲笑には微笑みを返してやるんだ。それが紳士だ」


 エディの拳がジョニーの胸を叩いた。


常に(Be)自分らしく(Yourself) 誰かが(No matter)何かを( what they)言おうとも(say)


 使い古された慣用表現その物だが、エディの言葉はジョニーの胸に響いた。

 小さな声で常に(Be)自分らしく(Yourself)と呟いて、そして小さく首肯した。


「さて、話しは終わりだ。夜のミーティングがある。帰るぞジョニー」


 振り返らず歩き出したエディ。ジョニーはその後姿に父親を重ねた。

 恐れず、怯まず、退かず、法と道徳と正義を護る男だ。


「イエッサー!」


 迷いを振り払うように返事をしたジョニー。

 もう一度振り返ってライフモニュメントを見上げ、心の中で別れを告げた。


 ──きっとまた来るよ……

 ──じゃぁね……


 と。

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