ファシズム
ジョニーは久しぶりに機体が風を切る音を聞いた。
大気圏外では熱核反応型エンジンを使うバンデットと同じく、シェルも熱核反応エンジンを使う。だが、大気圏内では液体酸素と液体水素を反応させロケットエンジンを稼働させ飛んでいた。もっとも、酸素の量が充分にある地域では、液体水素を気化させて大気由来酸素と反応させて飛ぶ。こうすれば液体酸素の量をギリギリまで削り、飛行時間を大きく伸ばせるのだった。
「重力って久しぶりに感じるな」
長いこと宇宙で生活していたジョニーだ。艦内などでの擬似重力はずっと感じていたのだが、出撃した時には完全な無重力を経験する。だからだろうか。ニューホライズンの大気圏まで降りてきたとき、ジョニーは久しぶりに惑星の重力を実感していた。
「なんか空が黄色くねぇ?」
ヴァルターはコックピットから見える世界が黄色い事を不思議に思った。ただ、その理由は考えるまでも無く艦砲射撃の影響だとすぐに気が付く。猛烈な砲撃により巻き上げられた塵や埃が成層圏まで舞い上がり、地上へ降り注ぐ日の光りを遮りつつあった。
「ひでぇ状況だな」
「あぁ、全くだ」
ジョニーとやや離れて飛ぶヴァルターは、地上をマイクロ波レーダーで観察しながら飛んでいた。各所に巨大なクレーターが残っていて、艦砲による攻撃の凄まじさを実感させてくれる。
「なんだか懐かしくすらあるな」
速度を落としたエディは、地上に広がっている不毛な景色に眉根を寄せた。膨大な穴ぼこの掘り返されている地上は、地球連邦軍第2の拠点だったザリシャグラードの敷地の慣れの果てだった。その穴ぼこの周辺には粗末なテントが並び、夥しい量の難民化した地球派市民が集まっていた。
「……大丈夫なのか? あれ」
ドッドは訝しげな声を上げた。
各テントの集まりは中心部で巨大な火を焚いていて、その周りでは難民たちが廃材を持ち寄り暖を取っていた。巻き上げられた塵芥によって太陽光線が遮られ、シリウスの地上は5度近くも温度が下がって居る状態だった。
北半球だけにまだまだ寒い季節だが、雪が降らない分だけ寒さが堪えると言って良い状況だ。テントだったとしても、雪に埋まってしまえば氷点以下には下がらなくなるのだから。
「さて、高度を下げていこう。大気密度が上がっていくのでリフティングボディもかなり効く筈だ。シミュレーションでは何度かやっているが、実際何が起きるか分からない。各自相当注意してくれ」
エディは充分注意を促した上で高度を下げ始めた。
「旧ハンガーのあたりへ着陸しよう。滑走路を使うのではなく、エンジンを絞りながら対地距離を測っていって、ジャンプからの着地状態だ。全機気をつけろ」
超音速や極超音速では安定性の高いリフティングボディ機も遷音速域以下では非常に不安定な挙動を示す。ただ、航空機と違いシェルは噴射ノズルを自在に動かす事が出来るベクターノズルだ。
「なんか変な感じだな」
「不安定だ」
マイクとアレックスもぼやくように、機体の安定性は大きく失われているが、なんとかエンジン推力で空中を舞っているような状態だった。
「とにかく墜落だけはしないようにな」
祈るようなエディの声を聞きながら、ジョニーは必死で機体を制御した。
宇宙を漂うのではなく、空中を漂うという無理難題と格闘しながらだ。
一歩間違えば即死と言う環境で、必死に。必死に。
「なんだかひどいミッションだな」
愚痴の様に呟いたジョニー。
その言葉に皆が失笑を漏らし、エディが慰める様に口を開いた。
「上手く終わったらボーナスが出るよう申請しておいた。生き残れ」
気休めにもならない言葉に再び失笑が漏れる。
急激に速度を落としソニックブームを起こさぬよう注意しつつ、ジョニーは対地距離を慎重に測って高度を下げつつあった。なんでこんな事をしてるのだろうと思いながら。
――――――――ニューホライズン リョーガー大陸中央部
連邦軍 旧ザリシャグラード中央補給敞
シリウス標準時間2247年3月16日 1400
一年ぶりにニューホライズンの上へ立ったジョニー。
何も変わらない景色だったが、それでもどこか懐かしさを感じた。
何かが違って見えるかも知れないと思っていたのも事実だ。
この1年の間に、余りにも多くの事を経験していたのだから……
――リディア……
ふと、ジョニーはどうにも出来ない感傷に襲われた。
地上を眺めた時、どこかにリディアが居るような錯覚に陥った。
全く無意識に辺りをサーチし、何か動くものが動体センサーに引っかからないか?と変な願望を持ったのだが、その動体センサーに引っかかった反応は、期待していたものと180度違う存在だった。
――えっ?
息を呑んだ瞬間、遠距離からの砲撃を受けた。
無意識レベルで回避運動をとり直撃を避けた。
そして、斜め後方からの攻撃に振り返った。
そこにはあのシリウスロボが立っていた。
「いきなりかよ!」
どこに隠れていたんだ?と訝しがるレベルではあるが、敵である以上は叩かなければならない。抱えていた140ミリライフル砲が重元素弾芯遅延信管炸裂弾頭を自動選択し、パウダーパックをいつもより一つ多くチャンバーに詰め込んだとデータを上げてきた。
――これ……
――戦闘AIに人でも入ってるんじゃ無いか?
一瞬だけ怪訝な表情になったジョニーだが、それと同時進行で砲を構え狙いを定めた。あれだけ手こずったシリウスロボも、シェルから見れば人と同じような錯覚を覚える。
機体を震わす衝撃に驚きつつも初弾を放ったジョニー。砲弾はシリウスロボに吸い込まれていって着弾した。派手な爆煙と衝撃音が響くのだが、一撃で破壊には至っていない。
「やっぱ頑丈だな! あれ!」
ジョニーは機体を走らせた。
全く無意識だったが、シェルの足が飾りでは無い事に初めて気が付いた。
ただ、その視界には空に舞い上がったエディ機が見えたのだった。
「走るより飛んだ方が早いぞジョニー!」
――あそっか!
再びエンジンに着火の為の電源を入れ、液水が気化した所で点火する。
少々面倒なお作法だが、そこまで自動化されていないのだから仕方が無い。
急激な運動ベクトルの立ち上がりをGと言う形で実感し、重量のあるシェルの機体が空に舞い上がった。
「弱点は変わっていないだろう。とにかくここらを片付けよう」
エディの言葉を聞いたジョニーは、エンジン推力を最大推力へ持っていった。
猛烈なエンジン推力により機体が強引に押し出されて加速していく。
リフティングボディの効果を発揮し始める速度になったところで、ジョニーは高度5千メートルほどまで上昇しもう一度ライフル砲を構えた。
――いただきだ!
後方から狙いを定めたシリウスロボに砲撃を加えると、装甲的に弱い部分を貫通したらしく、シリウスロボが大爆発した。破片を大量に撒き散らして吹っ飛んだロボは、ガクリと膝を付いて前に倒れた。
大量の難民が居るテントエリアからちょっと離れてはいるが、破片が降り注いだ可能性は否定しがたくある。あの焼け爛れた破片が降り注げばテント暮らしの難民も無事ではあるまい。
「アレックス! 地上に停戦を通告しろ!」
「了解!」
エディの声に明確な怒気があった。
珍しいシーンだとも思ったが、ジョニーは砲撃体制に入ったまま地上の様子を伺った。燃料を続々と浪費している状態だが、着陸するよりはましだ。ただ、どうやって宇宙まで帰ろうか?と言う不安を持って居るのは確かだった。
――こちら地球連邦軍! 地上のシリウス軍に通告!
――ここでの戦闘は地上側に甚大な被害をもたらす
――停戦を提案する 繰り返す 停戦を提案する 一時的な停戦だ
全バンドを使って地上へ呼びかけたアレックスの声。
無線から漏れた緊迫感のあるその声にジョニーは祈った。
ややあって無線の中に割れんばかりのノイズが響いた後、不明瞭ながらも声が流れてきた。
――こちら地上側シリウス軍
――停戦を了解した こちらからの砲撃は行わない
――全機東を向いて停止するので、西向きに着陸を願いたし
ノイズ混じりなのは電波撹乱の影響だとジョニーは思った。
そして、その通告にエディが直接回答した。
――了解した
――私は連邦軍の地上派遣軍エイダンマーキュリー少佐だ
――難民のための支援物資を持ってきた
――まずは話がしたい 停戦提案の受諾に感謝する
少しだけホッとしつつも緊張の糸を切らずに着陸したジョニーは、エディの顔の為に西向きでシェルを停止させた。双方が一番弱い背面を晒しあう形で、しかもその間に難民を挟んでいる。
「地上に出る。全員警戒を怠るな。それと、ジョニーとヴァルターはシェルに残れ。何かあったら支援してくれ」
エディの声にジョニーは了解を送った。何ごとも無いようにと祈りつつも、シェルのコックピットから見える世界を眺めたジョニー。何処までも続くクレーターだらけの平原だが、一段盛り上がった辺りに太陽の光りを反射する金属製の何かが聳えているのが見えた。
――なんだあれ……
ジョニーの興味はその一点に絞られた。地上に降りたエディはシリウスロボのパイロットや難民たちと話をして居るにもかかわらず……だ。怒声も罵声もなく穏便な会話が続いているのだが、その言葉の全てを半ば聞き流しているジョニーは、視界に映る目映い存在に目を細めた。絶妙の角度で光を反射しているソレは、クレーターを形作る盛り上がった尾根の一番高い場所にそびえている。
――確かめたい……
そんな衝動に駆られたジョニー。理由などなく純粋な興味だった。そして、好奇心。何かに駆り立てられるような焦燥感を覚えつつも、いまは仕事だ。
「全員聞いてくれ」
エディの声が無線にこぼれた。
ふと我に返ったジョニーは、辺りを全く見ていなかったことに気が付いた。
「あのシリウスロボはここの難民の為のガードと言うことだ。一機撃破してしまったが、それに付いては戦死と言う事で話が付いた。残念だが偶発的衝突ではやむを得ない。ここの難民はニューホライズンの地球派市民で、各都市などから集められた、いわば棄民と言うことだ」
なんとも不愉快な話にジョニーの表情が曇る。
ただ、その心の中身は、まばゆく光るそのタワー状の何かに釘付けだった。心のどこかで『今すぐ見に行け!』と駆り立てられている。だが、そんな事が出来るはずもない状況で悶々としていた。
「結論から言えば、ここの難民は各都市から逃げてきたと言うことだ。シリウス独立派の中で急進派の勢いが強い街では地球派が闇討ちされたり、或いは粛清の憂き目にあって居るらしい。また、工場などへ駆り出され、かなりキツイ仕事をして居るとの事だ。まぁ、ある意味で予想通りだがな」
せせら笑うようなエディの言葉にアレックスが『現代におけるシベリア送りか』と笑った。共産主義政権下に限らず、強硬派が実権を握ると反対派は割を喰ってしまうのが避けられない。
「なんか嫌な話です……」
ボソリと漏らしたヴァルターは、モニターの中をジッと見ていた。
午後2時過ぎに降りたはずなのに、もう冬の短い陽が沈もうとしている頃だ。
「反対派が生きられぬ世界をファシズムと言う」
エディは無線の中にそう切り出した。
地上ではシリウスロボパイロットの代表と話し込んでいるのだが、その隙間をぬってあれやこれやの話が始まった。それは、エディの行なう士官学校教育だ。図らずもジョニーやヴァルターは社会人類学などの高度な学問的解釈を『実戦』を通じて学ぶ事になる。実践出来るかどうかは別として、それを体験できるのは大きな事なのだった。
「全体主義だったり軍国主義だったりと、その時代時代に応じて解釈は多い。だが共通して言える事は、現状の体制に反対を叫ぶと不利益をこうむり命の危険が迫り、粛清される事に対して社会が感心を示さなくなった状態を指す」
エディの説明に今度はジョニーが口を開いた。
「じゃぁ、今のシリウスはファシズムなんですか?」
その問いに対し、エディは間髪いれずに返答を帰した。
「その通りだ。反体制活動を行なう自由が無い社会体制がファシズムの本質だ。思うようにならなくて時の政権宰相や大統領を罵ったりする知恵遅れは多いが、それを行って逮捕されたり粛清されたり、自警団の様に、突然やって来て縛り首にするような状態をファシズム体制と言うんだ。俺たちはそのファシズムの片棒を担いではいけない。それを常に忘れるなよ」
小さな声で『ハイ』と答えたジョニーは、胸の中のどこかが熱くなった。自由と平等を標榜していた筈のシリウスがファシズムである事に衝撃を受けたのだ。そして、それを必ず打破すると。いつか必ずそれを打ち破ると。そう、心に硬く決めたのだった。




