ブートキャンプ(新兵訓練) / シリウス開発小史 1
――――2245年3月25日
ニューホライズン リョーガー大陸
ニューアメリカ州 州都サザンクロス
地球連邦軍シリウス本部 練兵場
「諸君! 私は地球連邦軍のマーキュリー少佐だ。母なる星シリウスの為に志願してきた諸君らを訓練できる事を誇りに思う。これから4週間、厳しい戦場で生き残れる一人前の兵士として諸君らを送り出す為に過酷なトレーニングを課す事になるだろう。だが、その全ては諸君らが戦場で死ぬ事が無いようにする為のものであるから、歯を食いしばって訓練について来るんだ。いつかやがてシリウスに平和が訪れた時、君らには平和を成し遂げたと言う何物にも変えがたい自信と誇りが残るだろう。諸君らの前に居るドリルサージェントは私と同じ地球軍の士官である。見たとおり、この7人で諸君らをしごき倒す。そして、アシスタントとして11人の下士官を用意してある。リタイヤするのは諸君らの自由だ。だが、世界は諸君らの力を必要としている。もうダメだ。もう無理だ。そう弱気の虫が顔を出した時は、諸君らがもっとも護りたい人の事を思い浮かべると良いだろう。自分の為では無く大切な人の為だ。そう思って頑張ろう! 人類万歳!」
夜露の降りた草原でストーブの明かりを前に言ったエディは、どこか神秘的な空気を纏っていた。
―――― 一緒に来ないか?
そんな言葉に絆されてやって来たジョニーは、気が付けばカーキ色の軍服を着てサザンクロスの練兵場に立っていた。周りには数多くの志願兵が並んでいて、皆一様に緊張した面持ちでエディを見ていた。
――――あのおっさん…… 少佐だったのか
想像以上に高級将校だったエディに驚くジョニー。だが、そんな事を考える前におよそ500人ほど並んでいた志願兵は50人ずつ程度に組み分けされ、それぞれ別の場所へ訓練に出かけていくのだった。
「さて、では始めよう」
ジョニーの班にはエディ自らが付いていた。アシスタントはジョニーの車を修理していたグーフィーことグッドフィールド。そして、ロージーと呼ばれているローズブローだ。
シリウス独立派が強いニューホライズンだが、ここニューアメリカ州は割と地球派と言える地域で、地上へ侵攻を始めた地球連邦軍の地上拠点として十個師団が駐屯するここは、ニューホライズンの地上で募集された地球派シリウス人の訓練拠点が置かれていた。
朝6時に集合が掛けられ、まだ暗いうちから行軍や敬礼の練習が続いたあと、厚く切ったハムや卵や新鮮な野菜をしっかりと食べられる朝食をとって、そしてエディの訓辞を聞いたのだった。
「さて、まずは腹ごなしだな。皆が大好きなプッシュアップだ」
うへぇ……
そんな声が漏れる中、エディは笛を咥えてリズムを取りながら腕立てを始めさせた。志願してきた若者たち50人が、必死の形相で腕立て伏せを始めていた。
「ワーン……トゥー……スリィー……フォゥー……」
笛の音とカウントに合わせ、腕立て伏せを続けている新兵達。身体を沈めた時には、肘が背中より上になっていなければならない。手を抜いた腕立て伏せを一人でも行った場合、その笛の回はカウントされない。
皆が必死になって言われた事を成し遂げようと頑張っている姿を見ながら、エディは淡々と笛を吹いていく。新兵向けに行われる軍務適合訓練は、人間の思想根幹を作り直す荒療治と言って良い。
士官と違い兵卒は新兵訓練が終わったら即実戦へ放り込まれてしまう。生きるか死ぬかの現場で咄嗟の判断をし生き残れるか戦死するかの差は紙一重。そんな現場では上官から指示された事に素早く反応できるかどうかで運命が分かれてしまう事が多い。
つまり、『泥に顔を突っ込め!』だとか『肥だめに逃げ込め!』とか、『臭い汚い格好悪い』や『無茶・理不尽・やりたくない』を考える前に命令を実行出来る様にするトレーニングとも言える。
上官に立つ人間というのは大なり小なりそんな現場を潜り抜けてきたのだから、経験者の命令は素直に聞く訓練とも言い換えられる。
ただ、勢いで身体を持ち上げられないゆっくりとしたリズムで腕立て伏せが続くと、精神的にも肉体的にも限界へは容易に到達する。志願した新兵達が歯を食いしばって腕立て伏せを続けている中、エディに誘われたジョニーもまた腕立て伏せを続けていた。
「おい小僧 まだたったの三十回だぜ。手を抜いてんじゃねーぞ!」
軽い調子でグーフィーに声を掛けられるも、疲労と苛立ちで言葉が出ないジョニー。まだ身体に合ってない地球軍の野戦服は、汗と泥汚れだらけだった。
「ジョニー。手を抜いたって良い事は何も無い。やり切れと言っても難しいだろうが、まず、やり遂げる事を覚えろ。死ぬか生き残れるかの境目その向こう側にあるやる気を出して頑張ると、不思議なもんで人間ってのはやり切れるもんだ」
ロージーはジョニーの肩をポンと叩きいずこかへ歩み去った。
「では第三セットへ入ろう。次はシットアップだ。用意!」
新兵の間を歩きながらエディは笛を片手にチラチラとジョニーを見ている。
――――なかなか頑張るな……
そんな事をふと思って、どこかちょっと意地悪な気持ちが頭を過ぎる。しかし、志願兵を潰してしまっては元もこうも無い。潰れるなら自発的にリタイアを申請させる。それもまた新兵教育のテクニックの一つ。
「おいジョニー! まだまだ訓練はこれからだぜ! 面白いだろ?」
動きの悪くなった腕を揉みながらジョニーは泣きそうな表情だった。
そんなジョニーの足元をロージーが抑えた。これから腹筋なのだから、その支援とも言えるのだが。
「俺は一等軍曹だ。ニックネームはガニー。ただ、だいたいはチーフで良い。それより」
ハッハッハと笑いながらグループ分けを進めるロージーの手は、ジョニーの軍服に浮き上がっている皺を伸ばす。曲がって被っている帽子をまっすぐに直し、ベルトのバックル位置を正した。
「隅々まで気を配れ。些細な所で手を抜くと、それが原因で失敗する」
失敗という言葉に少し驚いたジョニー。
だが、ロージーは構わず続けた。
「軍での失敗はつまり、戦死一直線と言う事だ。士官様と違って俺たち兵卒は消耗品だ。なんせ募集を掛ければ集まってくるし、集まらない時は召集令状一枚で用が済む。つまり、俺たちは生き残る為にまずは格段の努力が必要という訳だ。解りやすいだろ?」
ジョニーは頷く。
だが、そのジョニーに向かってロージーがいきなり叫んだ。
「返事は『イエス!』だ。士官様の命令なら最初と最後にサーを付けろ。サーサンドだ。士官様からアレをしろコレをしろと命じられたら、精一杯でかい声で叫べ。サー! イエッサー! 下士官から命じられたらサーサンドは要らない。イエッサー! かアイサー! だ。解りやすいだろ? まずはここから頭にたたき込め!」
どれほど取り繕っても、ジョニーはまだ二十歳にもなって無い子供だ。少年と言うにはいささか薹が立っているが、青年と言うには少々心許ない。その境目の一番多感な時期にこういう教育はどうだろうとエディも思ったのは事実だ。
だが、本来は学校などで学ぶ様々な事をジョニーは経験していない。人との付き合い方。言いたい事を上手く伝える方法。そして、相手の真意を見抜くトレーニングや、自分が聞き出したい事を相手から自発的に喋らせる操話術。
短い間だが、自分の持てる全てを教えよう。教官役の五〇一中隊は、皆同じ目標を持っていた……
「では始めよう。同じリズムで行くぞ」
笛を咥えたエディは志願兵の間を歩きながら定期的に笛を吹いている。
それに合わせ志願兵は腹筋を続けている。
「諸君。朝からノンストップでのトレーニングだが、コレが終わればシャワータイム。そしてお待ちかねのチャウタイムだ。もう一息頑張れ」
指導教官は厳しいだけじゃ務まらない。時には気を抜き、そして緊張と疲労を一時でも忘れさせるテクニックが要る。全てが計算されつくしたカリキュラムで、全くの一般人を戦場で生き残れる兵士に鍛え上げる。
「志願兵諸君。そのまま腹筋を続けながら聞くんだ。なぜ食事が大事なのか? なぜかと言えば、身体に必要なエネルギー源であり、そして、効率的に摂取するには食事でしか出来ないからだ。食べられる時にシッカリ食べる。それが出来ないと生き残れない」
志願兵の脳裏に浮かぶのはチャウタイムのメニュー。テーブルに並ぶ厚く切られたベーコンとスクランブルエッグ。砂糖のたっぷりと入ったコーヒーとパン。新鮮な野菜とスープ。貧しいシリウスの農民や町民では、ちょっとお目に掛かれないレベルが並ぶ。
「ただ、食べ過ぎると午後の訓練を乗り切れない。食べ過ぎ注意だ。腹も身のうちと言うからな。まぁ、まずは訓練を乗り切ろう」
ゆっくりと笛を吹きながら、エディはジョニーの頑張りに目を細めていた。挫けそうになりながらも必死で付いてくるその姿に、エディは忘れかけていた遠い記憶を思い出しつつあった……
シリウス開発小史 その1
シリウス開拓の始まり 火星開発と同時進行
時は西暦2045年。地球上に暮らす人類の人口は遂に100億へ到達した。21世紀の初頭より幾度も検討されてきた『地球はいったい何人まで養えるのか?』という命題に明確な回答を示せぬまま数だけが増えてきた。
増え続ける貧困と格差。富める者は益々富を集め、貧しい者は永久に貧しさから抜け出せない負のスパイラルは、人類の未来へ絶望と言う影を落とし始めていた。
増え続ける犯罪。新しい病。はびこる薬物汚染。そして拝金主義。他人を蹴落とさなければ自分が貧しくなる。その負の連鎖を富める手立ては一切無い。
そんな絶望の中。アメリカ合衆国を中心とした旧西側先進諸国は最後のフロンティアを創造する事で事態の打開を図った。20世紀末から開発が始まった国際宇宙ステーションを足がかりにし、大規模な宇宙開拓計画を提案。先ず手始めに火星への進出を目指した。
ニューフロンティア計画と銘打たれたそのプランは、火星での大規模なテラフォームと言う実験を兼ねていた。そしてそれは、拡大再生産を続ける貧困層を惑星外へ植民させ、貧困や格差を一気に解消を図る意欲的な取り組みであった。もっとも、それ自体は地球人類が過去何度も経験した失敗を再び繰り返すだけと言う批判と同居したものであったのだが。
西暦2046年。
最初の作業植民団が火星に到達し、地味で地道なテラフォーミング計画がスタートする。最初の作業は大気の組成を変える事で、二酸化炭素を減らし酸素を増やす地道な作業と水を生み出す作業により、30年掛かって比較的標高の低い北極点を中心としたエリアに北極洋と呼ばれる海が誕生する。
かつての地球がそうであったように、母なる海を作り出した惑星は一気に気候の改善が進んでいく。低かった気圧が高まり、大気の組成に酸素が増え始めた。地球から持ち込まれた酸素生成生物が海の中へバラ撒かれ、それらはゆっくりと火星の土に馴染んでいった。
2080年頃。着々とテラフォーミングの進む火星の周回軌道にいた深宇宙観測衛星の光学観測器があるものを捕らえた。まったくの偶然だったが、シリウスを周回する惑星群を発見したのだった。以前より観測されていたシリウスの伴星は白色矮星だったのだが、それとは別に存在した惑星群は、地球太陽系を遙かに超える巨大な公転軌道を持った惑星系だった。そして、その中に地球とよく似た環境を持つと思われる惑星を発見する。地球中が沸き立ったその報により、人類の宇宙開発計画はギアが一つ上がったのだった。
火星開発の進行が順調な最中、片道20年を要するシリウスへ人を送り込み、直接惑星を観察しようというプランが浮かび上がる。国連主導による宇宙開発委員会がスタートし、旧宇宙ステーション管理諸国によるシリウス開発の為の国際組織が立ち上げられた。
世界最高の頭脳による人類史上初の太陽系外惑星へ向けた往還船建造計画がスタートし、それ自体が一つの巨大公共事業として貧富の差や貧困層への資金環流を助ける形になっていた。
そして2105年。選抜された一千人のフライトクルーを飲み込む巨大な亜光速惑星系往還船『エンタープライズ』が建造された。約5年に及ぶクルーの習熟訓練は、エンタープライズが太陽系内を3周するに至った。
その間。一切地球に立ち寄らず、広大な宇宙の中の小さな離れ小島となった完全孤立環境を作りだし、その苦痛に耐え抜ける強靱な精神力の持ち主だけを乗せ、西暦2110年の秋、遂に地球を出発。
道中の巨大惑星で次々とスイングバイ加速を実行し、それに合わせ大型大出力イオンエンジンの全力運転を行い続けた結果、光速の55%にまで速度が到達。過去、地球人類の経験した事が無い超高速でエンタープライズはシリウスを目指した。
2130年1月1日。国連の宇宙開発委員会は、シリウス恒星系第4惑星をニューホライズンと命名。同年より地球から入った調査チームがシリウスの調査を開始したのだが、光速ですら8年少々を要する距離にあるシリウスの為、観測チームはある意味で独立した意思を持つ集団として機能を始めていた。
最初期には地球側でもその体制が問題となったのだが、そんな事よりも続々とシリウスから届き始めた観測結果と情報に地球側の問題提起は霞んでしまったのだった。まだ若い星と見積もられては居たのだが、実際に現地を観測してみれば、ニューホライズンは地球における白亜紀の初期程度と見られる植物の繁栄が確認され、同時に大型両生類と爬虫類の天国だった。
連日連夜、様々な情報が続々と地球に届き続け、地球側はその情報の解析と検討で大騒ぎを続けていた。
そして、2145年。
足かけ15年に及ぶ調査の結果、地球人類の地上降下が可能と結論づけたシリウス観測チームは直接ニューホライズンの地上へと降下し、広大な草原でヘルメットを取って空を見上げると言うシーンを地球へと送ってきた。世界の主要8言語を使って地球に送られたメッセージはシンプルながら、壮絶なインパクトを持って地球人類の中を駆け巡った。
『地球のみなさん! ここは人類の移住が可能です!』と。
数日後、シリウス調査団は地上に観測拠点を構築したと地球へ報告を上げた。そして、志願した男女八名ずつ八組十六人の調査員がニューホライズンを残し、調査団は地球へ向けて帰還を開始した。後に始まりの八組と呼ばれる事になるメンバーだった。
2150年。
ニューホライズンに残った者達の間から最初のシリウス生まれが現れる。
最初の男の子はガイア。次の生まれた女の子はニュクス。次の男の子が生まれタルタロス。四人目は女の子エレボスと名付けられた。その後全部で三十四人の子が生まれ、順次ギリシャ神話に基づく命名が行われた。この五十人は後にシリウスの運命を左右する大きな決断を下す事になるのだった……