選択と決断
この日。
出撃命令の無い501中隊の士官候補生は、朝からひたすら勉学に励んでいた。
もともと余り教育を受けていないジョニーたちは、基礎的な部分での学力向上を目指して特訓に近い授業を受けていた。僅か4名の候補生はどれもが貧しいエリア出身で、基礎学力を身につけるべき年齢の頃には、既に働いていた有様だった。
「さて、午前中の講義はこれくらいにしておこうか」
教官役となる特務隊の大佐が講義を〆たので、ジョニーたちは立ち上がり敬礼を送る。数学や物理学。科学に社会工学。そして、言語学。要するに小学校レベルの部分からの学力を再確認し、その上で応用教育を受けるのだ。
「算数って役に立つんだな」
新鮮な驚きで数列を眺めているディージョは、シェルを使って教えられる運動物理の計算術を体得していた。驚くべき事だが、この4人は高校生のレベルに達していない学力だったのだ。
「理屈って言うけど、本当に凄いわ」
「ホントだな」
ジョニーとヴァルターも驚いている。
身体を動かし頭を働かせ、敵と戦って勝利を収めるだけなら今でも充分に戦力になる。だが、ここから先、人を使い、部下を使い、必要な結果を得る為に努力しなければならない。
「すべて役に立つんだな」
必死になってノートに書き写していたウッディも、その算術経過を改めて再確認し驚きの言葉を漏らしていた。
「シリウスが発展しない理由ってこれだったんだな」
ディージョは悔しそうな呟きを漏らした。
いつになっても地球に搾取され続ける哀しみ。
それはすべて、問題意識の無さと学力の無さに帰結していた。
「バカが多すぎたって事だな」
肩を窄めてジョニーは自嘲した。
自らを含め、学問を疎かにしすぎた。勉強なんかしなくたって問題ない。
その結果が『搾取される側から抜け出せない』と言う、負のスパイラルだ。
「さて、昼飯にしようぜ」
「そうだな。今日は朝から色々ありすぎた」
ディージョの言葉にヴァルターが楽しそうに答える。
その言葉を聞いたジョニーは『ッチ!』と舌打ちして不機嫌そうな顔になった。
「おいおい、ジョニー!」
「そうだぜ! 仕方がねぇだろ」
ディージョとヴァルターはからかう様にジョニーを見た。
不機嫌そうな表情のジョニーもボリボリと頭を掻き毟っている。
「頭じゃ分かっているんだけどなぁ」
「同じレベルに堕ちる事はないよ」
ジョニーのボヤキにウッディが答えた。
小さな声で『そうだけどなぁ』と呟いたジョニー。
どこか納得が行かなそうにしていた。
――――――――2246年 2月 7日 午前12時
ニューホライズン周回軌道上 ハルゼー艦内
実はこの日の朝。501中隊に新入りがやってきていた。
先の戦闘で救助したバンデットライダーのパイロットだが、頚椎部分が圧迫骨折を起こして座屈し、全身麻痺を起こしていたのだった。そのパイロットはありあわせのパーツでサイボーグ化したのだが、思うように身動きが取れなくて失敗作一歩前だったという。
「ジョニーが憤るのは解る。実際、私も余り良い感情は無い。だけど」
冷静な会話をする時のウッディは、言葉遣いが丁寧で上品だ。
学力的には大した差では無いのだが、とにかく育ちが良い印象だ。
「あぁ、軍隊慣れしすぎたってのもわかるけど」
苦虫を噛み潰したような表情のジョニー。
新入りはロナルドと名乗り、ニューホライズンはリョーガー大陸最大の都市、サザンクロス出身だという。父親は地球からやって来た行政府の官僚で、母親は弁護士。兄はサザンクロスで外科医をしていたらしいが、少し前に独立派による暗殺で死亡。
姉がひとり居たそうだが、地球側との戦闘が始まる前に行方不明になり、戦闘が激化した頃になって父親が唐突に死亡通知を確認したと言い出したのだそうだ。
「あれも一筋縄の性格じゃ無さそうだぜ」
「まぁ、地上で色々あったんだろうさ」
ディージョとヴァルターは大家族で育ったらしく、扱いの難しい弟をどう御するかに付いては余り心配はしていないようだ。ただ……
「だからと言ってアレはなぁ」
ジョニーが腹を立てているのは、そのロナルドの叫んだ一言だった。
――サイボーグになりたいなんて一言も言ってないのに!
――勝手に施術しておいて同意しろ何ておかしい!
ジョニーだけでなく、ディージョやヴァルターも引きつった表情になった。冷静に考えれば、この501中隊で本人承知のサイボーグ化など一人も居ない。みんな気が付けばサイボーグになっていて『今日から士官候補生な?』と、本人と意思など一切無視した強大な思惑と方針に縛り付けられていた。
「だけど…… まぁ、あれじゃないか?」
「なんだよ。はっきり言えよ」
言葉を飲み込んだディージョにまでジョニーは噛み付く。
その刺々しさにヴァルターは笑った。
「ジョニーの弱点は案外こんなところだったか」
「弱点ってなんだよ!」
「いや、ジョニーは他人の感情に流され過ぎるんだな」
ヴァルターの口からポンと出た言葉にジョニーは驚く。
だが、言われてみればその通りだった。
「……ッチ!」
舌打ちして不機嫌になるジョニーだが、ヴァルターもディージョも笑うばかりだった。ジョニーの見せた『人間臭さ』は、皆がなんとなく感じていた機械臭さに染まりつつある自分たちへの恐怖を拭い去るモノだったのだ。
「感情的になるのって良いよな」
「あぁ。人間臭いぜ」
はっきり言われれば、ジョニーだって苦笑いするしかない。
小さく溜息をこぼしつつ立ち上がったジョニー。
だが、部屋を出ようとした一行の前に再びエディが姿を現した。
朝以来の顔合わせとなるロナルドをつれて。
「さて、ロニーのフィッティングも問題無さそうだし、本格的に合流する事にしようと思うが、どうだ?」
まるで嗾けるような言葉がエディの口を突いて出た。
ジョニーは益々不機嫌そうな顔になったものの、ギリギリで爆発を抑えていた。
だが、どこか不貞腐れたような態度のロナルドは、誰とも目を合わせない。
我儘いっぱいに育った末っ子モードだと目を細めるヴァルターは、ディージョと顔を見合してニマニマと笑うのだった。
「……少佐殿」
まだまだ幼い男の声だロナルドの口から漏れた。
「なんだ?」
「ここに異動は拒否できませんか?」
「……拒否しても良いが、その身体のメンテナンスはここでしか出来ないぞ?」
「……ッチ」
小さく舌打ちしたロナルドは床を見つめて腐っている。
その態度にジョニーは今にも爆発しそうなのだが、ウッディはそんなジョニーの肩をポンと叩き、落ち着けと言わんばかりにジョニーを見た。
「ジョニー」
「……あぁ」
怒りを噛み殺してジッとロナルドを見ていたジョニー。
だが次の瞬間……
「そもそも軍隊なんて入る気無かったのに…… 何で僕がシリウス人なんかと一緒にこんな事しなきゃいけないんだよ…… まったく……」
ボソリと呟いたロナルドの一言は、ジョニーの感情を押さえつけていた最後の鎖をものの見事に断ち切ってしまった。
「おぃ! 腐れガキ! てめぇ何様のつもりだ!」
一歩踏み出して迫ったジョニーの右腕は、真正面からロナルドの顔面を捉えた。
サイボーグの踏み込みと腕力なのだから、並の人間なら一撃で絶命しかねない。
だが、ロナルドとて戦闘用サイボーグだから、少々では死にはしない。
ついカッとなったジョニーの一撃はロナルドのハートに延焼してしまう。
「何様だぁ! ふざけんな! 地球人さまだ!」
「んだと!」
「お前らと違うんだよ!」
一撃を受けたロナルドは床を蹴って立ち上がり、今度はジョニーに殴り掛かっていった。だが、散々地上で自警団とやり合ってきたジョニーにしてみれば、そのパンチなど簡単に軌道を読みきれるモノだった。
「お前だってシリウス生まれだろうに!」
ロナルドのパンチを軽くかわしたジョニーは、今度はロナルドの腹部めがけて振り上げ方向でこぶしを振った。身体をくの字に曲げて一撃を受けたロナルドだが、内臓へのダメージがありえないサイボーグゆえに痛みを無視して殴り返した。
速度がそれほど乗ってない一撃だが、それでもロナルドの拳はジョニーの胸を叩いた。心臓震盪を起こすような一撃だったとしてもサイボーグには関係ない。
「おいおい、大事な機材を壊すなよ? 今はもうスペアパーツが無いんだ」
唐突に響いた声で腕を止めたジョニー。
チャンスとばかりに一撃を入れに来たロナルドのパンチを軽く止め、その声を方向を見たとき、ジョニーは凍りついた。
「……え?」
驚きの声を漏らしたジョニーに釣られ皆がその声の主を見つめる。
そこには全身をFRPと高分子プラスチックに覆われた、船外作業用のAIロボットが立っていた。ただ、その頭部は上半分だけがカバーに覆われていて、下半分は見覚えの有る男の顔だった。
「……ウッ! ウェイド!」
「嘘だろ?」
「なんだそれ!」
「どうしたのですか?」
ジョニーを皮切りに、ディージョもヴァルターもウッディも驚いた。
そして、ジョニーに襟倉をつかまれたままのロナルドも。
「どうだ? 似合うか?」
両腕を広げ鮮やかにターンを決めたウェイドは、全身にプレートメイルを着込んだ騎士のような姿で立っていた。ただ、そのプレートメイルはすべてプラスチック製なのだが……
「……まず、最初に言って置く必要がある」
静かに切り出したエディはジョニーたちを見た。
「先に救援した輸送船だが、大多数の補給物資は失われ、我々サイボーグに必要なパーツの大半は失われた。消耗品と言うべき細々とした部品だけでなく、保守修理用のスペアパーツも無いということだ。つまり」
ニヤリと笑ったエディはジョニーとロナルドを引き剥がすと、ふたりの頬へ1発ずつビンタを入れた。
「どんな理由があろうとも、機材を壊すな。つまり、自分自身を壊すな」
離れろ!と態度で示すように二人を引き剥がしたエディ。
続いて今度はウェイドを見た。腕を組み思案するような姿だ。
「ロナルド。本来なら君は死ぬはずだった。もちろん、あの時にな」
「……はい」
「だが、君は、君だけは生き残った。あの、全く無駄な戦場体験と言う馬鹿げた企画を通した少将は更迭され、どういうわけか君だけが生き残った。それの理由は君も解るだろう?」
「……父ですか?」
「そうだ。君の父親は君が死なない為に最大限の政治力を駆使した」
「余計な事を……」
「そうだな。君にしてみれば余計な事だ。だが」
ロナルドの肩に手を宛てたエディは、僅かに浮かせた後でロナルドの頬を力一杯押しだし、プラスチックの人形に成り下がったウェイドにぶつけた。
「そこに居るのは君と同じ士官候補生、ウェイド准尉だ。地球からやって来たサイボーグ技師で神経構造外科と循環器内科の両方に資格を持つ医師だ。もちろん、俺が率いる501中隊の中核をなす隊員で、優秀な医療兵だった。だがな」
エディはニヤリと笑いつつも、射抜くような恐ろしい殺意を湛えた眼差しでロナルドを見た。まるで得物を狙う肉食獣のような、高空から急降下してくる猛禽類のような、そんな眼差しだ。
「先の戦闘で重傷を負ったウェイドはサイボーグにとって最も重要なブリッジチップを損傷した。その補修パーツは輸送船の中に納められたコンテナの中に入っていた。4隻の輸送船の内3隻が沈み、のこる一隻の中に入っていたブリッジチップで使えるのは一つしかなかった。ただ、そのチップを今のウェイドは使っていない。では、そのチップが何処に有るか…… わかるか?」
相当勘の悪い人間であっても、その答えは理解出来るはず。
事実、ロナルドの表情から全ての相が抜け落ちた。
「まさか…… まさか…… まさ……」
ウェイドとエディを交互に見たロナルドは、数歩下がってもう一度ウェイドを見た。全身がプラスチックに覆われたウェイドは、その身体からモーターの音を響かせている。
「ブリッジチップだけじゃ無い。有機転換リアクターなども使える部品はひとつだけだったんだよ。だが、それらは全て君が使っている。生きるか死ぬかの瀬戸際にいたのは君だけじゃ無い。そっちのウェイドも同じだった。そして」
エディはロナルドを指さして死の宣告でもするように言う。
「生きたいと願う人間では無く、迷惑だと言い切る人間を生かしてしまった」
静まりかえった部屋の中には、ウェイドの身体から発せられるモーターの音だけが響いていた。まともなサイボーグの身体は無駄な音を発さないように作られている。
だが、苦肉の策で作業用アンドロイドの身体を使っているウェイドは、身体中からアクチュエーター用のモーター音を響かせている。そして、制御パネル冷却用のファン駆動音も。
「死にたいなら止めはしない」
エディは腰に下げていた拳銃を抜き取り、ロナルドにポンと投げ渡した。
本物の拳銃の重量感は、ズシリとロナルドの手に伝わってくる。
「それで頭を打てばブリッジチップを撃ち抜いて即死だ。サイボーグと言えど助からないだろう。君がそれで良いと思うならそうすれば良い。誰も止めやしない。望まぬ形で地球人義勇隊の参戦に狩り出され、望んだ訳で無いのにバンデットを宛がわれ、拒否する事も出来ず出撃させられ、たった一人を除いて全員死亡。その残された君もサイボーグ化の末に拳銃自殺と有れば、マスコミは喜んで飛びつくさ」
拳銃をジッと見ていたロナルドは、その銃口を頭に付けた。
そして、引き金に指を乗せ、目を閉じてグッと奥歯を噛んだ。
だが、ロナルドはカタカタと音を立てて震え始める。
「怖い……」
拳銃を握りしめたまま、ロナルドは震え続けた。
「死ぬなら早くしろ。何せ我々は軍人だ。君がモタモタしている間に、我々が助けるべき市民が死んでいるかも知れない。君が死のうと生きようと君の自由だ。地上のどこかで誰かが死んでいるかも知れないが、それも君には関係無い。さぁ選択すると良いさ。まだその自由がある」
目を見開いたロナルドはウェイドをジッと見た。
腕を組んで立っているウェイドの目を見ることは出来ない。
だが、怒っている風でも嘆いている風でも無く、ウェイドは普通に立っていた。
「サイボーグは大変だ。死にたいなら早めに死んだ方が良いぞ?」
ウェイドもサラッと非道い事を言った。
だが、ロナルドは決断しきれなかった。
拳銃を降ろして、呆然と立っていた。
「サイボーグの契約って10年なんですよね?」
「そうだ。10年は長いぞ?」
ロナルドは何も言わず、なんども頷いている。
誰かの意志や思惑や野望では無く、決断する重さをロナルドは初めて知った。
自分の意志で何かを決めるその意味を知り、少年は大人になるのかも知れない。
「少佐殿…… よろしくお願いします」
「わかった。後悔するなよ?」
「はい」
この時点でジョニーはやっと全てが繋がった。
ロナルドは、今この時点で501中隊に加入することになるのだと。
中身が子供だったロナルドを育てるためにエディは試練を与えた。
ウェイドを見せる事で、厳しい局面での決断を促したのだ。
――だからって……
ただ、まだどこか心の中にしこりが残っている。
それを思う度にジョニーは言い様の知れぬイライラを感じる。
乗り越えなければならない壁なんだと気が付いているのだが、当のジョニーもまだまだ子供なのだった。




