ミッシングリング
静まり返った部屋の中には、ハルゼーの艦全体を振動させるジェネレーターの音が伝わっていた。ジッと黙って様子を伺ってきたジョニーは、ウェイドが何を言い出すのかをアレこれ考えていた。
「実は……」
顔を上げたウェイドは酷く真面目な顔をしてジョニーを見た。
「リーナー少尉は…… 生きた死体だ」
「……はぁ?」
唐突に切り出したウェイドの言葉をギリギリの所で吹き出さずに済ませたジョニーだが、それでも笑いを噛み殺しきる事が難しい。いきなり何を言い出すのかと言えば……
「まさか少尉がゾンビだとか言うんじゃ……」
「そのゾンビなら話は早い。実はそうじゃないんだ」
真面目な顔のままのウェイドはジョニーの目をジッと見ていた。
「さっき言ったと思うが、自分が自分である事を認識出来ない場合、その人間の本体ってどこにあると思う?」
随分哲学的な事を聞くな……と、ジョニーは頭を抱えた。
少なくとも、終わりの無い思考の堂々巡りを無限に考え続けるなんて、ジョニーの性には合わない事だ。
「すいません。もうちょっとわかりやすく……」
助け船を求めたジョニーに対し、一度視線を床へと落としたウェイドは再びジョニーをジッと見ていた。
「じゃぁ、単刀直入に言うが……」
辺りを確かめ誰も聞き耳を立ててないと確認したウェイドは、声のトーンを落として切り出した。
「少尉もかつては生身だった」
「でしょうね」
「だが『リーナー』という人格は。人間はそもそも存在しないんだ」
「はぁ?」
「リーナー少尉の中に居る本当の人格は俺もわからない。ただ……」
「……ただ?」
ウェイドはジョニーへグッと顔を寄せた。
そして、声のボリュームを更に絞っていた。
「少尉は脳に深刻な障害を受けている」
「脳に?」
ゆっくり頷いて、そして今度は首を若干傾げた。
「サイボーグ化した理由は俺も知らない。ただ、いま現状の少尉は……」
ウェイドの指が自分のこめかみをトンと叩いた。
「記憶が5秒以上続かないんだ。5秒前の事を全て忘れてしまう」
「え? でも……」
「今は少尉の記憶は自動でバックアップされているんだ」
「バックアップって……」
「経験した事や考えた事の全てがボディ内部のストレージに保管されている」
その言葉にクワッと目を見開いたジョニー。
ウェイドは構わず続けた。
「記憶と生命維持の複数系統化・冗長化を施された、事実上の実験動物だ」
「でも、それなら俺たちだって実験動物じゃ」
ジョニーは自分自身も実験動物であると思った。今回だって激しい戦闘を終えて帰還すれば、整備班のスタッフが最高の笑顔でデーターを抜き取っている。
サイボーグボディのメーカーから出向で来ている特務機関兵らにしてみれば、ジョニーたちは間違い無く実験台の筈だ。
「実験的な存在である事に異論は無い。俺だって実験台だし、むしろ自分自身を実験台にしているからな。だけど……」
殊更わかりやすく『だけど』の位置を強く言ったウェイドは、いきなりシリアスな表情になった。
「リーナー少尉は自分自身がリーナーという人格である事を疑わないように模擬記憶を転写されているだけで、オリジナルの人格は催眠術かなんかで封印されている」
え?と驚きの表情を浮かべたジョニー。
ウェイドは構わず話を前に進めた。
「オリジナル人格が前に出てくる条件は非常に限られている。そして、その鍵は特定の人物が持っているらしいのだが、俺はそれを知らない」
「エディじゃ無いのか?」
「俺もそう思ってな。以前直接聞いた事がある。だが」
両手を広げたウェイドは顔をしかめた。
「エディは肯定も否定もせずに、ただ黙ったままだった」
「それって」
「俺はそれがエディの『俺じゃ無い』という意志表示だと…… 理解した」
ウェイドの言葉からジョニーが思うのは、何とも不思議な感触だ。エディは何で肯定も否定もしなかったのか。それの意味が理解出来ない。
ただ、一つだけ確実な事があるとすれば、エディはそれを悲しんでいる。理屈では無く直感としてジョニーはそう感じた。何故悲しいのかはわからないが、それでも、エディは悲しんでいるのだと。
「リーナー少尉は愚直なまでにエディに尽くすようにプログラムされたAIだ」
「……本当ですか?」
「あぁ。間違い無い。ただ、並のAIじゃ無い。相当高度な実験AIだ」
身振り手振りまでもが密やかなようになり、ウェイドは声を相当絞っている。
「まるで中世の騎士のようだ。或いは、立場ある貴族のようだ」
「それって……」
「仮にエディが『俺のために死んでくれ』と言ったら、少尉は笑って死ぬだろう」
ポカンと口を開けたジョニーは首を左右に振った。
脳殻を納めたハッチの蓋がカタカタと揺れて音を立てた。
「その時、少尉は記憶のバックアップを取ってあるチップを残して死ぬ」
「記憶の?」
「そうだ。そして次のボディに記憶チップを差し込んで、少尉は次の人生さ」
「じゃ! じゃぁ!」
「たぶん…… 三人目だ」
「三人目?」
上ずった声でジョニーは聞き返した。その声が存外に大きかったのか、ウェイドは両手をジョニーへ見せ『静かに聞け』のポーズだ。
「オリジナルの人格はどういう形で死んだのかわからない」
ジョニーもシリアスな表情になり、黙って頷いた。
「オリジナルの後を受けた最初のリーナー少尉は地球上で死んだ」
「地球……」
「2番目も地球でシリウスを駆逐する戦闘で死んだ」
「いまは?」
「今は3番目の人生を生きている」
「そう言う事か」
「そうさ。ここシリウスまで来てエディをサポートしている」
ウェイドは僅かに首を振った。
うんざりだという空気を演出するために。
「少尉には恐怖という感情が無い。後悔も無い。損する事を厭わない」
「そう作られてるんですね」
「そう言う事だな」
ベッドに寝転がったままのジョニーは僅かに首を傾げた。
「だけど、なんでそれを俺に?」
「ジョニーが自分自身を疑っているからだ」
「疑ってるわけじゃ無いけど……」
僅かに言いよどんだジョニーだが、ふとウェイドの話しの矛盾に気が付いた。
「疑ってる俺に少尉の話をするのって変じゃ無いですか」
「その通りだ。だから、ここからが少尉の秘密の核心だ」
「核心?」
「そうだ」
再びジョニーの顔を覗き込んだウェイドは、信じられない物を見たとでも言いたげな表情になっていた。鬼気迫るその顔にジョニーは気圧されてしまう。
「ジョニーが志願してくる少し前の事だ。定期メンテナンスで少尉のデータバンクエリアにある取り立てて不自然ではないフォルダの一つを偶然開けた事がある。通常の対応ではまず手を触れないところだ」
僅かに目を逸らしたウェイドは記憶を手繰るようにしている。
「そのフォルダには通常なら絶対見つけられないブラインドフォルダがあった。通常の活動モードでは本人が手を触れられないディレクトリだ。メンテナンスモードの時のみ、外部からだけアクセスできる特殊なディレクトリだ」
再びジョニーを見たウェイド。その眼差しの強さにジョニーは驚く。
「俺は好奇心を抑えられなくてそのフォルダの中身を見た。そうしたら、過去に経験した人生の断面が全て記録されていた。言うまでもなく少尉の経験した別系統の人格の人生だ。そして、その中身を遡って行って一番上のルートディレクトリを開けようとした時のことだ……」
ジョニーは思わず息を呑んだ。
ウェイドの顔に凶相が浮いたからだ。
「メンテナンスモードで動かない筈の少尉がいきなり喋ったんだよ」
「……ありえない」
「そうだ。普通ならありえない。だけど、間違いなく動いたんだ」
目を大きく見開いたウェイドは小さな声で呟くようになり始めた。
「手入れご苦労。ただ、申し訳ないが、そこは触らないでもらえぬか。これは余が自ら望んで行なっている事だ。余はあの男の為に七度死ぬと決めたのだ。そなたの手を煩わせ申し訳ないが、余の臨むままにさせてくれぬか」
何とも時代掛かった古風な言い回しをしたウェイド。まるで中世の貴族の様に、しかも、『WE』などと言うのは相当階級が高い証拠だ。
「それって……」
「リーナー少尉の中にいる本当の人格は、あの人生を望んで行なっている」
「まるで奴隷のようですけど」
「そうだ。その通りだ。俺もそう言ったんだ。そしたら……」
一つ息を吐いてからウェイドは同じように小さな声で言う。
「余の行いと振る舞いには意味がある。人間とは姿や形や肩書きなどでその存在の価値を計ってはならぬ。どう生き、どう死んだか。意味ある死を迎えられたかが重要なのだ。人間の価値の本質とはそれなのだ」
ウェイドの言葉を聞いたジョニーは口の中で言葉を反芻した。
――姿や形に意味は無い どう生き、どう死んだかが重要だ……
まだ上手く表現出来ない思いがモヤモヤとしたガンスモークの様にジョニーの心にあった。ただ、それとは全く違う次元でギアの歯がガッチリと噛み合う様な感覚が沸き起こってきた。
それが何で有るかを言葉にする事は出来なくとも、その正体が何であるかは理解できた。ジョニーにとって二つと無い大切な存在が消え去ったあと、ガラスの表面にこびりついた油汚れの様に、拭っても拭っても取り切れない染みの様になっていたのだ。
「俺は本気で驚いた。そして、少尉のメインシステムを再起動させたとき、メンテナンス中に喋った事を一切記憶してなくて、少尉はそのまま普通にしていたんだ。だから余計に俺は驚いたってことさ」
ウェイドは手を広げ『わかるか?』と言うような仕草を取った。
「後に俺は少尉に聞いたんだ。少尉は今の境遇に満足してますか?って。そしたら少尉はしばらく考えてからこう言った。『俺は俺の内なる声に導かれて生きているのさ。その声は決して間違っていない』ってな」
ハッと驚いた表情でウェイドを見たジョニー。
ウェイドはゆっくり頷いた。
「きっと少尉は心の中にあの声を聞いているんだろうなと思った。そして、少尉は自分の人生の目標を疑っていない。生きる意味とか、価値とか、そう言うものだ」
ジョニーはこの時点でやっと、ウェイド行なったの『カウンセリング』の正体に気が付いた。
「つまり、自分を疑うなって言うのは」
「自分の夢を裏切るなって事だ」
「なら、このカウンセリングは無意味ですよ」
「無意味?」
「そうです」
ジョニーはニヤリと笑った。
「俺は決めたんだ。あの時、ザリシャの基地内で艦砲射撃の衝撃を受けながら、決めたんだ。必ず、絶対、果たすと決めたんだ」
ふいに目をやったモニターには、ジョニーの脳痛原因物質が除去されたと表示が浮き上がっていた。それを読んだウェイドはジョニーの脳殻部に接続されていたケーブルやチューブを取り外し、衛生上の消毒処理をしてからハッチを閉めた。その一連の動きを受けつつ、ジョニーは独り言の様に言い続けていた。
「俺のオリジナルがすでに死んでいるなら…… きっとリディアと一緒に居るだろうし、一緒に居てくれると嬉しいし、今も一緒に居たい」
「だろうな」
若者らしいまっすぐな物言いにウェイドは優しく笑った。
「今の俺がジョニーの抜け殻で、オリジナルのジョニーとは似ても似付かぬ物だとしても、オリジナルの俺と、そして大事なリディアを殺した奴にペイバックするだけだ」
何とも物騒な事を言いつつジョニーは笑った。
ただ、その目が完全にシリアルキラーになっているとウェイドは思った。
――コレはコレで…… やべぇな……
「あんまり物騒な事を言ってると、そのうち自分まで殺す事になるぞ」
「そうですか?」
「そうさ」
医務室の中の機材を片付け始めたウェイドは独り言の様に言い始めた。
「ジョニーが目を覚ました医療船の名前、覚えてるか?」
「えっと…… アグネサヴォヤージェ……ですね」
「そう。アグネサだ。白衣の天使と謳われ最初の近代看護婦となったナイチンゲールをネームシップにする医療船の3番艦。そのアグネサの名前って何処から来たか知ってるか?」
「……いえ、わかりません」
機材を片付けながら振り返ったウェイドはニヤリと笑った。
「マザーテレサと呼ばれた人物だ」
「……誰ですか?」
「貧しい者や老いた者や、社会から斬り捨てられた者達の、その人生の最期を優しく看取ろうと活動した老婆だ。色々と悪い噂は山とあるが…… まぁ、世界中から集まった莫大な寄付金は何処へ消えたんだ?って話なんだが、それより遺した実績の方が大きいのさ。それに、良い言葉をいろいろと残している」
綺麗に片付け終わったウェイドはジョニーを誘って部屋を出た。
ハルゼーの艦内を歩きながらも話しは続くのだが。
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから」
指を一本立ててそう言ったウェイドは、指の数を一本増やして話を続けた。少し鬱陶しいほどなのだが、それでもジョニーは素直に聞いていた。
「言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから」
無くなった筈の心臓がドキリとした。
そしてジョニーはウェイドをジッと見た。
その動きにウェイドはジョニーの心中を感じ取った。
「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから」
立ち止まってジョニーを見たウェイドの指は四本目が起き上がろうとしていた。
その指がまるで自分に突き刺さるように見え、ジョニーは思わず胸を押さえた。
「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。そして最後にこう結ばれる。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」
小さな声で『運命』と呟いたジョニー。
ウェイドはそんな姿を見ながら効果を実感した。
――効いてる…… 効いてるな……
「まぁ、言葉の意味はまた今度じっくり考えればいいさ」
「はい」
「あんまり硬くなるな。今は俺もお前も士官候補生で同じランクって事になってるんだ。それに、俺はもともと軍人でも軍属でもないんだからな」
え?と驚きの表情を浮かべたジョニー。
再び歩き出したウェイドはそのまま士官向けサロンへと入っていった。
「エディ」
「おぉ! 待ってたぞ!」
エディは笑顔でジョニーを手招きした。
呼ばれた以上断るわけにはいかないのだから、ジョニーは背筋を伸ばして士官サロンへと立ち入った。
「危なかったな」
「今回は…… おれもヤバイと思いました」
「まぁ、生き残ったんだから良いさ。ただな……」
エディの御説教だ……
ジョニーは背筋を伸ばしてその言葉を聞く姿勢になった。
ただ、エディの前にマイクが口を開いた。
「ジョニー」
「はい」
緊張した面持ちのジョニーだが、その前に座っていたマイクは大尉と言う階級を抜きにしても、落ち着いた大人そのものの空気だった。地球にある陸軍士官学校出身だとジョニーは聞いていたのだが、マイク大尉の今の姿はいつもの威圧感溢れる上官では無く、頼れる兄貴のようにも見えた。
「良いかジョニー。俺が学んだ陸軍の士官学校は、入り口の石碑にしっかりとした文字でこう書いてある。
A CADET WILL NOT LIE,CHETE,STEAL
意味は解るな。カデットとは士官候補生の事だ。つまり将来の士官は、いや、士官そのものだ。士官はウソをつかない、ズルもしないし、卑怯もしない」
いつもの力強い口調ではなく、柔らかな言葉でマイクは話し掛けていた。その言葉はキツくツライものではあるが、それでもジョニーは思わず笑みを浮かべた。
「そしてこう続く。
OR TOLERATE THOSE WHO DO
そしてそれは、他の誰であっても見てみぬフリをしない。他人の不正をも看過しないと言うことだ」
グッと手を握り締めたジョニーは静かに頷いた。
「ジョニー。お前の親父さんがシェリフだったのは俺も知ってる。お前を見ていればお前の親父さんがどんな人物だったのか、おおよそ見当が付くのさ」
マイクはエディやアレックスを見てからもう一度ジョニーに目をやり、信頼を感じさせる笑みを浮かべた。
「きっと、『良い背中』をした男だっただろう?」
「……はい」
父親を褒められて怒る息子はあまり居ない。
たとえどれ程に仲の悪い父と子であっても、やはり息子にとって父は特別な存在なのだ。母親が永遠の恋人であるように、父親は永遠に超えるべき目標であり、追いつくべき高い壁であり、そして、人生を歩く為のマイルストーンだ。
「お前がどんな人生を送ろうとしているのか、それに付いて今ここで、この3人で話しをしていたんだ。ただ、今日の戦闘を見ていたら、お前が危なかしくて見てられんと言う話しになった」
ふとウェイドを見たエディ。その僅かな機微に気が付いたジョニーは、つい先ほどウェイドの話をした事がエディやマイクの耳に入っていると直感した。サイボーグはまるでテレパシーの様に意識レベルで会話が出来る。その技術を使えば、ジョニーの言葉が上に漏れていくなど当たり前の事だと気が付いた。
ただ、それ自体にあまり悪い気はしないのも事実だった。上手く表現する事は出来ないが、全てを見てくれているという安心感は、『親』と言う庇護者と同じような感覚的安心感をもたらしていたのだった。
「お前がお前の一番大切な存在を、自分の身体の一部にも等しい者を奪った奴らに復讐する事を悪いとは言わない。ただな……」
椅子から身を乗り出したマイクには巌の威があった。
傍らにいるエディが全てを抱擁する者だとしたら、マイクは全てを支配する者だとジョニーは感じた。
「怒りで我を忘れそうになった時は、お前の親父さんを思い出せ。正義の体現者だ。お前がプレデターでターミネーターで、そしてアベンジャーであっても構わない。ただ」
マイクの目がエディを捉えた。そんな僅かな動きだが、エディは早く話を進めろと言わんばかりに顎を前へと僅かに振った。
「いつだったかエディも言ったように、自分の心だけは汚すな。殺人を快楽にするな。自分の信じる正義にだけは愚直に生きろ。解るだろ? お前なら」
グッと握り締めていた拳が僅かに震えるほどの感動をジョニーは覚えた。
そして、マイクに続きジッとエディを見た。その眼差しはまるで父親を見るようだった。そんなジョニーの姿に、エディは薄く笑って目を細めた。
「人生はゲームだ」
「ゲーム……」
「そうだ。勝ち負けはゲームセットまでわからない」
テーブルの上のコーヒーを一口飲んだエディは、僅かに首をかしげて笑った。
「今は困難や辛苦に苛まれるときかも知れない。ゲームはやや負け傾向と言うことだ。だけど、強く跳ねるバネはその前に必ず圧縮されるもんだ。そうだろ?」
ジョニーは返事をする代わりに僅かな首肯で答えた。
その仕草を見たマイクは、やや不機嫌そうに眉根を寄せている。
だが。
「今は、耐えて忍んで、自分を圧縮しろ。全てを学んで吸収して、パンパンに膨らむまで自分の中に溜め続けろ。いつの日か、全てを理解出来る日が必ず来る」
優しく染み込んでいくエディの言葉に、ジョニーは短く『はいっ』と答えた。
その振る舞いにマイクは焦眉を開く。それで良いと言わんばかりに。
「たとえそれが、いつか必ずやって来る『死ぬ日』であっても……」
コーヒーカップをそっと下ろしたエディは、真っ直ぐにジョニーを見た。
「全ての生物は死ぬ日の為に生き続けるんだ。良いな?」
「……はい」
すっかり遠くなってしまった日。
グレータウンの郊外で馬に乗ってた父は、息子ジョニーに同じ話をした。
ふとそのシーンを思い出したジョニーは、エディが父親に見えているのだった。
「敵とはいえ救済した事や騎士道に悖らぬよう正々堂々と振舞った事は賞賛されるべきことだ」
「ありがとうございます」
「ただな、向こうも今回の経験を奇貨として、相当激しい訓練を積み重ねてくる事だろう。つまり、次は相当苦労するぞ。その覚悟は良いか?」
「はい。もちろんです」
「ならば明日からは、よりいっそう厳しい訓練を積み重ねてもらう」
一瞬目の前が暗くなる錯覚を覚えたジョニー。
だが、それをしなければ勝てないのはわかっている。
グッと胸を張ったジョニーは力強く言った。
「よろしくお願いします。次は……」
グッと握り締めた右の拳を持ち上げ、ジョニーは不敵な笑みを浮かべた。
「次は自力で勝ちます。あの人に勝ちたいんです」
「あの人?」
「あの、ベルのマークの……」
ジョニーの言葉にエディはニヤリと笑った。
「相手は相当手強いぞ? 覚悟は良いか?」
「もちろんです」
「そうか。じゃぁ、トレーニングに励め」
「はい」
力強く答えたジョニーを見ながら、ふとエディは遠い日に聞いた歌を思い出した。
複雑な身の上だった自分自身を厳しく育ててくれた父が歌っていたものだ。
――――敵てきは幾万いくまんありとても
――――すべて烏合うごうの勢なるぞ
若者らしい気迫と生気に満ちたジョニーは、サイボーグであることなど微塵も感じさせな力強さを見せていた。その姿を見ていたエディは、あの時、父が自分を見て思った事を、嬉しそうに微笑んだその理由を始めて理解したのだった。
――――烏合の勢にあらずとも
――――味方に正しき道理あり
――――邪はそれ正に勝ち難く
――――直は曲にぞ勝栗の
――――堅き心の一徹は
――――石に矢の立つ験しあり
――――などて恐るる事やある
――――などてたゆとう事やある
第3章 抵抗の為に ―了―
第4章 メビウスの帯・クラインの壷 へ続く
随分と間延びしてしまいましたが第三章を終ります。
序破急の破の部分ですが、まだまだ続きますのでご期待ください。ただ、やはり再校正にちょっと手間取っていますので、再開は夏前を予定しています。




