アイデンティティ
――こっちだろ!
ジョニーは胸の内で叫びながらシリウスシェルの数秒後に移動するであろうポジションへモーターカノンの砲弾をバラ撒いた。当たれば儲けものだし、当たらないならそれでも構わない。牽制程度の意味しか無くともジョニーにはそれで十分だ。少なくとも自由度を奪うという目的は果たされるのだから。
――そっちには行けないぞ?
左右の機動範囲を削られたピアノのシェルは錐もみ状にスピンして脱出を試みるが、チェーンガンと違い威力のあるモーターカノンでは被害を受ける可能性があると判断したらしく、必死になってカノンの隙間をすり抜けた。
直撃を与えることは出来なかったが、直撃よりもはるかに価値のあるものをジョニーにもたらした。反撃にうつる時間的資産の全てを食い潰したピアノのシェルは攻撃的軌道を取る事が出来ず、ジョニーは安心して残されたヴァイオリンとフルートの二機へ攻撃を加えることが出来るのだ。
──よっしゃ!
ニヤリと笑ってシェルを大きく旋回させ、その後に曲率を複雑に変えつついきなりフルートのシェルへと襲い掛かった。直後にヴァイオリンのシェルがフォローに入るのを折込済みにしての軌道は、ジョニー渾身のトラップだった。
──よっしゃ! 引っかかった!!
急激な接近を行ったヴァイオリンのシェルはジョニーの背後を取った筈だった。全部承知でその機動を行ったジョニーは、慣性方向に機体を預けたままその向きだけを変えてヴァイオリンのシェルを砲撃圏内に捉えた。
──残念だったな!
有りっ丈のモーターカノンを叩き込んだジョニー。シリウスのシェルはとっさの回避が間に合わなかったと見えて、その砲弾を全て直撃と言う形で受けてしまった。
幾つものパーツが剥がれ落ち、火花を散らしながらゆっくりとコースを変えていくのだが、もはや戦闘を継続する事は難しいとすぐにわかる姿だった。
──ヨシッ!
ヴァイオリンの戦闘能力を完全に奪い見送ったジョニーは、続いてピアノのシェルに狙いを定めた。同じ手でフルートをフェイントに掛ける算段だったのだが、やはり警戒されているのが手に取るようにわかる。
それならばと今度は正攻法でピアノに牽制射撃を加えつつ、その機動余力を大きく奪って可動範囲を狭め、全ての逃げ道を塞いでからモーターカノンをお見舞いした。
──チェックメイトさ!
眩い光芒がシリウスシェルに吸い込まれていき、次々と装甲が剥がれ落ちていく。相対速度を加味したモーターカノンの一撃は、重装甲なシェルですらも撃破可能としていた。
単機残ったフルートのシェルは戦闘を放棄し直撃受けた僚機の支援をしつつ戦闘空域が離れていく。それを追うかどうするか一瞬考えたジョニーは、改めて辺りを確かめた。ヴァルターやデルガディージョはウッディと共に一般型のシェルを血祭りにあげている。その向こうではマイクとアレックスの二人が見事な連携攻撃を見せていた。二本の剣マークのシェル率いるブルーバードマークシェルと流星マークシェルを相手に、付け入る隙を与えない盤石の戦い方だ。
――問題ないな……
一つ息を吐いたジョニーは思考回路を切り替え、ルージュマークとワイングラスマークのコンビに襲い掛かる選択をした。やや離れた位置にいたこの二機は、マイクとアレックスのコンビ並みに優れた連携を見せていた。
2対1で荷の勝ちすぎる相手だとも思うのだが、先の楽器トリオとやり合った限りではこっちの方が練度が高いと思えた。つまり、ここで確実に撃墜しておかなければ、次はやられるかも知れない……
──こっちもやってやる!
勝てる内に勝つ。言葉にすればそれだけだが、命のやりとりを何度も行ってきたジョニーにしてみれば、勝てる要素が少しでも高い内に勝っておきたいと願うのは自然な事なのだろう。
急旋回を幾度も行って意気足の鈍った機体を再び戦闘増速させ、シリウスのシェルが進入してくると予想されるコースと正対しないように機を旋回させた。その動きを見ていたのだろうか、シリウスのシェルは前後に連なる連携を見せ始める。
――後ろが見えねぇな……
咄嗟に思い描いたのは、前衛をやり過ごしても後衛に手痛い一撃を食らうビジョンだ。つまり、前衛を上手くやり過ごし後衛を一撃で撃墜させねばならない。旋回運動を行いつつ追い詰めるのは得策では無いのだから、一気にコースを変えて前衛と後衛のど真ん中へ一気に割り込むコースを取るのが上策だろうと思えた。
ただ……
――向こうもわかってるよな…… やっぱり……
ジョニーに向けて接近してくるシリウスのシェルは前衛がルージュで後衛はワイングラスだ。ジョニーが機を縦に回しつつ横っ面に飛び込もうとコース撮りを決める中、後衛に付いたワイングラスはジョニーから隠れるようにルージュとは異なるRを描いて後衛のポジションに居座り続けた。
全力で急接近し、そこから急激にベクトルを変えて真横へと飛んだり、或いは衝突覚悟で真っ直ぐに飛び込んでいったりと、手を変え品を変え攻めてみるジョニー。しかし、シリウス側も相当慎重になっているのか無理な攻撃には踏み切らない。
――やるな……
チッと小さく舌打ちし、直角フェイントを複数回行って相手を翻弄してみるのだが、シリウスは無理な攻めを行わないで居る。相手の手の内が単純でシンプルなものならば、むしろその手に乗ってみるかとジョニーは腹をくくった。
――なる様になれ!
捻りを加えつつ真っ直ぐにシリウスシェルへ突入するコースを取ったジョニー。それを受けて立つようにシリウスシェルも正対コースを取った。恐らく一番有利なポジションと連携体制にならない限り、接近もしないし攻撃もしない腹だったんだろうとジョニーは思った。
ただ、向こうが有利なポジションだからと言って、むざむざとやられるつもりは無い。後続の後衛シェルがどっちに飛ぶのかを考慮に入れ、牽制射撃を加えたジョニーは相手の出方を伺った。相手の左手にフェイントで飛び出る動きをするつもりなのだから、隠れられないよう右手に向かっての手を封じたのだ。
――さて……
モーターカノンの砲弾を幾つもばらまき、それと同時にフェイントをカマして左手へとぶっ飛ぶジョニー。案の定と言うべきか、ワイングラスは右手へ向かって飛び出そうとして、そして砲弾の雨霰の中へと飛び込んでしまう。
――随分簡単に引っかかったな……
強力なカノンの一撃を喰らって機体を損傷させたワイングラス。それを確かめたジョニーはルージュのシェルへチェーンガンを散々と撃ちかけつつも急接近していった。何処へも逃げられないように、銃弾で漏斗状の罠を仕掛けたのだ。
案の定と言うべきか、ルージュのシェルは真っ直ぐにジョニーへ向かって突っ込んでくる手をとった。他に選択肢が無いというのもあるだろうが、どちらかと言えば意地を張っているとジョニーは感じたのだ。
――勝負だ!
ジョニーもグッと歯を食いしばって正対方向へ突進した。チラリと見やった40ミリの装弾数は、まだまだ充分に殴り合いを可能としていた。必ず勝つとは思わないが、それでも全く負ける気はしない。
彼我距離1000を切り更に接近を続けたところでジョニーはモーターカノンを構えた。だがまだ撃たない。脳裏に浮かんだのは父の背中だった。
――シェリフは先に銃を抜かないのさ……
いつもいつも。決闘に向かった父はそうやって勝利を重ねてきた。
なんで先に抜かないんだと聞いた幼き日の自分に父が語った言葉を思い出す。
――勝ちたいからって慌てて銃を抜けば的を外すんだよ
じっくり狙おう。そう考えたジョニーの思惑をシェルが理解したかどうかはわからないが、少なくとも動態予測を行うための挙動観察をシェルのコンピューターは全力で行っていた。
──頼むぜ……
シェルを疑うことはない。ただ、相手がこちらの予想を上回る事だけが怖い。間違いなくあいては一騎当千の強者なのだから。
秒速34キロで飛翔するシェルにとっての千メートルなど本当に一瞬でしかない。その僅かな時間に沢山の事を考えたジョニーは、相手の発砲光を確認してから砲撃を開始した。この距離なら向こうも逃げられないと思った。
──ッツ!
全身に鋭い痛みが走った。相手の直撃を貰ったのだと理解した。ただ、その分だけ相手も手痛いダメージを受けているのは間違い無い。はたして、ジョニーの視界に写るルージュのシェルは左腕を失い姿勢制御の四苦八苦する姿だった。
少なくとも引き分け以上だと期待して自機の被害状況を確認したジョニーだが、驚くべき事に多少は装甲板が失われた程度の被害でしか無く、その失われた装甲もモジュール化された増加装甲に過ぎなかった。
――よっしゃ!
驚く程の速度差でシェル同士がすれ違った。大気圏内なら双方が衝撃波で吹き飛ばされる程だ。戦闘機教育の中で燎機に接近しすぎるなと教えられた事をふと思い出すのだが、そんな刹那の感傷に浸る前に残ってた最後の大物が眼前に現れたのだった。
――ボスまで頂きだ!
大気圏内を飛ぶ戦闘機とは全く次元の違う複雑な挙動を描き、ジョニーは大きなベルのマークが描かれたシェルへと急接近していく。彼我距離1万を軽く越えているが、シェルの速度差なら着実に追いつくと思われた。しかし……
――え?
ベルのマークのシェルはジョニーから逃げる方向へ舵を切った。こうなると双方に速度差が無くなるので永遠に追いつけない事になる。エンジン推力以上の速度を発揮出来ない宇宙での戦闘は、自らが帰還すると言う部分を考慮しなければこれでゲームセットとなる。
――チキショウ! 勝負しやがれ!
苦々しげに毒を吐いたジョニー。そんな一瞬の油断が驚く程に致命的な事になると言うのをジョニーは始めて知った。いきなり全身に激しい痛みを感じ、それはシェルが攻撃されているのだと気が付いた時には、あの逃げたはずのフルートがすぐ近くに居た。
瞬間的に頭の中で『死』のイメージがわき起こり、それと同時にとにかく逃げるしかないと急旋回を決めた。ベルの追跡は後回したった。
――マジかよ!
脳殻内の脳液が偏るほどの急旋回を決めたはずなのだが、その目の前にはついさっき手痛い一撃を加えたはずのワイングラスが居た。同じように全身へ強い痛みを感じ、再び増加装甲が剥がれ落ちていった。
――そうか…… あっちもモジュラー装甲を持っていたんだ
自分の『詰め』の甘さを痛感したのだが、もはやそんな事はどうでも良い。先ずは生き残る努力が必要なんだと思考を切り替えジョニーは精一杯のマニューバを行う。現状、まともな戦力になり得ないのはルージュだけだ。つまり、ワイングラス+音楽トリオで4対1での戦闘を余儀なくされる事になる……
――勘弁してくれ!
泣き言が頭を過ぎった。無意識の内に恐怖が身体を駆け抜けていって、サイボーグである筈の身体がガタガタと震えだした。気が付けば顎までもが無様に震え出し、カチカチと耳障りな音をリズミカルに鳴らしている。極限の領域まで加速しきった機体はジョニーの顎と同じように微細な振動をコックピットに伝えていて、顎の打ち鳴らす不細工なリズムとシンクロしたりしなかったりを繰り返した。
――ふざけんな!
全く持って身勝手な感情が爆発した。ただ、ソレで事態が解決するほど甘くは無い。周辺部の事態を冷静に見たつもりだが、自分自身が舞い上がっている事をジョニーはイヤと言うほど認識していた。
キチンとトドメを刺さなかった己の甘さを思い知り、次の一手を必死で考えるのだが、もはや取れる選択肢は少ない。むざむざと殺される選択肢を選ぶ事は有り得なかったが、どうやって窮地を切り抜けるかを考えるのには、時間的猶予も貯金も無い状態だ。
――どうすれば!
無意識に『FUCK!』と悪態を吐いていた。精神は極限まで沸騰し、怒りと恐怖が交互に襲いかかってきて精神の平衡を失わせていた。ただ、それでもジョニーは過去最高レベルの精確さと精密さで機体のコントロールを行っていた。
自分の機体が取り得る機動領域は極限まで加速された最大戦速によりまるで針の様な細さになってしまう。機動領域を大きく失った後に落ち着き払ったとどめの一撃で機体を爆散させ死を迎える事は受容し難い屈辱だ。自らが放った『チェックメイト』と言う言葉の意味を自分自身で嫌と言うほど認識する。
ただ、ここまで積み重ねてきた訓練が伊達では無い事を自分自身で悟る事になったのはこの直後だった。
『ジョニー!』
『エディ!』
『その軌道がベストな事に疑いはない』
『え?』
褒め言葉より支援してくれ!と言いかけたジョニーは、その直前に宙域モニターが真っ白になった事でベストの意味を知った。なんと戦列艦の近接防御用小型火器が一斉に稼働を始め高速パルスレーザーによる対空戦闘を始めたのだ。
全く意図しない形ではあったがジョニーは偶然にもシリウスシェルと戦列艦を結ぶいかなる直線上のどこにも居なかったのだ。複数のレーダーと射撃慣性コンピューターを平行可動モードで接続し、計算と射撃と結果判定と射撃修正を人間の対応範囲可能速度の数倍でやってのけるそれは、光速を越える物体以外のいかなるモノをも迎撃出来るとメーカー担当者に言わしめた逸品だった。
――マジ?
一瞬だけ全ての思考が空白に染まった。そして目の前で爆散していくシリウスのシェルを見た。理屈では無く直感で『やめろ!』とジョニーは叫んでいた。自分を狙っていたフルートとワイングラスのシェルが機体のパーツを四散させ、全ての制御を失った状態で慣性軌道状態に移った。
自分自身が何をどう考えたのか全く理解できないのだが、その直後にジョニーのシェルは軌道を急変させフルートのシェルに残されていた僅かな突起を握りしめ、、戦列艦の死角部分へ入り込むように軌道を変化させた。
『馬鹿野郎!』
『何やってんだ!』
『その行動はおかしい!』
気が付けばすぐ近くにいたヴァルターやデルガディージョがジョニーを叱責した。常に冷静なウッディですらも批判じみた言葉を吐いた。だが、それに負けない位の大声でジョニーは叫んでいた。
『シェリフは手負いの敵は撃たない!』
全く不合理で理解し難い行動だった。自分自身ですらも理解出来ないくらいだった。ただ、ジョニーの中に芽生えた小さな疑問は至極単純でシンプルなものだ。自分の手ではなく誰かの手で撃墜されるのを『敗北』だと感じただけだった。
『シェリフは卑怯を良しとしない!』
フルートのシェルを死角部分に捨て去ったジョニーは、再び軌道を複雑に変位させながらワイングラスのシェルをも回収し、フルートのシェルにぶつけるように死角部分へと捨て去ってから、残っていたシリウスのシェルを探した。自分自身の手でケリを付けるためにだ。
『堂々と勝つ! それがシェリフだ! それだからシェリフたり得るんだ!』
空域をスキャンし見つけたシリウスの残存シェルは例のベルのシェルグループ4機と、マイクとアレックスがじゃれ合っている3機。それに先ほど戦闘不能にしたルージュのシェルに戦列艦から手痛い一撃を受けたワイングラスとフルート。
残された戦闘可能シェルはピアノとヴァイオリンだ。攻めてこの2機はこの手でケリを付けてやる。そう覚悟を決めたジョニーは機体の損傷を確かめていた。失われたモジュラー装甲の補填は不可能だが、モーターカノンはまだ数度の射撃を可能としているのがわかった。
しっかり仕度を調えたジョニーは一切の迷いを見せず『堂々とした態度』を見せつけるようにしてシリウスのシェルへと斬り込んでいく。その姿を黙って見ていたエディは無線の中へ言葉を漏らさぬよう注意を払いつつも呟くのだった。
懐かしい男が…… 帰ってきた ――と。
ジョニーは敵2機の軌道を予測しつつ正対しないが交差もしない軌道を選んで接近を試みた。余りに遠距離過ぎて40ミリモーターカノンの制御システム『センチネル』ですら照準を持て余していた。
ただ、強い旋回Gを受ける環境下では、どれ程優秀な制御ソフトや装置であろうとも不可抗力の照準ブレを引き起こすのは避けられない。それだからこそ、どれ程AIが高機能になっても戦闘時には生身のパイロットを必要とし続けていし、『確実に敵機へ命中弾を与えられる距離まで接近する事』を要求され続けている。
それは人類が空に飛び出し戦場とした日から一貫して変わらぬたった一つのシンプルなリクエストであり、またパイロットと言う職業を選んだ者のアイデンティティそのものと言える事だった。
――いくぞ!
恐慌状態で無様に震えたり、或いは炎のように熱く滾ったり。そんな状態を幾度も繰り返しながらジョニーは敵機に迫った。ピアノが前衛でヴァイオリンは後衛だった。
ただ、フルートとワイングラスの失敗を見たのか、楽器のコンビは双方がしっかりとジョニー機を目で追えるポジションに終始した。そして、一瞬の間を置いてヴァイオリンが急接近を試みピアノはやや離れた位置に陣取った。さしあたって目の前のヴァイオリンをなんとかする事が先決だ。
ジョニーはシェルの戦闘支援AIに自動反撃の為の作業フローを入力し、それと同時に機体を捻って軌道を強引に捩り込んで急接近の軌道を取った。
――シェリフは逃げない
――シェリフは負けない
――シェリフは…… ピースメーカーなんだ!
その時、ジョニーは無意識にゾーンへと深く深く入り込んでいた。自らの感覚器官とシェルが持つ全てのセンサー類が見事な調和を見せたとき、ジョニーはこの宙域にある森羅万象の全てを俯瞰的かつ客観的に全て捉える事が出来ていた。
つまり、ジョニーは全てが見える状態になっていたのだ。
――見える…… 見えるぞ……
ピアノとヴァイオリンが行うであろう軌道変位のルートが幾重にも多重に連なって見えた。その進路全てへ先手を打つように数少ない高機動ミサイルを発射した。AIで制御されるそのミサイルはジョニーの思考をトレースするように敵シェルの戦略的な機動領域をゴリゴリと削っていく。
段々と稼動領域が狭くなる事を理解した敵シェルは、双方が連携してジョニーではなく高機動ミサイルを撃墜する選択肢を選んだ。それは、とんでもない速度で接近しつつあるジョニーから目を離す事になる。一瞬の視線切れを感じ取ったジョニーは、それが気の迷いや自分自身の錯覚であるという可能性を一切考えずに、最適な射撃ポジションへと機体を滑り込ませ、そしてモーターカノンを構えた。
――チェックメイトさ!
モーターカノンの砲弾はピアノとヴァイオリンの両脚部を完全に破壊した。背中に付いたメインスラスターノズルだけでの機動制御はかなりの技術を要する筈だ。これでこの2機は事実上戦闘不能に陥った。ただ、それでもジョニーはトドメを入れなかった。単純に『卑怯』だと感じたからだ。
『気をつけろジョニー!』
何処からともなくエディの声が聞こえた時、ジョニーの意識が注意を促された理由を理解した。やや離れた場所を飛翔していた例のベルマークのシェルは、すぐ近くに居た2機のシェルに接続したケーブルを引き抜いたあと、燎機として飛んでいたティアラマークのシェルとセットになってジョニーへ迫ってきたのだ。
その向こうに飛んでいる銃とバラと黒衣の女性のシェルは途端に飛翔機動が乱れ始め、ややあってなんとか真っ直ぐに飛ぶ事を可能にしている状態だった。
――あの2機を誰も攻撃しないと良いな……
ふとそんな事を思ったジョニーだが、驚くべき速度で接近してきたベルとティアラの2機は、今までのどんなシェルですらも見せなかった機動を示していた。複雑に旋回軌道を変化させながら2機で錐揉み状に螺旋軌道を描いている。
その運動を行っている間、ジョニーはそのどちらにも攻撃照準を合わせる事が出来なかった。センチネルシステムが照準処理を行っている間に2機のシェルが相対位置を変化させてしまうので、一瞬の空白を産んでしまっていたのだ。
『ジョニー! 無理をするな!』
珍しくエディの声が慌てている。そんな疑問をジョニーは持った。だが、相対軌道に入っているジョニーのシェルは突進を止めなかった。完全にゾーンへと入ったジョニーの耳には、エディの声も中間達の声も宇宙の虚無に流れる風の音と同じだった。
――やってやる……
全てが透き通った水底の様に感じられ、そして、ジョニーはその中を泳ぐ一匹の魚になっていた。シェルの巨体は自分自身の身体そのものとなり、エンジンは筋肉に、センサーは神経になった。刻々と移り変わる宇宙の全てが時間経過を折り重ねたミルフィーユになり、その時間的積層を貫いてジョニーは飛んだ。今なら時間ですらも跳躍できると感じながら。
――見えた!
ジョニーの視界に浮かぶベルとティアラのシェルは、複数のレイヤーが半透明に重なって見えた。その動きが3秒後か4秒後の段階で一気に数を増やして重なって見え始めた。取り得る戦略的軌道領域が一気に増えた事を示していた。故にジョニーは場所を決めてから3秒以内に攻撃を完了せねばならない。
ただし、その3秒は相対速度で毎秒68キロに達する関係で彼我距離200キロを越えてしまう。全高7メートルをやや越えるシェルの巨体とはいえ、敵が遥か200キロの彼方とあれば、その照準対象となる点は眼前の原子核程度しかない。つまり、ジョニーは意を決し直前まで迫らねばならないのだった。
――ヨシッ!
この時、ジョニーの脳裏にモヤモヤとしたイメージが浮かび上がった。このシリウスシェルへ確実に命中弾を与える方法だ。恐ろしく危険な方法だが確実に当てられる筈だった。
コックピットの中にある全く制御機能を持たないバーを握り締めたジョニーはやや引き攣った薄笑いを浮かべつつ、シェルのスラスターを使って直角ターンを複数回行い進路を大きく変更した。フェイントを織り交ぜたその動きは敵を幻惑させる効果を期待してのものだ。
ベルとティアラのシェルは螺旋状に相互のポジションをいれ替えつつ、引き続いてジョニーへと迫ってくるのだが、気が付けばジョニーのシェルは相対速度を吸収しきるようにシリウスシェルから先行するようなポジションについていた。
螺旋状の軌道要素を持つシリウスのシェルは進行方向のベクトルを複雑に遷移させる分だけ推力を失っており、ジョニーのような馬鹿正直にまっすぐ飛ぶのと比べてみれば、単純な拠点間速度と言う断面で計るなら秒速20キロをやや超える速度でしかなかったのだ。
つまり、ジョニー機は一度すれ違ってから追い越すポジションに納まったといえる。この時の相対速度は、恐らく秒速8キロ少々であり、センチネルの攻撃命中確立は99.4%を示すのだった。
――いただきだ!
心の中にある発射トリガーを力一杯握り締めたジョニー。発火準備の整っていたモーターカノンは猛然と火を噴き始める……事は無かった。一瞬の虚無と空白。ジョニーは頭の中が真っ白になる。
そして、コンマ何秒かの時間差を経て状況を飲み込んだ。モーターカノンの射撃範囲が及ぶ一直線上のその先に、ヴァルターたち仲間のシェルが飛んでいたのだった。
――マジかよ!
確実な一撃を与えられる距離と言うのは、確実な一撃を喰らう距離でもある。ジョニーの意識が死と絶望で満たされた。世界の全てがスローモーションに見えた。今なら原子核の周りを光速でスピンする電子が見えると思ったくらいだ。
極限の時間圧縮を経験したジョニーの目は、それでも確実に自分の喉もとへと突きつけられた死神の鎌を見た。その喉笛を掻き斬るように動かされる腕には、太く逞しいモーターカノンの砲身が連装で装備されていた。
――敵側からはこう見えるのか……
一瞬だけ自分の死を忘れてジョニーは感嘆した。このアングルのシェルが一番格好良いじゃ無いか!と。まるでドラゴンの様だとも思った瞬間、目の前が真っ白に染まった。全身へ激しい痛みと衝撃が伝わり、言葉に出来ない喪失感が身体中を駆け抜けていった。
『ジョニー!』
仲間達の声が一斉に聞こえた。一瞬だけ脳がパニックを起こし、極限まで圧縮されていた時間の流れが脳の回路を焼ききるほどに沸騰した。そして今度は時間を流れが驚くほどに速くなり、3倍速で動画を見ているような錯覚の中で自機が爆散していくのを見ていた。
その向こうには、やや離れた所を飛んでいたガンズ&ローゼスとブラックウィドウの2機が見えた。ベルとティアラを相手にマニューバをしている間に、随分と上達したじゃ無いかと変に嬉しくなっていた。
少なくとも人類の手に余すような常識外れの兵器を宛がわれた不幸を共有できる相手だと思ったのだ。そして、自分を死に追いやったベルとティアラの2機はまるで、戦闘の手順や戦術と戦略を示し教えるような動きだと思っていた。
『ジョニー!』
『しっかりしろ!』
『いま行くぞ!』
ヴァルターたち3機が助けに入るように軌道を変進させたのが見えた。ただ、ジョニーは思考的空白の中で必死に『来るな!』と叫んでいた。少なくとも自分たちの手に負える相手ではないと解ったのだから、むざむざと死にに来る様な事は無いだろう。
俺に構わず逃げてくれと心の中で願いながら、身体は無意識のうちに散々と訓練していた自爆処理の手順を始めていた。辛く苦しい訓練だったが、訓練後にそれを振り返って笑いあう仲間達の笑顔ばかりを思い出す。
――楽しかったな……
一瞬の感傷に浸ったジョニーだが、そんな時、ジョニーの機に激しい振動が襲い掛かった。ドンッ!と衝撃を受け正気に戻ったジョニーは、自機が四肢を失い、更に頭部センサーユニットの大半を失っていた。しかも、コックピット部分には大きな亀裂が入っていて、その隙間から宇宙空間そのものが見えているのだった。
『ジョニー。もう良い。もう潮時だ』
『潮時って?』
自爆処理を終えトリガーを引き絞るだけになったジョニー機だが、その全ての行動をエディ機からの有線コントロールで強制中断されていた。
『この機体は機密の塊なんだから自爆する。巨大な弾頭だと思って……』
『向こうもナゲットらしいってことだ』
『ナゲット?』
『そうさ。よく見ろ』
ジョニー機に手痛い一撃を与えたベルとティアラの2機は、離れた場所にいたガンズ&ローゼスとブラックウィドウの所へと帰って行った。ただ、先ほどとは違い有線コントロールする訳では無く、すぐ隣で見守るように飛んでいるのだった。
『向こうが素人なら、こっちが有利な内に全滅させるまでだ』
『だけどお前の機体はもう限界だぞ? 戦闘だって出来そうにない』
『え?』
エディは背面から掴んでいたジョニー機をパッと手放した。それと同時にジョニーのシェルはメチャクチャなスピンを始め、軌道は突如としてきりもみ状態に陥った。余りに激しいジョニーの連続マニューバに強靱な筈の機体が耐えられなかったのだ。
ボディ各所に装着されている小さなスラスターエンジンは全てのジンバル機構が狂いを生じさせていて、自動姿勢制御での変針を不可能な状態に貶めている。つまり、ジョニー機は文字通りだるまのような状態になったのだ。
『このまま行くとどうなると思う?』
問い詰めるでも無く言い聞かせるでも無く、ただただ単純に問うたエディの言葉だが、激しくシェイクされる機体の中で、ジョニーは自機が自力では何も出来ない事を知った。
この姿勢制御の乱れきった機体がどうなるのかはさっぱりわからないが、メチャクチャにスピンする機体を制御すべく姿勢制御スラスターを噴かす機体はスピンを止める事すら能わずにいて、ジョニーはとうに無くした三半規管の代わりに付いている姿勢制御フライホイールが異常を来し始めた事を知る。
――そうか…… 俺は負けたのか……
そう気が付かされた時、ジョニーの機体のスピンが止まった。スピンを止めたのは大きなベルのシェルだった。モニターでは無く機体に生じた亀裂の隙間から、敵の機体となった白いシェルが見えた。
『死にたくなかったなら、次はもうちょっと上手くおやりなさい。地球人』
熟れた女の艶っぽさに彩られた甘い声が無線に流れた。一瞬だけゾクッとしたジョニーは機動が安定したシェルのボディに装着されている近接作動火器ですかさず射撃しようとしたのだが、その機先を制しエディが再び有線プラグをジョニー機に撃ち込んで射撃を止めた。
『エディ!』
『帰るぞジョニー』
『え? なんで!』
『……』
『千載一遇のチャンスだったのに!』
『……興醒めだ』
興醒めと言う言葉にエディの万感がこもっているとジョニーは感じた。何かを言おうとしたのだが、その言葉を必死で選んで導き出した結果は簡単なモノだった。
『……すまない』
『お前じゃ無い。あっち側だ』
大きく損傷したジョニー機を引きずるようにしてエディは戦域を離れていった。同じようにシリウス側も戦域を離れた。その一部始終を見ていた戦列艦は、対空戦闘の全てを中断して、事の終わりをジッと眺めているのだった。




