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黒い炎  作者: 陸奥守
第三章 抵抗の為に
43/415

覚醒への胎動

 ――シリウス太陽系 第4惑星ニューホライズン 周回軌道上

    シリウス標準時間 10月9日 午前7時







「はぁ……」


 能動的ガス交換を必要としないサイボーグではあるが、ジョニーはその身体がしぼむ様な溜息を一つ吐いた。ヴァルターと相部屋になっている士官候補生の自室には、各種の軍装が所狭しと並べられている。


「おいおいジョニー」

「……ん?」

「溜息なんか吐くなよ。ツキが逃げるぜ」


 溜息をこぼしたジョニーをからかうヴァルターは、ベッドの脇に広げたアイロン台で礼装のアイロン掛けを行っていた。

 朝食時には礼装で士官室へ集合する事になっている。周囲の士官たちはさすがに事業着と言うことこそ無いものの、礼装ではなく士官向けの正装である士官服でやってくる。

 その士官たちを前に部屋の入り口内側でひたすら敬礼の練習をするのが、士官候補生6人の『朝の儀式』だ。士官室へと入る者達はみな地球の各士官学校や兵学校で徹底的にしごかれた者ばかり。故に、その指導は厳しいものとなる……


「ツキはともかく、毎朝ってのは堪えるな」

「まぁ、仕方ねぇだろ。なんせ……」

「今さら愚痴っても仕方が無いのはわかってるけどよぉ」


 珍しく弱気なジョニーの姿にヴァルターが首をかしげた。いつも強気で負けん気一杯のジョニーなのだが、今朝に限って負け犬の如き姿をさらしている。


「今朝は弱気だな。昨日のアレか?」

「……あぁ」


 この一ヶ月。ジョニーたち少尉候補生たちは一日も休む事無く、エディ以下の士官によりしごかれ続けていた。言うまでもなくシェルの操縦についての徹底トレーニングだ。

 エディが言うには『将来絶対無駄にはならない』との事だが、正直に言えばもう十分だろというのがジョニーの偽らざる本音だ。シリウスの戦闘機相手に闘う限りは、全く危なげない勝ちを納められるようになってきている。


 ――まだやるのかよ……


 心のどこかでジョニーはそう思っていた。それよりも今はこの一ヶ月ほど遭遇していない、あのピエロマークの戦闘機とやり合いたいと。どれだけ自分が向上したのかを確かめたいし、今なら互角以上にやり合えるとジョニーは自信を付けていた。どうやっても直撃弾を与えられなかった手強い相手だが、出来るものなら今すぐにでも遭遇したい思っていたのだ。


「まぁ、アレだけこっぴどくやられりゃなぁ」

「……それは言わないでくれ。それにやられた訳じゃ無い」

「だけど、向こうの技量を思えば、よく死ななかったと言う所だろ?」

「……あぁ。それは間違い無いけど」


 丁寧にプレスを入れたパンツの折り目を揃え、ヴァルターは慎重にクローゼットへと収めた。そして、クリーニングが終わったばかりのカラーを上着の襟へセットしてハンガーに掛けると、今度は靴の手入れに掛かった。

 士官の身だしなみとしては、靴の先に顔が映り込んで『当たり前』である。人工皮革の靴でインチキする手もあるが、やはり本皮のブーツに丁寧なワックス掛けを行って磨くのが良い。


「これって何の意味があるんだろうな?」


 ヴァルターの向かいに座り同じく靴の手入れを始めたジョニー。ふたりして慎重な手付きで靴を磨き始める。


「リーナー少尉の話じゃ、こういう部分で目を養っておけば、気密スーツなんかの割れやヒビを素早く見つけられるようになるんだってさ」

「何かそれだけじゃ無いって感じしないか? 何かもっと別の意図が……」

「そうそう、俺もそう思う。で、それを聞いたんだよ。そしたらアレックス大尉が言われるに、そのうち少尉に任官したらわかるって言われてさ」


 靴紐を全て外し、細かい部分にまでポリッシャーを送り込んで、あとはただひたすら丹念に磨いていくだけだ。靴のワックスは個人の好みが有るらしく、支給されたもの以外にも色々手持ちが増えていくものらしいとジョニーは聞いていた。

 ただ、少尉候補生として乗り組む関係で支給品以外のワックスは使えない。ならば、あとはひたすら時間を掛けるしか無い。そうやって丹念に根気よく作業する集中力を養う為のカリキュラムなのだが、ジョニーもヴァルターもそんな部分にはいっこうに気が付かないのだ。


「しかし、昨日はホントに危なかったな」

「あぁ。俺もよく生きてると思う」

「まさかあんな所で遭遇するとはなぁ……」

「全くだ。完全にメクラ状態だったからな」


 不意に窓の外を見たジョニー。漆黒の宇宙が無限に広がっているその闇の向こうには、眩く光るシリウスが青白い光をはなっている。船外カメラに写るその光景を見つつ、ジョニーはカメラ越しでしかも両目のイメージセンサー越しだと自嘲した。






 ──前日午後






 この日、501中隊はシリウス太陽系の第4惑星公転軌道を大きく離れたエリアへ進出していた。ニューホライズンのラグランジェポイントL4付近へとやってきた中隊はシェルトレーニング用に特別な訓練エリアを用意されたのだが、そのエリアは一辺が1万キロに及ぶ超巨大な立方体の空域になっていた。


『さて、じゃぁ始めようか』


 エディの声が無線に流れ、トップバッターのジョニーは広大な訓練領域に単騎で進入した。最高速での飛行中に視覚情報の全てをロストし、計器情報と空間位置情報だけを頼りにして飛行すると言う難しい訓練を行うためだ。どんな航空機でもある程度の技量水準へ達するには計器飛行の技術を要する。完全な暗闇の中でも計器の示す情報だけを頼りに飛行し続ける訓練なのだが、、前触れ無くいきなり視覚を失った状態になってからが本番になるというものだった。


『ジョニー 覚悟は良いか?』

『はい』

『じゃぁ始めよう』


 秒速34キロのトップスピードで飛翔するジョニーの視界がいきなり真っ暗になった。つい先程まで微振動を伴い流星の様に流れていた『外の世界』がパッと消え去り、ジョニーの視界にはぼんやりと光る仮想計器だけが浮いていた。


『ジョニー これから視界の中の機動限界線に進路が指示される それに沿って飛べ。ただし、これから小惑星帯に突入する』

『マジッすか! 先に言ってくれても……』


 裏返った声で抗議したジョニー。そんな声を聞いたらしいエディは笑いを堪えながら言い返した。


『そうだな、先に言っておくべきだった。まぁ、そのうち戦闘中にいきなりこんな状況になるかも知れんが、その時もきっと事前に教えてくれるだろう』

『なっ……』

『そんな事より集中しろよ! 秒速30キロオーバーで小惑星に激突したら即死は免れないからな!』


 アハハと今にも笑い出しそうなエディは楽しげな口調でそう言い切った。憮然としつつもまだ死にたく無いジョニーは、視界に写る飛行計器やレーダー反応や、何より大切な機動限界線に意識を集中していた。


 ──まったく! エディはサディストだ!


 内心で毒づいたジョニー。ただ、完全に視覚情報が無い状態での超高速飛翔はかなりの勇気が必要な行為だ。そして勇気だけでなく、気合いと覚悟も必要だ。計器情報に集中し飛ぶジョニーは、脳へと送られてくるレーダー情報に不思議なエコーを捉えた。シェルほどでは無いが、かなり高速で移動する物体だ。その正体が何であるかを理解するには情報が少なすぎるが、少なくともその物体の数は8ないし10程だった。


 ――彗星? 隕石予備群か?


 訝しがったジョニーは僅かに軌道を変えて接触を避けようとしたのだが、レーダーに映る飛行体は突然散開したように広がり始め、ジョニーの進路を塞ぎつつ包囲の輪をすぼめ始めた。


 ――え?


 なんだこれ?と首をかしげたジョニー。だが次の瞬間、酷いノイズ混じりでエディの声が聞こえた。


『ジョニー! 訓練を中止する!』


 いきなり聞こえたその声にただならぬ事態を察したジョニー。しかし、視界が回復する事は無く、盲目状態のままのジョニーはいきなり攻撃を受けた。ただ、積み重ねた訓練が伊達では無いと自分自身が痛感するほど呆気なく全てをかわしたジョニー。全方位へ向けられているシェルのセンサーが捉え発した砲撃被弾警報を受け、ジョニーはシェルを被弾させないよう回避するべく、複雑な挙動で宇宙を蛇行動した。

 まだ距離がある関係で有効打を貰うような強烈な一撃にはなっていない。だが、それでもジョニーは回避行動を行いつつ攻撃拠点の情報を集めた。自機の周囲に展開する敵機は10機で、そのどれからも荷電粒子砲による攻撃を受ける危険性を孕んでいた。


 ――こいつら! もしかして!


 そう思ったのもつかの間、ジョニーの背面方向に居た敵機がいきなり発砲してきた。荷電粒子の塊はほぼ高速でやって来る。つまり、撃たれた瞬間に回避行動を取ったのでは間に合わない。撃たれる前、それも出来るだけ直前に回避行動を取るのが肝だ。


『勝手に死ぬなよジョニー!』


 エディの叫び声が聞こえたけれど、正直に言えばどう対処して良いのかすらジョニーは掴めない。対処療法的に発砲直前の気配を掴んで、とにかく逃げるしかないのだ。本当に偶然の動きでその荷電粒子の塊をかわしたまでは良かったが、迂闊な逃げを打ったせいで次に行う機動限界の余裕領域が一気に狭いものになった。


『こいつら!』

『そうだ! 例のシリウスの!』


 明らかにエディの声が焦っている。何よりもその事実にジョニーは震えた。いつも沈着冷静で大胆かつ鷹揚としていたエディ。しかし、今のエディは目に見えるほどの狼狽をみせている。


『ジョニー! 視覚が回復したか!』

『いや 何も見えない!』


 アレックスの問いにそう答えたジョニー。無線の向こうではアレックスが一際大きな声で『FUCK!』と叫んでいる。


『大尉殿! 早く視覚情報を復旧させてくれ!』

ECM(情報撹乱)による妨害を受けている! すぐには無理だ!』


 一瞬意味を理解し損ねたジョニーだが、1秒の数百分の一で理解したことが一つある。自分は間違い無く死ぬ事になる。だが、その前に徹底的に対抗してやらなければならないと言う事だ。

 少なくともエディ達が来るまでは撃破される訳には行かない。シェルはまだまだ気密の塊と言って良い兵器で、例え残骸であったとしてもシリウスにそれを回収される訳には行かないからだ。


『ジョニー! 5分後にそこへ行く! どんな手段を使ってでも生き延びろ!』


 エディの言葉に励まされたジョニーはコックピットの中でそっと目を瞑った。どうせ見えないのだから目を瞑っても一緒だ。あとはただ視覚情報に紛れ込んで入ってくる計器の情報と、そしてレーダーエコーを解析しながら飛ぶしかない。


 ――それにしたってよぉ……


 どう頑張ってもどうにもならないのは分かっている。だが、頑張るしか無いのだから、文句も不平も愚痴も泣き言もジョニーは全部飲み込んだ。後はどうにでもなれ。そう開き直るしかない。

 理屈で考える前にアクションを起こさないと間に合わないトンデモ兵器だ。これを作った奴や考えた奴を一発殴りたい衝動に駆られつつ、ジョニーは極限の集中を見せてシェルをターンさせた。全身に細かな銃弾の被弾感触を受けながら。


 ――見えないなら見えないで……


 なんとかなると、そんな妙な感触をジョニーは持った。盲目な人間が言う『音が見える』状態とはこんな事かと思った。理屈ではなく感触的なものを『感じる』のだ。


『ジョニー! ふんばれ!』

『了解!』


 エディの声が再び聞こえた。ただ、先程とは違うのだ。


 ──こっちだ!


 直感に従いシェルをターンさせると、ホンの数秒前に自分が居た場所を荷電粒子の塊か通り過ぎていく。思わず『アハッ!』と変な声を出すのだが、同時進行でシェルのたこ踊りを続けていた。


 ──よしっ! それならっ!


 ふと思いついたイタズラにジョニーはほくそ笑む。自分を取り囲むシリウスの戦闘機は必ず三機ワンセットで攻撃して来る。陽動と実働。それにフォローの動きだ。

 どれか一機が最初に攻撃し、ジョニーが回避した所を狙って次の一撃を入れてくる。それをもかわしたジョニー機が攻撃体制に入ると、今度はそれを邪魔するようにフォロー役がジョニーを狙ってくる。三機セットの集中攻撃を行うグループが3ユニット存在するのだ。

 同じパターンの攻撃を複数回受ければジョニーだって次の手が見える。完全に視界が無い状態だとレーダーの情報が全てだから、勢い戦闘空域の全てを俯瞰的に見なければならない。だから、攻撃運動中の敵機以外が何をしているのかもジョニーは『見ている』のだ。


 ──みてろよ……


 シリウスの戦闘機が三機セットでジョニーへと接近し始めた。それを確かめてから次の攻撃を予測する。優れた連携をみせるのだが所詮は戦闘機でしかない。シェルのように進行方向以外へ一撃を入れる事など不可能だ。

 レーダーに映る敵機情報をじっと見ながら、ジョニーは最初の囮攻撃をかわしてアタッカー役のシリウス戦闘機にカウンターを仕掛けた。その動きを回避されるのは折込済で、狙うはフォロー役に回っている3機目の戦闘機だ。


 ──ここだろ!


 予想通りの位置に現れたシリウス戦闘機はジョニーの動きに対応しきれなきった。ドンピシャ!と内心で叫んだジョニーは、ありったけの勢いでチェーンガンを連射した。一分と持たない装弾数だが間欠的な脈動射撃により広い範囲へ弾幕面を形成してやると敵機は回避のために弾幕の隙間へ戦闘機を滑り込ませるしかない。

 つまり、ジョニーは最初からフォロー役に的を絞り、尚且つワザと隙間を作ってそこへ逃げざるを得ないように仕向けたのだ。全ては連射速度の遅い40ミリモーターカノンの為に。


 ――もらったぁ!


 ジョニーのシェルから見れば全ての領域で撃墜可能範囲となる条件へとシリウス戦闘機を追い込み、かなりの近距離まで接近させておいて必殺の一撃を叩き込む。ジョニーの右腕には40ミリカノンの鈍い衝撃が伝わり、真っ赤な尾を引いて流れ行く光の帯は、シリウスの戦闘機へと吸い込まれていった。


 ――よっしゃぁぁぁ!


 無意識に雄たけびを上げたジョニー。シリウス戦闘機の後方部へと着弾したカノンの砲弾はエンジンを完全に破壊し全ての推進力を奪い取った状態となった。


 ――トドメだ!


 バラバラとパーツを撒き散らしながら分解していく戦闘機は、荷電粒子砲用のガスを吹き出しながら慣性で進んでくる。その機体目掛けてチェーンガンを構えたジョニーだが、初弾を放つよりもほんの僅かに早いタイミングでコックピットからシートが射出されパイロットは戦闘機を脱出した。

 レーダーのエコーが視界の全てであるジョニーは、小さな点でしかないその脱出座席を奪い取ってやろうとシェルの進路を僅かに変える。右手を伸ばし握りに行こうとしたのだが、同じタイミングで脳内には大音量の警報音が鳴り響いた。


 ――え?


 自分に向かってやって来る9機の戦闘機。その全てから荷電粒子砲反応が浮かび上がり、うち、最低3門は10秒以内に発射される公算が高いと着弾アラートが鳴り響く。瞬間、ジョニーの脳は一瞬にしてフル回転になった。

 思考のタコメーターが跳ね上がり、イメージでしか無い回避方法のマニューバを、何百通りと脳内でシミュレーションする。だが、どんな手を使っても迎える結末は『死』以外にない。ジョニーの思考が瞬間的に全て止まった。路地を歩く自分が不意に立ち止まったシーンをイメージした。そして……


 ――あっ……


 ジョニーはシェルの機体に付いているメインエンジンを、種火が失火するギリギリまで絞った。それと同時に姿勢制御用のスラスターノズルを使い、まるで器械体操の選手が行うようにシェルの慣性方向を全く曲げぬまま、進行方向から完全に真後ろへ姿勢を変えた。

 そして、全てのエンジンの推力ベクトルと慣性方向が正反対の方向で一直線に繋がった瞬間、全身のスラスターやエンジンや推力を生み出す全ての手段を使い、全力加速を試みた。

 秒速34キロで飛ぶシェルだが、この瞬間、ジョニーのシェルは全身にとんでもない減速Gを受け、直後、ボールが壁にぶつかって跳ね返るように進行方向を全く逆にねじ曲げたのだった。


 ――ッ!


 脳の奥に鋭い痛みが走った。何が何だか理解出来ぬまま、全てのコントロールをシェルに渡し、ジョニーは痛みに耐えた。言葉では表現出来ない『どこかで何かが音を立てて壊れていくイメージ』を脳内に思い浮かべ、ジョニーは涅槃の彼方に居るはずのリディアを思い浮かべた。

 だが、その幸せな筈のイメージには黒くて暗い緞帳が降ろされたままで、何故だと疑問を思い浮かべたジョニーの脳には眩いほどの閃光が飛び交った。ほんの数秒前にジョニーが()()()()()()()幾つもの荷電粒子塊が通過したのだった。


『大丈夫かジョニー!』


 エディの金切り声が聞こえる。それに答えようとしたジョニーだが、どうやっても言葉を発することが出来なかった。口を動かし言葉を発しようと努力したのだが、全身隅々まで鉛でも詰められたかのような重みを感じた。

 そしてそこでやっと気が付いた。自分自身が行ったマニューバは、シェルの機体と自分自身の身体に瞬間的ながら40Gと言う途方も無い加速度を引き起こしていたのだ。

 その為、脳殻内の血液が偏り強烈なブラックアウト現象を引き起こしていた。いまだ意識をつなぎ止めているのが奇跡と言うレベルだった。


 ――まだだ…… まだ…… まだ……


 朦朧とする意識の中、ジョニーは自分の意識をつなぎ止めるように呟き続けた。まだ死ねないと自分自身に言い聞かせた。

 ただ、そんな状態でもシェルの戦闘支援コンピューターは機体情報や戦闘情報をジョニーへと送り続けている。AIと言うには低レベル過ぎるものでしかないが、それでもその行為自体がシェルに励まされてるようだとジョニーは感じた。

 刻々と変わっていく周辺状況を逐一漏らさずに送り続けるコンピューターに、一瞬だけリディアの姿が重なったジョニー。心配そうな表情で見つめるリディアは声無き声で叫んでいた。


 ──っざけんな! こんちくしょう!


 辺りにいるシリウス戦闘機は攻撃の手を休めた。一時的に攻撃の手が緩んだようにも見えるのだが、そんな事は全く気休めでしかなかった。ジョニーが見せたアクロバティックな動きに一瞬だけ手を緩めたに過ぎない。

 しかし、その刹那の如き僅かな時間もいまのジョニーにとっては充分すぎた。朦朧とした意識に掛かる不鮮明なモヤが晴れた時、その意識は極限までクロックアップしている状態だった。アナログ時計の秒針が1コマ1時間に感じる瞬間だ。


 ――付いて来やがれ!


 ジョニーの視覚情報は完全に欠落したままだ。だが、それでもジョニーは強烈なマニューバを行う。バンデットで行ったような直角ターンを連続して複数回行う超多角形3次元旋回だ。レーダーとシェルの計器情報しか無い状態だが、それでもジョニーには世界が素晴らしくクリアなモノに感じられた。この空域の全てが手に取るようにわかる。そんな状態だ。

 複数のシリウス戦闘機が自分を狙っているなか、ジョニーはまるで舞い踊る蝶のようにヒラリと身をかわし美しくターンを決め続ける。そして、敵機の射撃軸線を引き連れたまま敵機のド真ん中へ遠慮無く飛び込んでいって、同士討ち寸前まで敵を翻弄しつつ飛び回るのだった。


『ジョニー! ジョニー! 大丈夫か!』


 心配するエディの声が再び聞こえた。しかし、その声はまるでスローモーションの様にゆっくりと聞こえた。姿勢制御バーニアスラスターのノズルが動きプリインジェクトされたガスが点火される様までまざまざと見えている。この世界に流れる時間の全てがゆっくりに感じられるジョニーは、とにかくシリウス戦闘機の中を動き続けた。


 ――見える! 見えるぞ! 俺には見える!


 シリウスの戦闘機が次にどう動くのか。その数秒後のビジョンがジョニーの目に映り始めた。ごく僅かな機微でしか無い予備動作を見抜き、その次にシリウスパイロットがどう動くのかをジョニーは予見し始めていた。

 だが、その動きを端から見れば、パニックを起こして敵機の中で混乱するパイロット状態なのだ。


『ジョニー! あと15秒踏ん張れ!』


 ――15秒もいらねぇ! 5秒有れば!


 相変わらず声は出ない。だが、ジョニーは不敵に微笑みながら、手近なシリウス戦闘機に牽制射撃を加えて射撃姿勢を邪魔した後、一番離れてる敵機から順番に攻撃を加えた。危険度判定で言えば近い方が危険だが、遠い方は手が届かないのだからチャンスは無駄にしない事が重要だ。当たるかどうかが問題では無い。お前のことも把握しているぞと言うブラフであり通告でもあるのだ。


『ジョニー! 聞こえているなら返事をしろ!』

『無線の故障かも知れないぜエディ』


 無線の中に501中隊の声が一斉に流れた。何ともノイジーで耳障りな声だとジョニーは感じた。ただ、その声は流れる風や水のせせらぎと大して変わらない。いわゆる『ゾーン』に入った瞬間の集中力を長時間維持し続ける。それは戦闘機乗りにとって一番大切な事なのだが、この日、ジョニーはそれを体得した。


 ――次はこいつと…… こいつだ!


 複雑でアクロバティックな動きを見せたジョニーは泳ぐように宇宙を飛ぶ。シェルの各関節や姿勢制御スラスターを限界まで使い、次の動きの予測を立てさせないトリッキーな動きを行った。

 そんなジョニーのマニューバにシリウスの戦闘機乗り達は翻弄され、チャージから発射まで4秒を要する荷電粒子砲を使えないでいる。半ばあてずっぽうで次々と放たれる荷電粒子砲を全てかわしつつ、ジョニーは一瞬のうちに3機へ直撃弾を与えた。


 ――へへへっ! どんなもんだ!


 コックピットの中でグッと右手を握り締めたジョニー。だが、次の瞬間ジョニーの視野が真っ白に染まり、同時に頭の奥底の辺りの、上手く表現できない深いところから激しい痛みを感じた。

 両耳ともにキーンと響く耳鳴りを感じ、そして、世界の全てがゆっくりと黄昏て行くように遠く離れていくような錯覚を感じた。どこか遠くのほうで誰かが自分を呼んでいる気がする。ジョニー!ジョニー!と名前を呼んでいる。

 だが、まるで眠りに落ちるように意識を失っていくジョニーはそれに応える事すら出来ず、暗く優しい闇の中へと落ちていった。この感触が二回目であると思いつつ、ジョニーは意識を手放したのだった……






 ◆






「しかし危なかったな」

「あぁ」

「少佐や大尉が行かなかったら……」

「今頃シリウスの連中に蜂の巣にされてたぜ」


 ふと意識を取り戻した時、ジョニーは再び医療ベッドの上にいた。ただ、その医療ベッドはサイボーグ用のメンテナンスベッドだったのだが。


「40Gってどんな感じだった?」

「……荒地を車で走ってる最中に岩へ真正面からぶつかった感じだな」

「良くわかんねーや」

「俺も表現できない」


 激しいマニューバが引き起こした強烈な減速Gにより、ジョニーの脳幹部にあるブリッジチップが異常を来たしたのだった。その為、ジョニーの身体は脳からの司令を実行する事が出来ず、また、ジョニーの脳がブリッジチップと衝突する事により激しい痛みを引き起こしたのだった。


「だけどよぉ、俺たち実はかなり得してんじゃね?」

「……なんで?」


 靴磨きを終えたヴァルターは得意げに腕を組んでジョニーを見た。


「普通よ、40Gの衝撃とか受けたら1週間はベッドで寝たきりだぜ」

「……まぁ、そうだけどな」

「だけど俺たちはチョイチョイと『修理』して復帰できる」

「寝てられたのにな」

「ちげぇって!」


 ニンマリと笑うヴァルターは白い歯を見せた。生身の頃のヴァルターは酷い栄養失調状態の時期があったのか、歯が欠けていて、しかも歯茎がひどく痩せている上に色が悪かった。

 だが、今のヴァルターは何処から見ても健康優良状態で、オマケに肌の色艶や白く光る健康的な歯を見せていた。


「病気も怪我も縁のねぇ身体だぜ。トンでもねぇ金持ちのボンボンやらおひぃさんが親の七光りで買って命永らえるサイボーグだけど、俺たちタダなんだぜ?」


 実際問題としてサイボーグの身体は、ベース価格でも数百万ドルが基本線と言う高価な精密機械だ。そのベースボディに様々な『オプション』と言うべき特殊装備を与えられたヴァルターやジョニーは、見方を変えれば無料で機械の身体になった特殊ケースなのかもしれない。

 貧しい日々を送ってきたヴァルターにしてみれば、まるで夢の向こうの世界へいきなり飛び込んだようなものだ。だからこそジョニーにその感動を理解して欲しいのだが……


「だけど、完全に意識が無くなって、もうちょっとで荷電粒子に焼かれて蒸発するところだった。完全にサンドバッグ状態だったんだ。良く生きてると思うよ」

「そりゃ間違いねーけど」

「軍隊って所に来なけりゃ、こんな危険な目には遭わなかったかも知れねぇし」

「まぁ…… なぁ……」


 偶然拾った命のはずのジョニーだが、今回もまた偶然に命を拾ったに等しい。

 2度死に掛けて生き残っているが、3度目は危ない気がしているのだ。


「ジョニーは運が良いんだよ」

「運?」

「そうさ。そうでなけりゃ地球とシリウスのいざこざで、今頃地上で灰になってたかも知れねぇし」


 何事も前向きなヴァルターはジョニーの肩をポンと叩いて立ち上がった。


「さて、そろそろ行こうぜ。最初に行って並ばねーと、またグチグチ言われるぜ」

「……だな」


 急いで第1種礼装に着替えたジョニーとヴァルターは、顔が映りこむまで磨き上げた靴を履いて士官室へと急いだ。前を歩くヴァルターを見ながらジョニーはなんとなく意識を集中する。あの、戦闘中に感じた『見える感覚』を思い出そうとしたのだが、意識するとどうも上手く出来なかった。


 ――あれはなんだったんだろう?


 ふいにそんな事を思ったジョニーだが、たどり着いた士官室のドア付近へと立った時、既に室内にはマイク大尉がやってきていて、ニヤニヤと笑いながらジョニー達を見ていた。


「おはようございます! 大尉殿!」


 今日は長い一日になる……

 そう覚悟を決めたジョニーは、慌てて敬礼を送ったのだった。

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