特捜活動
~承前
一瞬、何が起きたのか把握できなかった。
身体のコントロールは生きているし、感覚もある。
――――中枢系は無事!
トニーは瞬間的にそう判断して両腕を広げた。
ネクサスにかましたタックルで相手は吹っ飛んでいた。
「何をしている!」
何処かから鋭い怒声が聞こえて来た。
地元の警察なのは間違いない。この辺りはそもそも治安が悪くあるのだから。
「おい…… 素直に諦めろ」
トニーは精一杯の渋い声でそう警告した。
だが、その返答は言葉ではなく弾丸だった。
「殺さないで!」
悲鳴交じりの声にハウリングが掛かった。
何が起きたのか理解出来なかったが、視野はまだちゃんと見えている。
タックルを受けて地面に転がったネクサスは拳銃を構えていた。
――――やべっ!
考える前に腰を落としたトニー。
その頭のすぐ上を弾丸が通過した。
瞬間的に視界がスローモーになり、世界が間延びを始めた。
――――まず無力化!
スクワット状態で立ち上がったトニーは、そのまま右足を振り抜いた。
いつの間にかパワーリミッターが外れていて戦闘出力だった。
「やべっ!」
無意識レベルでそう声を発したトニー。
その足は鋭く振り抜かれ、ネクサスの右手首を蹴り折っていた。
次の瞬間には左腕を延ばしていて、ネクサスの襟蔵を掴んでいた。
『録画してるか!』
ジャンが咄嗟に呼びかけて来たが、それに応えてる時間は無かった。
完全に蹴り折った手首からは白い血が噴き出ていた。
視界の中を視点が走り、トニーの眼はネクサスを捉えた。
不意に目が合い、トニーは無意識レベルで笑みを添えた。
「次は人に生まれろ」
咄嗟にそう言葉を発した。完全な無我夢中の中だった。
そう言った理由を合理的に説明することなど不可能だ。
ただ、トニーは理屈ではなく直感で解っていた。
このネクサスもまた犠牲者なのだと。
シリウスを支配する者たちによる無益な死だと。
瞬間、自分の心に何か言葉に出来ないモヤモヤとしたものが沸き起こった。
ドス黒くて醜悪で、とてもじゃないが人には見せられない、云えないものだ。
――――自分だって……
機械に身を窶してまで働く己は真っ当なのか?
例えそれがレプリであれ、命を奪うことは許されるのか?
幾度考えても答えが出ない堂々巡りな思考の中で、トニーは行動していた。
鋭い銃声と共に放たれた銃弾が、レプリの頭蓋を吹き飛ばした。
白い血が大量に飛び散り、アチコチから一斉に悲鳴が上がった。
『レプリカントだ!』
レプリによるテロが横行する社会では、もはや白い血が飛び散るだけで恐怖。
近くに居るはず仲間のレプリが報復で自爆テロをしかねないのだった。
『1体処理しました』
トニーの声がラジオに響くと同時、何者かが突然走り出した。
買い物客でごった返す雑踏の中を誰かが何処かへ走って行く。
何処かで誰かが痛みを叫び、子供の泣き声と怒声が響いた。
直接見る事は出来ないが、確実に何かが起きていた。
『こっちにもう一体!』
ロイは雑踏の中に走る女を見つけた。
ラジオの中にそれを叫び、同時に女の追跡を始めた。
ショッピングモールは混乱の極みで、誰もが何の導きも無く走っている。
――――おいおい……
少し溜息をこぼしたジャンは腰の拳銃を抜いて周囲を改めた。
その視界には無表情で状況を眺めている男がいた。
レプリ特有の反応なのだが、それを知らなければ傍観しているように見える。
ジャンは風が流れるようにスッと動き出し、その男の斜め後方から接近した。
――――ん?
言葉にならない違和感。いや、違和感ではなく焦燥感だ。
何処かからロックオンされてる時に感じる居心地の悪さ。
危険が迫っている。或いは、この選択が間違いだと確信する直感。
その感覚に素直に対処出来なければ生き残れない。
シェルドライバーが時折見せる説明不可能な機体の揺らぎ。
結果的にそれでデブリや浮遊岩石を回避する事があるのだ。
ジャンは本能に従ってスッと男から離れた。
少し距離を取って傍観する男と走る女を見た。
――――接触する……
そう直感したジャンは女の進路から外れ、横から射殺する体勢になった。
視界に浮かぶ赤い●とRECの文字を再確認し、拳銃のセーフティを外す。
――――さぁ来い
涼やかな殺気がジャンに満ちる。
ただ、その殺気は相当な手練れでも無ければ解らないレベルだ。
刹那、脳裏に何かが浮かんだ。
それが幼い日のルーシディティだと思い出し、不意に怒りがわいた。
穏やかな日常を非日常に変えてしまう不条理が許せなかった。
「エル!」
女の声が響いた。
傍観していた男がピクリと反応した。
何をするのか判断する前にジャンは銃を抜いて狙いを定めた。
その直後、視界に浮かぶ光景に一瞬だけ混乱した。
女がエルと呼んだ存在が銃を取り出し、女に向けたのだ。
――――は?
女は笑っていた。その理由は分からない。
ただ、その距離で打たれれば確実に死ぬ。
男の手には45口径の自動拳銃があった。
考える前にジャンは発砲していた。
サイボーグ向けに作られた13ミリ弾頭の強力な拳銃だ。
男は頭蓋を吹っ飛ばし、一瞬で絶命した。
吹っ飛んだ部分から白い血がドクドクと流れ出ていた。
『こっちも一匹始末した。女を逃がすな』
ジャンの声がラジオに流れるのと同時、女の悲鳴が響いた。
完全に精神が壊れたパターンだと直感した。
レプリカントの精神は通常の人間よりも遙かに脆い。
ショッキングな光景や依存対象の些細な拒絶で人格崩壊する事すらある。
――――ッチ!
小さく舌打ちしたジャンは予備動作無しでいきなり走り出した。
これが出来るかどうかは日頃の訓練による。
女の精神は完全に飛んだようで、呆然とした表情のままだ。
ジャンは銃を構えて叫んだ。
「FREEZE!!」
かなりのボリュームで声を発したのだから聞こえる筈。
それでも止まらなければ撃つだけだ。
引き金に掛かっている指が動き掛けた時、女の進路上に子供が見えた。
まだ幼い子が大事そうにぬいぐるみを抱えている。
その瞬間、ジャンの精神が沸騰した。
――――くそったれ!
進路上に幾人も一般客が見えたが、ジャンは遠慮を忘れた。
立ちはだかる買い物客を遠慮無く吹っ飛ばしながら女を追った。
大声で『どけッ!』を叫びつつ、さらに速度を上げた。
うるせぇ!と反抗するバカは容赦無く突き飛ばした。
重量級サイボーグの一撃を受けて、その手のバカは何処かに吹っ飛んだ。
――――あ……
走って逃げる女の進路上に居た女の子が親に抱きかかえられた。
まだ若い父親だと思ったジャンはニヤリと笑った。
アチコチから悲鳴や怒声が響く中、ジャンは走りつつ発砲した。
スタビライザーの制御が良好で銃口がブレる事は無かった。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
何を叫ぼうとしたのか理解出来ない絶叫が響いた。
女の腰の辺りに一発。そして右の膝上辺りに一発。
普通ならもうそれでゲームセットだ。
女はバランスを崩し、そのままショーウィンドのガラスに突っ込んだ。
ぶ厚いガラスを慣性運動のエネルギーで突き破り、そのまままだ走った。
骨盤辺りから白い血が噴き出ているのが見えた。
「全員伏せろ!」
ジャンの声が響き通行客がその場に伏せる中、ジャンは更に発砲した。
真っ赤になった銃弾が幾つも女に吸い込まれていくのが見えた。
着弾の衝撃と走っていた運動エネルギーとで女は次々にガラスを割った。
そして、4枚目辺りに到達した時、ジャンの銃弾が女の頭を撃ち抜いた。
『ジャン!』
トニーが臨場した時、ジャンは銃を構えたまま女に近付きつつあった。
「まだ近付くな!」
周囲の野次馬と一緒にトニーの足を止め、ジャンは慎重に接近した。
女の身体にTNT火薬でも突いていれば、サイボーグでも吹っ飛ぶからだ。
遅延信管による発火を警戒し30秒掛けて女の脇に立った。
既に絶命しているのは解っているが、遠隔爆破が怖かった。
ただ、接近しない事には確認すら出来ない。
『ジャン。見つけた。男が発火スイッチ持ってた』
ロイはジャンが最初に射殺した男を検めていた。
そのポケットにあったのは、何事かに使う遠隔操作スイッチだ。
ロイは映像をラジオに流し、同時にスイッチのバッテリーを抜いた。
その映像を取ったジャンは落としていた腰を上げて大きく息を吐いた。
自発的呼吸の必要がないサイボーグだが、この行為で意識は大きく変わる。
『OK。NSAに引き渡す』
ラジオでそう指示を出したジャン。そこへ地元警察がやって来た。
まだ銃を持っていた関係で警察もホルスターから銃を出している。
「特捜のジャンだ。ツレがふたり居る。レプリを追ってた」
懐からブレードランナーのバッジと海兵隊徽章を出して見せたジャン。
地元警察官は『ご苦労様です』と銃をしまい、女の死体を見た。
破裂したところから白い血を流す女の残骸。
そこにNSAが到着し、現場処理を引き継ぐと宣言していた。
「次の仕事に掛かるので、ここを頼む」
やって来たNSAのブレードランナーチームに後を託しジャンは歩き出す。
ロイとトニーは大きく迂回して車に向かっていた。
『予定通りッスね』
明るい声で言うトニーだが、その表情は冴えない。
それを聞くジャンもまた少し暗い翳りを見せつつ言った。
『女を撃つのはつれぇな』
ラテン男の素直な心情だが、それでもジャンはそう絞り出した。
NSAから送られてきていた資料に寄れば、この地域にあと5人いるらしい。
『しんどい仕事ですね』
ロイの言葉にジャンは少しホッとした。
単なる殺人鬼にはなってくれるな……と、そう願っていた。
その晩
「まだまだ暇になりそうにないですね」
小さくため息をこぼしつつ、ロイはそんな事を言った。
アレンタウン中心部にある小さなバーのカウンターで。
店の隅にある小さな3Dテレビからは停戦交渉の経過が流れている。
2281年初頭時点でシリウス軍の主力は外太陽系を拠点としていた。
「まーな。連中も実に仕事熱心だ。夢追い人は夢中で働くもんさ」
溜息交じりにシリウスを褒めたジャン。
ただ、その中身は実際とんでもない事になっている筈だ。
現状、シリウス遠征軍はメインベルト最大の準惑星タロンを拠点としている。
そこからやって来たシリウス側代表団は地球政府との政治的接触を続けていた。
言うまでもなく、独立へ向けた最終段階だと彼等は認識しているからだ。
だが……
「連中もお土産を期待してるんでズルズルやってるんでしょうね」
小馬鹿にするようにそう言ったトニーはダブルのバーボンをグッと煽った。
シリウス側が求めるのは独立国家としての認証であり現状の追認でしかない。
そして、それを飲んでくれるなら大幅な譲歩もあり得ると提示していた。
だが、地球側はあくまでも反政府勢力による占有と言うスタンスを崩さない。
毎回の事だが、話し合いはいつも物別れに終る。
そしてその都度、地球側は食糧や医薬品をお土産に持たせていた。
「まーな。それが無きゃ捕虜は全部死ぬって言われりゃ、政治屋は妥協するしかねぇってやつさ。ボチボチ中間選挙が控えてる。大統領だって権力を手放したくねぇだろうしな」
強力な指導体制を持つシリウスに対し、地球側はあくまで民主主義だ。
政治家はテロによる犠牲者や捕虜の身の安全をどうしたって気にする。
支持率という不確定なものがシリウス側の武器になっていた。
その結果、双方は妥協の産物を発表し握手で終わる。
・地球の国連政府はシリウス政府を認証しない
・自らが独立国であるという主張については表現の自由として尊重する
・地球側の同意を取り付ける限り高度な自治権の範囲であると認識する
それが玉虫色の政治決着なのは論を待たない。
しかし、実際の話として地球側は強く出られない。
人質の命には代えられないという妥協の産物だ。
国家として認証はしていないのだから、条約などを結ぶつもりはない。
あくまで人道的な配慮として捕虜の交換や遺体の引き渡しに応じるとした。
同時にシリウス向けに食糧や医薬品などを供給する事でも同意を見た。
西暦2200年のシリウス独立宣言以来、約80年の年月を経て至った結論。
シリウスは事実上独立した。後は単なる言葉遊びでしかなかった
ただ……
「こっちが強く出ると、向こうはテロを激化させる。そのテロの芽を摘み続けないと、こっちは負ける。ほんと面倒ですね」
ロイは吐き捨てるようにそう言うと、バーボンを勢いよくグラスに注いだ。
溜息交じりの言葉には現状を変える事の難しさと歯痒さが滲んだ。
「まぁ、それも仕方ねぇ。いずれタロン辺りをめぐって戦闘するはめになるさ」
チーズをクラッカーで挟んで口に放り込んだジャン。
テレビにはシリウス側が今回の交渉で解放した捕虜が映っていた。
「その為に食糧を恵んでやってるって事っすね」
トニーが言う通り、食糧と引き換えに捕虜が解放されている。
食糧を自前で調達できないシリウス側のアキレス腱だ。
タロンに捕らわれた地球側の捕虜がゼロになるまで攻撃は出来ない。
宇宙空間は外に放り出された時点で死ぬのが確定しているからだ。
「そう言うこった。そんで……」
ジャンは実に嫌そうな顔でテレビを見ていた。
解放された捕虜は5名だが、その一人はどう見たってレプリだ。
捕虜生活で精神を病み、正体が抜けているとテレビでは言っている。
だが、地球上の市民は解っていた。メディアがシリウス寄りと言う事実をだ。
地球側の対応を非難し、捕虜を悲劇のヒーロー扱いしている。
そして、もっと早く交渉に応じていれば、彼はこうならなかった!と。
シリウス側の主張を全面的に受け入れれば全員帰ってくる!と。
メディアがシリウスに抱き込まれている。
その内部で反政府闘争や反権力闘争にかぶれた者たちが暗躍している。
もはやバレバレなのだが、当事者たちは上手く身を隠せているつもりだった。
「次のターゲットっすね」
トニーがそう言った時、3人の視界に赤文字が浮いていた。
NSAが送って来た新しいターゲットの情報だ。
「本当に仕事熱心ですね」
ロイも溜息をこぼす。
そんな姿を見ていたジャンはグラスを空にして言った。
「溜息なんて吐いてるとツキが逃げるぞ」
……と。




