ショッピングモールにて
~承前
アメリカ合衆国北東部
ペンシルバニア州 アレンタウン
20世紀後半頃より安定してあまり治安がよろしく無い街の中心部。
ジャンはエディから届く高度に暗号化された直信通話に耳を傾けていた。
蒸し暑い夏はまだまだ終わりそうに無いが、確実に秋の風はやって来ている。
高湿度な夏の空気が寒冷前線に刺激され、篠突く雨が屋根を叩いていた。
『……と言うことで、事態は進行中だ。ディージョとヴァルターに兵を与えて送り込む。色々面倒はあるだろうが上手くやってくれ』
エディの言葉を聞きながら、ジャンはひたすら苦笑していた。
近くで見ていた新入りのロイが不思議そうな顔でそれを見ていた。
いきなりの無茶振りはいつもの事で、唐突にとんでもない事をやらせる上司。
エディを一言で表現するなら、そんな風になるのだった。
『とりあえず了解しました。レプリ狩りは続けますが、構わないですね?』
地上に降りていたジャンはトニーとロイを連れ、レプリ狩りを続けていた。
海兵隊の地上基地周辺では偽装レプリが自爆テロを仕掛けていた。
もはや真っ当な形の兵はシリウス側に無く、僅かに残った工作員が暗躍中だ。
彼等は寿命が迫っているレプリに爆薬を持たせ、意味のある死を与えていた。
『あぁ、それは構わない。むしろそっちも強力に推し進めてくれ。我々の実績になるだけじゃ無く恩を売れる。各方面に貸しを作っておくのは先々役立つぞ』
エディの方針は単純で、サイボーグが役に立つことを実証し続けろ……だ。
そこになんの意味があるのかは説明されるまでもない。
サイボーグは海兵隊の予算を食い潰す歓迎されざるヒーロー。
まだまだ研究中のシステム故か、そんな評価はどうしたって付いて回る。
正直に言えば、かつてのブーステッド部隊と同じ運命を辿りかねない。
だからこそ……
『そっちも了解です。とりあえずはディージョとヴァルターを待ちます』
ジャンの返答に『あぁ、そうしてくれ』とだけエディは応えた。
いつもの事だが、 要点を整理しつつ、適切に要約して話をする人だ。
そこにエディが信用を集める理由があり、信頼の根本になっている。
ジャンはロイとトニーを前に切り出した。
「聞いてただろ? 少し忙しくなるぞ。今日明日中に近隣のレプリを狩り尽くす。NSAに協力を依頼されているから、それに乗る形にしよう。向こうからは情報が続々と届いているし、猟犬の役を引き受けてくれるそうだ」
74年から始まったクロスカウンター作戦は功を奏し始めている。
NSAが把握している北米大陸のレプリは1000体を切った。
様々な形で街中に溶けこんでいるが、実際の話として活動してるのは100体。
その理由は言うまでもなく、地球とシリウスの間で発効した停戦協定だった。
2276年8月1日付で発効した地球とシリウスの間における戦闘停止協定。
これによりシリウス側は体制の立て直しを図る時間的猶予を確保した。
ただそれは、地球側にも同じ効果を発揮するのだ
そしてそれは、結果的に地球側の方が有利となった。
基礎的国力が全く違うのもあるが、それ以上にデカいのは人的資源だ。
2277年1月。
アメリカ合衆国は国家安全保障局内部にレプリ狩り機関を組織した。
有害なレプリを探し出し駆除する専門機関。通称『ブレードランナー』だ。
程無くして地球連邦軍組織内部にも同じ攻勢の組織が立ち上がる。
彼等による強力なレプリハントは地球に残るシリウス機関を弱体化させていた。
結果、シリウス軍は地球上から姿を消し、現在は代表機関が残っている。
もちろん地球側との交渉の為だった。
その交渉を少しでも有利に進めるために、彼等はテロを続けていた。
レプリを無駄遣いできないなかで、一番痛いところを確実に突く形だった。
「じゃぁ俺達は炙り出されたダニ退治ってこってすね?」
どこかべらんめぇな口調のトニーは、完全にロニーのコピーになっていた。
そして、まだ新人気分が抜けないロイは、遠慮が抜けていなかった。
「ダニ退治は良いとして、NSA側に花を持たせなくても良いのでしょうか?」
身の上話をした訳じゃないが、ジャンはロイが似た系統の男だと感じていた。
南欧系文化が色濃い地域出身のラテン気質なナイスガイ。
そして、女好きで女垂らしな面もある。
――――あの野郎が下手な事したらどうしますか?
ジャンは地球降下前にエディへそうたずねた。
軍の規定によれば、民間人への暴行や恐喝。そして強姦と言った犯罪は重罰だ。
サイボーグですらそれをしたとなれば、色々と風当たりも強くなるのが当然。
ジャンは暗に『その場で処分しますか?』と問うていたに等しい。
そして、その問いに対しエディも『キチンと記録は取れ』とだけ応えた。
言う迄もなく、その手の行為に対しては即座の処断が基本路線だ。
――――犯罪は許さない
――――犯罪を犯した者も許さない
――――そこには如何なる矛盾も存在しない
実に解りやすいエディのプリンシプル。
エディはかつてシリウスの地上で野戦憲兵代理を務めたことがあるらしい。
テッドと雑談をしているときに、その手の話を何度か聞いていた。
そしてそのテッドは、エディのやり方に心酔していた。
テッドの父親が保安官だったというのは何度も聞いた話だ。
だからこそ悪の存在は許さないし見逃したり買収されたりと言うこともない。
その身持ちの堅さを思えば、ジャンはテッドを裏切れないのだ。
他ならぬ、妻キャサリンの為にも……だ。
「さて、行こうか。先ずは街中のパトロールだ」
装備を整えたジャンは笑顔でそう言った。
街中に出れば、そこらの一般人と見分けが付かない服装だ。
ただ、サイボーグである彼等3人は身体に近いところへ増加装甲を入れてある。
至近距離であっても45口径くらいまでは問題無く受け流せるだろう。
生身の身体であれば防弾防刃ベストを装備していても肋骨が折れる筈。
その心配がないだけ、サイボーグは重宝されるのだった。
「頭に当たらないようにしなきゃダメっすね」
苦笑いでそういうトニーだが、実際には至近距離で何度が撃たれていた。
これ以上の威力を持つ銃が使われないことを祈るしか無い。
「相手の動きをよく見るようですね」
ロイの言葉に首肯を返し、ジャンは事務所を出た。
海兵隊が用意したのは測量事務所の看板を出している建物だ。
三人はアタッシュケースや仕事用のバッグを持ったエンジニアにも見える。
――――どっかで見張ってんだろうな……
何となくジャンはそんな直感を覚えた。
シリウス側のエージェントはとにかく優秀なのだ。
「とにかく雨に注意だ。赤外も通りにくい」
ザーザーと音を立てて降る雨は3人が乗ったエレカーの屋根を叩く。
聴覚センサーがエラーを出すんじゃ無いかと言うほどの音量だ。
『無線の方が通るっすね』
車内でハンドルを握ったトニーがそんな言葉を漏らす。
だが、ジャンは苦笑いを浮かべつつ首を横に振った。
『宇宙暮らしが長くなると雨にだって打たれたくなるもんさ。この状況を楽しんでおこう』
トニーは『あー』などと暢気なことを言っている。
宇宙空間に雨が降ることは無いのだから当然だ。
『月面にも雨は降りませんね』
ロイもロイで当たり前の話を漏らす。
ただ、そんな言葉の裏側にあるものをジャンは気が付いた。
『そういやあれだな。ロイは地上暮らしの方が長いな』
ドネツィク戦で負傷し死にかけたロイだ。
サイボーグ処置を受け現場に復帰したが、最初はそうとう面食らっていた。
――――私は家に帰れますか?
ロイの発した言葉に首を振った海兵隊弁護士の顔は引き攣っていた。
ドネツィクの平原で腹腔内の内容物全てをぶちまけ、99%死んでいた男だ。
その状況で選択した茨の路を後になって実感している形だった。
『一通り訓練はしたんですが、自分は地上暮らしの方が良いです』
まだ24才だと聞いたが、その年齢よりも若く見える。
いや、若いと言うより幼いと言った方が正確かも知れない。
嫌なモノを嫌と言えるのは美点だが、同時に我慢も知らねばならない。
我慢と言うより順応する能力だ。結局はそれがあるかどうかで人生が決まる。
そしていま、ロイはそれと戦っていた。
嫌なモノを避け、理不尽を回避し、好きなモノだけに囲まれて生きる。
そんな事が出来るのは、それこそ生まれながらに神の加護を受けた者だけ。
自分の『嫌だ』を振りかざして他人を殴る理不尽は、いつの世にも溢れていた。
『まぁなんだ。これからより一層ヤバいところに行くだろうから、それからまた印象を聞く事にしよう。なんせ宇宙は清潔だからな』
ジャンの言葉が流れる頃、トニーの転がすエレカーは街の中心部に入った。
NSAから連絡を受けていたのは、巨大ショッピングモールの従業員だ。
複数のレプリが人間のフリをして従業員に化けているという。
「さて、行こうか」
最初にドアを開けて降りたジャンは無意識に全方位をチェックした。
トニーとロイが車を降り、それぞれが車を背にして視界の中をサーチする。
『SLLSクリア』
最初にトニーがそう発し、ロイも『クリア』と続けた。
『こっちもだ。警戒を厳にしよう。何処かで見ているぞ』
ジャンは直感でそう警告した。
理屈ではなく直感でそう確信する時は確実にあるのだ。
超高速で虚空を飛翔するシェルドライバーならば理解できる事だった。
「先ずは飲み物っすね」
普段の口調でトニーがそう切り出す。
それに続きロイが『サンドイッチとチキンが欲しいです』と続けた。
「よし、じゃぁあっちからだ」
笑顔のジャンが雨の中を走りだし、皆がそれに続く。
降雨中は赤外線が散乱し減衰する関係で反応が弱くなる。
しかし、周囲の温度が下がる関係で熱源反応は取りやすい。
また、密度の高い雨はレーザー照準が宛にならなくなる。
しかも雨粒で拡散が発生し、一瞬だけキラッと光る。
『この状況はこっちに有利っすね』
トニーの声が弾んでいる。
屋外での危険性はかなり下がっていた。
だが、それで油断して良いという事じゃない。
ジャンは『ロイ。背中も注意を払えよ』と言いつつ走り続けた。
「しかしよく降るな」
建物に入って上着の水を払いつつ、やれやれとばかりにジャンが切り出す。
測量事務所のスタッフブルゾンには撥水機能がついていた。
「あー、良い匂いだ。腹減った」
笑顔でそんな事を言うトニーはニコニコしている。
ハンターにとって笑顔は最高のカモフラージュだ。
何となくそんな事を見てとったロイも『なんか食べましょうよ』と返す。
「そうだな。ボブはチキンを見に行ってくれ。エドはドリンクだ。俺はサラダを見てくるから」
トニーにはボブ。そしてロイにはエドと呼びかけ、全員がばらけた。
このマーケットの中に最低3人のレプリが居る。そんな情報だった。
『折りに触れてSLLSしろ。何も見逃すな。絶対に油断するな。俺たちは先に死んだ奴らが死ぬほど願った今日を生きてるんだ。拾った命を大事にしろよ。捨てて良いのは愚かさだけだ』
周囲を見とは無しに眺めつつ、ジャンはそう言った。
ふと、テッド程じゃなくともエディに影響されていると思った。
何処までもドライで常に最悪の状況を想定して生きる。
そうすれば死なずに済む。そうすれば生き残れる。
自分自身の感覚や意識ですら信用しない生き方。
――――俺もレベル上げなきゃ駄目だな……
ジャンは不意に足を止め、看板を見上げる仕草だ。
SLLS。軍隊用語でシルスと呼称されるそれは、偵察の基本テクニック。
STOP:ストップ。
LOOK:ルック。
LISTEN:リスニング。
SMELL:スメル。
人間に備えつけられた五感のうち、目と耳と鼻を使うやり方。
簡単なようで実は驚くほどに様々な情報を集められるのだ。
――――ん?
確証の無い異常。
それを違和感として認識する根拠は膨大な場数と経験。
もうひとつ言えば、死にかけた土壇場の諦観と恐怖。
死神の鎌を喉元に突き付けられた時、人は死神の気配を知る。
そして、そんな存在が身近に来た時だけは、ハッと思い出す。
――――見てやがるな……
視線を感じると言うのは、如何なるセンサーでも捉えられない僅かな機微だ。
だが、人の脳だけはそれを違和感として処理し、危険を訴える。
この時ジャンは明確な悪意と敵意の籠もった視線を感じた。
殺意の波動は距離を問題にしないのだ。
『ロイ。ターゲットは俺を狙ってる。裏に回り込め』
見上げた看板を眺めつつアゴをさすってニヤリと笑ったジャン。
その姿はまるで娘に何かみやげでも買おうとしている父親その物だ。
かつて何度も娘ルーシディティの為に買い物をした父親だからだろうか。
ジャンのそんな仕草には違和感らしい違和感が殆ど無かった。
相当に目がこなれているなら、その足の置き方に違和感を感じるレベルだ。
『了解です。建物の奥をグルッと回ります』
ロイの返答に『慌てるなよ。気取られたら対策される』とジャンは返した。
その辺りでまだまだロイは経験不足だし、思慮と配慮が浅い。
『こっちもバックアップします。恐らくターゲットを見付けました』
ジャンの言葉が終わると同時、トニーが何かを見つけたらしい。
トニーはジャンとロイに自分の視界を転送した。
そこに見えているのは、明かに挙動不審な大男だ。
大きな段ボール箱から商品を取り出し陳列している姿。
だが、良くみれば商品の配置がバラバラで全く統制が無い状態だ。
何より酷いのは、常に周囲をキョロキョロと見回している。
『トニー。少しちょっかい出してみろ』
イタズラの虫が騒いだのか、ジャンは唐突にそんな指示を出した。
その意図が伝わったのか、トニーは楽しげな声でそう応えた。
『なんと言うか、ここまで怪しいのも珍しいですね』
ロイも呆れるその姿。
多動性障害っぽい姿にも見える。
トニーは視界を提供しながらターゲットに接触した。
いつの間にか猟犬らしい物腰になっていた。
「あのーすいませんが」
怪しい店員に声をかけた瞬間、その男はビクッと身体を震わせた。
その露骨な警戒ぶりにトニーは吹き出しかけた。
「どうしました? 何かありましたか?」
相手を心配する素振りを見せつつ、さりげなく相手を観察。
ブレードランナー向けに開発されたレプリインジケーターが反応する。
『こいつ、例の新型です!』
ラジオのなかに流れるトニーの声が固くなった。
今年の始め頃に初めて見付かった新型のレプリはネクサスと言う名前だ。
従来のリバティと呼ばれる形式から更に一歩進んだ新型。
ネクサスの特徴を一口で言うと、更に人間っぽくなりました!だ。
そしてそれは、こんな局面では精神の不安定さとして現れた。
「いッ! いえッ! 平気ですッ! 大丈夫ですッ!」
完全に裏返った声で否定する男は目が泳いでいる。
「問題無いです! 無いです! 無いですから!」
完全に舞い上がっている男は顔面蒼白のままワナワナと震えている。
周囲に居る客達が気味悪がってスッと距離を開けた。
――――あ…… やべっ!
瞬間的にトニーは腰の後ろへと手を回した。
ブレードランナーが装備する拳銃はだいたいここへ隠してある。
当人は自衛の為の動きだったが、ネクサスには異なる動きに見えたらしい。
『バカッ! バレるだろ!』
ラジオの中に絶叫を通したジャン。
ロイも『そっちに向かいます!』と動き出した。
『誤魔化します!』
トニーは腰のポケットからハンカチを出した。
銃を隠してないと証明する為に、わざわざ広げてだ。
「大丈夫ですか? 酷い汗ですよ?」
笑顔を添えてハンカチを差し出したトニー。
それを見たネクサスは突然叫んだ。
「殺さないでくれ! やめてくれ! 助けて!」
何か言葉にならない事を喚き始め、ネクサスは突然走り出した。
何処へ行こうというのかは解らないが、完全なパニックモードだ。
精神安定性と言う面で非常に不安定なレプリ向けのチューリングテスト。
古い映画の中ではこれをフォークトカンプフテストと呼んでいた。
そして現在ではあえて精神的に圧を掛け、安定性を試すケースが多い。
カスハラ一歩前の事をした時、レプリは恐怖や罪悪感に押し潰される。
そこで一気に暴力的な行動へ暴走しない為のマインドコントロールだ。
「待って! ちょっと待って! 行かないで!」
トニーはハンカチを持ってネクサスを追い掛けた。
ネクサスはショッピングモールの中を抜け、人ごみの中に逃げ込もうとした。
「どいて! 皆さん危ないからどいて!」
トニーが大声をあげた時、ネクサスが突然足を止めて振り返った。
瞬間的に『ヤベッ!』とラジオに声が漏れた。
その視界には懐から2インチバレルの拳銃を取り出すネクサスの姿が映った。
――――やばい!やばい!やばい!
瞬間的にコルトのリボルバーだと判別したトニーは咄嗟に近くの壁に隠れた。
その直後に拳銃の発射音が響いた。何処かで跳弾の音がし、悲鳴が聞こえた。
――――やっちまった!
覚悟を決めて飛び出したトニーは真っ直ぐネクサスに走った。
両腕で顔を隠したのは脳を護る体制だ。頭だけは無防備だから。
その時、再び発射音が聞こえた。
視界の中に何かの赤文字がザーッと走った。
その意味を理解する前にトニーはネクサスにタックルしていた。
痛みや恐怖は全く感じていなかった……




