停戦協定の発効
~承前
ブリテン、スタッフォード。
サイバーダイン社の拠点があるこの街は、501大隊の根城になっていた。
戦闘で消耗した義体の修理やメンテナンスなどで色々と都合がいいからだ。
その関係で割と派手に訓練や演習などが出来る。
アフリカ帰りの面々は新人の10人にあれこれ稽古を付けていた。
平面における戦闘のイロハだけでなく、建物への突入戦などだ。
数々の実戦に鍛えられてきた面々ならともかく、新人達は経験が無い。
厳しい場面で手をミスらないように、余裕があるときは厳しく指導する。
それは突き詰めれば、自分が死なないようにする為の第一歩だ。
だが、新人達は全てが新鮮な経験だった。
乾いたスポンジの様に知識と経験をどんどんと吸収している。
それを見ていたテッドは、訓練の体系化を考えていた。
そんな時だった。
『テッド。忙しいだろうが私の部屋まで来い』
エディはオープンバンドで唐突にそう声を掛けてきた。
だが、テッドは呼び出される理由が思い浮かばなかった。
「なんだと思う?」
テッドと共に新人の訓練をみていたヴァルターは少し怪訝な顔だ。
隊の全員ではなくテッドだけが呼ばれる。そこに妙な感触を覚えたのだ。
「いや、全然わからねぇ」
率直にそう応えたテッドだが、同時にラジオへ声を入れていた。
『すぐ行きます』
右手を挙げて『じゃ』とその場を離れたテッド。
だが、エディの私室へと向かう道すがら、どう考えても理由が思い浮かばない。
――――いったいなんだ?
少しだけ嫌な予感が心の奥底から沸き起こって来た。
エディの声が少し硬く聞こえたのも不安に輪をかけた。
シリウスにいるリディアに何かあったのか。
事故や政変で命を落としたか。また精神の安定を崩してしまったか。
脳内で悪いイメージがグルグルと回るが、気が付けばエディの部屋の前だ。
「テッドです。入ります」
軽いノックの後、そう言葉を掛けて部屋に入ったテッド。
ガチャリとドアを開けば、そこにはスタッフォードの行政責任者がいた。
大きなソファーで差し向かいに座るエディと行政の責任者。
ふたりの間にはいくつかの書類が見えていた。
――――極めつけに悪い予感……
行政側からクレームだろうか?
それとも、シリウス系工作員による市民扇動かも。
一瞬のうちにテッドは様々な可能性を思い浮かべていた。
彼等の目と手は長い。
時には想定すら出来ない所から一撃を入れに来る。
正面戦力で勝てないなら、市民を扇動すれば良い。
そんなケースはシリウスで散々見てきたからよく解る。
だが……
「そう警戒するな。ただ、おまえにも重要な事だ」
エディは薄く笑って着席を促した。
屋外の課業服だった関係で略帽だったテッドは、そのまま着席した。
「初めまして。私はスタッフォードシャーの住民サービス担当です」
握手を求めてきた男は脂の乗った人当たりの良さそうな50代の風貌だった。
自分への来客でエディに呼び出されたのなら、用件を聞く方が早い。
事態を飲み込む間もないが、先ずは情報収集からだった。
「テッドです。どのような御用件でしょうか?」
握手しつつ単刀直入にそう切り出したテッド。
体当たりでぶつかっていくやり方は、間違い無くエディ流だ。
「はい。今日はですね、テッドさんの法的立場について確認に来ました」
思わず『法的立場?』と聞き返したテッドは隣にいたエディを見た。
なんだ?と思いつつも、同時にハッと気が付いた。
エディの後見人だったロイエンタール卿は本物の貴族だったはずだ。
その関係でエディは推定相続人としてそれを受け継いだはず。
つまり……
――――そうだよな……
テッドは法的にはエディの息子となる。つまりはロイエンタール卿の孫だ。
ブリテンは今も貴族制度を色濃く残しているが、その一環で来たのだろう。
結果的にテッドもブリテン貴族としての権利をいくつか擁しているのだ。
「法定相続人として伯爵位を得ているマーキュリー卿ですが、我が国の貴族法に基づきテッドさん、あなたは推定相続人として伯爵位を継承する可能性がある関係で卿の称号が授与されます」
何処か抜けた声で『そうですか』と応えたテッド。
その後、住民サービス担当者はいくつかの書類にサインを求めた。
「面倒は得にありません。仮にの話ですが、マーキュリー卿が亡くなられた時、あなたには相続を拒否する権利があります。大昔と違って現代貴族は所領を持ちませんし貴族院の議席もありません。単に家の品格の問題です。まぁ、その他にも色々ありますが、はっきり言えばロイエンタール卿の遺品や住居であった城塞などの管理や運営について権利を有するだけです。つまり、相続権を持つ事を了解して欲しいというだけの話です」
――――そう言うことか……
少し拍子抜けだったテッドは言われるがままに書類へサインを入れた。
その書類を一読した後、今度は後見人としてエディがサインを入れた。
「これで終了です。では」
極めて事務的な振る舞いをしたサービス担当の役人は去って行った。
名前を聞いたような気がするが、記憶には残っていなかった。
「エディ。ロイエンタール卿のお住まいはどうしたんですか?」
ふと気になってそんな質問をしたテッド。
エディはスッと立ち上がって窓際に立ち、眼下を見ながら応えた。
「叔父上の居城と広大な敷地は地元自治体へ貸し出すことにした。向こう50年は色々とイベントホールなどにつかうだろう。元々はスコットランド貴族のものだったが、大英帝国貴族の権利を引き継いだ叔父上が管理していた」
振り返りテッドに視線をやったエディ。
外から入り込む光に照らされ、どこか神秘的な様子が窺えた。
「基本的には貴族だって人間だ。いつかは必ず死ぬ。だからこそ法定相続人が必要になり、肩書きは継承されていく。ただ、正直に言うと叔父上の肩書きを継承するのを拒否するつもりでいた」
思わず『え?』と訝しむ声を出したテッド。
それを見たエディはニヤリと笑った。
「先日、アフリカで例の新人を叱りつけたな」
エディは目を細めてそう切り出した。
「ティアマットの事ですね」
「そうだ」
首肯しつつ再びソファーに来たエディは、テッドの向かいに座った。
「あの叱り方は良かったぞ。時には相手のプライドまでへし折ってやることも必要だからな。マイクとも話をしたんだが、あのシリウスの荒れ地で拾った跳ねっ返りの小僧も一人前だと思ったのさ」
エディの浮かべる笑みには溢れるような満足感があった。
最初はそれを理解出来なかったが、ややあってテッドは気が付いた。
それは、自分の成長を喜ぶエディの根本人格だと。
右も左も解らないくせに、強気の振る舞いをしていたテッドの成長だと。
人を育てる歓びを溢れさせているのだと、そう気が付いたのだった。
「……だから、俺のために継承した……と?」
「その通りだ」
首肯しつつそう言ったエディにテッドは手を振りながら言った。
「いやいやいや……そりゃ買い被り過ぎってやつです」
どうして良いのか解らず、テッドは瞬間的に否定して見せた。
まだまだ修行中で勉強中だ。それに学べば学ぶほど至らなさを実感する。
道程は遠く果てしなく、全ての面でエディのようには振る舞えない。
手下や部下を指導し、改めて自分の未熟さを痛感しているのだった。
だが……
「そう出来ないやつが多いから困ってるんじゃ無いか」
テッドを指差しながらエディは朗らかに笑った。
その笑みを見たテッドは、遠い日に見た父親を思い出した。
「誉められて悪い気はしませんけど……でも、少し怖いな」
父親に向かって本音を零すように。
テッドは素の言葉でそう言った。
「テッド。いや、今はジョニーと言うべきか。お前の責任感は大隊の中でもトップクラスだし、責任感や決断力や信念を貫き守る力。何より優しさがある。重大な局面の土壇場で全責任を背負って決断出来るだろうし、その覚悟も持っている」
エディが珍しく饒舌だ。テッドは外連味無くそう思った。
そしてその直後にハッと気が付いた。これはきっとエディが言われた事だと。
遠い日、シリウスからやって来た少年をロイエンタール卿が誉めたのだろう。
その記憶を思い出し、それに酔い、そして反芻する様に噛みしめている。
だからこそ、エディは柔らかな笑みを湛え、真っ直ぐにテッドを見ている。
その眼差しにテッドもまた笑みを返した。
ふたりの視線が重なった時、人工眼球の奥にエディの孤独を見た様な気がした。
「エディ。いくら何でも誉めすぎだよ。俺は今まで……エディのマネをしてきただけだし、周りからも散々そう言われてる」
テッドは素直な言葉でそう返した。
だが、エディは首肯していた。何とも言えぬ満足感を漂わせながら。
「エディ…… なんか…… あったんですか?」
いくら何でもおかしい。そう思ったテッドは体当たりで率直にたずねた。
直接聞くのが一番早いし面倒もない。それに、エディはこんな局面では素直だ。
「実はな、非公式ながらシリウスの地球派遣軍と停戦交渉をしているんだ。それがだいぶ煮詰まってきた。国連軍とは名ばかりな連邦軍だが、シリウス側はかつての国連を見ていない。地球サイドの権力闘争は曲がりなりにも国連に集約した連邦軍だ。つまり『中国を切り捨てたって事ですね』そうだ」
テッドの考察にエディは満足そうな表情だ。
そして、僅かに間を開けて言葉をつづけた。
「ハミルトン司令は国連軍内部で相当な権力闘争を続けているが、その全てはルーシーの為だろう。だが結果的にはシリウスの利になる。地球側の代表組織がシリウス側と交渉する時点で、もはやシリウスは独立したも同然だ」
エディの言った言葉にテッドは『ああ、そうか』と気が付いた。
シリウスの独立闘争委員会から派遣された代表団が交渉の席に着く。
中国を中心とする国連ではなく欧米を中心とする連邦を相手と認めたのだ。
これを地球側から見た場合、連邦を構成する各国はシリウスを敵と認めた。
シリウスは事実上独立した一つの国家的団体だと認めた形だ。
武装勢力扱いならば警察権力による対応となるのが常。
悪まで非合法活動を行う武装集団であると扱うのが基本だろう。
だが、警察権力で対処出来ない以上、軍が出て来るしか無い。
そしてその軍が敵軍と角を突き合わす上で停戦の交渉を行う形となる。
つまり、シリウスは国家であると認めたに等しいのだ。
「で、俺たちはどうするんですか?」
形だけでもシリウスが独立した事を寿いでる訳では無さそうだ。
ここにきてテッドの為に爵位を受けたエディは何かしらの思惑があるはず。
何となくだがそんな事を思ったテッドは核心を求めた。
だが、その返答は意外なものだった。
「これは、シリウス相手に行っている交渉の原案だが、実際にはほぼこのままいくことになっている」
エディは懐からメモ書きを取り出し、それをテッドに見せた。
箇条書きになっているそこには、ある意味当然な文言が並んでいた。
・小惑星や衛星などを質量兵器として使う事の禁止
・太陽系とシリウス系の往還船団を拿捕や接収する事の禁止
・グリーゼなど他の惑星系へ往還する船団への手出しも禁止
・外太陽系地域のコロニー群は緩衝地帯として中立保護する事
・火星や金星で行われているテラフォーミング事業へ攻撃の禁止
ごくごく当たり前でしか無い事柄が並んでいる。
だが、改めて文章化して突き付けられると、少し狼狽えるものばかりだ。
そして、最も重要なのは、捕虜の取り扱いに関する取り決めだ。
「……なるほど。こう言うことですか」
最後に掛かれている一文を読んで、テッドも全体像を把握した。
・如何なる形であっても、捕虜の虐待等一切の禁止
・なお、捕虜の身体的形態的な差異について双方の認識が異なる事を承知する。
シリウス側はサイボーグ化した者は死者だと線引きを求めた。
言外に、既にサイボーグ化しているエディへの当てつけだ。
地球側がそれを認めれば、ビギンズはすでに死んでいる事になる。
ここでエディは所領を引き継ぎ、ブリテン貴族として法的立場を作った。
すると今度はレプリカントも人間であると認めろと要求してきた。
レプリカントを一方的に排除する事無く、人間扱いしろ。
工作員として送り込んだ者にも人権を認めて一方的に殺すな。
どっちに転んでも、シリウス側には損が無い。
上手いやり方だと思ったが、同時にハッと気が付いた。
「これをねじ込んだのはエディですね?」
テッドはニヤッと笑ってそう言った。
サイボーグの件で譲歩させる為にエディはブリテン貴族になった。
それでレプリカントの件を譲歩し、それでシリウスにいる女たちを護った。
どっちに転んでも問題ない。
そんな一手をエディが打ったのだろう。
「まぁ、苦労したのはマッケンジー少将だろうけどな」
あぁ……
得心したテッドも悪い顔になった。エディの打った一手が見えたのだ。
既にサイボーグ化して久しいフレネル・マッケンジー少将を退役させるのか?
そんな風に参謀本部や将軍級を脅したのだろう。
その結果、エディの望む形にシリウスとの和平交渉が仕上がった。
控えめに言っても満点の出来だろう。何せ地球がシリウスと交渉したのだから。
「あとは、独立させるだけですね」
テッドは僅かに首肯しつつそんな事を言った。
その向かいにいるエディも首肯しつつ『あと20年位でな』と応えた。
「20年で出来るんですか?」
具体的な数字が出て来て、少しばかりテッドは驚いた。
どんな算段なのか、それに興味を持ったのだ。
「まずは内太陽系からシリウスを一掃する。その上で外太陽系に於いても強力に掃討作戦を進める。ただ、それらは一度には出来ないから、ここでそろそろ大隊を分割する事にする。現状は26名だが、ここにウェイド達を加え50人を超える規模となるだろう。その準備としてだが、まずは月に行く」
月という言葉が出て来て、テッドは思い出した。
地球を周回する衛星の地表に巨大基地を建設中だった。
「キャンプアームストロング……でしたっけ?」
「そうだ。そして、我々501大隊を含める宇宙軍海兵隊の拠点となる」
月面に基地を建設中なのは解っていたが、どうやら形になってきたようだ。
少し前にチラッとだけ見た資料では、大型艦艇が月面の地上に降りるらしい。
重力の影響が地球上よりも遙かに少ない関係で可能なのだろう。
アレコレと思索していたテッドだが、そんな姿を見ながらエディは付け加えた。
「やがては地球側から再びシリウスへ進出するだろう。その時、敵の本土を叩くのだ!と世間を煽る。そして穏健派に代表組織を作らせる。これによりシリウスの独立は完了する。地球側がその組織に自治運営を委託する形にするんだ」
恐らくは何らかの占領統治機構が形成されるだろう。
だが、そこでエディがビギンズとして姿を現せば、シリウス側は団結する。
その頃には地球側も厭戦機運が高まっている公算だ。
シリウスの代表にエディを据えて、それで面倒とおさらばなのだろう。
「まだまだ道は長そうですね」
「あぁ、その通りだ。だからもう一つ、もう一手撃つことにする」
オウム返しに『もうひとつ?』と聞いたテッド。
エディは首肯しながら言った。
「まだルーシーが幼いときにジャンがロスでレプリ狩りをしたんだが、地球各国の捜査機関や治安維持機関がサイボーグの有用性に気付いたようだ」
エディの説明でテッドはすぐに全体像が思い浮かんだ。
法執行機関で重要なのは冤罪を出さないことだ。
甚だ面白く無い話だが、どんなに極悪非道な人間でも罪に問うには証拠が要る。
司法の現場で言われるのは、10の犯罪を見落とすより1の冤罪を出す無かれ。
罪無き者を犯罪者に仕立て上げてはいけないのだ。
その関係で状況的に99%クロの容疑者でも無罪を勝ち取ることがある。
被害者にしてみればたまったものでは無いが、それでも必要な事だった。
だからこそ、21世紀の中頃からは現行犯で抵抗した場合は射殺が推奨された。
そこに、現場で戦う者にサイボーグを宛がう本質的な理由だ。
「つまり、状況記録と司令部の確認ですか」
「その通りだ。リアルタイムでサイボーグが見ている世界を見られるからな」
高度なネットワーク社会では、視野の共有が比較的簡単にできるもの。
サイボーグの捜査官が容疑者に接近し、リアルタイムで排除状況を配信する。
裁判所がレプリ狩りについて誤認誤射の危険性を指摘した頃から常識だった。
「それに協力するんですか?」
「あぁ。勿論だ。そして、大隊の中から幾人か候補者を出す」
思わず『え?』と聞き返したテッド。
エディは笑いながら言った。
「我々は月面に常駐し、地球上のありとあらゆる地域へ8時間以内に展開し、そこでシリウス系テロリストや武装勢力を排除する人類の暴力装置となる。これを持ってサイボーグ系の海兵隊員が絶対的に必要とされる立場を作るんだ」
エディは胸を張ってそう言いきった。
まだまだ道は長いが、きっとその脳内にはロードマップが出来上がってるはず。
話を聞いていたテッドは僅かに首肯しつつ、腹の底で唸っていた。
エディが。いや、ビギンズという存在がどう考えどう振る舞うのか。
その全体像が見えたからだ。
――――つくづく凄い人だ……
テッドは率直にそう思った。
そして、その壮大な計画に参加できる喜びを感じていた。
その数日後
大隊全員が集められエディから現状の説明と今後の方針が伝えられた。
まず、シリウス側勢力との交戦規定が再整備され、暫定的に停戦となった。
1年間。一切の交戦を停止し、投降するか地球からの離脱が推奨された。
そして地球を離れる戦力については手出し無用が厳命されたのだ。
また、大隊からはロニーと新人のロイが選ばれ、レプリハンターとなった。
研究段階で開発途上の装備が与えられ、米国の捜査機関と連携を始めた。
事態は着々と進んでいる。
それを実感したテッドは改めて時間の経過を痛感していた。
「以上だ。質問があれば可能な限り答える。だが、未来は私だって見通せない。だからこそ今後もしっかりやって欲しい。まずは月面への引越だ。やる事は多いから油断無く頼む
エディは改めて全員の意識段階を一つ引き上げた。
これから新人が入ってくると言うアナウンスもあった。
――――まだまだこれからだ……
ふと、テッドはそんな事を思った。
西暦2276年も、後半戦に入ったところだった。




