連環
~承前
物憂げに機窓を眺めたテッド。
旅客機の小さな窓からは眼下一面の雲海が見えていた。
「所でテッド。例の新入りはどうだ?」
通路側に座っていたエディが唐突に問いかけ、テッドの意識が機内へ戻った。
高度4万フィートの上空を飛ぶ国際線旅客機の中にふたりは居た。
「まぁ元々海兵隊だけあって基礎教練は必用ありません。ミシュリーヌやトニー達が来た時は1から基礎教練でしたが」
スタッフォードで501大隊へと加入した10人。
出自も人種もバラバラだが、どういう訳かサイボーグ適性は高かった。
「そうか。基礎教育が省けるのは大きいな」
「えぇ。そうなんです」
ドネツィク郊外の平原で死にかけていた20名は人生の転機を迎えた。
あのままであれば死んでいたはずだが、今はサイボーグになったのだ。
ただ……
「けど、10人はDチーム行きです」
「……それはやむを得まい。運命だ」
エディの口から運命という言葉が出て、テッドは少し身を堅くした。
逃れられない運命から逃げる様にサイボーグ化したはずの彼等。
しかし、そんなサイボーグ化でも中身が大きく違う。
義体化するに当たって脳機能が完全であれば良い。
だが、小脳や脳幹と言った部分に障害がある場合には……
「記憶は大脳に宿る……でしたっけ」
テッドがポツリと漏らした言葉。
不老不死を夢みたエンジニアが辿り着いた現実は、多くの物語と一緒だ。
人を人たらしめる人格の担保は記憶。
経験の積算が形作る人格の行動基準そのもの。
では、その記憶が何かに転写できたとしたら……
そんな夢物語が研究の始まりだったという。
21世紀の中頃には欧州の比較的リベラルな地域で電子人格が認められ始めた。
色々と反対論も多く、神への挑戦という抵抗感もあった。
そんな時、研究者が言い放った一言。
世界は時に、そんな一言で変わる時があるのだった。
「だが、電子人格は性格や性癖までは転写できないからな」
何処か嗾けるような顔でテッドにそう言うエディ。
テッドはその言葉の本質をよく理解していた。
「……全くです」
性格。或いは性癖。
俗に性的嗜好と誤解される性癖なる単語だが、本来の意味は全く違う。
性格の中でも悪癖、或いはこだわりといった部分を指すのが本意。
そしてこの場合、エディはテッドの性癖について言っていた。
理不尽を嫌い、正しさという部分に於いて可能な限りを尽くすこと。
多分にそれはテッドの父が影響している事だとエディも承知している。
シリウスの片隅で保安官として地域を護った正義感溢れる男だったのだろう。
己が身の安寧を求めず、地域の住民や困っている者の為に奔走する姿。
時には心ない言葉で詰られる事もあっただろう。或いは徒労に終わっただろう。
だが、自分を勘定に入れずに奔走する姿。
その姿こそがテッドの、いや、ジョンと言う人格の根幹だ。
ある意味では融通の効かない面倒な性格でもあるのだが……
「Dチームもドッドとウェイドが上手くやっている。着々と技術開発が進んでいて驚く程だ。先日も俺の所にウェイドが来たが、ぱっと見ではもう人間と差が無い所まで来ているな」
脳機能のうち、生命の根幹にまつわる部分までをAI化したDチーム。
彼等は脳の機能の内、感情や記憶といった部分のみを持ってサイボーグ化した。
保守傾向の強い地域ではそれを人間とは認められなかったのだ。
『神に与えられた生命を自ら維持出来ないのであれば、それは死人だろ?』
俗にアブラハムの3宗教と呼ばれる全てがその様な見解を持った。
この時代に成っても、地球人類は宗教の軛を捨てきれないのだ。
神とは何か?
神ならぬ聖職者たちは、それすら問う事を禁じていた。
ただ、信ぜよ。そんなあやふやな言葉が今も一人歩きしている。
人々の崇敬を集める存在ながら、決して清廉潔白で無い者を人類は有り難がる。
権威という部分へ寄りかかる弱さを、22世紀になっても人類は捨てきれない。
結局のところ、人類はまだ『人間とは何か?』を定義できないのだから。
「まぁ、何でも良いです。戦力になってくれるなら」
そんな事を言って、再びテッドは窓の外を見た。
そろそろ夜の側へと入るようで、太陽が雲海に沈もうとしてた。
「まだ慣れないか?」
エディが発した言葉の意味をテッドはつかみ損ねた。
首を返しエディを見たテッド。エディは薄笑いでいた。
「慣れって、なんですか?」
こんな時にスッと素直な質問ができる。
それがテッドの強みであり美点だ。
エディは薄く笑ったまま、旅客機の椅子をトントンと指で叩いた。
ふたりは大型機のエコノミーではなくビジネスクラスに座っていた。
「自分以外が操縦する乗り物は常にどこか緊張する。そう言う意味だ」
あぁ……
合点がいった様に表情を変えたテッドもまた薄く笑った。
シリウスの上空で散々と死闘を繰り広げた501大隊のエースパイロット。
ニューホライズン上空の死神
いつの間にかテッドにはそんな二つ名が付いていた。
スコアだけでなく、シリウス側のエースパイロットとも互角だからだ。
「まぁ、慣れですよね。確かに」
凡そ操縦というオペレーションにはどうしたって癖が出るものだ。
うまく飛ばすだけでも大変な代物なのだから、そこには個性が出てしまう。
――――ミスしたら俺がやる
実際に飛ばす側にのパイロットだって緊張するシチュエーション。
厳しい局面を乗り越えて来た凄腕が乗っているというプレッシャーだ。
だからこそ、単に乗っているだけでも慣れが求められるのだった。
「いずれその辺りも慣れて自然に出来るだろう」
珍しくエディが上機嫌だ。テッドはふとそんな印象を持った。
スタッフォードで新人訓練中いきなりやって来て、一人だけ連れ出されたのだ。
――――なんだろう?
言葉に出さないだけでひどく警戒したテッド。
エディはなんの説明もなく、ロンドン郊外の軍用空港から出る飛行機に乗った。
行き先はテッドの知らない、まだ行ったことのない地球の国家の一つだった。
「お前は良くやっている。ヴァルターやウッディ達もそうだが、この10年で大きく成長した。困難は人を鍛えるものだが、お前の成長は特別なものだ」
エディが珍しく真っ直ぐに褒めた。
それ自体が驚くほど珍しいことなのは言うまでもなかった。
口癖の様に『凪の海は船乗りを鍛えない』と言うエディが……だ。
そんな珍しいシーンを前に、テッドは柄にもなく緊張した。
絶対にロクなことじゃない……と。
「エディに褒められると嬉しいのは間違いないけど……少し怖いな」
テッドの口調が少し柔らかくなった。
上司と部下。上官と手下の関係が薄らいだ様なものだ。
「そう緊張するな。何も人身御供や生贄にしようと言うんじゃない。ただな、ちょっと特別なテストに行くので、その付き添いでしかない。病院に行く親の付き添いの様なものだ」
エディがそう言ったとき、テッドは改めて自分の立場や肩書きを思い出した。
今のテッドにとってエディは義理の父親に当たる人物だ。
そしてそもそも、エディはブリテンでは貴族階級にある。
ブリテンの片田舎に荘園となる所領を持った爵位持ちの当主なのだ。
それ故に、テッドも実は男爵の叙勲を受けている。
ブリテンという連合国家を護り支えるインペリアルガーズの一員だ。
「……じゃぁ、オヤジのお供ってことですね?」
確かめる様にそう言うと、エディはニヤリと笑った。
同じタイミングで機長から案内の放送が流れ、着陸まであと1時間となった。
「そう言うことだ。完全に新型の機体を受領しに行く。地球製の工業製品としては最高の存在になるであろう代物だ。メーカーは俺を指名してきた。是非と念を入れてな。だからそれを受ける」
機長の案内はうまく聞き取れなかったが、日本と言う言葉が聞こえていた。
地球へ来てから何度も耳にしてる特殊な国だそうだ。
どんな国であるか、とても一言では言い表せないらしい。
そして、その国が好きかどうかは180度分かれるのだとか。
「そりゃ楽しみですね」
急に硬い言葉へと戻ったテッド。
エディは少し寂しげにしつつ『そうだな』とだけ応えた。
「けど、何もなきゃ良いですが……」
そう言ってテッドが指差したのは、機内の大型モニターだ。
南米地域に展開する国連軍地上部隊はシリウス側戦力と激突していた。
海兵隊ではなく正規軍同士がまともにぶつかり合う激しい戦闘だ。
戦局は思わしくなく、双方ともに大量の死傷者を出しているのが現状だった。
「我々が中南米の隠れシリウス支援国家を叩き潰した結果だ。彼等はもはや逃げ場がないのだから、戦うしかない」
エディが言うそれは、南米地域へ浸透していたシリウス側の戦力だ。
時間をかけて南米貧困地域へ入り込んだシリウス工作員が着々と狩られている。
彼等は苦労の末に反地球陣営へと引き込んだ諸国家の防衛に勤しんでいた。
そも、シリウス側が地球の地上で戦闘を継続するには拠点が必要だ。
しかしながら、そんな拠点はもういくつも残っていない。
その最後の大規模施設が残っているのが南米だった。
「そう言えばシリウス側の宇宙工作隊が小惑星帯から小惑星を運んで来てるとか」
数日前の軍広報にあったニュースをテッドは思い出していた。
直径1km足らずの小惑星にロケットを付けて地球に運びつつあるらしい。
宇宙軍艦隊が応戦に当たるそうだが、対応には骨が折れそうだ。
大気圏外で破壊すれば、その破片が地球に降り注ぐだろう。
「まぁ、なんとかなるだろう。と言うか、相手がデカすぎて我々の手にあまる」
エディは残念そうな表情になってそう言った。
その表情があまりにも残念そうで、テッドは少しそれが気になった。
「けど……
何かを言おうとしたテッド。そのタイミングで機内放送がかかった。
着陸に向け高度を落とし始めたのでシートベルトをしろという。
テッドは無意識レベルで肩口のベルトロック部を探した。
ここしばらく全く乗っていないシェルのストラップを探したのだ。
「どうしたテッド。旅客機でマニューバでもするつもりか?」
軽く冷やかしてからスマートなベルトロックをしたエディ。
テッドはバツが悪そうな顔をしつつ、ベルトを装着した。
「シェルにはこんなベルトが無いですからね」
精一杯の強がりを発した後、再び窓の外を見た。
すっかり夜の側に入っていて、地上には街明かりが眩い。
ただ、ふと上を見ればそこには輝く星々が見える。
そして、星以上に明るく輝く戦列艦の識別灯が一直線に並んでいた。
「さて、久しぶりの日本だ。美味いものを食おう」
甘党も裸足で逃げ出すエディだが、そんな男が言う美味いものってなんだ?
テッドはふとそんな事を思った。そして、その答え合わせはすぐにやって来た。
着陸後に軍用旅券で日本へ入国したふたりは、そのまま小さなのれんをくぐる。
初めて見る麺類の食べ物がテッドの前にデンと鎮座したのだった。
「エディ。これは?」
「うどんと言う食べ物で小麦粉で作ってある。これで挟んで食べるんだ」
エディはカウンターにいくつも束ねて置いてある木製のスティックを取った。
そのスティックには深いスリットが入っていて、それを引き裂く様に広げた。
「この国ではこれをハシと言う。ナイフやフォークの役目をこれで果たす」
ハシを器用に摘んで操作して見せたエディ。
テッドはモーションサンプリングしつつそれを再現した。
「あぁ、なるほど」
これは便利だとテッドは驚いたが、それ以上に驚いたのはエディの振る舞いだ。
ハシを使ってうどんを摘むと、口に運んで豪快に吸い込んで見せた。
およそ士官にあるまじき、だらしない食べ方。
音を立って啜り込むなんてのは、親からグーで殴られかねない。
だが……
「良いんだよ。この国ではこれがマナーだ。異なる文化や文明にも慣れろ」
改めて見れば周囲にいる様々な人種も同じ様にして食べている。
ただ、どうしても音を立てて食べる言うのにテッドは抵抗があった。
すっかり遠くなってしまった遠い日、母親にきつく叱られたからだ。
思えばあのテーブルには父がいて母もいて、姉キャサリンもいた。
慎ましくも平和で暖かな家庭の団欒だ。
「どうした。水を吸ってふやけてしまうぞ。早く食べろ」
麺が伸びるのをエディが指摘し、テッドは意を決しうどんを口に入れた。
音が出ない様に気を付けたが、無理があったらしい。
少しばかり無様な様子だったが、それでも初めて食べたうどんは美味かった。
なんとも言えない塩気だが、どこかホッとする感情を呼び起こした。
一言で言えば、それは家庭の味だった。
「……うまい」
「だろ?」
ぼそりと呟いたテッドにエディが自慢げな一言を返した。
そこから無心に食べ続けたテッドは、気が付けばあっという間に完食していた。
「さて、行くか。良い頃合いだ」
は?と気の抜けた言葉を返したテッド。
エディはニヤッと笑って暖簾を潜り、外へ一歩出た。
その後ろについて店から一歩出た時、エディは誰かにぶつかっていた。
【オォ! モウシワケナイ!】
何語だ?
テッドは最初にそう驚いた。エディの口から未知の言語が出たからだ。
見るからに若い夫婦と言う体の男性と女性が手を繋いで歩いていたらしい。
ふと、テッドの脳裏にリディアが姿を現した。
彼女は今どこで何をしているのか。元気でやっているだろうか。
会えない時間だけが積み重なっていく寂しさを感じた。
【ダイジョウブデス】
やはり未知なる言語で会話しているエディ。
驚くほど流暢な会話の様子にテッドは驚くより他なかった。
そして、その若い夫婦もまた驚いていた。
見上げる様な背丈のブリテン人が現地語を流暢に使っているからだ。
【シンコンリョコウデスカ? オメデトウゴザイマス ヨイタビヲ】
エディの発した言葉に女性の方がはにかんだ笑みを見せた。
言葉の意味は解らないが、きっと新婚さんなのだろう。
自分とリディアがそうだったように、幸せな空気があふれ出ている。
それは、自分の手をすり抜けて逃げて行った、掴めなかった未来だ。
――――羨ましい……
テッドの内心奥深くに芽生えた僅かな嫉妬と羨望。
だが、同時に妙な義務感もまた芽生えていた。
この幸せを護らねばならないという意識だった。
【フウフノ セイカツハ イロイロト アルモノデス】
エディは眼を細めて男性の方を見ていた。
そこにどんな感情があるのかをテッドは掴み損ねた。
きっと何かあるのだろう。エディの人生はミステリアスに満ちている。
もしかしたら、このふたりはシリウス人なのかもしれない。
テッドがそんな事を思っている間にも、エディは色々と会話していた。
同じタイミングで案内放送が聞こえ、何処かへと向かう旅客機の案内があった。
【ドウチュウ オキヲツケテ ドウカソノ ツナイダテヲ ハナシマセンヨウニ】
その若い夫婦はぺこりと頭を下げて歩いて行った。
幸せそうな笑みを浮かべる女性は男性を見上げて何かを言っている。
その後姿を見つつ、テッドは静かにたずねた。
「エディ。今のふたりは……まさか知り合いですか?」
僅かに硬い声音でそう問うたテッド。
そこで初めてエディを見たテッドは腰を抜かさんばかりに驚いた。
まるで戦闘中の様な硬い表情のエディがそこに居たからだ。
「……エディ?」
硬い表情のままテッドを見たエディはひとつ溜息をこぼした。
そして、消え入りそうな声量で呟くように言った。
「重要な任務を一つ果たした。歴史の輪がこれで繋がり、私は私を形作る大事な記憶のひとつを失わずに済んだのだよ」
全く意味が解らないテッドはポカンとした表情でエディを見ていた。
だが、そのエディは立ち去ったふたりの後姿をいつまでも見ていた。
「男の方はワタラセイワオと言う。女の方はイワオの妻であるコトリ。あの二人はこれからとんでもない運命に出会う事になる。余りにも辛く厳しい運命の果てにふたりは再会し、やがてまた引き裂かれる。出来る事なら今ここであの二人を空港に押し留めたいのだが。それも出来ないのだ。だからな――」
エディはチラリとテッドを見て続けた。
「――いつか必ず、お前とリディアが仲良く暮らせる様にする。俺が責任持って必ずそうする。だから……今はまだ耐えてくれ」
小さく『解りました』と応えたテッド。
ここから四半世紀を越えたのち、その約束は果たされる事になる。
地球とシリウス。
二つの文明圏の運命を背負い、ふたりは死闘を繰り広げるのだ。
人類の到達点と呼ぶべき激しいマニューバの末に、ふたりの手は再び繋がる。
立ち去ったワタラセ夫妻の手が再び繋がるように……
そしてこの数日後。
テッドはあのワタラセ夫婦の受難を知った。
地球大気圏に落下した小惑星の破片が飛行中の旅客機に直撃したのだ。
生存者は無く、遺品や遺体の大半が未回収に終わったというニュースを見た。
ただそれは、あの夫婦の受けた艱難辛苦の、ほんの入り口に過ぎないのだった。
より過酷な運命に翻弄される事を、テッドは知る由もなかった……
エディとテッドが見送ったワタラセ夫婦の受難。
それがル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語へと繋がります




