達成された目標
~承前
――――立て
――――立って戦え
地獄の獄卒が吐きかけた言葉に、ルーシーの感情は一時的な麻痺状態にあった。
ただ、それで彼女を責めるのは間違いだろう。
どんな人間にだって感情にはサーキットブレーカーが存在する。
一時的な感情の麻痺は、脳という機関の安全装置そのもの。
自らのシナプスネットワークを神経パルスで焼かない為のセーフティだ。
ただ……
「支援するから脱出しろ」
こんな状況で尚プレッシャーを掛ける鬼教官も世間にはいるのだ。
「けどッ!」
「けどもでもも無い。冷徹に振る舞え」
沸騰し混乱するルーシーの感情を踏みつけるように、エディは叱咤を続けた。
「君が帰還せねば上官の責任問題になるぞ」
超絶に厳しい階級社会である軍隊だ。
大将で司令官であるハミルトン将軍の御令嬢が戦死ともなれば大変な事になる。
メディアやマスコミはこぞってスキャンダル扱いにするだろう。
そして、少しでもスポンサーに有利な環境を作り出そうとするだろう。
人類史を紐解くと、侵略行為を起こす者達は最初にメディアを狙う。
大衆をコントロールするのに必要な情報伝達手段を抑えてしまうのは常套手段。
そして、多くの大衆はそれに気が付かぬうちにころっと騙される。
『無駄な抵抗』
『無用な犠牲者』
『指導者層に見殺しにされた』
そんな言葉がマスコミを通じて世界に流され、世論が厭戦に傾く。
もはや敗色濃厚となったシリウス側が少しでも状況を有利にするためだ。
シリウス系資金が入ったメディアは彼女の死を最大限利用するだろう。
人類の近代史にはそんな状況が頻出するのを彼女は教育されてきたのだ。
それ故に彼女は否が応でも立ち上がらねばならない。
自分の感情を義務感と責任感で押し潰して。
「し、少佐!」
汗と涙と誰かの残滓でグシャグシャのルーシーが叫んだ。
「なんだ」
「上空支援を要請します!」
50口径の巨大なライフルを射撃していたエディはニヤリと笑って彼女を見た。
訓練と座学しか知らないピカピカの新任少尉はその心に鋼鉄の柱を建てた。
「引き受けた」
手短にそう応えたエディは、全身の装甲に銃撃を受けつつ言い放った。
「エリア3-0-7に生き残りの塊がある。それを吸収し前進しろ。後退する方が危ない。状況を冷静に分析し冷徹に振る舞え。私だって出来るのだから、君にも出来る筈だ」
エディは少し身体を沈め、ジャンプすると同時にバーニアを吹かした。
まだ少しだけ燃料を残していた関係で一気に高度を稼いで視野を広くとった。
それを見ていたルーシーは少しだけ羨ましいと思うが、それ以上に……
――――嘘でしょ?
――――あっちへ走れって?
目を丸くしておどろくルーシー。
彼女はこの時初めてエディ・マーキュリーと言う人物の核心に触れた。
鬼手仏心と言うが、エディは間違いなく鬼なのだと確信した。
そして……
――――成る程ね……
理屈ではなく直感としてその本質を理解した。
困難な道を歩く事でしか身につかない事があるのだ。
逃げてばかりでは目的の場所へは辿り着けない。
見上げるような頂を目指すなら、上り坂に挑まねばならない。
不屈の精神と挑戦する勇気。そして貫徹する根性。
――――――私だって出来るのだから
――――――君にも出来る筈だ
耳の中に蘇ったエディの言葉。
ルーシーは思わずニヤリと笑ってそれを反芻した。
自分自身が何者であるかを思い出したのだ。
「少尉!」
現場に生き残っていた兵士が声を上げた。
まだろくに使われていない装備を見れば、新兵だと分かる状態だった。
「名前は!」
「アンソニー!」
「OKアンソニー! 立って走りなさい」
ルーシーが指差したのは今までとは全く逆側のコスタリカエリアだ。
今はODSTのサイボーグチームが大暴れしているエリア。
後退しようと試みた結果、包囲されたのだ。
それ故に脱出するなら味方が暴れ回っているエリアしか無い。
戦力の厚いところへ逃げ込んで生きた銃口の数を増やすしか無い。
如何なる世界であっても、戦力は数の論理が最も重要なのだった。
「で、でも!」
「走れ!」
ルーシーは銃のマガジンを交換しながら走り始めた。
それと同時、作戦説明時に聞いた戦略的意義を思い出した。
コスタリカ陣営がシリウスサイドと繋がっている状態を造り出す。
その上でシリウス兵士を鏖殺し、コスタリカ陣営に言わせるのだ。
我々はシリウスと無関係だとそう言明させるのだ。
血の涙を流させながら。
「死にたくなければ付いて来い!」
戦場という平面にいる限り、そんな発想は出て来ないだろう。
だが、上空からの視野を持つ存在が言うのだから間違いない。
そしてもうひとつ。
自分自身の異常な運の良さをルーシーは感じていた。
――――行ける!
それが無鉄砲の極みだとしても、今は指示された内容を完璧に履行するだけだ。
まず勝つ事。勝つ為に立つ事。立って走って相手を痛撃し生き残る事。
軍人に求められる能力の基礎をルーシーはインストールされた。
やがれそれは、自らの運命を大きく回転させる事になるのだった。
――――――コスタリカ場面
「おぃジャン! ルーが前進してる!」
テッドは広域戦況図を見ながらそう叫んでいた。
上空にはエディ達がいて、航空支援をしている様だ。
「後退したんじゃ無いのかよ!」
ジャンも視界に広域戦況図を呼び出して確認していた。
手にしていたグレネードを投げつつも、沸騰している状態だ。
こちら側の優勢範囲から離脱しそうだったルーシーは前進を選択したらしい。
大きく広がる戦況図の中、地球側の勢力圏へルーシーが吸い込まれつつあった。
「広域戦況図を見ながら戦わないと危ないな」
ウッディがそう漏らすとティブはライフルを乱射しながら吶喊しつつ応えた。
「生身じゃ難しいですね」
サイボーグだって不可能な事はある。
だが、少なくとも戦闘中という場面に限れば、生身より遙かに有利だ。
自らが高価精密機械である事を感謝するサイボーグユーザーが多いのも事実。
サイボーグは視野に様々な情報をオーバーレイしつつ戦える。
その有利さは、筆舌に尽くしがたい安堵感があるのだ。
「何れにせよ彼女達を上手く迎え入れよう。北西側のトレンチに生き残りが固まってるから、そこに送りこもう」
ステンマルクは戦域の片隅に古い砲弾クレーターを見付けていた。
そこには重軽傷様々な生き残りが逃げ込んでいて、救出を待っている。
彼等をルーシーに預け面倒を見させつつ、敵側を押し切る戦闘が現状の目標だ。
生き残りには可能な限り手厚い支援をすること。それがエディの方針だからだ。
「なんだかそろそろ……凄いの出て来そうじゃない?」
探る様な声音でそう言ったミシュリーヌは、危機感を覚えていた。
対戦車兵器でも出て来るんじゃないかと警戒したのだ。
機動装甲服は生身には使えない代物。
だが、それをサイボーグが使えば、それは戦車並みの戦闘力になる。
となれば、敵側は対戦車兵器でも使いかねないのだ。
「対戦車ミサイルに注意だな」
テッドは手短に呟くと、辺りを見回して敵側が固まっている所を探した。
シェル戦闘の極意として経験したものが地上戦でも生きているのを実感した。
――――――味方は撃ちたくない
世界中どんな軍隊でも組織でも、それは共通した認識となる。
そして同時にそれは攻略側にとっての糸口でもある。
それ故に戦線は一直線を基本とする。
友軍への誤射は士気に直結しているから。
「テッド! あそこに飛び込もうぜ!」
少し離れていたヴァルターが視界に目標をオーバーレイさせた。
視界に浮かんだ半透明のピンは、一塊になった敵兵士の集団だ。
「やったぜ兄貴! 弾薬集積点ですぜ!」
弾んだ声でそう口を挟んだのはロニー。
全員が『面白そうだ』の意識で繋がった。
「だからだよ! 突っ込め!」
残っていた燃料を気前良く焚いてテッドは地上を突き進んだ。
超低空を飛ぶのでは無く、走って前進するのにバーニアを使ったのだ。
結果、常識破りの急加速を見せたテッドは時速100キロオーバーとなった。
「これッ! 最高っす!」
テッドと同じくトニーも銃を乱射しながら突っ込んでいた。
如何なる戦闘に於いても速度は武器になるのだから、兵は拙速を尊ぶのだ。
その結果、防御陣形を作る前に突入を受けた敵陣営の内部が大混乱になった。
「カモ撃ちだな!」
反対側から塊に飛び込んだヴァルターは銃口を水平にして乱射した。
至近距離で50口径弾を受けた敵兵士は、木っ端微塵に爆散していた。
「服一枚だぜ!」
「装備はこれからでしょうや!」
ヴァルターの射線を躱すように人混みを突き進むテッドとトニー。
ふたりは幾人もの敵兵を物理的に薙ぎ倒して突進した。
「よっしゃ! そろそろ飛び上がれ!」
外から見ていたディージョがそう叫ぶと、突入組は一気に上空へ飛び上がった。
上空でマニューバは出来なくとも高度を維持するくらいは出来る。
そして、敵の居なくなった地上では混乱から始まった誤射の地獄だ。
恐怖と混乱とが渾然一体となった錯乱状態の地獄。
「あっはっは!」
「やったぜ!」
周囲で距離を取っていたジャンとヨナがそう叫んでいた。
いつも陽気で朗らかなジャンと組んでいるからだろうか。
何処か陰気さがあったヨナも、いつの間にか明るい言葉を発している。
誰と組んで過ごすかにより、人は大きく影響を受けるもの。
それを思ったテッドは、ふとトニーを振り返った。
「トニー! 降りンぞ!」
「え? マジっすか!」
テッドは何を思ったか敵軍同士が派手に撃ち合っているど真ん中へ着地した。
それを見れば敵側がさらにヒートアップすると思ったから。
無茶で無謀で無鉄砲。だが、その効果は間違いなく抜群だ。
まるで火でもついたかのように銃撃がエスカレートした。
その結果、ルーシーの前進を敵側がガン無視する形になっていた。
「よしよし! 狙い通りだぜ!」
「兄貴! 勘弁っすよマジで!」
「うるせぇ! 黙って俺について来い!」
敵兵をバタバタと薙ぎ倒しつつ、テッドはルーシーとは反対側へと飛んだ。
その動き見れば、テッドが何を考えているのかすぐに判った。
――――成る程な……
テッド目掛ける敵兵の方向が全部揃っている。
誰一人としてルーシー側を向いていないのだ。
それを見て取ったジャンはテッドを追い掛ける様に地上を移動した。
テッドを追い掛けるシリウス側の兵士を再び後方から蹴り倒しながら。
「……銃弾すら使わなくても良いのね」
感心した様に呟いたミシュリーヌは事の成り行きを眺めていた。
だが、そんな傍観は長続きしなかった。
「全員戦闘を停止しろ!」
唐突にエディの声が聞こえ、501大隊は全員がその場で戦闘を停止した。
呆気に取られるシリウス側の兵士達が呆然とする中、エディは着地した。
そして、スイッとコスタリカ側の広場片隅を指差した。
そこには幾多の鮮血に塗れた白い旗が揺れていた……
――――――小一時間後
「重傷者。ちょっとヤベェな」
シリウス側の降伏でお開きになった地上戦闘だが、正直微妙な勝利だった。
地球側の被害は甚大で、戦死者は100を軽く越えてしまい責任問題の気配だ。
だが……
「緊急救命バッグ。今回も大活躍だ」
重傷者を危惧したテッドの言葉にヴァルターがそう応じた。
各所で虫の息になった兵士達に救急救命剤が投与されている。
強心剤と止血と沈痛鎮静を同時に行う代物だが、これで助かる者は多い。
それでも助からない者は、救命救命バッグに押し込まれる運命だ。
事実上死亡状態な者が後方送致され、その場で最終判断を行う。
まだ脳機能が正常で意思表示が可能なら個人の判断が優先される。
軍と再契約する者はサイボーグ化され、何らかの形で軍役につく。
負傷退役を希望した場合、可能な限り治療が施され退役となる。
ただし、身体の大部分を失ったとて、再生処理は行われない。
ただ、生命維持に異常がある場合から、雲行きは怪しくなる。
意識があればアンドロイドのコアユニットになるかと問われるケースもある。
だが、大半はそのまま安楽死となり、戦死扱いとなる。
アンドロイドユニットになるにも適性があるのでやむを得ない。
そして、脳の機能は完全停止で人格の喪失と判断されれば死亡扱いだが……
「数パーセントの可能性を信じてって奴で、生命維持装置に繋がれるケースも出て来るだろうな」
テッドが言うそれは、ある意味最も過酷な道かもしれない。
様々な医療機関が引き取り、治療実験の材料にされる場合があるのだ。
幾例かは意識を取り戻し快復したケースもあるという。
だが、その影には人倫に悖る凄惨な人体実験が行われていた。
脳の神経ネットに強制通電し、生体コンピューター化する実験があるのだ。
半ば公然の秘密として行われるその実験で、脳医学は飛躍的に進歩した。
その最大の受益者は、実はテッド達サイボーグなのだった。
「良いか悪いかって話なら悪い事だけど、でも、そういうものも今時は必要なんだろうね」
途中から話に加わったウッディはそんな言葉を漏らした。
動物実験やシミュレーションだけでは判明しない事だってあるのだ。
禁断の領域へ足を踏み入れた科学者達の興味が暴走するのはやむを得ない。
実際の話、シリウス側ではその領域の研究が大きく進んでいると言う。
その結果、サイバネティクス技術は爆発的に進歩しているのだった。
戦時とはあらゆる非道をも肯定する。
勝利の為には手段を選ばないのも人類の伝統だ。
そしてこの場では……
「…………………………ッチ」
小さく舌打ちしたジャンの眼差しは司令部に注がれていた。
生き残った高級士官達が新人士官に指導しているシーンだ。
ジャンと同じくテッドもそっちを見て小さくため息を吐いた。
硬い表情のルーシーがエディから直接叱責を受けてた。
「見てらんねぇけど……」
テッドがぼそりと言うと、ジャンはテッドの肩をポンと叩いた。
「必要な事だ」
「……あぁ」
エディの麾下にいるサイボーグ達が経験した事だ。
凪の海は船乗りを鍛えたないと言うのがエディの口癖。
そしてそれは、あのロイエンタール将軍の言葉でもある。
これから彼女は数々の困難を乗り越えていかねばならない。
ルーシーがもうひとりのエディである事は全員が知っている。
なにより、米軍内部においても、彼女は名門ハミルトン家の御令嬢なのだ。
男女平等の時代であってもガラスの天井は存在している。
その天井を打ち破り、統合幕僚長の座を目指さねばならない。
歴代のハミルトン家当主がそうだったように……だ。
「ニカラグアの首脳部は責任追及されて総退陣。コスタリカはシリウスと縁を切る事に成る。そして俺達は次の戦場へ行く。エディに思惑に振り回されながらな」
どこか厭世的な物言いでジャンは遠くを見ていた。
ルーシーを含めた新人士官への指導を終えたエディは満足げな笑みだ。
それを見ていたテッドは『まぁ、上手く踊るだけだ』と呟く。
中南米での戦闘はまだまだ終わらないだろう。
だが、501大隊は次の戦場へ行くだけ。
「次はもう少しエレガントな仕事をしたいね」
ウッディのボヤキに全員が苦笑いを浮かべていた。




