表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い炎  作者: 陸奥守
第十一章 遠き故郷へ手を伸ばす為に
400/425

指揮官の条件

~承前




「飛び出しすぎだ!」


 ジャンの声は事実上絶叫だった。

 それは、突撃将校が犯す典型的な失敗例その物だ。


 敵を追跡しているうちに包囲されてしまうのは良く有る話でもある。

 戦列を組んで前線を押し上げる必要性はこれなのだ。


「支援しよう!」


 橋の上をフライパスしていたヴァルターが大きく旋回した。

 地上戦力への戦闘支援も重要な任務だ。だが。


『待てジャン! 様子を観察しろ! まだ手を出すな!』


 地上へ降りようとしたジャンをエディが止めた。

 何処で見ているのだろうか?と思うのだが、矢継ぎ早に指示が出た。


『シリウス側を向こう岸へ押し出す行動を完遂しろ。任務を忘れるな。あの程度の事は自力で乗り越えさせろ』


 相変わらずクールでドライなエディのやり方。

 だが、その実は解っているし、痛いほど理解もしている。

 甘やかせば腑抜けになるし、厳しい局面で決断が出来なくなる。


「とりあえずシリウス側にちょっかいを出し続けよう」

「そうだな……」


 ウッディの声が聞こえ、ジャンは少し冷静さを取り戻した。

 そして、地上を見ればルーシー率いる第3中隊が健闘しているようだ。



   ―――――なるほどな……



 改めて『こう言うことか』とテッドは理解した。

 エディが語ったルーシーを一人前にするための試練だ。


 士官である以上、時には死ぬのが解っていても命令せねばならない時がある。

 或いは自分の命により部下が死ぬ。その全てに責任を負わねばならないのだ。


「……………………ッチ」


 小さく舌打ちしたテッドは、余程自分の方が舞い上がっていたと知った。

 地上は地上でちゃんとリスクを計算して動いているようだ。

 ならば取るべき行動はひとつ。シリウス軍をコスタリカ側へ押し込むことだ。


「トニー! 俺のケツに付け! 地上を叩くぞ!」


 間髪入れず『了解っす!』と返って来て、テッドは身体を捻った。

 この辺りの身体捌きは感覚的にシェルそのものだ。

 だが、燃料的に心許ないので、時間との闘いだ。


「シリウス側の半分程度が川を渡ってます」


 ミシュリーヌの冷静な声が聞こえ、テッドは再び大きく旋回した。

 女って奴は怖いくらい冷静で冷徹さを見せる時があるんだなと知った。

 そして、ふとテッドの心の内にリディアが姿を現した。


 あの夕暮れの平原でテッドを待っていて、満面の笑みで出迎える姿では無い。

 宇宙の虚空や地球の空を超高速で飛びながら、クレバーに振る舞う姿。



    ――――――ああ成らなきゃいけねぇのか……



 ルーシーが辿り着くべき到達点に今はリディアが居る。

 きっと彼女もシリウス軍の中で部下を抱え、冷徹に振る舞っているはず。


 そしてテッドはふと気が付いた。いま自分がやるべき事。

 ニカラグア側に居るシリウス陣営を空から突いて慌てさせるのだ。


「テッド。二枚刃で削ろうぜ!」


 テッドとトニーのコンビがフライパスした直後にディージョが割って入った。

 ルーシーの支援と言うよりシリウス側をコスタリカへと叩き出す動きだ。


「OK! こっちは旋回する!」


 少し高度を上げて旋回したテッド。

 シリウス側に姿を見せる事で射撃を誘っている状態だ。


 それに見事に釣られたのか、コスタリカ側から猛烈な対空射撃がやって来た。

 高速小口径弾は怖くない物の、当たれば不快なのは言うまでもない。


 ただ、そんなタイミングで次の課題が示され、テッドは確信した。

 エディは自分達をも鍛えているのだと言う事に。


『誰でも良い! コスタリカ側に着地して暴れまわれ! 遠慮なくやれ!』


 エディのGOサインが出た。十分に実績を積んだのだろう。

 それを聞いたヴァルターが最初にコスタリカの地上に着地した。

 シリウス側の兵士にどよめきが沸き起こるが、そんな物は関係ない。


「おらっ! 喰らえ!」


 12.7mmの巨大な弾頭が放たれ、ボディアーマーを着ているはずの兵士が背中まで打ち抜かれた。至近距離で撃たれた者は、胴体が引き千切れる衝撃を受けていた。


「連中パニック起こしてるぜ!」


 ヴァルターに続き着陸したディージョが撃ち始めると、その近くにティブやヨナがやって来て一緒に撃ち始めた。50口径弾の収束射撃は凶悪なんて物じゃ無く、あっという間に死体の山が築かれ始めた。


『よしっ! 良いぞ! 後退しろ! 連中に距離を詰めさせろ!』


 エディの指示は凶悪な鬼手その物だった。

 一方的に攻撃された結果として築かれた死体の山を前に敵が飛び去る。

 それを見れば誰だって沸騰するし逃げるな!と憤りもする。


「連中喰い付いてきたぜ!」

「予定通りだ!」


 空に上がったティブがそう言うと、ディージョが返答を入れた。

 ただ、中隊全員が上空に上がった時、視界の中に地上が見えた。


「マジか!」


 明らかに狼狽したジャンの声が響いた。

 ルーシー率いる第3中隊が円環包囲されている状況だ。


 碌な遮蔽物も無い中、全員が僅かなくぼみや死体を楯にしている。

 そんな陣地の中、ルーシーは姿を晒して指揮していた。


『さぁ、悲劇が起きるぞ』


 エディの声がラジオに流れた。

 それは、全ての感情を噛み殺した冷徹な声だった。


『耐えろ。醜態を晒すな』


 耐えろとは中隊メンバーに言っている物では無い。

 エディの放つ固い声で、テッドはそれを感じ取った。


『どんな時でも冷静でいろ。冷徹に振る舞え』


 ビギンズという人間は数々の試練を乗り越えて今に至っている。

 そんな存在故に、もう一人の自分がこれから経験する事の察しが付くのだろう。


 ふとシリウス側陣地を見れば、大型の迫撃砲が準備されている。

 それを打ち込まれれば、目の前で部下達が木っ端微塵に消し飛ぶだろう。

 或いは腕や脚を失って泣き叫びながら死んでいくはずだ。



     ―――――極めつけにヒデェ……



 そのやり口は、スパルタ方式だとかそんなチャチなもんじゃ無い。

 血の涙を流すような苦痛。狂を発するような精神への負担。

 その全てを踏み越え、目的を果たすサイコパスぶりを要求しているのだ。


「なんてこった……」


 ボソリとこぼしたステンマルクがルーシーの上空をフライパスした。

 その真下では降り注ぎ始めた大型の迫撃砲弾が死体を作っていた。



     ―――――少尉!

     ―――――伏せて!



 名も知らぬ軍曹がルーシーにタックルして地面に突っ伏せた。

 その衝撃でヘルメットが飛び、ルーシーは慌ててヘルメットを手に取った。

 次の瞬間、すぐ近くで再び迫撃砲弾が炸裂し、様々な物が宙に舞った。


「ルー!」


 ありったけの大声でジャンが叫んだ。

 土煙が上がり、その周囲には内臓をぶちまけた死体が転がっていた。

 そんな中、ルーシーは奇跡的に無傷で立って指揮を続けていた……






     ―――――地上






 凄まじい轟音と衝撃が過ぎ去った時、ルーシーは最初にヘルメットを取った。

 タックルと爆風で吹き飛ばされ、自分の頭から外れたらしい。



  ――――危なかった!



 フッと息を吐き、ルーシーは手にしていたヘルメットを被った。

 だが、ヘルメットの中には誰かの千切れた手と血で出来た泥が入っていた。

 ルーシーの髪にペタリと誰かの手が触れ、彼女はそれを手にとった。


 並の精神では居られない苛酷な戦場。

 死が無造作に転がる非生産的な現実。


 悲鳴は不毛な世界を彩るBGMでしかなく、世界は鮮血に染められている。

 一時的に感情が消し飛び、全てが事務的な作業に置き換わる。


「これは誰の手! 衛生兵! 至急応急手当!」


 ルーシーは勇ましい姿になって指揮を続けている。

 もはや理屈や理念ではなく生きる為の闘争だ。


「軍曹! コマンドポストに連絡! 航空支援を要請して!」


 迫撃砲弾の破片が飛び交う中、ルーシーは構わず姿を晒して陣地を歩いた。

 風を切る音が上空に聞こえ、これは直撃かもと奥歯を噛みしめた。

 だが、目の前に着弾した迫撃砲弾は幸運にも不発に終わった。


「ツいてる!」


 自分が持って産まれた幸運の要素を忘れ、ルーシーは辺りを見回し叫んだ。

 常に視野は広く、そして急所となる僅かなピンポイントを見抜く。


 戦線指揮官に要求される物を座学でしか学んでいない者達だ。

 彼ら彼女らが受ける火と鉄の試練は、夥しい死と鮮血と便臭で彩られる。


「軍曹! ホワイト軍曹! どこ!」


 兵士達の統制を取っていた軍曹のホワイトを呼んだルーシーだが、その軍曹は彼女を庇って爆散していた。ルーシーのヘルメットに入った手は、軍曹の一部だった物だ。


「そこの曹長! 名前は!」


 何処の小隊かは解らないが、30人ほどを引き連れていた曹長をルーシーは見付けた。彼はルーシーの指示にイエッサーを返して立ち上がった。


「マイルトンであります! 少尉!」

「OK! 生き残ったナイスガイを連れて後方へ! 脱出路を作って!」


 どんな時もユーモアを忘れない精神はエディ譲りかも知れない。

 だが、そんな事を考えている余裕は無かった。


「イエッス! マム!」


 士官に命じられた以上、下士官は絶対の絶対にそれを果たそうとする。

 マイルトンはやおら立ち上がり辺りを見ると、大声で叫んだ。



  ――――野郎共!

  ――――死にたくなけりゃ俺のケツに付いて来い!

  ――――走れ!



 自分が狙われていると確信しているルーシーは、兵士とは逆の方向へと歩いた。

 環状包囲により四方八方から撃たれているが、不思議な事に全く当たらない。



  ――――少尉!

  ――――後退です!

  ――――急いで!



 名も知らぬ曹長がルーシーの近くに寄ってきた。

 その胸にアントビーの文字を読めた時、その上半身が吹っ飛んだ。


「運が無かったわね!」


 地面に転がったドッグタグを見つけ、それを拾おうとルーシーは頭を下げた。

 その瞬間、ほんの1秒前まで彼女の上半身があった場所を銃弾が通り過ぎた。


 幸運と不運が同時に存在している場所。それが戦場という所だ。

 偶然足を取られて転び、命拾いすることもあるのだ。


「まだ息のある者! まだ戦う気のある者は居るか!」


 勇気を出して戦場を歩くルーシー。

 いつの間にかブロンドの髪が解けていた。


「しょ、少尉!」


 何処かから声が聞こえその声の主を探したルーシー。

 少し離れたクレーターの縁で、左足を失った兵士を見付けた。


「足くらいならすぐ治せるから心配ない! 後方へ運ぶから我慢しなさい!」


 手を伸ばして名も知らぬ兵士の左腕を握った時、その腕が肩の辺りから引き千切れてしまった。だが、痛みに呻くこと無く兵士は笑っていた。鎮痛剤が効きすぎている状態だ。


「少尉 グレネードはありますか 自分が時間を稼ぐので後方へ」


 胸のネームプレートにはランドリクと書いてある。

 善行章1本の伍長らしい。


「バカな事言ってないで!」


 伍長を担ぎ上げようとしゃがんだ時、濃密な便臭がルーシーの鼻に届いた。

 つまり、腹部にかなりのダメージを負っていると言う事だ。


「男はね、最後に女の役に立つんですよ。さぁ行ってくれ。俺の命を使って」


 ランドリクはルーシーの胸にあったグレネードを右手で取ると、口で安全ピンを抜いて作動レバーを握っていた。命果てるか殺されて力が抜ければ爆発する筈。


「……解った。ありがとう」


 ルーシーはランドリクの額にキスしてから胸のドッグタグを引き抜いた。タグにはオクラホマの文字があった。きっと郊外の田舎町から一発逆転を夢みて出てきたのだろう。


 そのタグをポケットにしまったルーシーは、胸の前で十字を切ってから振り返って走り始めた。後方からシリウス側の歓声が聞こえ、沢山の兵士達が銃を乱射しながら追ってくるのが解った。その直後、後方でズンッ!と爆発音がした。



  ――――ランドリク!



 間違い無くあの男が自爆した音だろう。

 誰かの命を踏み台に生き残った事実がヒタヒタとルーシーに近寄ってきた。



  ――――無駄にしちゃダメ!



 何かが自分の頬を伝った。誰かの血か汗か、さもなくば雨だと彼女は思った。

 降りしきってた雨はいつの間にか止んでいて、今は重い雲が空を覆っている。



  ――――まだ泣いちゃダメだ……



 足を止めればランドリクの犠牲が無駄になる。

 何より自分は士官なんだと、そう言い聞かせた。

 だが、何かが彼女の中で弾けた。



  ――――無理!



 何かを叫ぼうとして息を吸い込んだ時、後方から強い打撃がやって来た。

 肺に入った空気が偶然にエアバッグの役割を果たし、心臓震盪は防がれた。


 ただ、背中の辺りに強い痛みを感じ、撃たれたのだと知った。

 しかし、それ以上の痛みは伝わってこなかった。


  ――――無駄にしちゃ……



 駄目だと心の中で呟いたものの、彼女の脚は自然に止まっていた。

 アーマーベストの背中に当たった銃弾の打撃力で背骨が痺れた。


「ハミルトン少尉! ハミルトン少尉!」


 彼方で誰かの声が聞こえた。

 ヘルメットの縁を僅かに上げたルーシーの視界に何かが映った。

 それは、後退局面で退路を失ったマイルトン曹長だった。


「マイルトン曹長!」


 ルーシーは再び走り始めた。彼女の身体は強靱なレプリのボディそのもの。

 一時的な麻痺や激痛も僅かな時間で回復するように作られている代物だ。

 ただ、それは身体だけでもある。どれ程強靱な身体でも心は支えられない……


「少尉! どうしましょうか!」


 判断を仰がれたルーシーは一瞬だけ心が停止した。

 そこにあったのは、重傷者ばかりのクレーターだ。


 手足を失ったり、或いは半ば意識の飛んだ死に掛けばかり。

 これが街中であれば救急車でも呼んで救急救命にあたるだろう。

 だがここは、そこらの石ころと人の命が等価レベルな戦場だ。


 助けるか? 楽にしてやるか? どうする?


 究極の選択を突き付けられたルーシーは5秒ほど返答を保留した。

 音速を超える銃弾が飛び交い、死者が乗数的に増えていく戦場で……


「伏せて!」


 マイルトンはルーシーにタックルして上に覆い被さった。

 男が女を押し倒した形だが、その直後にルーシーは全身へ鮮血を浴びた。

 何事か?と起きあがってみれば、マイルトンの背中がごっそり無くなっていた。


 至近距離から浴びたグレネードにより、上半身の装甲ごと爆散したらしい。

 それを見て取ったルーシーは両手で頭を抱えて叫んだ。


「イヤァァァァァァァ!!!!!!!」


 マイルトンが率いていた小隊の生き残りは僅か数人だ。

 彼女はそれを引き連れて生還する義務がある。

 だが、現実に押し潰されたルーシーの感情が爆発した。


 その時だった。


「ルーシディティ」


 唐突に彼女を呼ぶ声が聞こえ、ルーシーは涙と汗でグシャグシャの顔を上げた。

 こんな状況でファーストネームを呼ぶ存在はパパしか居ないと思ったから。


 彼女の胸に去来した存在は、チャールズでは無くジャンだ。

 だが、そんな事を思った彼女の前に居たのはエディだった。


「立て。立って戦え。部下を率いて脱出しろ。体勢を立て直し反撃を試みろ」


 冷徹なエディの声にルーシーは顔を振って拒否を示した。

 だが、そんな彼女の頭をエディが抑えて言った。


「部下を見捨ててでも必用な結果を得ろ。どれ程辛くても苦しくても立ち止まったり迷ったりするな。部下の前では常に冷静で厳格な上官を演じろ。失う部下を省みずに突き進め。赦しを請うたりするな。お前はそれをする義務がある」


 僅かに生き残った下士官や兵士達が見ている中、エディは無表情にそう続けた。

 自らのクローンコピーを鍛え上げる為、エディは敢えてそうした。


「これからもっと厳しい局面に直面するだろう。だから乗り越えろ。逃げるな。甘えるな。喚くな。戦うんだ。それが指揮官に必要な条件だ。自分の勤めを果たせ」


 涙を流しながらエディを見上げたルーシー。

 その眼差しの先に居る男は、辺りを見回しながら冷徹な指示を出し続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ