ルーシーとドリー
2023/1/1 加筆修正
~承前
「……自作自演だってよ」
そうぼやいたヴァルターは、遠くの山並みの沈む夕日を眺めてた。
露骨に不機嫌そうな声音ではあるが、その表情は全く変わらない。
手に持っているカップは冷たさを感じず、当たりには物音一つしていない。
「なんか不自然さだけが目立つな……これ」
同じように不機嫌そうなボヤキを零したテッド。
ふたりはどこまでも続く草原にポツンと立つ小さなロッジのデッキに居る。
彼方の山並みはどこのモノかは解らないが、少なくとも地球では無い。
「夕日の色だけはシリウスなんだけどな……」
何ともガッカリした様子でヴァルターが言った。
辺りを染める夕陽の色は間違い無くシリウスだ。
太陽系の中心恒星であるサンとシリウスは色が違う。
学の無いふたりにはそんな表現しか出来ない。だが……
「結局は全部、誰かが書いた筋書きって事だろうな」
テッドの言うそれは、ボンで行った突入戦の結末に対する不快感だった。
建物に突入したメンツが見たモノは、武装立て籠もりとはほど遠い姿だ。
建物に侵入してきた面々に慌てて発砲したレプリを排除したまでは良かった。
だが、その階下へ進めば人質達がケーキを食べて談笑しているのだった。
「さすがにアレは……膝から崩れ落ちたよな」
防具の付いた足拵えな為か、痛みらしい痛みは無かった。
だが、ヴァルターの言葉は笑いながらも怒りが滲んでいた。
NPO組織の構成員が捨て駒扱いにされた事に腹を立て、大騒ぎを起こした。
ただ、警察沙汰で済む筈が地上軍まで出て来てしまってさすがに慌てた。
で、シリウス製レプリとかに屋上を見張ってて欲しいと頼んだと言うのだ。
その間に彼等が何をしていたのかと言えば、それはもう嫌がらせその物。
NPO組織が舞台裏で何をやっていたのかの証拠を整理し拡散する準備だった。
「権利権利で自意識が肥大した結果なのかもな……我が儘なんだよ」
ガッチリ喧嘩装備で出掛けて行って、大山鳴動しネズミ一匹だ。
ヴァルターの言葉には肩透かしなんてもんじゃ済まない徒労感が滲み出ていた。
「だろうな。けど、さすがに……腹が立つ」
「……だよな。で、余計にこれが腹立つよ」
氷の浮かんだグラスを見つつ、ヴァルターもそう言った。
ふたりが過ごしている草原のロッジは、全て仮想空間だ。
イスラエル製の機体は戦闘後のメンテナンス中で、自由を奪われている。
その間、ふたりは仮想空間に作られたサロンで休息中という訳だ。
VR技術を核心とする電脳空間のサロンは、サイボーグの保養所でもある。
これが実用化されたなら、例えば長時間の恒星間飛行などにも応用出来る筈。
何より、機体メンテナンス中に精神をシャットダウンしなくても良いのだ。
従来は麻酔を使ったり睡眠薬を投与して脳を眠らせる事が多かった。
だが、これなら機体のメンテナンス中に脳だけが活動し続けられる。
会議や討議など仕事では無く保養とする辺りがありがたくもあった。
コンコン……
急にドアがノックされ、ふたりは振り返った。
ロッジのデッキにあるドアから出て来たのは、ウェスタンシャツの男だ。
「テッド中尉。至近距離から受けたクレイモアの分析結果です」
数ページの書類を差し出されたテッドは、黙ってそれを受け取った。
メンテナンス企業のエンジニアが仮想空間に入ってくる時はこうなるらしい。
「で、あとどれ位で終わる?」
冷たさを感じるホットコーヒーの味に混乱していたヴァルターがそうたずねた。
エンジニアは僅かに首を捻り、最短でもあと2時間ほど掛かると返答した。
つまり、朝日をここで拝む事になる……とふたりは認識した。
この手の常として、希望的観測の最大値が提示されるモノ。
概ね2~3倍の時間を要するのは普通のことで、むしろ手抜き無しが望ましい。
つまり……
「もうちょっとゆっくりしてるよ……」
謝意と共にそう言葉を添えたテッド。ヴァルターも笑いながら首肯していた。
こんな時は、慌てず騒がずじっくり待つ事も重要だと解っているから。
変にプレッシャーを掛けるより、じっくりと待って感謝を伝える。
その方が結果的に上手く行く事の方が多いのだ。
「思えばさ……――」
エンジニアがロッジの中に消え去った後、テッドは不意に切り出した。
「――ニューヨークの攻防戦からしばらくが最後だったんじゃ無いか?」
それが何を意味する言葉なのかはヴァルターにもよく解っている。
シリウスの地上で激しい地上戦を経験し、運良くそれに生き残ったのだ。
その後の戦闘が楽だったなんて事無く、シェル戦では何度も死にかけた。
「まぁ、生き残ったのを感謝しないとな……」
ヴァルターはそんな返答だが、テッドの内心をこれ以上無く解っていた。
命懸けの現場で過去幾度もやり合ってきたが故の違和感だ。
そして『死んだな』と絶望した結果としての感覚麻痺。
もどかしい。歯痒い。或いは面白く無い。
全てを恨んで死んだ者達が手に入れられなかった明日を生きているふたりだ。
不謹慎なのは解っているし、それについては申し訳無いとも思っている。
だが、率直な感覚としてある満たされ無さはどうにもし難いのだ。
「死にそうな経験すると生きているって実感するって言うけどさ……」
テッドは報告書の書面を読みながら、不意にそんな事を言った。
恐らくは書いてある内容が何とも酷いモノなのだろうと思われた。
「全く問題無いって?」
ヴァルターがそう言うと、書類から目を切ったテッドが苦笑いだ。
報告書を大幅に要約すれば、あと50センチ近くても問題無いという。
逆に言えば、至近距離以外でクレイモアを喰らっても死ねないらしい。
「ますます簡単に死ねそうに無い」
テッドもそう返答し、苦笑いですらもスッと消えて溶けた。
表情や振る舞いに不自然な動きが多く、感覚的に違和感だらけだ。
だが、それにも慣れるしか無いのだ……
「この仮想空間がもう少し上等な出来に成るのが楽しみだな」
場の空気を変えるようにヴァルターがそんな言葉を吐く。
テッドは幾度か首肯しながら『それまで生きてないとな』と応えた。
――――――翌日
イスラエルに戻ってきていた中隊は、地上軍本部からの通達を受けていた。
ボンにおけるスタンドプレーについての否定的評価だ。
「介入するなって言うのかしらね……」
憤懣やるかたない様子のミシュリーヌ。
今の彼女は驚く程に全身が細くなってモデルなみの体型になっていた。
新型機体の改良は着々と進んでいて、高密度艤装のノウハウが蓄積されている。
「まぁ、アレだろ。地上軍側も何かしらやろうとしてたんだろうな」
宥めるようにティブがそう言うと、全員が微妙な表情になっていた。
欧州の地上軍本部は事実上のNATO軍本部なのは論を待たない。
「まぁあれだ。イスラエル製機体の実戦テストを目と鼻の先で行った事に気分を害しているって事だ。欧州人は皮肉が好きだからな」
書類を読んでいたステンマルクがそう言うと、近くに居たオーリスが首肯した。
直接的な表現を好まず、皮肉や諧謔味溢れる言い回しでモノを言う文化だ。
その意味する所を正確に読み取れねば、後になって色々と波風も立つ。
「んで、エディはどうするんだろうな?」
欧州人の不快感などどこ吹く風でジャンがそう言った。
地上における様々な派閥争いや勢力争いなど知った事じゃ無い。
そんなスタンスが透けて見える辺りにテッドは頼もしさを感じた。
「火星のハミルトン司令と直通回線で打ち合わせ中だろ? またなんか酷い作戦考えて来るぜ。きっと」
テッドの返答には妙な遠慮の無さが目立った。
ただ、その意味するところをメンバーも最近は良く理解していた。
「とりあえずなんだ。もう少し有意義かつやり甲斐のある仕事が欲しいな」
ディージョがそんな事を言うと、テッドとヴァルターは顔を見合わせた。
ふたりが感じていた物足りなさをディージョも感じているのだと理解したのだ。
「……やべぇフラグ立てんじゃねぇよマジで」
ディージョの言葉に笑いながらそんな言葉を返したヴァルター。
エディの鬼畜ッぷりを思えば、正直勘弁してくれと思わざるを得ない。
そして……
「おぉ、全員揃ってるな。手間が省けた」
唐突にそんな声が聞こえ、全員が会議室の入口を見た。
そこに立っていたのは案の定な展開でエディだった。
「……今度はどこっすか?」
ニコニコ笑いながら立ってるのを見れば、きっとエディには楽しい出撃なのだ。
それを理解しているからこそ、ロニーがそんな質問を投げた。
間違い無く酷い事に成るであろう、次の一手だ。
「前回はガッカリだったからな。やる気を殺がれた者も多いだろう。で、ハミルトン司令とも相談したのだが――」
絶対碌な事じゃ無い。
瞬間的にそれを理解したテッドは、一つ息を呑んで続きの言葉を待った。
「シリウス側が実効支配している地域へ殴り込みを掛けに行く事にした。具体的に言えば中南米地域だ。基本的に反米政権が多いと言う事でシリウス陣営とは親和性が高い。そんな地域の中でごく僅かだが国連政府よりに立つ国を支援する」
思わず『は?』と全員が言葉を返した。
それはつまり、欧州を見捨てるという決定にも聞こえるものだ。
「もちろん、欧州各国を見捨てると言う意味じゃ無い。むしろ逆で重要視しているからこそ中南米に手を出す。来たる南米大陸攻略に向け、その下準備の意味も兼ねている。北米南米共に完全支配下に置く為の一手だ」
エディの描いた作戦全体図をアリョーシャが図面に描いていた。
早い話が、中南米の小国を幾つか完全に急襲し、そこからシリウスを追い出す。
追い出されたシリウス兵が南米国家に吸収されたなら、それを口実にする。
つまり、この先に起こる戦闘のタネをあらかじめ仕込む為の準備計略だ。
そしてそれは欧州全域における戦闘の活性化を仕込むネタでもある。
「欧州は欧州でシリウス兵が好機と捉え蜂起するだろう。NATO軍を中心に対処する事に成るだろうが、こっちはこっちで別の事情がある。そもそも欧州人は複雑な民族構成のモザイク画だ。ほっとけば中東以上に揉めるだろう」
アリョーシャの説明に何となく何かを察したヴァルターが微妙な顔で言った。
「つまり、中南米の反米国家は国家転覆規模で攻撃する。欧州では民族対立で身動きできなくなった所に救いの手を出す。どっちにしろ海兵隊に損は無い。そんな解釈で良いですか?」
ヴァルターの分析に満足そうな笑みを浮かべ、エディは何度か首肯した。
だが、そこに思わぬ言葉が付け加えられた。ジャンが狼狽するほどの言葉だ。
「実はもう一つ目的があるんだが……合衆国軍の海兵隊と連係する。向こうも新任士官などフレッシュな顔ぶれで、なかなか楽しい事に成りそうだ。同時に諸君らも本格的に部下を宛がう段階に入る。まぁ思惑は色々あるが……――」
ニヤリと笑みを添えたエディは、ヴァルターでは無くジャンを見て言った。
「――ハミルトン司令が娘を頼むと個人的に依頼してきたんだ。つまり、これで更に各方面へ恩を売れると言う事だ」
エディはそう付け加えた。
その言葉にジャンが指を折って勘定し、『あっ!』と声を漏らした。
「そんな訳で1時間後に出発する。部屋の中はきれいに片付けておけ。ルームインスペクションで引っかからないようにな」
中南米で具体的に何をするのか。どこに攻め込んで何を目標にするのか。相変わらずそう言う部分の説明が一切無い。だが、少なくともジャンだけはやる気を漲らせていた。そして……
「あの子と会うのが楽しみだな。テッド」
そんな事を言うヴァルターをミシュリーヌが不思議そうに見ていた。
――――――その翌日
カリブ海に浮かぶキューバ島の東端。
501中隊の面々は、グアンタナモ米軍基地に降り立った。
「あちぃ……」
時差による時間感覚のズレを感じさせないジャンは空を見上げて驚いている。
抜ける様に青い空は雲ひとつ無く、大気圏外艦艇から丸見えだと思った。
「そういやワスプは今頃どこに居るんだろうな?」
ソワソワしているジャンを冷やかすようにテッドがそんな事を言った。
だが、それに対する返答は意外なところから返ってきた。
「先月まで大気圏外教育で乗ってましたよ」
背嚢を抱えたままのジャンとテッドは顔を見合わせ手から声の主を探した。
クーラーの効いた基地建物の入口は吹き抜けになっていて広い作りだ。
多くの兵士や士官が行き交うなか、不意に吹き抜けの上を見上げたテッド。
同じようにジャンが見上げると、二回の屋内テラスにルーシーが立っていた。
「ルー!」
ジャンが嬉しそうに声を掛けると、ルーシーも階段を駆け下りてきた。
踏み外すんじゃ無いかとテッドが慌てるのだが、全くの杞憂だったらしい。
「パパ!」
駆け下りてきてそのまま抱きついたルーシー。
新任少尉である彼女は色々と気を張らなければ行けない立場な筈だ。
だが、そんな事を一切考慮せず、やりたいようにやっている。
「おいおい。いきなりそれか! ハハハ!」
若い娘に抱きつかれて喜ばない男など居ないのだろうが、ここでは話が別だ。
背嚢をその場に捨ててギュッとルーシーを抱き締めたジャン。
「会いたかった!」
満面の笑みでそう言うルーシーをもう一度抱き締めたジャン。
その姿を羨ましそうに見ていたミシュリーヌは、ハッと気が付いた。
「彼女……もしかして私の……」
そう。人格のコンフリクトを起こしていた彼女を救った存在だ。
ミシュリーヌは直接の面識が無かったので、最初は解らなかったらしい。
「そうさ。ジャンの娘だよ。で、ミシュのソウルを切り分けた本人だ」
ヴァルターがそう説明すると、ミシュリーヌは少しだけ表情を硬くした。
ルーシーが持つ秘密を理解しているからこそ、距離感を掴み損ねているのだ。
だが……
「元気そうで何よりだな。今は現場実習って事か」
ルーシーの所にやって来たテッドも嬉しそうにそう漏らした。
何となくだがルーシーに姉キャサリンの面影を感じるのだ。
遺伝学や生物学的にはあり得ない事だが、それでも肌感覚として感じる物。
このルーシーはキャサリンの胎内で胚から成長した存在なのだ。
「テッド叔父さんも久しぶり! 会いたかった! やっぱりママの目と同じだ!」
全く落ち着かずテンションの高いルーシー。
そんな姪の姿に、テッドは苦笑いを浮かべつつ言った。
「まぁ姉弟だからな。作り物でも似るんだろうさ」
フフフと笑ったテッド。そこにロニーやトニーがやって来てルーシーを囲んだ。
ジャンとキャサリンの間で育てられ、ハミルトン家のご令嬢として成長した娘。
ルーシー・ハミルトンはウェストポイントを卒業した後、海兵隊へと進んだ。
そして、海兵隊士官養成学校で18ヶ月の教育を受け現場に送り出された。
世界を股に掛けて活動する海兵隊の士官として、任官する為だ。
「私も同行するように命令を受けてますから、よろしくお願いします」
何とも様になった様式で敬礼したルーシー。
中尉であるテッドはその敬礼に答礼せねばならない。
「解った解った。死なないようにビシビシやるからな? しっかり付いて来い」
テッドはジャンと顔を見合わせ笑っていた。
だが、その直後に予想外の男が現れた。
「あぁ。こちらでしたか。お待ちしていました。中尉」
少し太っちょなブラウンアフリカンの青年がやって来た。
コイツは誰だっけ?と、テッドは一瞬考えたのだが、思い出せない。
そして、テッドが思い出す前にジャンがその正体を思い出した。
「おぉ! マックバーン! 久しぶりだな!」
そこに居たのはシスコの攻防戦で最期を見取りかけた学生だ。
ドナルド・マックバーン。将来テッドの片腕として欠かせぬ存在になる男だ。
「おかげさまで命永らえまして、自分も現場実習に来ました」
ROTCというシステムにより一般大学で学んできたマックバーン。
彼もまた海兵隊への任官希望を出していたらしい。
将来が約束された大農場の倅だが、それよりも軍属の道を選んだらしい。
「君なら軍人になど成らなくとも、将来は困らないのだろう?」
少し嫌味っぽい言い方で冷やかしの言葉を浴びせたテッド。
だが、マックバーンは全く表情を変えずに言った。
「確かにそうですが……それだと奨学金を返さなきゃ成らないので志願しました」
……あぁ
そう。地球の貧しい側出身ならばこれもあり得るのだ。
金のない者が教育の機会を得る為に危険な道へ身を晒す。
そうやって高等教育の機会を得なければ成らない悲劇だった。
「まぁ……
なにかを言いかけた時、最後にエディが入って来た。
そして、吹き抜けのエントランスで辺りをグルリと見回してから言った。
「楽しい作戦になりそうだな」
普通に聞けばそのままの意味なのだろう。
だが、テッドだけは何とも微妙な表情になっていた。
「実戦は辛くてヒデェときたもんだ。けど、やらなきゃならねぇ。これから相当酷いモンを見るだろうが、俺もジャンも、そしてもちろん姉貴もそれを見てる。本音を言えばそれを君には見せたくないしジャンだってそうだろうけど……」
テッドがそう切り出した時、ジャンは表情をやや硬くして言った。
「テッドの言う通りだ。俺達は極めつけに酷いシーンを幾つも見てきた。きっと地上の誰もが予想もしない代物ばかりだ。気を病むなんてモンじゃ済まないシーンに幾つも遭遇するだろうから、先に言っておく。俺はいつもルーの味方だ」
ジャンがそう言った時、ルーシーは表情をキッと堅くして首肯した。
「海兵隊の義務を果たします。大丈夫。私は特別だから」
なんの根拠も無い……などと評価されることの無い存在故にテッドは少し安心した。だが、年の初めにエディから聞いていたルーシーの教育方針は、エディ流なスパルタ方式だった。そして……
「ルーに期待してる。けど、辛いときは泣いて良いんだぞ。抱え込むなよ」
テッドがそんな事を言うと、ジャンが微妙な顔でテッドを見た。
そして、それを聞いていたルーシーもまた、硬い表情で首肯するのだった。




