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黒い炎  作者: 陸奥守
第十一章 遠き故郷へ手を伸ばす為に
390/425

ハーヴェスター計画

2023/1/1 大幅改稿

~承前




 柔らかな陽射しが入り込むサイバーダイン社の一室。


 501中隊が待機場所として使ってる会議室では午後のティータイムを使い、2週間ほど前のカナダにおける作戦で『保護』したレプリ達の処遇について話が進んでいた。


 地上軍の憲兵隊へ彼等を引き渡したエディは、純粋なレプリについては『慎重な対処を求める』と要望を出していた。消耗品扱いなレプリに対する処遇で慎重なんて言われれば、誰だって最初は冗談だと思っていたのだろう。


 だが、突然それが冗談では済まない事態になったのは地上軍側にとっても晴天の霹靂だったようだ。報告を聞いたハミルトン司令は海兵隊による公式要望化し、宇宙軍地上軍海兵隊の三軍統合参謀本部が取り扱いに苦慮する事態となっていた。


「相当なレベルが頭を抱えているだろうな」


 楽しげにそう言ったエディは、ご機嫌な様子でスコーンを齧っている。筋金入りで甘党なエディだ。練乳とメイプルシロップをたっぷりとかけたグショグショレベルのスコーンを幸せそうに頬張った姿は、驚くやら呆れるやらだった。


 それこそ、甘い物が苦手な者にしてみれば、もはや拷問レベルの代物を嬉しそうに食べている。そんな様子のアリョーシャを横目に、エディと同じレベルで甘党なブルは、粉砂糖をたっぷり掛けたフレンチトーストを齧りながらそう言った。


「各方面の軋轢が酷いぞ?」


 生身がこんな物を食えば、間違いなくデブ一直線の代物。だが、純粋に甘みを楽しめるサイボーグにしてみれば、そんな事は一切関係無いし、糖尿病で苦しむ事も無いだろう。むしろ、糖尿病になってみたいなどと言い出すレベルだが……


「良いのさ。これも未来に繋がるはずだ。我々に厄介事を押し付けた場合、高い代償を払うことになる。それを今から教育しておこう。これから先、相当な無理難題を押し付けることになる」


 誰憚ることなくそう言い切ったエディは、501中隊の首脳陣を前に満面の笑みだ。それが大好物のスィーツを頬張っているから……なんて理由なわけが無い事を彼らは知っていた。


 基本的にエディの人間性はドが付く真性のサディストだ。そして、そんなサディストにサイコパス傾向が付与されている。となれば、エディにとって最も愉悦を覚える行為と言えば、それは相手が困り込むような難題を押し付けること。


 マゾヒストを虐めたってサディストは全く面白く無い。真性のサディストは同じサディストや自分より強い者をへし折り、困らせ、頭を抱えさせる事で満足を覚えるのだ。そして……


「まぁ少なくとも、お前らの使いっ走りにはならないと教えてやらないとな。小僧どもが苦労する事になるが……」


 ブルが楽しげにそう言うと、アリョーシャが『彼等も学びの最中だ。甘やかせば腑抜けになる。ここが重要な局面だな』と間髪入れずに応えた。


 あの子供達に組織の中で生き抜くあれやこれやを教えねばならない。最終的にはそれぞれにチームを持たせて独立運用したい。そんな思惑が見え隠れする首脳部の方針は、これからの10年を思えば重要な時間的投資だった。


「んで……次はどうする?」


 フレンチトーストを食べ終えたブルは、チョコレートの掛かったドーナツを頬張りながらそう言った。どう見たって高カロリーの代物だが、サイボーグにとって高カロリーは電源の余裕そのものだ。


「恐らくだが、各地のレプリ狩りに協力する事になる。北米地域から違法レプリを根絶し、続いて南米地域へ行く事になるだろう。今後の緊急出動場面に於いて良いシミュレーションとなるだろうから、抜かりなくやろう」


 エディの言ったそれは、北米各所で問題になりつつあるレプリのテロ問題だ。活動限界を迎え思考的に不安定になったレプリをそそのかしテロをやらせる手法は、各地に潜伏するシリウス軍残党の常套手段に育ちつつあるのが現状だ。


 折しも政治の舞台では、国際連合と地球連邦政府の合同組織発足に向けた動きが活発化している。首脳や特使が盛んに世界を飛び交う中、比例する様に要人を狙ったテロが頻発しているのだ。


「ハーベスター計画か…… まぁ、刈り取りと言う視点で言えばその通りだが」


 少々怪訝な表情でそう言ったアリョーシャ。そこに混ぜ込まれた懸念や疑念はコールタールの様にまとわりついて精神を蝕んでいる。対シリウス戦争での基本方針がサーチ&デストロイである以上、相当な忙しさになるのが確定していた。


 その為にも人と見分けのつかないレプカントは早々に処分してしまいたいのが地上軍側の本音だった。そしてもちろん、レプリカントの身体を使っているシリウス人についても、捕虜ではなくレプリだったとして闇に葬ってしまいたかった。


「まぁ確かにな。気に入らねぇやり方だ」


 アリョーシャの言葉にそう応えたブルは、お気に入りのドーナツだというのに怪訝な顔でそう言った。と言うのも、北米大陸からシリウス軍を追い出すのはほぼ完遂されたのだが、問題はその後の事だった。


 ビリンガムと名乗った男が言った通り、NPO組織、ブルースターなる団体がレプリカントを保護している。彼等はシリウス人と地球人を分け隔てることなく共に発展していこうと呼び掛ける思想を掲げていた。


 それはつまり、20世紀の終わり頃に世界を席巻した、宇宙船地球号だの地球市民だのと言ったリベラルを自称する反自由主義陣営の現代版だ。そしてその実といえば、要するに単なる工作員の集まりでしかない。


 だが、困った事にその実態を承知の上で、思想的な部分に共感してしまう人間が少なくないのだ。そしてそんな人間が一定数存在すれば、民主主義の困った側面として、人民の代理となる者が国政の場に送り込まれてしまう。


「それについては怒っても意味がないぞ?」


 エディは嗾けるようにブルへと言った。こればかりは如何ともし難い事で、人民の代表を通じ支配を受ける軍属は、常にそれについて頭を抱える事になる運命だ。それこそ、どれほどの好機チャンスであっても国民が反対すれば戦えないのだ。


「……そりゃ解ってるが」


 なんとも歯がゆい事だが、こればかりは上手く付き合うしかない。そして現時点について言えば、エディは自らの目的を達成する為に市民ですらも味方につける努力をせねばならない。


 それを具体的に言うなら、市民の生命と財産を守り、役に立つ事でアピールするのだ。もっと言えば、何かしらのスタンドプレーを行い、その結果として市民の役に立った事を広く知らしめなければならない。


「その為には……若者達をもう少しなんとかしたいな」


 アリョーシャが少々険しい表情で言ったそれは、先のカナダでの作戦でテッドとヴァルターが経験した接近格闘戦の後遺症だ。と言うのも、ナイフを使った直接の殺し合いを経験したふたりは、各々に困った反応を見せていた。


 ヴァルターはナイフファイトの中で上手くレプリを殺す事ができず、苦しんだ末に絶命したシーンをトラウマにしてしまっている。記憶の中に残る痛みへの呻きがフラッシュバックしてしまい、罪悪感を覚えてしまっていた。


 そしてテッドはテッドで手の中に残ったナイフを突き刺した感触がどうしても消えず、食事をしようにもナイフで肉を切って食べる事が出来ないでいた。刃先の鋭い部分が肉を絶っていく感覚がトラウマになっているのだ。


「銃での戦闘とは違うからな……」


 ブルがそう呟くとアリョーシャも同じくボヤくように言った。


「命を刈り取る感覚は理屈じゃないんだよな」


 シェルドライバーとして凄まじい戦闘を繰り広げるふたりだ。冷静に冷徹に、狡猾なやり方で相手の動きを封じてチェックメイトに持ち込んで、そこで相手を撃破する。宇宙でそれをやれば、パイロットはまず助からない。


 地上でも同じ様に敵を追い詰め、狙いを定めて銃の引き金を引く。心からの殺意を込めた銃弾で敵は即死する。それこそ、12.7ミリの銃弾を受ければ、その身体が真っ二つにちぎれる事もある。


 ただ、そのどれもが自らの殺意の結果でしかない。殺してやると思った結果であって、行為の結果ではない。それらとは全く異なるところに接近格闘戦の怖さがあるのだ。つまり、相手を殺した結果を自分の身体で感じるのだ。


「生き物を殺す感覚は理屈では乗り越えられない。こればかりは……な」


 エディが言ったそれは、多くの兵士にとって理念や、或いは義務と言ったもので塗り潰して考えない様にするしかないもの。生き物を殺す事への禁忌感は、普段の生活ではまず味合わないものだから。


 狩猟によって生活していた時代ならば、生きる為にと正当な理由を見つける事も出来る。だが、憎むべき敵どころか、相手は無垢なレプリカントだ。シリウスの地上に生きた者ならば、カプセルアウトしたてで真っ新なレプリを知っている。


 屈託のない笑顔を浮かべる子供の様なレプリカントは、だんだんと人間性や社会性を身に付け、やがては配属された先で家族の様な存在となる。そんな存在を殺した事への罪悪感は、地球人には無いものだった。


「もう少し猶予を与えよう。どうしても乗り越えられないなら、心を血に染めてでも飲み込ませるしか無い」


 話として聞けば非情で非道なものだろう。だが、異なる視点で見ればそれも情なのだ。戦闘中に逡巡すれば隙が生まれる。その隙は弱点となり命を危険にさらす。そしてやがては死に至る。


 どんな事をしようが、最も大事なのは生き残る事だ。いつか必ずリディアと再開させねばならないのだから、エディもまた気を揉んでいた。


「小僧達の次は……彼女か」


 ブルがボソリと呟くと、エディも若干表情を変えた。


「それについては慎重にやろう。個人的にも……彼女を失いたくは無い」


 エディの思惑が僅かにこぼれ落ち、アリョーシャはブルと顔を見合わせた。個人的な願望を殆ど見せた事の無いエディの、本当にごく僅かな人間味が溢れた瞬間だった……






     ―――――同じ頃



「なぁ……テッドの兄貴……」


 ロニーはコーヒーを持ってテッドの所へやってきた。待機室代わりに使っているサイバーダイン社の大きめな会議室へと陣取るテッドは、ヴァルターが共にどんよりとした表情で空を見ていた。


「……解ってるよ」

「けどな、思ったよりシンドイんだよ」


 テッドとヴァルターは順繰りにそう言い、コーヒーカップを受け取った。シリウスの地上で志願兵となって地球軍に参加して以来、ふたりは無我夢中で駆け抜けてきた部分がある。


 理屈や理念と言ったものではなく、シリウスの地上を蝕む勢力との戦闘という部分がふたりにとって戦争や戦闘の意義だった。だが、ここに来てその中身が大きく変わったのだ。


「あのレプリ。中身は穏健派のシリウス人だったかも知れないんだよ」

「本当は戦闘をしたく無いから離脱したのかも知れない」


 ふたりが言うそれは、あのビリンガムと名乗った男の言葉だった。


 ――――別に地球と争いたい訳じゃないんだ

 ――――戦争をしたい訳でもない

 ――――静かに穏やかに暮らせればそれでいいんだ


 グリーゼへと旅していた20年の間にシリウスで生まれ育った者達が兵士としてやって来ている。彼等は地球と戦争をしたくてきた訳じゃない。だが、結果的にテッド達はそんな者達を一方的に殺してしまった。


 あの、シリウスの地上を蝕んでいた強行的独立派や取り巻き達がやったように、死と恐怖を使って支配しようとしていると見られた。それがふたりの心を蝕んでいる一番の病巣だった。


「なぁテッド」


 黙って付き合っていたジャンがついに切り出した。ラテン系な熱い男だが、それだけに行動原理は一貫している部分がある。早い話『女の為』だが、ラテン系ならばそれに命を懸けられる。そしてジャンの場合、その女はテッドの姉だ。


「面倒を考えるなって言ったて無理だろうから、もっとシンプルに考えてみたらどうだ?」


 ジャンの言葉にテッドが不思議そうな表情を浮かべている。思案したのだろうが『理解出来ない』と言った表情になっていて、その目が続きを言えと訴えていた。


「テッドの信じる正義って、なんだ?」


 いきなり何を言い出すんだ?とそんな表情になっているテッドは、無意識レベルでヴァルターを見た。そのヴァルターは腕を組んで考え込んでいた。


「……考えた事もなかった」


 素直にポンとそう言ったテッドは、黙って言葉の続きを待った。

 ただ、そこから先に出た言葉は少々意外だった。


「じゃぁあれだ。今悩んでる事もそのレベルだ。要するに気のせいってこった」


 真顔でとんでもない事を言い放ったジャン。

 テッドは手にしていたコーヒーを飲みつつ、憮然とした表情でジャンを見た。


 だが、当のラテン男はテッドを指さして続けた。あくまで気楽なトークの体をしているが、その実は間違いなく年長者の叱責だった。


「だいたいだな。そもそもあいつら、地球侵攻軍に参加してんだぞ? レプリだってもう血に染まってる。俺たちがシリウスの地上で見たレプリとは全く別モンだ。血に飢えて人を殺す事に抵抗の無い獣みたいなもんだぜ?」


 ビシッと指差されたテッドには、その指先がまるで刃物に見えていた。あの時、レプリの身体を突き刺したテッドの手には、まだ刃先が肉を断ち骨を砕く感触が残っている。ふとそれを思い出し、思わず揉み手を始めるほどに。


「けど……」


 何かを言い返そうと思ったテッドは僅かに口を開いた。

 だが、そこから先の言葉を吐く前に、ジャンは容赦なく言葉を浴びせ続けた。


「言いたい事は解る。感情って奴は理屈を凌駕するからな。けど、そこはそれで切り離して考えろ。良いかテッド――」


 ジャンの顔にグッと真剣みが増した。姉キャサリンが思わず惚れるのも解ろうかと言うレベルだ。そして同時にハッとして表情を僅かに変えた。ジャンが何を問題しているのかを瞬間的に理解したのだ。


「――あいつらが。シリウス側レプリが地球の地上でテロをばかばか繰り返した結果、タイレルのラボにいる連中が仕事はもう出来ないとなったらどうすんだ?」


 一瞬の間にくみ上げられた思考のジャングルジム。その核心の部分をジャンが容赦なく突いてきた。鋭い痛みを発するその言葉に、テッドの表情が強張った。


 テッドの姉キャサリンはタイレルのラボで脳の再生処理を受けている。量子コンピューターの実用化以来100年以上が経過しているものの、人間の脳を再生処理するなどと言う作業はまだまだ実用化も道半ばだった。


「良いかテッド。ヴァルターもだ。俺たちが戦ってるのはさ、もう個人的事情って奴じゃねぇだろ? もっとデカいもんが激突してんだよ。そんな中で俺たちはもうエディの使いっ走りって訳じゃ無いはずだ。違うか?」


 ジャンが見て取ったのは、ヴァルターとテッドが陥っている理由だった。一時的な自信喪失。或いは、初めて直面する倫理観や道徳観からの憂鬱と自己叱責。ただそれは、己の義務を回避する為の言い訳にも使われるものだった。


「……兄貴」


 少しだけ笑みを浮かべたテッドは、ジャンを見てそう言った。

 それを聞いたジャンは一段ギアを上げて更に叱責を続けた。


「俺たちは血に飢えたオオカミじゃねぇ。俺たちは最終的にシリウスの為にって思ってやってる。その為に生まれる犠牲もあるだろう。けどよ、最終的な目標を忘れちゃなんねぇだろ? どうだ?」


 テッドとヴァルターを順繰りに見つつ、ジャンは熱く言葉をつづけた。その言葉が持つ熱量は、テッドとヴァルターの冷え切った心に熱を与えつつあった。やはり中身は熱い男なのだと皆が再認識する言葉だった。


「地球人に害をなす存在はシリウス人でも容赦なく手にかけろ。そうすれば地球人がシリウス人に持つ怨み辛みも少しばかりは収まるだろ。とにかく上手く独立させるんだよ。その上で、その後の事は後になって考えろ――」


 もう一口コーヒーを飲んだジャンは、僅かに間を開けた。ミキサーに放り込んだ果物がすり潰されるのを待つように、自分の吐いた言葉がふたりの心に沁み込む間を作ったのだ。


「――今はよ、怒りに駆られてシリウス人を皆殺しにしてしまおうって言ってる連中を減らしたり宥めたりする事が大事だろ? 違うのか? 納得しろとか割り切れとかじゃねぇんだテッド。大事なとこを勘違いすんな。大事な事を忘れんなって奴だ。プリンシプル(行動原則)って奴なんだよ」


 ジャンが一方的にまくしたてた言葉は、時間をおいてテッドやヴァルターの心に沁み込んだらしい。テッドと目を合わせたヴァルターは、ジャンの方を向いてからぼそりとこぼした。


「必要な犠牲って奴か」


 それを聞いたテッドも『エディがよく言ってる奴だな』と応えた。そしてその時気が付いた。シリウス人がシリウス人を殺す事について、エディは何の躊躇も逡巡もしていない事に。


「エディも辛いだろうね。間違いなく――」


 ウッディがそう漏らし、テッドを見てニコリと笑った。アジア系特有の愛嬌ある笑みは、男でありながらかわいいと思わせる様な雰囲気だ。ただ、そんな様子で容赦のない一言をぶち込んでくるのもアジア系の特徴だ。


「――けど、最終的目標の為に割り切ってるって事なんだな」


 シリウスを平和的なプロセスで地球から独立させる事。そして、共存共栄の形に安定させる事。その先に見えるものが何であるかは、テッド達にはまだ見えないのだが、エディには何かしらの深謀遠慮があるのを感じていた。


「人の心って奴はロジックじゃないからな。落ち込んだり塞ぎ込んだりすることもあるだろうけど、それすらも飲み込んで上手く生きてかなきゃ、結局自分が辛くなるだけだ――」


 最終的に再び軽い調子へと戻ったジャンは、手にしていたコーヒーを飲み干して最後に付け加えた。


「――もっといやぁ……俺たちはマフィアだ。海兵隊の中でも100人といねぇサイボーグマフィアだ。そんなファミリーが苦しんでるのを見るのは我が事の様につれぇってこった。後はテッドとヴァルター次第だぜ?」


 立ち上がって歩きだしたジャンはデッドの肩をポンと叩いて部屋を出ていった。トイレに行く訳もないのだから、単なる演技だろう。だが、辛そうな姿は見たくないと言うメッセージでもある。


「キツいこと言ってくれるぜ」

「けど……間違いねぇ」


 ヴァルターのぼやきにデッドが相槌を打った。

 それを見ていたオーリスが書類を見ながら言った。


「次はヨーロッパらしいからな」


 士官向けの書類に書かれているのは、ハーベスター計画の概要だ。北米大陸のシリウス軍残党はほぼ一掃されたと見て良い。その後に手を付けるのはヨーロッパ侵攻軍と言うことになったようだ。


「眼と鼻の先にでっかい人参をぶら下げやがったからな」


 ステンマルクも苦笑いしながら言うそれは、ドイツのミュンヘンに仮設置される地球連邦機関の本部だ。国連機関の重要施設が集中するウィーンやルクセンブルクと有機的に連携される事になるのだが、その主目的は別にあった。


「やり方がえげつねぇよな。連中は躍起になって妨害するぜ?」


 オーリスが言うとおり、ドイツ南部地域やフランス東北部辺りのNPO組織が集中するエリアからも眼と鼻の先だ。つまり、怪しい組織が動き出すように餌をぶら下げた形だ。


「……つまり、動き出した組織の本部を急襲しようって作戦か」


 へへへと笑いながらディージョが言うと、ロニーも笑いながら『面倒が無くて良いっす』と強がった。だが、それはもう表面的なことに過ぎないのを理解してない訳ではない。


 サイボーグは自分の見ている世界を同時記録出来る。つまり、敵味方の判断が微妙な組織への突入等でこき使われるのは間違いない。正真正銘な馬車馬の日々が確定している。


「エディが散々言ってた事ってこれかもな」


 呆れたような様子でヴァルターが漏らすのだが、それを聞いたテッドもまた溜息交じりにぼやいた。そんな風な振る舞いもいつの間にか大人びて上手くなったと自分で思う程に。


「こっから先は戦闘中のハングアップが命取りだな」


 過去幾度も極上のピンチを体験してきたふたりだ。その先にある物も嫌と言うほど理解している。故に、必要な結果を得る為には小さな階段を一つ一つステップアップしていかねばならない。


「気合入れ直すか」


 ヴァルターの呟きにテッドは力無い笑みを返しつう『……だな』とだけ応えた。

 姉キャサリンの為でもあり、愛するリディアの為でもある。だが、それ以上の思惑や願望と言ったものの根幹を始めて理解した。



     ―――――ジャンには聞かせられないな……



 いつだったかエディがテッドにだけ伝えた言葉。

 その結果、ジャンが壊れてしまう可能性をテッドは思った。

 現実とは常に辛いものだが、飛びきりの痛みがすぐそこに控えていた……

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