サンフランシスコの攻防 08
~承前
シスコ近郊の戦闘から早くも2ヶ月が経った。
綺麗に片付いたシスコの郊外はクリスマスも近いとあってか、生き残った建物にはささやかながら飾り付けが見られた。そして郊外に出れば、戦闘に巻き込まれなかった地域では盛大なクリスマスの雰囲気が溢れていた。
巨大な建物がいくつか並んでいるそのエリアは、タイレルやサイバーダインと言った生命工学系企業の立ち並ぶエリアだ。
そもそものシスコは貿易で栄えた街だったが、西海岸地域でも指折りの良港と言う事で様々な物資が集まり、長い時間を掛けて研究都市的な軍産複合体の企業城下町に発展していた。
「……例のROTCだけどさ」
移動中な軍用車両の中、ジャンが資料を見ながら切り出した。ジャンの隣にはテッドが座っていて、海兵隊士官らしくプレスの効いた士官服に身を包んでいた。
テッドもジャンも士官であるからして、こんな時には運転手が宛がわれる。余り気にしては来なかったが、段々と海兵隊の仕組みも整備され、その統制が洗練されつつあった。
――――やっぱ落ちつかねぇ……
運転手付きの車なんてモノとは全く無縁の生活だったテッドだ。連邦軍の中でも指折りの実力を持つパイロットなだけに、例えそれが地ベタを這いずるだけの車だとしても、他人の運転がどうにも落ち着かなかった。
「……聞いてるか?」
「あぁ…… えっと…… ドナルドだっけ」
ヒョイと首だけ回してジャンを見たテッド。
ジャンが苦笑いしながら話を続けた。
「そう。ドナルド・マックバーン。ペンシルバニア大学ROTC課程の3回生。出身はオクラホマで郊外の農場主の次男坊だそうだ」
身辺調査書を抜き取ってテッドに見せたジャン。
テッドはその書類を一瞥し、素速く要点をまとめた。
年齢は二十歳過ぎで基礎IQが高い秀才タイプ。情報と事態の分析力に優れ、奨学金を目当てにROTC課程へと進み、州兵か合衆国軍の情報関連に職を求めるライフプランだと思われた。
――――そつのねぇ生き方だ……
大学で学ぶには金が要る。だが、自己資金でまかなえるほどに収入のある人間では無い場合、学を積み重ねるにはちょっとした奉公が必要になる。そして、必要とされる組織にとって都合の良い人間になる事だ。
欧米系の大学では入学は容易くとも、卒業にはそれなりに試練が課せられる。そして同時に、キッチリと学費を納めることが重要になってくる。ただ、その金額が問題だった。
少なくとも、地方の貧乏百姓一家で賄える学費は、せいぜい長男くらいなモノ。その下が大学を目指すなら長男が先に社会に出て支援するか、さもなくば様々な組織が用意する奨学金に頼ることになる。
「……農場の小倅って点じゃ俺と一緒だな」
オクラホマの郊外にあると言う農場がどれ程の大きさかは想像も付かない。しかしながら、一家と数名の労働者で畑の管理をする大変さはよく解るし、その収入が天候や市場価格に振り回されることも熟知している。
そんな身の上で進学するなら、軍の世話になるのは割とポピュラーな話だ。様々な階層からやって来た生まれも育ちも異なる人間を集め、完璧なチームワークを求めるのが軍隊の真実。
そんな現場では、機転が利き目端も上手く頭の回転が良い存在は重宝される。そんな人間を探し出し、奨学金で釣り上げ、必要な人材に育て上げる。それこそがROTCという仕組みだった。
「まぁ、うだつの上がらねぇ工場労働者の倅よりは優秀だぜ?」
ジャンは何処かのサラリーマンの倅らしい。工学系の学校へと進学し港湾関係の仕事に就くはずだったのかも知れない。しかしながら、長引く戦争の影響で命に関わる大怪我をし、その果てにサイボーグになったのだと聞いた事がある。
――――ROTCになれる時点で優秀って事か……
何とも収まりの悪い感触で気易い会話を繰り広げる二人。彼らの乗った車はタイレルの中央研究所へと入った。かつてリディアの件で何度も通った場所だが、今日はまったく異なる目的だ。
そもそもの目的はキャサリンの再生処理がどこまで進んだのかの確認だった。だが、テッドとジャンはあのドナルドという青年に興味を持った。あんな状態でも敢闘精神を示したのだから、なにか理由があるはずだ。
「んで、アイツも再生処理?」
どこでどう話しが繋がったのかは知らないが、ドナルドの救命措置要望が州議会議員から出されたらしい。その結果、ドナルドはタイレルのラボへと運び込まれ、機能不全に陥っていた身体を斬り捨てて再生処理を受ける事になった。
「まぁどっかで親と議員さんと繋がってたんだろうな。地獄の沙汰も金次第って言うそうだが……」
ジャンの話を聞いていたテッドは、急に遠くを見て何かを思案し始めた。シリウスの片田舎で見渡す限りの牧場に育った男だ。どうしたって自分の出自を思えば何となく気が引ける部分が大きい。
そもそもテッドは貧しい農場主の小倅だったのだから、住む世界が違うとも思ったのだ。そんな政治力を駆使して命を永らえるだけの価値がある存在。そんな風に周り方思われていたのかも知れない……
「……気にすんなよ、そんなこと。それこそ、親戚とか兄弟とかそんな次元かも知れないぜ。それに、テッドの親父さん、シェリフだったんだろ? 州知事任命の肩書きなんだから、それだって凄い事だぜ」
ジャンはそっと励ますようにそんな事を言った。確かに言われてみればその通りな部分もあるとテッドも思う。向こうが覚えてるかどうかは知らないが、州知事と面識が有り、場合によっては直接顔を合わせて話が出来る存在だ。
――――ならなんで助けてくれなかった……
そう。あの日、父が悪党と決闘して負傷した日、テッドはどうすることも出来ずに呆然と父を見取るしか出来なかった。地球ならば救えた命だったかも知れない。シリウスではどうにもならなかったのかも知れない。
仕方が無い……
その一言で済ますのは余りにも悔しい。だが、どうしようも無いことだってあるのだと、それを散々と経験した今になれば、何とか飲み込む事も出来そうだ。
「まぁ、オヤジのことはともかく…… 姉貴はどうかね?」
ここまで乗せてきてくれた下士官に謝意を述べつつ車を降りたテッドは、独り言のようにそう言った。既知のスタッフが何人か居るタイレルの中身は、しばらく来ない間に随分と綺麗になっていた。
「あれ? ここ新館?」
記憶に無い建物の中を歩くテッドは、ジャンの案内でいくつかのセキュリティを越え地下の高度研究室に入った。薄暗い室内を進み、最後のチェックポイントを通過すると、そこは眩いばかりに光の溢れるラボだった。
「おぉ! ジャン中尉! お待ちしてました!」
「やぁドクター。俺の女房は夢から覚めた?」
初老で白衣姿の男が椅子から立ち上がってジャンを出迎えた。握手を交わしながらジャンは軽い調子でそう言った。幾度も顔を合わせ話し合ったのだろう事が信頼関係に透けて見えた。
「もうすこしで意識レベルが立ち上がる所だよ。なんせ今は一発勝負でやり直しの効かない所を再生処理中だからね」
笑顔でそう言うドクターは、テッドを見てから『こちらは?』と続けた。
「あぁ。女房の実の弟で同僚だ」
ジャンの言葉に『そうですか』と首肯しつつ握手の為に手を差し出した。
その手には指紋が殆ど残って無く、また、感触はまるでゴムだった。
「あなたの姉の主治医です。シュバインと呼んで欲しい」
人種としては南欧系の系統に見える医師は、ニコリと笑って自己紹介した。
「姉貴がお世話になってるとかで挨拶に来ました。テッドです。よろしく」
精一杯の社交辞令的な笑顔でテッドはそう応えた。だが、その目はカプセルの下の方から生えている塊を凝視していた。iPs細胞の塊から生えていると言う表現がもっとも正しい状態の塊。それこそがキャサリンの脳だった。
「……これ」
「あぁ、君のお姉さんだね。現段階では全体の74%が完成している。肝脳と小脳部分は事実上再生処理を完了していて、既にニューロンネットワークの中を電子の火花が飛び交っているよ」
脳の構造について基本的なレクチャーを受けたテッドだが、直接見るその脳の姿は少々グロイなんてモンじゃ無かった。だが、それと同じモノが自分の頭にも入っているのだと思うと、何とも妙な気分になった。
「人類が持つ脳構造の知識は、じつはまだ完璧にはほど遠いんだ。ただ、生命の神秘とでも言うのか、所定の遺伝子再生により構造を再構築する程度の事は既に枯れた技術と言って良い。まぁこれもレプリ研究の賜物だがね」
ハハハと笑うドクターは、テッドを手招きして複数あるモニターの中を指差して説明し続けた。
「肝脳と小脳で生命維持の大半を賄っている。つまり、この段階でレプリの身体にでも定植すれば生物としては生きている状態になる。だが、記憶や人格と言った部分を司る意志の領域は大脳にある。神の作り給うた構造は完璧だ」
カプセルの中にキラキラと光る微細粒子が見える。
テッドはモニターとカプセルの中を交互に見ながら唸っていた。
「あの細かい粒子全てがマイクロマシンだ。ある程度自由に細胞分裂させ、その中で使えない細胞を殺す頃で再生処理を行っている。膨大な回数でやり直しをしながらね」
気の遠くなるような作業を繰り返しているそれは、神の摂理を強引に再現する力業の手法なのだった。
「じゃぁ、今は記憶が無い状態ですか?」
ドクターシュバインの説明を聞いていたテッドは、何かに気が付いたようにそう言った。大脳が完成してない以上、記憶や思考といったモノはまだ動いていないのだろうと考えたのだ。
「そうですね。まだ……5年は掛かるかも知れません」
着々と作業が進んでいるとは言え、そう簡単にできるモノでは無いのだろう。脳を一から作り直すと言うとんでも無い作業は、タイレルの行った限界への挑戦その物なのだった。
「この構造の完成と共に、現在活動している脳から記憶転写と思考エンジンの移行処理を行う。これにより記憶と人格とを移植し、使い古した脳を潰す。まぁ、アッチの脳はごく僅かのオリジナルにレプリの構造体から移植した脳を絡ませているだけだから、惜しい気はするが潔く潰すべきだろう」
ドクターの説明に寄れば、複数の脳に同じ人格を走らせると障害が起きる事があると言う。まだまだ脳の構造は説明の付かない部分が多く、量子力学的な挙動をすることもあるのだとか。
「ここは深宇宙や超深海と同じく神の領域なんだ。人の知覚では捉えきれない巨大なマクロ構造の宇宙を俯瞰的に把握出来るのは神だけ。そして、電子顕微鏡ですら太刀打ち出来ない超々極小世界における素粒子などの振る舞いを制御出来るのもまた、神だけだ」
それがどんな力かと言われれば、最先端物理学者を持ってしても『神の領域』としか説明の付かない世界なのだろう。だが、見よう見まねで同じモノを作れる程度には人類も進化していた。
そして今、キャサリンの人格の入れ物は着々と出来上がりつつあった。今はシリウスに居るはずの姉を連れてきて、全てを転写させれば出来上がりという寸法だ。
「……学の無い俺には理解しがたい話なんで、ドクターに任せますよ」
率直な言葉でそう言ったテッド。シュバインは柔らかに笑って首肯した。
「任せてくれたまえ。自然に産まれて来たのと同じ状態になるように仕上げてみせるよ。人だって母親から産まれて一人前になるまでに20年は掛かる。脳の成長が完了するのは6才と言われるが、発達するのは25才くらいまでだ」
鉄は熱いうちに打てと言うが、教育は若いウチにしなければ意味がないと理解される理由の一つがそれだった。脳の基礎構造は割とすぐに完成するのだろう。しかしながら、刺激を受け育って行くのはそこからの20年だった。
「……とりあえず、よろしくお願いします」
自信あふれる笑みで『あぁ』と応え握手を交わしたテッドとシュバイン。それに続きジャンとも握手を交わし、二人はラボを出た。
「エディには順調だと思われると報告するつもりだが良いかい?」
ジャンは薄暗い廊下の中でテッドに同意を求めた。
だが、それに対するテッドの回答は少々意外だった。
「ジャンがそれで良いなら俺は文句無い。姉貴の相方は俺じゃ無くジャンだし」
信頼と愛情を感じさせる回答にジャンが笑顔になった。
その背中をポンと叩き、テッドは声色を変え提案した。
「例のROTC。タイレルで再生処理中って言うから面会していこう。海兵隊にスカウトするのも良いと思うんだ」
そんな提案に『それ良いな』とジャンが応え、そのままタイレルの軍エリアに足を踏み入れた。厳重な警戒態勢になっているそのエリアは、普通では救命出来ないレベルな重傷者ばかりを収容しているエリアだった。
「ドナルド・マックバーンに面会したいんだが」
連邦軍海兵隊中尉の申し出にタイレルの医療スタッフが一瞬だけ戸惑うものの、何枚かの書類にサインを入れたらあっさりと再生現場へ通された。垂直型カプセルの中に浮いているドナルドは、腰から下が着々と再生中だった。
「意識はあるの?」
再生医療のスタッフにそう尋ねたテッド。たまたまそこにいたナースは『まだ無理だと思います』と応えた。酸素マスクを付けた状態で人工羊水に浮かぶドナルドの身体は、引き千切れた面から様々なモノが生えている状態だった。
「じゃぁ……こうしようぜ」
ジャンは小さなメモを書いてテーブルの上に置いた。そこには関係者向けに『意識を取り戻したら渡してくれ』と書かれていた。そして、その下にはジャンとテッドの連名で伝言が残されていた。
「国連軍海兵隊で待ってる……ってな」
ニヤリと笑って顔を見合わせた二人。それを預かったタイレルのナースもニコリと笑って『責任持って預かります』と言った。
「あぁ、よろしく頼む」
「気合入ってる奴だからさ、海兵隊にはうってつけの人材なんだ」
ジャンとテッドが順にそう伝え、まだ若いナースもニコリと笑った。ただ、生身で海兵隊にやって来てどうするんだ?と言う疑念が二人にはあった。先のニューヨーク降下作戦よりこの方、生身が足手まといになった事は数知れずだったのだ。
だが、やがてこの黒人の青年はテッドの片腕になる。不幸な事故でサイボーグになったドナルドは、チームの重要なキーパーソンに成長するのだった……
夕方、2話目を公開します




