再生
――ジョニー
――ねぇ! ジョニー!
――起きてよ!
――ジョニーってば!
―― リディア…… 呼んだ?
うっすらと目を開けたとき、その目に飛び込んできた視界は全てが赤みがかった異常な世界だった。しかし、その直後にその赤みの全てが消え去り、自分のいる場所がそれほど広くない純白の部屋であると気が付いた。
真っ白な天井と真っ白な壁。直接的に光りを投げかけられているシーンは無く、全てが間接照明で照らされた眩い部屋だ。
「……ここは」
純白のシーツを被せられたジョニーは、ベッドの上で身動きを取れず彫像の様に固まっている。状況を飲み込めないと言うのは無条件で恐怖を誘発するのだが……
「目が覚めましたか?」
不意に何処かから声が聞こえた。若い女性の声だ。だが、その声はリディアでは無く、また、それほど若い女の声とも思えないものだった。声の主を探すべく動こうとしたジョニー。だが、自分の身体はまるで鉛ででも出来ているかのように、全く動く事が出来ない。
「まだ動けませんよ。いま、ロックを解除します」
ピッと電子音が聞こえ、ジョニーは不意に全身の『重さ』を感じた。
「ちょっとベッドを起こしましょうか」
鈍い電動音と共に起き上がって行くベッドの上。天井から壁に向かって視界が動いていく中で、ジョニーはその声の主が白衣を着た連邦軍のエンジニアだと気が付いた。ただ……
「……これって」
壁際にある大きな鏡に映っているのは、冷たい光沢を放つ金属とつや消しブラックの炭素素材で作られたロボットだ。その首から上には見慣れた自分の頭が乗っかっていた。まるで物語に出て来る甲冑を着込んだ騎士のようだった。
「ウソだろ……」
「いえ、リアルですよ」
「リアル?」
自分の身体の首から下は、全てが光沢のある軽金属に覆われている。両手も両脚も胴体も、全て金属のカバーに包まれている。その姿を一言で言うなら『異形』だ。
「現実世界の出来事です」
「現実世界って……」
自分の両手を自分の目で直接見たとき、滑らかに動くその姿には、機械っぽさが一切無かった。まるで作業用パワーローダーのマニピュレータの様だと思ったのだが、それよりも重要なのは、その全てが金属剥き出しと言う事だった。
「もう歩けるはずですよ」
「歩ける?」
「えぇ。制御ソフトのインストールは終わっています」
ジョニーの前に立った連邦軍のエンジニアは、数歩後退し手招きしてジョニーに歩く事を促した。その姿を足元から順に確かめると、胸のネームプレートにはアリシアの文字があった。
「大丈夫です。さぁ、勇気を出して。最初の一歩を」
アリシアに促され医療ベッドの上から身体を前に一歩踏み出したジョニー。その動きはまるで記録映画にあるような極初期の二足歩行ロボットそのものだ。ぎこちなく重心を移動させながら、恐る恐る前へと進む姿。だが、それは紛れもなく自分自身だった。
「しばらくはリハビリが必要ですけど、あなたなら問題ないでしょう」
「問題ないとはどういう意味ですか?」
「適応率が人並み以上に有るんですよ。数値的には凄いです」
事態を上手く飲み込めないジョニーは、アリシアの顔をポカンとした表情で見つめた。もっと説明を求めたいのだが、何からどう聞けば良いのかすら取っ掛かりを探すような状態だ。
ただ、考える前に口は動くようで、論理的な会話の組み立てを考える前にジョニーの口を突いて出た言葉は至ってシンプルで簡単なモノだった。
「俺は…… 生きてるのか?」
「もちろん。あなたは。あなたの脳は、人格のより所は生きていますよ」
アリシアは満面の笑みでそう答えた。ジョニーは再び自分の両手を見た。冷たい光沢を放つ腕や指の可動部は硬質なゴム状のモノでシールされている。指先には一切指紋らしきモノが無く、これでは普段が困るとジョニーは思った。
「俺は…… どうしたんですか?」
「……普通は混乱しますよね」
ジョニーの前に立って腕を組み、ジョニーの顔を見上げたアリシア。やや背の低い彼女は満足そうにジョニーを見上げている。
「あなたは現状で最新鋭の地球製サイボーグボディに入っています」
「え? サイボーグ?」
思わず声が裏返ったジョニー。
一度エンジニアの顔をしげしげと見てから、再び自分の両手を見る。
右と左を交互に握ったり開いたりしつつ、考え込む素振りを見せた。
「このボディは適応率が85%を越えないと使いこなせません」
「じゃぁ俺は」
「精密計測していませんから保証は出来ませんが……」
ジョニーの身体の各所に貼り付けられていたシールや付箋を引きはがし、脊椎部分などに繋がっているケーブルを引き抜いたアリシアは、ジョニーの背に白いガウンを掛けた。
「あなたのサイボーグ適応率は推定で92ないし93%です。一般的に言えば驚異的数字です。平均値として地球人類の適応率は60%を切りますので」
どこか上の空で話を聞くジョニーはもう一度鏡を見た。シルバーの身体は所々がネイキッド構造になっていてスケルトン状の部分では背景部分がスリット状に見えていた。
その上には頭部が乗っているのだが、後頭部は鈍く輝く冷たい金属の球体が陣取っていた。よく見ればそこには注意を促す赤い文字があって、さらに目を凝らせば様々なケーブルが接続されているのが見えた。
「あなたがここへ運び込まれた時点で、あなたの元の身体の内、実用に耐えうる部品は殆ど有りませんでした。肋骨が肺や心臓を突き抜けていたのです。普通なら間違いなく死んでいました。ですが……」
何事かを言おうとしたアリシアだが、その言葉を遮るように鈍い音を立てて部屋のドアが開いた。ジョニーは反射的にその方向を見た。厚いドアの向こうにはリラックスした格好のエディが立っていた。
「早いな。もう目覚めたか」
「……エディ」
「死ななくて良かったな。さすがに3週間も意識が戻らないとなったら俺も最悪の事態を予想してしまったよ」
「3週間も…… エディ…… 俺は……」
まだ事態を上手く飲み込めていないと察したエディは、静かにドアを閉めて室内へと歩みを進めた。
「サイボーグの世界へようこそ…… と、そう言っておこうか」
金属製の胸に拳を当てて笑ったエディ。
全く感触の無いジョニーは面食らってしまって言葉が無い。
「……そのボディは本来マーキュリー少佐が使う筈の物でした」
静かにそう告げたアリシアは、どこか残念そうな目をしてエディを見た。まるで遊び道具を取り上げられた子供がフテ腐るかのような態度だが、エディはそんな事を気にする事無くジョニーを見ていた。
「事実上死亡状態のあなたがここに運び込まれてから、すでに3週間経過しているのです」
「じゃぁ……その間に」
「そうです。その間に生まれ変わったんですよ」
だんだんと理解していくジョニー。その姿をエディがジッと見つめていた。
「エディ…… 俺がこれを使って良いのか?」
「あぁ、もちろんだとも」
「だけどこれは」
ジョニーの目がアリシアを捉えた。
「本来ならエディが使うはず」
「仕方がないのさ。他にボディが無い。スペアが無いんだ。ジョニーを助けるには他に選択肢が無かったと言うことさ」
楽しそうに笑うエディはアリシアに同意を求めた。
その脅迫するかのような眼差しに、アリシアは僅かな首肯で応えた。
「現状ではあなたの使えるボディが無いのです。あなた位の適応率で一般向けのボディを使うと機体が信号処理をしきれずハングアップしてしまいますから」
「まぁなんだ。早く使いこなせるようになれ」
優しく言い聞かせるようなエディの言葉をジョニーは悲しそうな表情で聞いた。今にも泣き出しそうな表情だ。ニューホライズンの地上でいくつも死線をくぐった兵士の姿はでは無く、打ちひしがれた敗残者のようなうらぶれた姿だ。
「だけど俺は……」
「なんだ?」
「俺にはもう戦う理由が……」
「理由?」
コクリと頷いたジョニーは哀しみに満ちた目でエディを見た。
「もうリディアは居ない…」
「ジョニー」
「俺にはもう戦う理由が無いんだ。護りたい女が居ない」
しょんぼりと落ち込む姿のジョニー。光沢のある金属製のボディから力が抜けたかのように、がっくりと肩を落として俯いている。
「ジョニー」
「……………」
「リディアの遺体を確認したのか?」
「……え?」
「たがら、リディアの遺体をその目で確かめたのか?」
言葉を失ってエディの顔を見たジョニー。まるで鳩が豆鉄砲でも喰らったかのように驚いているが、そんな表情のジョニーを見るエディは笑っている。
「いくら艦砲射撃が強力でも、何かしらの痕跡が残るものだ。ましてや、あそこに落ちたのは口径の小さな照準砲程度だ。本物の艦砲で攻撃されていたら、今頃は俺もお前も完全に蒸発していることだろう」
肩を竦めたエディはもう一度ジョニーの胸を軽く殴った。小突いた程度の威力でしかないが、その一撃はジョニーの折れた心を叩き直すのに十分な威力だった。
「お前が寝ている間にアチコチ調べたのさ」
「調べた?」
「あぁ、ザリシャグラードでシリウスに誘拐された女達は星都セントゼロに運び込まれたようだ」
星都セントゼロ。そこは『始まりの8人』が最初に降り立ったところへ作られた特別行政区だ。地球の様々なところから入植した移民たちが言語や文化や主義主張の違いで衝突しない為に、ニューホライズンの各地へ大きく分散して根を下ろし緩やかな文化コロニーを作り上げた時代。
遠く地球からやって来た者たちが共通して持った最初のシリウス歴史遺産。それこそが今のセントゼロであり、また、シリウスの風土病に斃れニューホライズンの土となる事を願った夥しい者たちの眠る『死者の都』でもある。そのセントゼロにはシリウス最大の医療施設があり人間やレプリカントの垣根を越えて怪我や病と闘う者たちを受け入れていた。
「リディアを探しに行こう」
「エディ……」
「行きたくないと言うなら無理にとは言わないが、僅かでも可能性が有るなら努力するのがシリウス人じゃないか?」「勿論だとも」
その言葉にジョニーの目が大きく見開かれた。
「どんな形でも生きているなら再会できるさ。もし死んでいたとしても、あの巨大なライフモニュメントに名前が刻まれるはずだ」
「いや、リディアは生きてる。夢の中で俺を呼んでいたんだ」
搾り出すように呟いたジョニーだが、その言葉を聞いたアリシアは驚きに満ちた表情を浮かべてジョニーをジッと見ていた。
「夢を見たのですか?」
「えぇ。夢の中で呼びかけられていました」
「有り得ません。夢を見るどころか意識を持っていられる様な脳波レベルではなかった筈です」
まるで幽霊でも見るかのような眼差しのアリシアは、しげしげとジョニーを見ていた。
「つまり、リディアとジョニーの魂が呼び掛けあっていたんだな。共鳴していたのさ。お互いを求めて」
「リディア……」
「恋しいか?」
「あぁ。今すぐにでも抱きしめたい」
「なら、早くリハビリを完了しろ」
「リハビリ?」
「そうだ。サイボーグのリハビリはハードだぞ?」
エディを見ていたジョニーの目がアリシアを見た。その僅かな仕草にアリシアはジョニーの意志をくみ取る。
「サイボーグのボディは人間である脳とボディの間にサブ電脳を挟んでいます。このサブ電脳は使い込むことによってのみ学習し、ユーザーの意志を百パーセント再現するようになります。逆に言えば……」
「おろしたてのバンデットと一緒さ。戦闘支援コンピューターがパイロットのクセを学ぶように、サイボーグのサブ電脳もユーザーのクセを学ぶ。サイボーグという機体に脳というパイロットが載っている状態だ」
分かったと言うかのようにジョニーは頷いた。その表情に憂いや迷いは無い。地上で暴れ廻っていた怖いもの知らずで無鉄砲な若者の姿だ。
「一週間だけ時間をやる」
「一週間?」
「あぁ。それだけあれば十分だろう。逆に言えば一週間で支度出来ない奴は1ヶ月あっても支度出来ないものさ」
エディはジョニーの足元を見て、それから視線を上に上げていった。全身を確かめたエディは言い諭すように言う。
「お前がこれから覚えなきゃならない事は余りに膨大だ。だが、それを覚えないと外には出られない。一日も早く覚えろ。お前の大事なリディアの為にな」
ニコリと笑ってクルリと背を向け歩き出したエディ。
その後ろ姿を見ながら、ジョニーは表現出来ない不安感に襲われた。
「……エディ!」
「なんだ?」
「いっ…… いや」
なんとなくジョニーの不安を感じ取ったエディは右手の人差し指を一本立て、ジョニーに見せつつ凄みのある笑い顔を見せた。
「忘れるなよ一週間後に戦闘復帰だ」
「エディはその間何をして……」
「俺にも色々都合がある。地球から補給が来て新しい装備を受け取った」
「補給? 装備?」
「あぁ、そうだ。今はその研究をしている状態だ。まだ手探りだからな」
不思議そうにエディを見つめるジョニー。
そんな姿を見ていたエディは楽しそうに笑った。
「楽しみにしていろ。想像を遙かに超えるモノがここにある」
「サイボーグになった時点で充分驚いてる」
「じゃぁ、それ以上だな。間違い無いぞ」
そう言い残してエディは部屋を出て行った。
その背中に溢れる『侠気』をジョニーは見た。
遠い日に見た父親の背中と同じく、鷹揚として自信溢れる背中だ。
「……格好良いなぁ」
ボソリとこぼしたジョニー。
その声を聞かなかったかのようにしながら、アリシアはジッとジョニーの心が切り替わるのを待っていた。
「……いいですか?」
「すいません」
「良いですよ。それより、早速リハビリを始めましょう」
「はい、お願いします」
ウンウンと頷いてジョニーを見たアリシアは手招きしつつ隣の部屋へと移動していった。その後ろに付いてくジョニーは隣室の設備に驚く。まるで筋力トレーニング用のジム室だ。それだけでなく、様々なコンピューターの並んだ電子の要塞だ。
「さぁ、ここからは手抜きを許しませんよ? いいですね? 少尉候補生ジョニー」
「……はい って、え?」
「なにか変ですか?」
「少尉候補生とは?」
「あぁ、そうか……」
再び笑みを浮かべたアリシアだが、その笑みは多分に侮蔑を含んだ見下すような眼差しだった。しかし、それが何を意味するのかを理解するほどジョニーに社会経験があるわけでは無い。
「現状ですと、サイボーグユーザーは全て士官です。一般兵卒までは行き渡っていません。まだまだサイボーグ化という技術は発展途上なのです。ですから、あなたはサイボーグ化と同時に少尉候補生として士官教育を受ける必要があります」
驚きつつも話を聞いていたジョニーは少しだけ不安になった。
「俺は…… まともに学校も行ってないカウボーイですが」
「学校じゃなくても勉強は出来ますし、サイボーグに学校は必要有りません」
「……そうなんですか?」
「あなたが居るところが学校になります」
「じゃぁ……」
「何処ででも勉強は出来ます。しっかり学んで貰いますよ」
言葉を失ってアリシアを見たジョニー。だが、再びヒョイヒョイと手招きしたアリシアは、ジョニーを備え付けのルームランナーへと誘った。
「さぁ、まずは歩いて貰います。歩く事から全てが始まります」
ルームランナーへ乗ったジョニーの身体各所にフックを掛けて身体が浮かないように固定し、ルームランナーのベルトをゆっくりと動かし始める。ぎこちない動きで歩き始めたジョニーは『歩く』という行為がこれほど大変なのかと痛感した。
「カリキュラムは嫌と言うほどありますからね。集中してドンドンやってもらいますから、前向きに頑張ってください」
何とも楽しそうにそう言うアリシアの顔を見たとき、ジョニーはここからしばらくの間が戦闘よりも厳しいものになると予感した。少なくともセコンドに立っているこのエンジニアは一切の妥協を許しそうな雰囲気では無いし、また、不平や不満を言って聞いてくれるような空気でもない。
――リディア……
ふと脳裏に浮かんだリディアの姿。
笑いながらジョニーを見ているその姿に、思わずグッと心が昂ぶるのだが……
「余り興奮しないで」
「え?」
「脳波レベルが異常を見せるとサブ電脳の学習効率が落ちます」
「……はい」
「邪念を振り払って集中して!」
強い口調で窘められたジョニーはベルトコンベア状のウォーキングマシーンで歩くと言う行為と行い続けた。歩いて歩いて歩き続けて、そろそろ集中力が切れると言うところまで歩き続けて、やがてそれにも飽いて来た頃、最初のカリキュラムが終るのだった……




