シリウス軍の猛攻
西暦2273年も終わりに近づきつつあった10月の最終週。
テッドはキャンプアンディの周辺で降下訓練に勤しんでいた。
空挺による空中からの殴り込み作戦は、海兵隊の本領発揮と知って良い。
臨機応変に行動し、敵のど真ん中へ文字通り強襲降下するのだ。
だが、その行為はとんでも無く危険で、かつ、無謀な挑戦その物。
猛烈な対空砲火を受けつつ降下する危険性を考えれば、余りやりたくは無い。
『おらっ! 根性見せろバカ野郎!』
テッドは大声でそう叫んでいた。
負傷から返ってきたトニーは、ブーステッドでは無くサイボーグになっていた。
最初は面食らっていたものの、501大隊の中に入れは自然と染まってしまう。
気が付けばトニーはロニーと仲良くなっていて、妙な駄々っ子になっていた。
『……ンな事言ったって』
何かを言い返そうとして、トニーは口を尖らせつつ押し黙った。
それをロニーが指差して笑っているが、彼らは火星上空1万メートル付近だ。
『お前はもう死にたくっても死ねねぇんだよ! なら気合い入れろ!』
火星上空で見事な降下姿勢になっているテッドは、ラジオの中で叫んでいた。
エディ率いる501大隊はありとあらゆる面で才能を要求される。
出来ない人間は死ぬだけで、サイボーグになったら容赦はされない。
出来ないなら出来る様になれば良い。エディの方針は至極単純で解りやすい。
『もうすぐ地上5000メートルだ! 地球やシリウスと違って火星は降下速度が速いからな!』
予備減速の小型パラを展開し、テッドは速度を殺し始めた。
そんなテッドをあっという間に追い越し、トニーはパラの展開を焦った。
『そっちじゃねぇって言ってンだろバカッ! 予備減速だ!』
テッドの叫び声が脳内にこだまし、トニーは混乱し始めた。
視界に写る高度計の数字はグルグルと回って地表の接近を訴えている。
その数字がどんどん少なくなり、トニーは嫌でも焦り始める。
『予備減速! 小型パラを展開しろ!』
マンツーマンで地上を目指すテッドとトニーは高度3000を切った。
トニーは随分と地表近くまで来ていて、思わずゴクリと唾を飲んだ。
サイボーグにそんな生々しい反応は必要ないのだが……
『あっ! あれっ! やばい! また! また! また!』
トニーは完全に混乱している。いや、パニックを起こしている状態だ。
とにかくパラを展開しなきゃいけないのだが、その前に焦りが来る。
地表までは残り2000を切っていて、メインパラの展開高度だった。
『とにかくパラを開け! また死ぬぞ!』
また……
その言葉にトニーは身体を硬くした。
サイボーグの癖に妙な反応だと笑うしか無かった。
ただ、その前にもう地上がはっきり見えていた。
地上に居るヴァルターやウッディが見えた。
そしてその近くに居るのはレオとヨナだ。
それぞれがマンツーマンで降下訓練を受けている。
だが、そんな中でトニーだけが上手くいってなかった。
『パラ展開!』
テッドの叫び越えにトニーはパラシュートの展開紐を引いた。
瞬間的に大きく減速し、火星の上空で太陽の光を浴びた。
だが、予備減速無しにメインパラを開いた結果、減速率が大変な事になった。
サイボーグの機体は戦闘装備で200kgに達する。
その重量を支えるだけのパラシュートは相対的に巨大なものだ。
大きく風をはらみ、グッと速度を落とすトニー。
だが、その結果として視界がブラックアウトし、一瞬意識が遠くなる。
サイボーグとは言え脳は人間だ。強い減速Gが掛かればブラックアウトもする。
そして、それを越えれば意識が飛ぶのだ。そうなった場合、自力対処不能だ。
『クソッ! くそ……』
一瞬、トニーは自分の意識が遠くなったと感じた。
世界が暗くなり、何もかもが消え去りそうになった。
自分の意識を必死で繋ぎ止めていたのだが、そんな努力など無駄なものだった。
まるで糸がプツリと切れるように、全てが何も解らなくなった。
――――くそ……
内心で悪態をついたが、それ以上の事は出来なかった。
やがてフッと何かが軽くなり、トニーは暗闇の中で目を開けた。
キャンプアンディの中に作られたシミュレーターボックス。
その中に入っていたトニーは、ぶっつけ本番の降下訓練をシミュしていたのだ。
連続5回飛んで、その全てで地表激突を経験し死亡判定を頂いた。
センスねぇ……とテッドから批評され、もう一回!と挑戦していたのだった。
――――――――西暦2273年 10月 29日 午後3時
火星 キャンプアンディ サイボーグエリア
「コーヒーブレイクするぞ」
シミュレーターボックスから出てきたトニーの目の前にテッドがいた。
頭をボリボリと掻きながら、思案に暮れている様子だった。
「……面目ねぇです」
「まぁ……仕方ねぇよ。俺だってぶっつけ本番でシミュ訓練やったしな」
どこまでもリアルな経験が出来るサイボーグの場合、座学は無駄な時間だった。
如何なるトラブルシチュエーションでも、シミュレーターの中で経験できる。
言い換えれば、どんなパターンの失敗でも、経験する事が出来る。
つまり、失敗による死に方の違いを何度も味わえるのだ。
「トニー。もうちょっと落ち付けねぇもん?」
そう。トニーは少々落ち着きが無い。
多動性障害一歩前の診断が出る程に落ち着きが無い。
5秒と同じ所に居ない落ち着きの無さで、いつも何かを弄っているタイプだ。
そんなトニーを連れてテッドはチャウホールへと移動した。
コーヒーを飲ませて落ち着かせる作戦だ。
「兄貴は実戦で飛んだんでしたっけ?」
ロニーに感化されたのか、トニーもテッドを兄貴と呼んでいた。
ある意味で弟が出来たような気分で、ぶっちゃければ悪い気はしない。
だが、色々と修羅場を経験したテッドだ。
内心の何処かでキッチリ線を引いている部分もある。
それ故、テッドは余り深入りしないような距離感だった。
「あぁ。何度か飛んでるよ。殴り込みパターンの緊急降下だ。実際、空挺降下ってのは便利でさ。敵の後方に一気に急降下してバンバン叩けるのさ」
チャウホールに付いたテッドは二人分のコーヒーを用意する。
本来であればトニーにやらせるべき仕事だが、テッドはそれが嫌いだった。
「けど……」
何かを切り出そうとしたトニー。
テッドは『けど?』と相槌を打ってコーヒーを一口飲んだ。
馥郁たる香りが鼻を通り抜け、テッドはその香りに酔った。
「けど……空中じゃ撃たれますよね」
「……撃たれるな」
さも当然と言わんばかりに撃たれると返答したテッド。
トニーは総毛だった様な引きつり具合でテッドを見ていた。
「じゃぁなんで?」
「そりゃお前、パラで一気に降下して速度を殺しきれるギリギリで減速して――」
コーヒーに口を付けてからテッドは続きを切り出した。
独特のブレンドだが、地球産の豆らしく尖った酸味が特徴だ。
「――対空砲火をそれで躱してから地表へ一気に降りるのさ。どんな手段よりも素速く安全に地上戦闘に参加できるし、敵の意表を突く攻撃が出来る」
コーヒーを飲みながらテッドはシリウスの地上で経験した戦闘を説明した。
その中で繰り返し言うのは、速度こそ武器という一大原則だ。
速度を殺さず移動できれば敵は混乱するし、嫌でも慌ててしまう。
どんなに実力的に勝っても、混乱と狼狽が同時に起これば実力はスポイルする。
「……まぁ、アレっすね。勝つのが大事って」
「そう言うこった」
ため息をこぼしつつ、テッドはコーヒーに再び口を付けた。
折しもチャウホールのモニターには、地球での戦闘が速報されていた。
「……シリウス側。凄いっすね」
まるで他人事のように言うトニー。だが、現状の火星と地球は余りにも遠い。
シリウスと比べれば隣同士な距離だが、絶対距離として考えれば……だ。
「正直、悔しいな」
テッドはそんな言葉を零しつつ、モニターを睨み付けた。
シリウスによる地上作戦は南半球を主戦場としていて、主に地下資源争奪戦だ。
中東から欧州を制圧下に置いたシリウスの次の狙い。それはオセアニアだ。
それに対し地球連邦軍は南米基地を中心とする戦力を暫時投入している。
正直、集中投入するべきだと誰もが思うのだが、それをやりきる余力が無い。
そこにつけ込むシリウス軍の活動は、南米と豪州の分断作戦だ。
双方の戦力的連係を遮断し、連邦側の疲弊を待っていた。
「実際、どれくらい持つんですかね?」
やや悲観的な見方をするトニーは、戦闘の批評を求めた。
ただ、テッドだってそれをどうこう言えるほど正確な知識がある訳じゃない。
戦果の見積もりが出来るようになるには、正確で色眼鏡無い視点が必要だ。
「まぁ……掻い摘んでいやぁ……」
テッドの見積もりはこうだ。
まず、シリウス軍は南米の鉱山地帯を占領するのが目標だろう。
正直、オセアニア地域の銅や鉄鉱石は掘り尽くされている。
逆に言えば、シリウス側を兵糧攻めにするには南米の死守が原則だ。
それ故に、ありとあらゆる地上戦力を動員している事だろう。
だが、現実の話として碌な抵抗も出来ぬまま、オセアニア地域は膠着状態だ。
まだまだ少なくない産出量の硝石や鉄鉱石など、鉱山がそっくり奪われた。
連邦軍はこの一連の流れがシリウスの複合的作戦だと気が付いているだろう。
地球側の兵器産業を維持する石油と鉱物の地球上流通を麻痺させる作戦だ。
勝つ必要は無い。ただ、大規模な降下作戦を実行すれば戦力は嫌でも裂かれる。
やや押され気味の連邦軍は、戦力の分断が最も痛いのだ。
それ故の暫時投入という愚作であり、結果的には虻蜂取らずに終わる。
オセアニア地域の鉱山地帯は殆どが制圧され、莫大な数の兵器が鹵獲された。
結果、地上を流通する鉱物資源はシリウス侵攻作戦前と比べ半分以下に落ちた。
そしてその結果、鉄壁を誇った米軍の兵站機能が崩壊し始めていた。
「……じゃぁ、俺達のメンテナンスもやばいッスね」
「だろうな……」
実際、サイボーグは高価精密機器の塊と言って良い。
入念なメンテナンスを必要とし、定期的に部品交換を行わなければならない。
「まぁ、連邦軍だってバカじゃねぇ。一番やばい所はしっかり守るだろうよ」
テッドは腕を組んでそう言った。
実際、連邦軍残存戦力はアメリカ侵攻作戦に備えている。
莫大な生産力だけで無く兵站維持能力を持つアメリカ軍だ。
そこを攻められれば、さすがに地球の旗色も悪くなる。
「けど……シリウス軍ってそこまで親切っすかね?」
トニーも腕を組んで考え込み始めた。
そんな姿をしばらく見ていたテッドは、『どういう意味だ?』と尋ねた。
「そりゃアレッす。ガッチリ守ってる場所をご丁寧に攻めるほどバカじゃねぇって奴ッスよ。だって地球じゃもう一回戦やるくれぇの戦力が残ってる筈ですよね」
そうだ。連邦軍の主力であるアメリカ軍は、単独でシリウス侵攻が出来る筈だ。
予算やら消耗品やらの都合もあるし、それに、利権確保での暗闘もあるはず。
故に米軍は単独行動を慎まざるを得ないし、やったら顰蹙を買う。
だがその戦力で自国を守る分には、誰にも文句は言わせないだろう。
ついでに言えば、文句を言ったら言ったで大変な事になる。
「まぁ、それもそうだけど――
何かを言いかけたテッドだが、その言葉が終わる前に無線が入った。
ラジオ越しに聞こえた声はエディのもので、笑いを噛み殺す風だった。
『501中隊の全士官は大至急海兵隊長官室へ集合しろ。5分以内だ』
その声にテッドはトニーと顔を見合わせた。
正直、碌な予感がしないが、指令は指令だ。
「……なんだと思います?」
「シリウス側の予想外の動きかもな」
トニーの問いにテッドはそう応えた。
そしてそれは、大きくは間違ってないのだった。
「まぁ、海兵隊ですから、どこでも行って戦闘はしますけど……」
奥歯に物の挟まったような物言いのトニー。
その背中をポンと叩いてテッドは言った。
ある意味、一番言われたくない言葉と思われる事を……だ。
「いきなり空挺降下の命令が出ない事を祈っとけ。実戦だと問答無用で地上から撃たれるぞ?」
ハハハと笑いながらテッドは基地の中を歩いた。
その背中を見ながら歩くトニーは、『勘弁してくださいよ兄貴』と零す。
だが、事態は予想を遙かに飛び越えていくのだった……




