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黒い炎  作者: 陸奥守
第十章 国連軍海兵隊 軌道降下強襲歩兵隊
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双子の妹

~承前






「なんかオジサンとか言われると急に歳を喰った気になるな」


 正直、ルーシーとはそれほど面識が有るわけでは無い。

 テッドの姉キャサリンとジャンが育てたエディの分身体。

 そんな程度の認識でしか無いヴァルター。


 だが、当のルーシーにしてみれば、ヴァルターは叔父テッドの盟友・相棒だ。

 父はあくまでジャンだと認識しているが、ハミルトン家のご令嬢でもある。

 多くの人々の思惑……いや、愛情を集めるルーシーは天護の分に恵まれていた。


「でも、私から見たらテッド叔父さんの仲間だから♪」


 明るく朗らかなルーシーの笑顔は、ヴァルターの心に掛かる雲を払った。

 どんなに落ち込んでいても、笑顔はそれを癒やす効果を持つもの。


 明るく振る舞うルーシーのオーラに、ヴァルターも笑みを取り戻した。

 エディが周囲に安心と安定をもたらすように、ルーシーにもそれがあった。


「……仲間だよなぁ。確かに」


 クククと笑ってルーシーをジッと見るヴァルター。

 その姿には何となくエディの面影が見え隠れしている。


 なにより、立ち振る舞いに隙がなく、細かな振る舞いは一瞬息を呑む。

 不意に首を振って何かをジッと見つめる仕草は、まさにエディのそれだ。


「で、実はマーキュリー少佐とテッド叔父さんから様子を見てきてくれって連絡を貰ったんですけど、なんかあったんですか?」


 傍目に見ればそれは少々奇妙な光景だ。

 ルーシーは士官候補生(カデット)なのだから、全てに気を配る必要がある。

 だが、現役少尉のヴァルターと遠慮のない会話をしていた。


 ウェストポイントなら充分に()()の対象な筈。

 ただ、ここにはそれを咎める者などいないのだった。


「いや、実はね……」


 ヴァルターは事のあらましを全て説明した。

 辛抱強く黙って話を聞くルーシーは、コクコクと首肯を繰り返した。


 要するに、ロクサーヌが死んだかもしれない。

 だが、正直死なせたくない。それがヴァルターの本音。

 こうなった原因は自分にあるのだから、責任がある筈。


 深刻な表情で話をするヴァルターだが、ルーシーは途中から笑顔だった。

 ニコニコと笑う彼女は、最後には満面の笑みで言った。


「じゃぁ、要するにヴァルターおじさんの好きな人を喪わないようにしたいって事ですよね?」


 深刻な顔になっていたヴァルターだが、ルーシーの言った言葉に絶句した。

 その絶句から10秒程度の間が開き、小さく『……あぁ』と応えた。


 ヴァルターは全く持ってその感情を理解していなかった。

 そう。そうだ。そうなのだ……と。やっと自分の心を理解した。


 ヴァルターはこの時はじめて、ロクサーヌを愛してる事を知った。

 なにより、愛という感情を理解したのだった。


「そうだ。喪いたくないんだよ」


 素直な言葉でそう返答したヴァルターだが、ルーシーはニコリと笑っていた。


「……まったく。私はエディのサテライトなんだから――」


 ルーシーの言ったサテライトなる言葉にヴァルターは驚いた。


 通常、クローン体から見たコピー元はマスター(主人)と表現される。

 そして、言うまでも無くコピーされた側はスレーヴ(奴隷)だ。


 だが、ルーシーは自分の事をサテライトと表現した。

 直訳すれば『衛星』であり、直接的には人工衛星そのものを指す。

 だた、『本体から離れて存在するもの』の比喩としてもよく使われる言葉だ。


 サテライト・ネイションならば衛星国家となり、付き従うものにも例えられる。

 そして、サテライトの言葉をたどれば、それはラテン語での従者を指す。


 つまり、ルーシーは自分自身をエディのオマケのような存在だと考えている。

 ヴァルターはそんな分析をしているのだった。だが……


「――マスターパーソンは単刀直入に、行ってやって来いって言ってくれれば良いのに……」


 マスターパーソン。つまり、『ご主人様』だ。

 率直に言えば、使い走りで来たのだと言い切ったのだ。


 ただ、そんな事を言うルーシーはニコニコと笑っていた。

 何でそんなに朗らかなのだろうか?と訝しがるほどだ。


「言ったところで、こればかりはどうにもならんのさ」


 そう。これは人の死なのだ。

 奇跡を狙って起こせるとはいえ、死んだ者は蘇らない。

 死なないようには出来るだろうが、生き返らす事など無理な相談なのだった。


「じゃぁ、早速行きましょうよ。ヴァルターおじさんの良い人のところ」


 短く『え?』と漏らしたヴァルター。

 だが、ルーシーはかまわず歩き始めた。


「ダイン社ですか? それともタイレル?」

「いや、この上だけど……」

「案内してください」


 何の迷いも見せる事無くルーシーは歩き始めた。

 向かったのはサイバーダイン社の生命工学研究室だ。


 巨大な建物の中は複数の区画に分けられ様々な研究をしている。

 そんな中にあって、生命工学研究セクションは魂の研究をしていた。


 ――――生命活動を引き起こす根本となるもの


 現代科学をもってしても、命や魂と言ったものの正体を定義出来ていない。

 それは質量を持つ物質なのか。それとも全く異なる量子力学の話か。

 はたまた、まだ未知なる物質がこの世界に存在しているのか。


 人類はダークマターやグラビトンを見つけ、それを研究してきた。

 その過程の中で、人類は相互作用の強弱や電磁力、重力の正体を知った。

 『場』又は『界』と表現される個別の空間が同じ場所に共存する事も知った。


 故に、科学で定義出来ない物も、存在しない訳ではない事を知った。


 この『場』では観測出来ない別の場の物が同じ場所に存在する。

 それを頭から否定してしまうと、大切な事を見落とす。

 これらを知った人類の英知が、この研究所に集められていた。


「すごいっ!」


 目を輝かせてそれを見ているルーシーは、無邪気にはしゃいでいた。

 構造的に完全分解されたロクサーヌの能が培養液の中に浮いていた。

 その隣にはいくつかの培養槽が存在していて、半透明な液体で満たされている。


 その片方には産み月近い胎児のような姿のものが1つ漂っている。

 そしてもう一つには、幼児サイズの大きさでしかない脳が浮いていた。


 言葉にしなくとも解る。

 両方ともロクサーヌであり、ロクサーヌでは無い何かだ。

 レプリカントではない人工生命体。ブーステッドの生成が行なわれていた。


「器は出来たんだ。ただ、そこに注ぎ込む物がな――」


 幾多のスタッフが固唾を飲んで見守る中、そう切り出したヴァルター。

 輪切り状態な脳の浮かぶ小さな培養層に額をつけ、沈痛そうにそう言った。


 惚れた女の額へ自分の額を付けるかのような姿は、見る者を締め付ける。

 それは、どこまでも敬虔で純粋な祈りの情景なのだろう。

 心からの想いを相手に届ける為の、いわば、その発露といえる。


 この場にいた全てのスタッフがヴァルターの内心を思った。

 そして、奇跡の回復を祈った。


「――もうこの中に残って無いんだ」


 脳幹部分をそっくり無くしたロクサーヌの脳は、小脳と大脳とに分離してある。

 生物の根本機能を司る脳幹に対し、小脳や大脳は人格の根本だ。


 大型量子コンピューターは、その小脳や大脳から記憶その物を抜き取れる。

 いや、抜き取ると言う表現は本質的に正しくなく、正確に言えば再現するのだ。


 つまり、超細密MRIなどにより脳の構造を分析し、その通りに再生させる。

 それにより、記憶の再合成を行うと言う、まさに神の領域の技術がここに有る。


 ただ、その分析を行い再合成を施された脳が起動しないのだ。


「うーん」


 ルーシーは胎児状の人間が浮いている培養槽へと歩み寄った。

 分厚い耐衝撃ガラスの向こうに居るロクサーヌになるはずの存在を見た。

 天使の笑みで眠るその姿は、誰だって目を細めるものだろう。


 そっとガラスに手を触れて、ルーシーは何かを考え込んでいた。

 ヴァルターは黙ってそれを眺めているしかない。

 今まさに、奇跡が起きるかも知れないと、そう願っているのだが……


「そうか……うん……そうだよね」


 ルーシーは再びニコリと笑いヴァルターを見た。

 解った!と言わんばかりの表情は、明るく晴れやかだ。


「あのね――」


 ルーシーはそっと切り出しながら、もう一つの培養槽に手を触れた。

 そっちは脳が浮いているだけの、まだ身体の再合成が進んでいないものだ。

 ルーシーはそこにもウンウンと頷きながら笑いかけていた。


「――怖がってるの。ロクサーヌさんが」

「怖がってる?」

「そう。何かに引き裂かれようとしているって」


 ヴァルターを見つめてそう言ったルーシーは、再び培養槽を見た。

 そして、最後にロクサーヌの脳の残骸が漂う培養槽へと歩み寄った。


「あー こっちは完全お留守ね。空き屋みたいなもの」


 アハハと小さく笑って培養槽をポンと叩いた。

 その瞬間、数々のケーブルが繋がっていた脳が、まるで泡のように消えた。


「あっ!」


 悲鳴にも似た声を上げてヴァルターが驚く。

 同時にサイバーダイン社のスタッフ達も慌てて駆け寄って驚いていた。


 培養槽の中にあったロクサーヌの脳はモワモワとした気泡の集まりに変わった。

 そして、それらが水面へと浮かんでいき、文字通り泡に消えた。

 幾多の神経ケーブルだけが水に浮いている状態だった。


「大丈夫! 怖くない。怖くないから。平気」


 慌てるスタッフを余所に、ルーシーは胎児が浮かぶ培養槽に近づく。

 そして、両手を培養槽に触れさせ、目を閉じて静かに語りかけた。

 その声を聞いた胎児がピクッと震えたように見えた。


「こっちの方は…… あぁ、そうか…… うん」


 クルリと振り返ったルーシーはヴァルターを見て満面の笑みを浮かべた。

 まるで幼い女の子が浮かべるような、満面の笑みだった。


「名前をちょうだい」


 ――声が違う!


 ヴァルターは大きく目を見開いて驚いた。

 まだ胎児でしかない培養槽の前で、ルーシーは違う誰かになりきっていた。


「私は誰? ロクサーヌじゃ無いの。誰なの?」


 ――……あっ


 ヴァルターは何となくだがその実態を知った。

 ルーシーはあの胎児の中にある人格を呼び出したのだ。


 本来なら一人しか居ないロクサーヌがここにふたり居る。

 それ故にコンフリクトを起こしているような状態なのだと思った。


「あなたが私に名前を付けて」


 その声音までロクサーヌだとヴァルターは思った。

 何より、聞き覚えのある可愛い声だ……と。

 まだ生身だった頃の彼女が喋っているような、そんな感覚だ。


「そうだな……」


 僅かに思案する素振りを見せたヴァルターは、フッと顔を上げて言った。

 ニコリと笑いながら、自信あふれる笑みで……だ。


「ロクサーヌの双子の妹。ミシュリーヌ」


 ミシュリーヌ……


 小さな声でルーシーは復唱した。

 だが、その復唱の声が研究室の空気に解けていった時だった。


 ――火が入った!


 研究者の誰かが驚きの声を上げた。

 次の瞬間、培養槽の近くにあった幾つものモニターが一斉に反応を示しだした。

 眠っていた胎児からも、まだ脳だけで培養槽に浮いている方も、脳波が出た。


 サイバーダイン社のスタッフは、それを火が入ったと表現した。

 脳しか無かった存在が、命の炎を宿したのだった。







 ――――――――2週間後







「流石すぎて言葉もねぇ」


 ウェイドは呆れた口調でそう言った。

 ルーシーがエディのクローンなのは言うまでも無い。

 だが、その能力はある意味でエディ以上だ。


「やっぱあれじゃねぇかな。女って生き物は特別なんだよ」


 ドッドもそんな事を切り出す。

 そんな言葉を聞きながら、ヴァルターは腕を組んで考え込んでいた。


「……中身の方はどうでも良いけど、でもな」


 ヴァルターが考え込んでいるのには理由があった。

 まだ胎児サイズだったロクサーヌは、この2週間で大きく成長した。

 細胞分裂促進剤と成長促進剤を投与された身体は大きく育っていたのだ。


 ただ、問題は自分の意識を取り戻したロクサーヌだった。

 彼女はミシュリーヌを認識していて、それでいて凄い事を言った。


「彼女の決断だ。それを飲み込むのも男の度量だぜ」

「それに、彼女にとってもそれが一番良いんだろうさ」


 ロクサーヌの結論はこうだ。

 自分は再びガイノイドになる。そもそも自分は一度死んでいるのだから。

 そして、ミシュリーヌは自分の娘だとヴァルターに言った。


 妹じゃ無く、クローンで生まれた娘だ。

 だからヴァルターに大事にして欲しいと、そう願ったのだ。

 自分が女性型戦闘用サイボーグの開発母体になって、一人娘を一人前にすると。


「結果オーライってこういう事さ」


 ウェイドはニヤリと笑ってそう言う。

 ガイノイドとして参加を継続するなら、それは自動的に502大隊へ移動だ。

 つまり、ウェイドに彼女を取られるのがヴァルターは嫌なのだった。


「まぁ、妬いたって始まらねぇさ。男だろ?」


 ドッドに嗾けられ、ヴァルターは僅かに憮然とする。

 だが、それもそうだよな……と飲み込むしか無いのだ。


「……とりあえず彼女は機械の身体で501中隊へ戻る。まぁ、今の中隊なら問題ねぇだろ」


 ウェイドがそう言うと、ヴァルターは不思議そうな顔でウェイドを見た。


「なんで?」

「あれ? 聞いてないのか?」


 ウェイドとドッドは顔を見合わせてから、悪い笑みを浮かべた。

 それは、何とも言いようのない愉悦の発露だった。


「中隊に新人が来てるぜ。5人って言ったかな。みんな生身だ。もっとも、5人ともレプリの身体だけどな」


 ポカンとした表情でふたりを見たヴァルター。

 そんなヴァルターをドッドが小突いて言った。


「彼女の事はこっちで引き継ぐ。ミシュリーヌはまだ24週間掛かるだろう。だからまず火星に戻れ。そんで……」


 ドッドはウェイドに首を向けた。

 続きはお前が言えと言わんばかりだ。


「彼女の受け入れ体勢を整えろ。全部エディの手の上だ」


 エディの掌の上……

 その言葉はヴァルターの心にストンと落ちてピタッと止まった。


 その通りなんだと実感したヴァルターは、僅かに間を置いてからニヤリと笑うのだった。

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