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黒い炎  作者: 陸奥守
第十章 国連軍海兵隊 軌道降下強襲歩兵隊
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リザレクショニング・オペレーション

~承前






 それは、ロクサーヌが地球に来て18ヶ月目の事だった。


「ワタシ、ヲ、ブンリ、シテ、ホシイ」


 唐突にそんな事を言い出したロクサーヌの顔はまるで能面だった。

 表情を失ったと言う事では無く、文字通り作り物然とした顔なのだ。


 全身をネイキッド構造にしてある彼女は、内部構造が丸見えの姿でいる。

 様々な機器を試作しながら設置し、実地で反応を見ていた。

 つまり、脳こそ人間だがその身体は純粋な実験体だった。


 女性型アンドロイド


 つまり、ガイノイドを戦闘用に仕上げる為の機器開発は正直手探りだった。

 民間産業の現場で使われるガイノイドは多く、ノウハウは豊富にある。

 しかし、いま開発中なのは、あくまで戦闘用だ。


 そしてその戦闘用ガイノイドの頭脳は人間……


 数々のストレステストを繰り返され、彼女は幾度も不安定な状態となった。

 生命維持や脳の機能維持機器が突然機能不全に陥った事も何度かある。

 そんな緊急事態の時、素早く処置する為だった。


 故に、彼女はこのような姿でいる事を強要された。

 若い女性という部分の意識がすっぽりと抜け落ち、羞恥心は一切無視された。


 この形状の彼女を、サイバーダイン社のスタッフは自信作だと言い切る。

 全く新しいアーキテクチャーの開発なのだ。やむを得ない部分もある。


 それにそもそも、彼女は閉じ込め症候群という診断だ。

 その治療の一環として脳自体を弄ったのだから、緊急事態は不可抗力だった。

 もはや人間の脳構造とは呼べない形状な彼女の脳は脳殻内に納まらないのだ。


 だが、様々な実験やテストに参加するうち、脳の方が限界を迎えていた。

 ドッドと同じく脳を直接改造したのだが、脳の方が腫瘍化し始めてしまった。

 階層ごとに電子回路神経と直結された彼女の脳が微弱電流に耐えられないのだ。


 そも、長らく娼婦暮らしだった彼女の脳は、始めからボロボロだった。

 快楽増強薬物の後遺症が残る脳は、各所で代謝異常を起こし変質していた。

 結果、機体の情報信号全てを拒絶し、酷い炎症を起こしていたのだ。


 そして、現時点では言語野や運動野の機能が殆ど機能しなくなっている。

 言葉を発するにも先に頭の中で文章を組み立てる必要があった。

 AIがそれを読み取り、言葉にして喋るような状態だ。


「分離って…… 具体的には?」


 宥め賺すように声を掛けたヴァルターは、正直困っていた。

 ロクサーヌに悪い物を見せてしまったと正直後悔しているのだ。


 タイレル社の奥深くにあるラボの中で見たもの。

 それは、僅かな細胞から培養され再生中なキャサリンだった。

 半透明な培養液の中、まだ5歳か6歳程度の姿をした少女が眠っていた。


 それは、絶望的な状況に陥ったロクサーヌにとって、ある意味で希望の光だ。

 自分もああすれば脳自体を再生出来るかも知れないし、人間に戻れるかも……

 都合の良い妄想だったとしても、それを願う自由くらいはある。


「ワタシ、ノ、ノウ、カラ、モウヒトリ、ワタシ、ヲ、ツクッテ、ホシイ」


 全身がゲル化していたキャサリンの脳は、その神経の大半が侵食されていた。

 ゲル自体が脳の代わりに機能し始め、考えるスライムになっていた。

 そんな彼女のごく僅かに残った脳細胞を培養し、彼女自身を作り直したのだ。


 アレをすれば蘇れる……


 ロクサーヌはキャサリンに施されたオペレーションを望んでいた。

 それは彼女の内側にある責任感の裏返しだった。


「ワタシ、モ、ヤク、ニ、タチ、タイ」


 ロクサーヌの指がトントンとこめかみを叩いた。

 赤外を飛ばすというジェスチャーだ。


 ヴァルターは軽く首肯してロクサーヌの目をジッと見た。

 ……僅かながら、彼女がこそばゆい様な顔になったような気がした。


【サイバーダイン社の実験向けと火星やヨーロッパの戦闘に参加するのと、両方やりたいから。でも、このままじゃ無理でしょ。だから】


 赤外でやって来た音声ファイルは、生身の頃の澄んだ声そのままだった。

 彼女が脳内で作った文章をヴァルターのAIが音声ファイルに変換していた。

 こうすればロクサーヌは、ある意味で自由に喋れるのだが……


【中途半端な状態で復帰するより完璧になるのを待つべきだと思うけどな】


 ヴァルターの返した言葉にロクサーヌは首を振って否定を返した。

 彼女は心の何処かでいつも引っかかっている言葉があるのだ。


 ――――俺と一緒に来ないか?


 エディの口説き文句に絆された彼女は、そこで人生の転機だったはずだ。

 だが、このままでは全く役に立てない事を危惧している。

 役に立てない=そのまま棄てられる……と、それを恐れていた。


【シリウス軍は絶好調よ? 私も戦力になりたい】


 地球侵攻作戦中のシリウス軍は、欧州を完全に席巻していた。

 地球側は未だに一枚岩になっておらず、連邦軍と国連軍はいがみ合っている。

 況や要するにそれは、中華連合と欧米各国の主導権争いだった。


【あの状況じゃな……】


 シリウス軍と事実上一体運用されるイスラム系アラブ連合軍が問題だった。

 既に欧州はほぼ全てがシリウス軍の侵攻を受けていて、各所で暫定休戦状態だ。


 21世紀の初頭より着々と欧州に入り込んだイスラム教徒が手引きしていた。

 EU全体で見ても、既に住民の半数以上がイスラム教徒だったのだ。


【どっちサイドから見ても、恨まれて平気な立場の兵士が必要よね】


 とんでも無い事をサラリと言い切ったロクサーヌ。

 ガイノイド状態になっても良いから役に立つのだと、強い意思を示した。


 それこそが彼女の考えるレゾンデートルなのかも知れない。

 しかし、例えそれがその場の強がりだったとしても、中々言える事では無い。


 ――案外に芯の強い女だ


 彼女の評価を改めねば……と、ヴァルターはそう思った。


 娼婦上がりの世の中に流されていく存在。だから守ってやらねばならない。

 そんな評価だったヴァルターは、女だって強いじゃ無いかと思ったのだ。


 何より、エディ率いる501中隊の中でも確固たるポジションを得られる筈。

 白黒はっきりしていて、尚且つ強い信念に突き動かされる存在。

 エディ好みの要素が全部揃っているのだ。


【で、分離って言っても、どうするんだ?】


 僅かに興味を持った様子のヴァルター。

 感情の薄くなっているロクサーヌだが、ヴァルターの態度の変化は気が付いた。

 そして、すっかり薄くなった感情に波が沸き起こるのを実感した。


 まだ自分は人間だ……


 ロクサーヌの心の底に、そんな思いが沸き起こった。

 その裏にある、ヴァルターへの特別な感情をも感じていた。


【現状の私はこのまま開発母体になればいいし、分離した方はマーキュリー少佐の下で戦力になれるように】


 動かないはずの顔がニヤリと動いたような気がした。

 僅かに驚いたヴァルターは、あり得ない事に心臓の高鳴りを覚えた。


【ちょっとドキッとしたよ】


 ニコリと笑ったヴァルターの表情は、ロクサーヌの胸の内を温めた。

 フレームの奥にあるバッテリーでは無く、心の内側という意味だ。


【狭心症じゃ無い?】


 恥ずかしさと嬉しさがない交ぜになった感情でロクサーヌはそう言った。

 長く娼婦だった彼女は、会話にシレッと毒を混ぜる事を忘れなかった。

 ただ。


【そうだな。病院にでも行った方が良さそうだ】


 爽やかな笑みでそう言い換えしたヴァルター。

 ロクサーヌはぷいっとそっぽを向いてから、もう一度前を向いて言った。


【そうね】


 心の中でウフフと笑ったロクサーヌ。

 だが、その顔の表情は微動だにしていなかった。


【私だって美味しいもの食べたいし、柔らかいベッドで寝たいし、でも、このままじゃ出来そうにないから】


 ロクサーヌが悔しがるのには理由がある。

 女性型の機体に収まる小型リアクターが無いのだ。

 その為、サイバーダイン社はそこから開発しなければならない。


 そもそも、サイボーグ向けの有機転換リアクターとて嵩張る代物だ。

 有機作動型の有機転換リアクターは、一種の燃料電池と言える代物だ。

 遠い昔、SF映画に出てきたタイムマシーンは生ゴミを燃料にしていた。


 その燃料電池こそが、有機転換リアクターだった。

 だが、アンドロイドは更に大出力大容量の反応炉を求められる。

 有機転換式と違い、反応炉は最初の燃料を入れたら途中補給が出来ないから。


 アンドロイドの自爆テロ対策として定められた規制の中のひとつ。

 生身がアンドロイドのフリをした場合、それを見破る実験的措置の為だ。

 それを見破るのは1週間飲まず喰わずにしてしまう措置が手っ取り早い。


【たしかに飯時の楽しみがないのは辛いよな】


 ヴァルターだって率直にそう漏らした。兵糧攻めほどきつい物は無いのだ。

 やがて画期的小型軽量かつ大容量の閉鎖型反応炉が完成するだろう。

 それまでは固形ブドウ糖で脳が生かされ、機体電源が外部から取り込んでいる。


 つまり、コンセントケーブルの届く範囲が彼女の生活圏。

 人間的な楽しみは一切なく、寝るときは専用のメンテナンスベッドだ。

 精神的にタフな筈の彼女も、これには些か参っていた。


 ただ、本当に参っているのは孤独さだろうとヴァルターは思った。

 彼女はサイバーダイン社の中で事実上の実験動物だった。


 羞恥心や嫌悪感と言ったものの全てを無視して実験は続いた。

 そこに人間性の限界をヴァルターは見ていた。


 数日ぶりに顔を合わせた時、いきなり抱きつかれた事もあった。

 いきなり抱きつかれ、ロクサーヌは震え続けたのだ。


 ――もう少し手加減しろ!


 サイバーダイン社のラボの中でヴァルターは何度もブチ切れた。

 だが、目に見える改善は一度としてなかった。


 ヴァルターも幾つかの実験に参加したが、正気を疑うものばかりだった。

 中身はまだ若い女なんだと、その視点が抜け落ちているのだ。


【けど、分離しても変わらなくね?】

【なんで?】


 表情は変わらずとも、ロクサーヌが心底不思議そうにしているのは解った。

 そんな機微ですらも判断が付くようになったヴァルター。

 ジッと見つけるとロクサーヌの法が恥ずかしげに顔を背けた。


【だって、分離しても辛い実験は続くだろ?】


 それはヴァルターの心からの言葉だ。

 大切にされているという実感は、こんな時にこそ湧くのだろう。


 ロクサーヌはジッとヴァルターを見た。

 その表情が幸せそうだとヴァルターは思った。


【だから、続かない方の記憶を共有するようにしたい】

【あ、そっか……】


 何となくハッとしたような表情でロクサーヌを見るヴァルター。

 彼女の方がよほどアチコチに気を巡らせていると驚く。


 そして、自分の努力の足りなさを嘆くのだが……


【とりあえずサイバーダインのスタッフと相談しよう】

【うん。そうだね】


 ロクサーヌの様子が少し嬉しそうだとヴァルターは感じた。

 言葉はAIの自動再生だが、彼女が喜んでいると直感したのだ。


 仕草や態度の僅かな差で、そこに感情の波を感じている。

 それは、心が通じ合っている証でもあるのだが……


【願いが叶うと良いな】

【叶って欲しい】

【あとは記憶の整合性だけど、それはどうなんだろうなぁ】


 何より難しい問題がそこに残っている。

 量子コンピューターの演算で人間の細胞再生まではコントロール出来る。

 しかし、記憶の再合成は成功例が2件しか無いと言われているのだ。


 ――良い手は無いもんか……


 ヴァルターはアレコレと思案を重ねる。

 だが、その後になって事態は悪い方向へ動く。


 ロクサーヌの願いはサイバーダイン社の中でトントン拍子に話が進んだ。

 タイレル社の中で行われたキャサリンへの処置に対抗したかったのだろう。

 絶好の実験台が目の前にいるのだ。エンジニアとしては楽しいのかも知れない。


 定期的な脳殻部のメンテ処置最中に、神経結節の中から核が採取された。

 その核をベースとして培養が始まった時、それは起きた。


 ――――ヴァルター少尉

 ――――最悪のケースを想定していて下さい


 サイバーダイン社のスタッフは、沈痛な面持ちでそう告げた。

 定期メンテの最中にロクサーヌの意識が完全に切れたのだ。


 全てのエンジニアが同時に同じ事を思った。

 ロクサーヌの魂が天に召された……と。

 ただ、再起動する可能性が無い訳では無い。


 しかし、再起動したからと言って、それがロクサーヌである保証は無い。

 単にAIだけが走っている可能性は高いのだ。


「どうにかなんねぇかなぁ……」


 サイバーダイン社の奥深くで頭を抱えたヴァルター。

 沈痛な面持ちで思い悩む姿は、誰も声を掛けられない状態だった。

 だが、そこに意外な人物が現れたのだ。


「何を悩んでるんですか? ヴァルターおじさん」


 ――おじさん?


 怪訝な顔で頭を上げたヴァルター。

 そんな彼の前には、士官学校の制服を着た女性が立っていた。

 一瞬だけ頭が真っ白になったが『ルーシー!』と声を出しヴァルターは驚く。


「なんか大変だって聞いたから様子を見に来たんですけど……」


 狙って奇蹟を起こせる存在。

 エディの分身でもあるルーシー・ハミルトンがそこに立っていた。

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