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黒い炎  作者: 陸奥守
第十章 国連軍海兵隊 軌道降下強襲歩兵隊
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ヴァルターも地球へ

~承前






 静まりかえったアグネスの艦内にヴァルターとエディが居た。

 ふたりの目の前にはサイボーグ向けのメンテナンスベッドがある。


 その上で、眠れる森の美女になっているロクサーヌ。

 彼女だけがシミュレーター訓練から帰ってきていなかった。


「……このようなケースは初めてだそうだが」


 悄然とした様子でそう切り出したエディは、横目でヴァルターを見た。

 下唇を噛み、まんじりともせず彼女を見つめている様子は、どうにも痛々しい。


「やはり、脳が死を疑似認識している……と?」


 ロクサーヌを診察したアリシアは、そう診断結果を出した。

 シミュレターの中で自分は死んだと強く認識した結果だという。


「自分が死んだと思ったら……どうやら人間は死ぬものらしいな」


 溜息とセットでそう吐き出したエディは、腕を組んでロクサーヌを見ていた。

 外部からの問いかけに対し、脳自体が完全に反応しなくなっていた。


「……そういえば、サンドハーストで習いましたね。手首を切る拷問って奴を」

「あぁ…… 血の代わりに水を流す奴か」

「……えぇ」


 椅子に座った捕虜を後ろ手に縛り、手首に傷を入れる。

 実際にその傷は浅い物だが、その手にぬるま湯をゆっくりと掛けてやる。

 そして、その捕虜の耳元で囁くのだ


 ――――お前の手首を切った

 ――――15分で血が全部抜けてお前は死ぬ


 実際に血が出ているわけでは無く、手首を伝うのはただのぬるま湯に過ぎない。

 だが、それを目で見られない捕虜は緊張の余り、真実だと思い込む。

 その結果、捕虜は15分を待たずして目眩や吐き気を催し混乱するのだ。


 やがて、迫り来る死の恐怖からの緊張により寒気を覚え、より混乱を来す。

 そんな時、血塗れのタオルでも見せてやれば、捕虜はショック死する事がある。


 実際に何の傷も無いのだが、脳が死ぬと強く認識した結果、本当に死ぬのだ。


「……どうしたら良いんでしょうか」

「これは……正直言えば私も解らん」


 腕を組んで考え込む様子のエディは、ロクサーヌの処遇に窮していた。

 とにかく本人が目を覚まさない限りは、どうしようも無い問題だった。


 ――あ……


 一瞬だけ全ての思考が止まったとき、エディの意識の底に何かが現れた。

 そしてそれは、ロクサーヌ救済の手順を全て明確にナビゲートしてくれた。


 ――キャサリン……


 そう。この太陽系の中にいるキャサリンも、脳に深刻なダメージがある。

 彼女を救うために、タイレル社のスタッフ達が動いていた。


「どうしました?」


 僅かな間に思考の澱みへと沈んだエディ。

 ヴァルターはそんな上官に声を掛けた。


「あぁ、すまん。いや――」


 そっぽを向いて一気に思考を巡らせたエディ。

 ヴァルターは黙って言葉の続きを待った。


「――ヴァルター。今すぐテッドをここへ連れてきてくれ」

「……テッドですか?」

「あぁ。テッドの姉、キャサリンのケースが役に立つかも知れない」

「はぁ……」


 気の抜けた声で返事をしたヴァルターは、そのままメディックデッキを出た。

 無線で呼び出せば良いじゃ無いかとも思ったのだが……


 ――あ、そうか……


 無線で呼べば重要な情報が全員に筒抜けになる。

 それを嫌がったエディによる差配だ。きっと意味がある筈。


 ただ、そう気が付いても釈然としない部分だってある。

 そしてそれは、メディックデッキにテッドが来てからも続いていた。


「テッド。単刀直入に聞くが――」


 その様子が余りに迫真だと思ったテッドは、心のギアを一段上げた。

 いきなりヴァルターが『ちょっと来てくれ』と言ったとき、覚悟はしていた。

 尋常ならぬ事態が発生していると思ったものの、その相手がエディだった。


「――キャサリンは本物だと思うか?」


 一瞬、テッドの思考全てがフリーズした。

 およそ5秒ほどの間を開け『は?』と聞き返したテッド。

 エディは畳み掛けるように言った。


「あの時、グリーゼで見たお前の姉キャサリンは、本物だと思うか?」


 この時点でテッドはなにかこう上手く表現出来なかった違和感の正体を知った。

 あのキャサリンには何か秘密があって、エディもそれに気が付いたのだ。


 だが、なんでここで言うのか。このロクサーヌが寝転がっている部屋でだ。

 そこがどうしても腑に落ちないテッドは、猛烈な速度で思考を積み重ねた。

 そして……


 ――もしかして……


 エディも違和感を持っていたのでは無く、エディは知っていた。

 キャサリンが次のビギンズを身籠もって出産したのには理由がある。

 それの正体、いや、核心部分をテッドにすら黙っていた。


 積み重ねられる思考が層を厚くするほど、テッドの表情は険しくなった。


「……正直言えば、全く別人だと思いました」


 テッドの言葉にエディの表情が僅かながら変化した。


「上手く言えませんが、姉貴の姿はしているけど、中身が別物というか……解離性人格障害を患った姉貴ですけど、芯の部分は一緒だったんですよ。けど、あそこに居た姉貴は……多分ですけど……いや、まさかとは思いますが『クローンだ』


 言いよどむテッドを前にエディは核心をスパッと言い放った。

 そしてなおもテッドの様子を観察しつつ、言葉を続けた。


「あのキャサリンは生体ドローンとして作られたクローンだ。私もサンドラから聞いただけの話だが……」


 エディは初めてそこでサンドラに聞いた話を開陳した。

 キャサリンの脳は既に大部分があのゲルに侵食されていたこと。

 そして、どうやってもゲルを機能停止に出来なかったこと。


 結果、キャサリンは再生した脳の部分からクローンを作り出す事になった。

 そして、その作業が終わるまでは、生体ドローンに記憶を紡がせた。

 やがていつか、両者を統合する時がやってくるはず。


 その時の為に、キャサリンが分離させられたのだ……と。


「……エディ。それとロクサーヌとどう関係があるんですか?」


 ヴァルターは怪訝な声でそう尋ねた。

 あまりにも話が繋がらないと思ったからだ。


 キャサリンの話ならテッドを呼び出してすれば良いじゃ無いか……と。

 今ここでは、意識の戻らないロクサーヌが問題であって……


「誰だって惚れた女の為ならスーパーマンになろうとする物だが――」


 ニヤリと笑ったエディがヴァルターの肩をポンと叩いた。


「――彼女に同じ事をしようという意味だ」

「え?」


 テッドとヴァルターは顔を見合わせ、ポカンとした表情になった。

 エディが突然何を言い出すのかと思ったのだが……


「実は、アリシアから相談をもらっていてな。と言うのも、将来的に女性型戦闘用サイボーグの需要が出るかも知れないから、彼女で実験したいと。ただ、これもちょっと微妙な問題を孕んでいてな」


 腕を組み再び考え込む素振りのエディ。

 ふたりは黙って言葉を待った。


「要するに、今の彼女は民生型と戦闘用のハイブリッドで、しかもその機構の多くが男性型を無理矢理女性型に押し込めている。アリシアが言うには、最初から、それこそゼロベースで女性型戦闘用サイボーグを作りたいと。いや、作った方が結果的に早いんじゃ無いか?と提案している」


 それは技術屋の本能と言うべき部分だろう。

 シェル整備を受けもつ下士官達が楽しそうに整備をしているのと一緒だ。

 もちろんテッドだって、機械を弄り始めると時間を忘れる部分がある。


 それと全く同じ事をアリシアが提案しているのだろう。

 全ての女性型戦闘用サイボーグのテストベッドにしようと……


「それで、ロクサーヌの意識は戻るんですか?」

「いや? それは関係無い」

「は?」


 ヴァルターの言葉を秒で否定したエディ。

 その続きの言葉は誰もが驚く物だった。


「まず、彼女のクローンを作る。その上で、クローンの脳に記憶を転写する。片方は女性型サイボーグのベースにし、もう片方は目覚めるのを、ただひたすら待つ」


 解るか?と首を傾げながら言うエディ。

 ヴァルターはポカンとしたまま、表情を強張らせた。


「じゃっ! じゃぁこのオリジナルは!」

「記憶転写のベースになる以上、恐らくはドロドロに溶けてしまうだろうな」


 解けきって再合成した存在が本人かどうかなど、誰にも解らない。

 命や魂と言った物は23世紀の現在でも科学的にキチンと定義出来ない。


 そしてそれ以上に問題なのは、人格と言う厄介な存在だ。

 人として人足りえるだけの何か。人類は人格をそう定義した。それが限界だ。

 HDDなど記録デバイスの無いコンピューターは電源が入っても意味がない。


 故に人類は、逆説的ながらも1つの仮説に辿り着いていた。

 つまり、記憶こそが人格の根本であるとしたのだ。

 その積層化された記憶の積み重ねを判断材料とし、選択していく存在。

 それこそが人格だった。


「……アリシアはこう言ってる。ごく単純な話として、出力的に同等ならば女性型の小型軽量デザインの方が戦闘上では有利だと。そして、機体が軽くなるなら使い勝手も良くなるはずだ」


 ……だからなんだ?と、不機嫌そうな顔でヴァルターはエディを見ていた。

 だが、そんなヴァルターを他所に、テッドは気が付いていた。


 エディの目論見の本質。それはつまり、シリウスに残してきた女たちだ。

 将来的に必要になるかも知れないのだから、今のウチに開発の先鞭を付けたい。

 きっとそんな思惑があるのだろうと読んでいた。


「……具体的に、どうするんですか?」


 ヴァルターがそれを問うたとき、メディックデッキのドアが開いた。

 そのドアの向こうに居たのは、ウェイドとドッドだった。


「お、お二人さんも揃ってるな」

「で、話は聞いたか?」


 ウェイドとドッドは息のあったコンビネーションで畳み掛けてきた。

 既に話は付いていたのかとテッドは思うのだが、ヴァルターは穏やかじゃない。


 ただ、実際にはどうする事も出来ないのも良く分かっている。

 実際の話として、サイボーグ部隊は実験部隊なのだから。


「……まず、ウェイドとドッドは地球に行く事になるんだが、ヴァルターも同行してくれ。書類上は502大隊へ出向してもらう」


 ヴァルターは言葉を失って頷くばかりだ。

 少々唐突過ぎる気もするが、こればかりは仕方がない。


「サイバーダイン社で全く新しい機体の新規開発を行なう予定になっている。なんせ我々は金食い虫だからな。ここでは将来に向けて機体のコストダウンや使い勝手の良さに重点を置いた新規開発が行われる事になっている」


 エディの微妙なジョークに全員が失笑した。

 自分自身では余り実感が湧かないものだが、それでも金が掛かるのだろう。


「それにロクサーヌと同行し、彼女に新しい身体をプレゼントしてやってくれ。もちろん、彼女の脳が目を覚ましたなら因果を含めてヴァルターが説明しろ。目覚めなければ……と言うか、彼女の脳から魂が抜け切っていたなら、それで再生させれば良い」


 余りにも無茶苦茶な話だが、ヴァルターは頷くしか出来なかった。

 なぜなら、数日前のブリーフィングで火星問題が取り上げられていたからだ。


 地球は既に火星を追い越していて、再び火星に追いつくのは約半年後だ。

 火星の公転軌道は地球より外側にあるのだから、火星は追い越される運命。

 つまり、火星はシリウスにとって前線基地に最適で、その撃滅が任務だった。


 現状においては火星から地球へ向かう方が行程的に有利。

 ならばここで積極的に地球へ色々と送り込もう。

 そう考えるのが自然なのだった。


「ざっくり2年後にここへ帰って来るつもりでやれば良い。まぁ、その前に目鼻がつけば、どんどん戻ってきてくれた方がありがたいがな」


 ハハハと明るく笑ったエディは、チラリとロクサーヌを見た。

 電源の入っている機体は脳殻へ酸素を供給し続けている。

 だが、肝心のパイロットが眠りこけているのだ。


「……恐らくだが、彼女は重要なキーパーソンになる。これは私の勘だが、きっと将来的に重要なポジションを任される人材になるだろう。つまり、私の手の中に入ってきたカードなのだから失いたくない」


 じろりとヴァルターを見たエディは薄く笑ったまま言った。


「任務は重要だぞヴァルター。彼女を再生させ、一人前にしなきゃならない。その為にはお前の助けが必要だ。解るな?」


 エディの迫力に気圧されるようにヴァルターは頷いた。

 そんなヴァルターの背中をポンと叩きテッドは言った。


「なぁ、ついでに頼みがあるんだ」

「……頼み?」


 ニコリと笑ったテッドは『あぁ』と応えてエディを見た。

 その中身を察したらしいエディもニヤリと笑うのだが……


「俺の姉貴の娘がいるんだよ。アメリカに」

「あーそうだったな」


 ルーシーが地上で孤独な努力を続けているはずだ。

 テッドから聞いていたヴァルターはそれを思い出していた。


「俺とジャンでプレゼントを用意するから、渡して欲しい」

「オーケー。そうするよ」


 それがテッドの気遣いだとヴァルターは解っていた。

 ロクサーヌの為にと思うヴァルターは、自分の恋心にまだ気付いていなかった。

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