ロクサーヌの試練<後編>
今日2話目
~承前
「見えたな!」
上空から見下ろしたそれは、見事な中州構造だった。
大河を割る中州の上流には巨石があり、その上には欧州の様な古城がある。
高度5000を越える所から降下を始めたテッドは内心で唸っていた。
――いつだったか見た世界だ……
これがシミュレーター上に作られた仮想世界である事は間違いない。
だが、青い空も流れる雲も降り注ぐ青い光も、恐ろしいほどにリアルだ。
そして、風を切って地上へと落ちて行く面々は思う。
このシミュレーター上で痛い目に合うと、本気で痛いだろうな……と。
俗に『脳が痛がる』と言うが、痛みの信号を受ける脳が心配だ。
シミュレーターとはいえ、強い衝撃は御法度な筈……
「すげぇ……」
不意にディージョがそう漏らした。
それに続きジャンとオーリスが呟く。
「ウジャウジャ居るぜ」
「ぶっちゃけ、気持ち悪ぃ」
その中洲には城と同じく古風な街並みが見える。
エディの言った箱庭の世界なのだろう。
だが、その地上は平和にはほど遠かった。
「……流血の惨事らしいな」
「あぁ、なんか酷いね」
ヴァルターの言にウッディがそう応える。
中洲の中央付近には夥しい流血の痕跡が有り、妙な死体が転がっていた。
一言でいえば、巨大な鈍器で殴られた様な状態だ。
「……アレじゃねっすか?」
何かに気が付いたらしいロニーが視界の中にスーパーインポーズを出す。
そこに映し出されたのは、まるでキングコングの様な巨躯の生き物だ。
「巨大なサルって感じか?」
テッドがそう漏らしたのもやむを得ない。
幾多の巨大なサルが街の中を突進している状態だ。
「……とりあえずですけど、どれが的ですか?」
ロクサーヌが最後に質問めいた事を言う。
それに応えたのはエディだった。
「そうだな。まずはあそこをなんとかしよう」
エディが全員の視界に矢印を表示させた。
それが指しているのは、城から延びる通りの反対側だ。
恐らくは学校か何かなのだろうが、そこを取り囲むように騎兵隊が居た。
学校の尖塔や建物に向かい、矢を放っていた。
学校の側は投石と火炎瓶で抵抗しているが、弓矢の方が強力だ。
「……学生闘争?」
オーリスは呆れるようにそう言った。そしてそれは、おおむね正解のようだ。
大学生は子供の責任で大人と同じ事が出来ると言うが、どう見ても学生闘争だ。
学校を取り囲む騎兵隊は弓矢を使って狙い撃ちにしているようだが……
「まずはあそこに介入しよう。空中から降下し、最初に着上陸する拠点を作る。彼らはまだこちらに気が付いてないようだな――」
エディの明快な説明が続くなか、高度は1000を切った。
テッドは銃のボルトを引いて初弾をチャンバーに叩き込んだ。
12.7ミリの巨大な銃弾が射撃体勢になり、テッドはセーフティを掛けた。
「――好都合なので一気に降下し、制圧射撃の上で着地する。その後、全員が背中を見せ合う形で円陣を組み、全方向へ射撃を行う。自分の頭で考え行動しろ。最善の結果を得られるように努力するんだ」
大きな声で『イエッサー』を返し、同時にメインパラを開いた。
地上まで残り400メートル程の距離で、射撃には程よかった。
「射撃開始!」
マイクがそう叫ぶ。テッドはそれとほぼ同時に引き金を引いた。
ロクサーヌを含めた全員が空中から雨霰のように銃撃を加える。
だが、この時テッドは気が付いていた。射撃の順番だ。
「弓だ! 弓を構えてる奴を先に殺らなきゃ駄目だ!」
テッドがそれを言う前にヴァルターがそう叫んだ。
良いとこ持って行きやがって!と思うものの、テッドは弓兵に銃弾を叩き込む。
地上の各所で一斉に血煙があがり、バタバタと斃れ始めた。そんな時だった。
「え? 何あれ?」
ロクサーヌが素っ頓狂な声を上げた。
地上に居たのは、何時だったか経験したあの獣人だった。
まるで犬の顔のような造形と頭を持つエイリアンだ。
ロクサーヌが驚くのも無理は無いが、それ以上にテッドは唸っていた。
腹の底で呟いたのは『エイリアンと同じだ……』だった。
ヴァルター達がシミュレーター上の造形だと説明している。
だが、テッドはその説明の裏側にあるものに気が付いた。
――これ、もしかしたら……
――将来の布石だ……
そう。これは何時かやってくる星間戦争への布石だ。
あのエイリアン達とガチでやり合うときの為に造られた幻影だ。
咄嗟の判断で地球人とエイリアンとを見間違わないようにする為の物。
言い換えるなら、容赦無くエイリアンだけをぶち殺す為の練習相手。
そして、その実は単なる罪悪感の消滅だった。だが……
「なんで犬を撃ってるのよ!!」
ロクサーヌは抗議染みた声で叫んでいた。
充分射撃圏内に入っているが、射撃をやめていた。
「面倒考える前にぶち殺しちまえ! でねぇと着地出来ねぇ!」
テッドは少々手荒な声でロクサーヌを殴りつけた。
彼女は犬を撃つのに難色を示したのだ。
酷い話だが、人なら容赦無く撃てても犬を撃てない場合がある。
愛犬家だったり、或いは動物愛護だったりするものだ。
「でも!」
「犬かも知れねぇが敵だぜ!」
ヴァルターも同じように声を荒げ、容赦無くヘッドショットを決めていた。
巨大な12.7ミリの弾頭を受ければ、ヘルメットごと貫通しうる威力だ。
「まずは地上に安全に降りろ。話はそれからだ」
まだ何か言いたそうなロクサーヌ相手にエディがそう言った。
その時点でテッドはエディが狙ってそれをやったと気が付いた。
つまり、ロクサーヌ向けのショック療法だ。
そしてそれは、彼女にとってきついシーンも含んでいた。
いかなる理由があろうと、まずは自分自身を護る事を教える為だ。
「けど……」
小さな声でそう呟いたロクサーヌ。
しかし、彼女の目は地上にいた犬の姿を捉えていた。
巨大な弓を構え、自分自身を狙っていた。
ギリギリと音が聞こえるような迫力で弓が引き絞られている。
その矢尻の鋭さは、身体を貫通しかねない……
彼女は『もう!』と呟き意を決した。鈍い銃声が響き、銃弾が放たれた。
その銃弾は弓を構えた犬の眉間を貫き、ドサリと音を立てて崩れた。
「着地するぞ!」
アレックスの声で我に返ったロクサーヌは、引き紐を絞って着陸した。
訓練通りに素早くパラシュートをたたみ、ヴァルターに背中を預けた。
「俺も混ぜてくれ」「おいらもッス!」「こっちもだ」
テッドとロニー。そしてディージョが素早く接近してそれぞれに背を預けた。
エディの側にはジャンやウッディがいて、その輪同士が接近し連結した。
「これが円環射撃陣形だ。覚えておけ。総力斉射! 掃討しろ!」
エディの声を受け、全員が目の前の敵を掃討することに集中した。
学校と思しき場所を前に陣取る騎兵たちのど真ん中に降りたのだ。
四方八方全てが敵だった。
「時計回り!」
マイクが回転を指示し、全員がサササと回転運動を始めた。
そんな状態でも全員が総力で射撃を続けていて、マガジンが続々と空になった。
「周辺は掃討した! 二列横隊! 前進射撃!」
エディの指示を聞くとエディの横にマイクとテッドが付き、二列に別れた。
その状態でエディは前進しながら射撃し、後列は後退しつつ射撃した。
リーダーの指示を聞き、それに合わせて統制の取れた射撃を行う。
前進。後退。射撃。撃ち方止め。停止。それぞれの指示を聞き逃さず実行する。
これを徹底的に叩き込み、考える前に実行出来るようになる。
統制の取れた戦闘の肝はここに有るのだった。
「メジャー! バリだ!」
オーリスは遠くを指さし叫んだ。
学校を囲んでいた騎兵隊の築いたバリケードが見えた。
そこまで前進したチームに対し、『後退する!』とエディは指示する。
すると今度は2列目中央のアレックスが前進し始めた。
隊列の進行方向がパッと入れ代わったのだ。
「死体に注意しろ。重傷者はトドメを必ず入れろ」
こんなとき、アレックスはとにかく冷徹に振る舞う。
死体は反撃してこないのだから、安全確保にはこれに勝る手など無い。
――まぁなぁ……
――けど、やり方グロいぜ……
内心でそう漏らしたテッドだが、後列に居たロクサーヌは苦痛の様だ。
先ほどから射撃音が聞こえなくなっていて、奥歯を噛んでいた。
精神的に荒みかねない事なのだろう。
ただ、殺らねば殺られる環境だ。死にたくなければ……だ。
恐らく彼女もそれを理解しているはずだし、隣のヴァルターが教えて……
「あっ!」
そのヴァルターが緊迫した声で叫んだ。
前列から後列になったテッドは、戦闘中にも関わらず振り返った。
本来あってはならない事だが、それをせざるを得なかった。
「やべぇ!」
僅かな隙間から銃口を突き出し、テッドも射撃を行った。
死にきっていなかった犬が弓を構えていたのだ。
その弓はブンと放たれ、ロクサーヌの左肩に突き刺さった。
「うっ!」
鈍く呻いたロクサーヌが片膝を付く。
だが、サイボーグなのだから一滴足りたりとも血はこぼれない。
「ロクサーヌ! まず敵を排除しろ! サイボーグは死なない!」
「イッ! イエッサー!」
テッドも射撃を行っていたが、やはり前列に居るロクサーヌの方が視界が広い。
左右へガンガンと射撃を加えながら、一行は前進していった。
「撃ち方止め!」
アレックスが指示したとき、彼らの前方には騎兵ならぬ者達が居た。
犬の姿をしてはいるが、武装していない住民達だった。
そして、その向こうには先ほど見た巨大なサルのバケモノが居る。
バケモノ達は遠くの方で何かと戦っているらしい。
それに射撃を加えるか……と思ったテッドだが、事態は斜め上に進んだ。
――え?
素っ頓狂な声を上げてオーリスが驚いた瞬間、全員の頭上に石礫が降り注いだ。
拳ほどの大きさもある石の塊が勢いよく頭上から降り出したのだ。
その住民達は血相を変えたように石を投げ始めた。
何を言っているのかは解らないが、間違い無く良い言葉じゃ無い。
だが、問題はそこでは無く、その石礫の威力だ。
「いでっ!」「ぐっ!」「いてぇっす!」「あいたっ!」
アチコチからうめき声が漏れ始め、全員が装甲服の有用性を認識した。
そして、戦闘服の無意味さと同時に、純粋な殺意と敵意の恐ろしさを知った。
「撃っていいっすか!」
上ずった声でロニーが叫んだ。
それに対し、マイクは怒鳴り声で即答した。
戦場における一大原則。生き残る為に最も重要なことだ。
「敵だと思ったらまず撃て!」
間髪入れずヴァルターとウッディが撃ち始め、それにテッドとロニーが続く。
すぐにチーム全員が総力射撃を行う状態となり、バタバタと犬が斃れていた。
「安全確保! 勝手に死ぬなよ!」
エディがそう叫んだ直後、投石の密度が一段上がった。
身体に当たる石の威力に顔を顰めたテッドは、容赦無くフルオートで撃った。
12.7ミリの威力は本当に凄まじく、一般住民と思しき者達がバタバタ死ぬ。
だが、それでも彼らは石を拾いながら前進してきた。
それはまるで、怒れる意志の津波だった。
「連中! なんて叫んでるんすか!」
「要するに消えろって叫んでるんだろうよ!」
ロニーの問いにリーナーがそう回答し、そんな状態でも石が飛んできていた。
ややあってその石にどう見ても岩レベルの物が混じり始める。
――バカな……
唖然としたテッドが見た物は、犬達の向こうに居るバケモノ達だ。
何かと戦っていたはずのバケモノ全てがこっちを見ていた。
そして、そのバケモノは大人2人分サイズの岩を投げていた。
――ジャイアントかよ!
腹の底で悪態をつくも、それで事態が改善するわけじゃ無い。
とにかく撃つしかない!と、フルオートにしながらバリバリ撃ち続ける。
「ロクサーヌ! 左腕は動くか!」
「大丈夫!」
ヴァルターの問いにロクサーヌがそう答えた。
肩に刺さった矢を抜き、構造チェックをした後で銃を構えた。
「良くもやってくれたわね!」
ロクサーヌも射撃に加わり、チーム全体の火力で圧し始める。
犬の側の死体が積み重なり始めた時、テッドはハッと気が付く。
――グレネード!
飛び交う礫や岩の合間を縫い、テッドはグレネードを投げ込んだ。
密集する犬達の足下に転がったグレネードは、数秒後に大爆発した。
殺傷力を増す為に造られた破片手榴弾の威力は凄まじく、投石が一瞬止まった。
「これ良いな!」
テッドに習いディージョとウッディがグレネードを投げた。
犬達が密集するところに投げ込まれたそれは、夥しい数の破片をバラ撒いた。
「あんま気前良くやると後で困るぜ!」
ヴァルターもそんな事を言いつつ、やはりグレネードを投げる。
全員が4発ずつ持ってきたグレネードを2発ずつ使い圧倒する。
ただ石を投げ返されたと思っていたらしい犬の動きが止まった。
「押し返すぞ!」
ジャンが蛮勇に逸った。それじゃ拙いとテッドは思う。
だが、前進することが訓練なのだから、それをするのが正解だ。
「オラオラオラ! くたばりやがれ!」
ロニーの言葉が酷い。だが純粋な殺意に対抗するにはこれしか無い。
チームの隊列は徐々に前進し、ややあってイヌの死体を踏むところまで来た。
「前進しますか!」
隊列の中央に居たテッドがエディに確認する。
エディは笑いながら首肯し、『あの城の麓までな』と指示した。
「いくぞ!」
テッドが右手を振り込み、全員に先進を指示した。
その動きはまるでドッドのようだとエディは思うのだが、そこは黙っておいた。
目を細め眺めているエディの胸に去来するのは、成長しているという満足感だ。
だが、そんなところに地響きがやって来た。
あのジャイアントが再び岩を無げ始めたのだ。
「コイツを喰らったらサイボーグでもおシャカだぜ!」
妙な声で喚いたヴァルターは、遠目に見えるジャイアントに射撃を加える。
射線距離200メートルに満たないのだから、12.7ミリは強力過ぎた。
「貫通しちまうな!」
「死にきるまで殺せば良いさ!」
テッドのボヤキにヴァルターが叫び返す。
そんな2人を見ていたウッディは、つくづくと戦い慣れていると思った。
しかし、それをウッディが思うと言うことは、緊張感が緩み始めた証だ。
事実、前線の2人もどこか動きがぞんざいになり始めた。
敵を圧し始めたときが一番危ないと言う教訓を忘れた訳じゃ無い。
ただ、勝ち戦になったとき、人間は嫌でも油断するのだ。
そして、怖れていた事態が起きてしまった。
「あっ!」
ヴァルターが叫んだとき、ロクサーヌは頭部に直撃を受けていた。
大の大人が一抱えもする様なサイズの岩だった。
咄嗟に両腕を突き出し岩を押し返そうとしたが、慣性の法則に負けたようだ。
岩は脇へと転がったが、それでもロクサーヌのヘルメットが変形していた。
幾らサイボーグでも、脳殻を強く揺らす一撃では死にかねない。
そして、シミュレーターの中とは言え、脳は痛みを感じるのだ。
疑似的な痛みとは言え、人間はそれでも死んでしまう事がある。
プラシーボ効果と正反対の現象もあるのだ。
何も言わずにガクリと崩れたロクサーヌ。
ヴァルターは後から彼女を支えた。
「自立反応なし! 赤外通信不能!」
咄嗟の判断でヴァルターは簡易的な機能チェックを行った。
その段階ではロクサーヌの意識が完全に飛んでいる状態だった。
エディは『後退しろ!』と叫び、制御パネルから脱出を選んだ。
その間も石礫は降り注ぎ続けていて、散発的にロクサーヌへと当たった。
「ロクサーヌ!」
リーナーはそう叫ぶと同時に彼女の前へ立ちふさがった。
まるで壁のようにロクサーヌを護ったリーナーは射撃を再開した。
頭部へのダメージはリアルで死にかねない。
だが、投石の衝撃で彼女は僅かに意識を回復した。
光に包まれた彼女の意識は、恐怖も苦痛の感じない状態だった。
「あれだ! あそこの建物に逃げ込もう! 体勢を立て直す!」
テッドは手近にあった建物のドアを蹴り破って中に侵入した。
全員が中に入ったところでドアを閉め、窓辺に立って外を見た。
ガラスなど無い状態の窓から銃を出し射撃し続けた。
「こんな時はチームにメディコが欲しいな!」
ヘルメットを取りロクサーヌの頭を抱えたヴァルター。
その動きで僅かに意識の戻ったロクサーヌが笑った。
「ありがとう…… わっちは幸せでありんす……」
「ばか! シミュレーターの中で死ぬわけ無いだろ!」
満足して意識を手放そうとしたロクサーヌ。
咄嗟に叱責したヴァルターだが、彼女はそのまま目を瞑った。
そして、薄れゆく意識の中、次はもっと上手くやろうと彼女は考えていた。




