地球連邦軍海兵隊設立に向けて<前編>
サラリサラリとページを捲る音がする静かな室内。
温かな陽光の差し込む教室の中にロニーの言葉が漏れた。
「なんで海兵隊なんすかね?」
それは、ある意味で至極当然な疑問だった。
「なんでって……どういう意味だ?」
その中身を訊ねたテッドは、ロニーの疑問を咀嚼できずにいる。
同じようにヴァルターやウッディも顔を上げてロニーを見ていた。
「いや、海兵隊って独立軍じゃないっすか。別に宇宙軍と地上軍と航空軍を上手く運用しときゃ良いんじゃねーかなーって思うんすけど」
腕を組んで考え込むロニーは、どうにもそれが腑に落ちないらしい。
それぞれに専門特化した組織なんだから、独立軍の必要性が感じられないのだ。
「そりゃまぁ……そうだけどな……」
いきなり難問を突き付けられ、テッドも答えに窮した。
ただ、現状で宇宙を舞台に戦ってきた連邦軍は、重大問題に直面していた。
シリウスまで出張って経験した様々な戦闘において、弾力性を失っていたのだ。
「まぁ要するに……指揮命令系統が寸断されているって事じゃないかな」
ウッディはそんな考察を挟み、ロニーは『うーん』と考え込む。
そう。指揮命令系統が分断されている問題は、様々な局面で影を落とした。
宇宙軍は宇宙船の運航と大気圏外戦闘に特化している現代の海軍だ。
地上軍は大気圏内戦闘における全ての戦闘を引き受ける総合陸軍。
そして、航空宇宙軍はその両方を行き来する戦闘機などの運用を受け持つ。
その三軍は地球連邦が編成した連合軍としてシリウスにやって来た。
時には地上に降下し、時には宇宙で戦う。だが、その運用は複雑怪奇だ。
三軍統合参謀本部は三軍の総司令部としてシリウス紛争を統率している。
だが、その実態はといえば、その殆どが政治的調整に忙殺されていた。
被害が出ればそれの埋め合わせが要るのだからやむを得ない事だ。
「ついでに言えば……あれさ――」
読み止しのページに手を挟み、ステンマルクが指差して言う。
「――ちょいとあそこへ行って欲しい。なんか地上で暴れてる奴が居やがるって話しになっても、地上軍はまず各国政府にお伺い立てなきゃならねぇだろ?」
油断しきったべらんめぇな口調でステンマルクがそう言う。
地上軍はあくまで連合軍なので、一体運用こそされているが気を使う組織だ。
各国の利害関係も複雑に絡み合っているので、上手い調整が必要だった。
「したっけ、うち等はいきなり戦線にポンと投入されやすぜ?」
ロニーの問いはもっともだ。
エディ率いる501サイボーグ中隊は様々な局面で戦線に介入している。
彼らの『上』はロイエンタール将軍だった関係で、色々と自由が効いたのだ。
だが、実際に戦ってる者を指揮する側にしてみれば、正直胃の痛い話でもある。
シリウスの地上を例にとれば、様々な国家や組織の『投資』を守る必要がある。
しかし、その商売敵にしてみれば、投資が無駄になってくれる方が嬉しい。
最終的に地球サイドが損か得かの話しになるのだが……
「今まではロイエンタール将軍が守ってくれたからな」
ステンマルクの近くで教科書を読み込んでいたジャンがそう言った。
ロイエンタール将軍とエディの関係により、エディは自分の目標を追えたのだ。
地球側の利益ではなくエディにとって最善となる形に持って行く為の介入。
だが、それによって利益を得たりキックバックを貰う側にしてみれば困る。
その結果として中隊はグリーゼまで島流しにされたのだが……
「ジャンが言うとおり、シリウスの地上に展開してる側の中で兵器が消耗すりゃ兵器産業が儲かるし、兵士がバタバタ死にゃぁ保険屋は真っ青になるって寸法さ」
ステンマルクは腕を組んでロニーを見ていた。
そんな状態でやや離れた場所にいたオ-リスが言った。
ある意味で問題の核心となる、海兵隊の意義だ。
「ロニーも読んだろうが、海兵隊ってのはそもそも帆船の時代の戦争の名残だ。海の上で大砲をバカバカ撃ち合う前の時代は、船を横付けして乗り込んで行って、そこで派手にチャンチャンバラバラと剣で戦った。つまりはあれさ。船で乗りつけて派手にやりあうなら海兵隊って名乗るのが一番良いし、自然だろ?」
オーリスの言葉に『いや、そうじゃなくて……』とロニーが言う。
彼が言いたいのは、なんで連邦軍の統合じゃ駄目なのかと言う話だった。
「俺も良くわかんねぇけどよ、まぁ要するにこういう事じゃねぇかと思うんだ」
話しに割って入ったテッドは本をひっくり返して開いたままにした。
本が割れて傷む置き方なので、それを嫌う者も多い置き方なのだが……
「今まではなんか作戦やろうと思ったら事前に全部調整できたけど、これからはシリウス軍の構成に対し防戦一方になる。俺とヴァルターはシリウスの地上で経験したけど、とにかく臨機応変さ。ヤベェとなったら後退して戦線を整理する。一点突破されたら御仕舞いだからな」
テッドの言葉にハッと気が付いたヴァルターは、楽しそうに笑って言った。
「シリウス軍が来てから各国の代表に了解とって作戦検討して編成して出撃したんじゃ間にあわねぇってこったろうな。だから、即応して動いて防戦して、その後で報告上げて認証を貰う組織が要るんだろ」
そう。約20年ぶりに帰ってきた彼等は面食らっていた。
シリウス側の大攻勢は大きく進展していて、正直に言えば地球は完全に防戦だ。
年明け早々にシリウス側は太陽系のメインベルトまで手中に収めたと発表した。
地球側の勢力圏は地球と火星だけで、開発途上の月や金星は微妙な状態だ。
そんな状況でなお地球では国連派と連邦派で派閥争いを繰り広げている。
双方の利害が一致しないのだから、話がまとまらないのだ。
「必要なところに行って必要なドンパチをやった後で了承を貰う形にするなら、応援が必要なところまで出張る手段も自前でなきゃならねぇ。それをするなら自己完結した組織を作った方が早いってこったろうな」
ステンマルクはいつの時代も変わらない海兵隊の真実を言った。
宇宙軍地上軍航空軍の3軍統合運用を行なえる限定された組織の必要性だった。
――――――――西暦2270年 1月15日
ロンドン南東部 サンドハースト王立兵学校
ウーリッジ・デッティンゲン分校 タロン中隊
この日、テッドたちサイボーグ中隊はブリテンのロンドン郊外にいた。
前年の8月終りに地球へと来た彼らは、一旦その任を解かれていた。
――――これからを見据えた工作を少々行なう
――――時間があるからお前たちは勉強して来い
――――その手続きはもう終っている
自らのクローンコピーを確認したエディは、中隊にそんな指令を出した。
そして、テッドたちが送り込まれたのは、ブリテンの王立兵学校だった。
国立サンドハースト陸軍兵学校。
この学校はエディも卒業しているブリテンの戦争学校だ。
世界に冠たる大英帝国を支える軍隊は、基本的に外征軍隊だ。
組織名の前に王立の名を冠する海軍と空軍を持つイギリス軍。
しかし、陸軍にその王立の文字は無く、諸侯や高級貴族による編成だった。
そして、国土防衛の義務は国民全てが持っているのだから、国民義勇軍も居る。
複雑な組織であるブリテン陸軍だが、その教育はさすがの英国式だった。
そもそも、欧州の戦争全ては自動的に民族の滅亡を掛けたものになる運命だ。
滅びたくなくば勝つしか無い。負ければ他国の養分になって奴隷扱いだ。
イスラーム社会を蹂躙し尽くした十字軍を見れば、欧州の本質は修羅そのもの。
敗北はすなわち滅亡であり、負けた側に何の慈悲も掛けないのが普通。
良家の子女がひとかけらのパンのために身体を売る。
栄華を誇った名家の宝物が強奪され、二束三文で売り払われる。
負けた側にそれを誹る権利など欠片も無い。
負ける方が悪いのであり、勝たなければ意味がない。
負けは絶対に報われない社会なのだ。
そんな欧州の常識を現代に受け継ぐ学校が現代のブリテンにも息づいている。
サンドハースト国立兵学校を名乗るここは、主に陸軍向けの士官教育施設だ。
その中身は島国ブリテンの軍隊らしく、外征軍を前提に教育が行われる。
現代における『外征』とは、すなわちシリウスへの進出だ。
本学で学ぶ者は、本土から遠く離れた激戦地の名を冠する各中隊に別れる。
ビルマ。ガザ。アラメイン。そして、フォークランド。
七つの海を制したブリテンの男達による意地と誇りを掛けた激戦地の名ばかり。
44週間に及ぶ基礎的な士官教育を施し、現場で更に学ぶ。
そんなカリキュラムであるサンドハーストには短期専門コースがあった。
デッティンゲン中隊と呼ばれるそこは、外地や植民地における士官教育施設だ。
現場で見いだされた才能ある若者達を送り込み、必要な知識と知恵を授ける。
エディは501中隊に入ってきた若者達を、そこへ送り込んだのだった。
宇宙空間におけるブリテン軍最大の激戦地。
太陽系のメインベルト最大の惑星タロンを巡る攻防の激闘を讃えた中隊。
宇宙における戦闘のイロハを教え込む機関。
デッティンゲン・タロン中隊だ。
ここへとやって来たテッド達は、改めて士官に必要な知識を吸収し始めた。
乾いたスポンジが水を吸うように、テッド達は様々な事を覚えた。
正規教育が44週なのに対し、ここでは半分の22週で全て終わらせる。
宇宙における激闘で兵士の数が足りないのだから、ノンビリしている暇は無い。
一分一秒でも早く激戦地に人を送り込まねばならないのだから。
だが……
「アジアじゃ盗人を捕まえてから縄をなうって言うんだけどね……」
ウッディが切りだしたそれは、アジアにおける諺だった。
必要になってから時間を掛けて準備する愚かさを説く教えだ。
「そんじゃ役にたたねっす」
「だろ? だから、必要な時に必要な事が出来るようにしとこうって事だよ」
ロニーへ説明するウッディの言葉は、あくまで穏やかかつ丁寧だ。
こういう部分では一番の紳士だと思うテッドは、黙って話を聞いていた。
「でも、それなら今だって面倒な手続き抜きにすれば……『それは駄目さ』
ロニーに対しウッディは笑顔で言った。
そして『シビリアンコントロールの原則に反する』と付け加えた。
「現代の軍隊は議会が支配してる。だから、議会が承認しない作戦行動は行えないって事だよ。けど、そんなのクソ喰らえでシリウス側は攻撃してくるんだから、コッチは常に備えないといけないのさ」
何となく話を飲み込んだような気になったロニー。
なんでそれが海兵隊じゃ無きゃ駄目なのか。
その明確な理由がどうしても理解出来ないのだ。
掴み所の無い『そういうものだ』というあやふやな概念でしかないもの。
それらをそのままに飲み込むしか無い教育は、ある意味危険な一面もある。
理念や概念。そして、それらが志向する理想を理解しなければ意味がない。
ただまぁ、そんな事をしている余裕は無いのだろうが……
「まぁ要するにあれさ」
ヴァルターは教科書では無くプリントされた資料を手にとって見せた。
それはグリーゼへ行っていた501中隊の面々が経験してない人類史だ。
2250年から2270年に掛けての20年に何が起きたのか。
それらを詳細に説明したそのプリントを読み込めば、ロニーにも問題が見えた。
「シリウスはとにかく実力を回復した。そして太陽系に進出した。そこまでは良いな? 解るだろ?」
僅かに首肯するロニーの反応を見ながらヴァルターは言葉を続けた。
その資料を掻い摘んで言えば、シリウス人受難の歴史その物だった。
最後のコロニー船が旅立ったあと、シリウス人が感じた絶望。
それは、僅かに残った地球派のファルコニアに集った者達の感情だ。
ニューホライズンを周回していた連邦軍は、細々と脱出者を受け入れていた。
地球へと向かう定期便で最後の最後まで人を運ぼうと努力したのだ。
だが、収容人数一杯に達した為、収容を終了。シリウスを離れる事になった。
死を覚悟したファルコニアの民衆を保護したのは中立派のホロケウだった。
――――同志諸君!
――――シリウス人の為に今は働こう!
――――いつかシリウスと地球の間に友好関係が出来た時
――――その時こそ君らの時代となる
もちろん歯の浮くような奇麗事だと皆が感じている。
だが、ニューホライズンからの脱出は出来ない。
問題はファルコニアに残っていた地球系企業の頭脳たちだった。
彼らは事実上誘拐状態でシリウス共和国の重工業地帯へ連行されていた。
そして、驚くほどの厚遇を持って研究に従事する事になった。
シリウスを周回するレプリ製造船が大量のレプリを生産し人手を整えた。
艦砲射撃により荒れ果てたニューホライズンの大地を耕すことから始める為だ。
同時進行で重化学工業プラントが可動を開始。
基本生活物資の生産に当たると共に、プラントの修理を強力に推し進めた。
その甲斐あってか、2年後には粗鋼生産量などが艦砲射撃前の水準に戻った。
その頃。シリウス軍はその編成を大きく変えていた。
シリウス人民議会による大規模な地球への攻撃計画が持ち上がったのだ。
勝つつもりは無いし、勝てる訳が無い。
だが、指をくわえて仕打ちに耐え屈辱に甘んじるほど寛大なわけでもない。
爪に火を灯すような困難を経験し、シリウス軍は鍛えられた。
ニューホライズンの周回軌道に放置された地球軍の艦船を回収し修理を行う。
その艦艇で船団を組み、太陽系へと逆進出する計画は熱狂的に支持された。
合言葉はペイバック。
いつの間にか作戦名はペイバックとなり2259年の9月。
ニューホライズンを離れたシリウス軍艦艇は太陽系へと到達した。
まだまだ地球生まれのシリウス人が沢山居るシリウス軍だ。
だが、彼らの目に映る地球は母なる惑星ではなく敵の本拠地でしかなかった。
手始めに行われたのは準惑星である冥王星の攻防戦だ。
その時点で冥王星はシリウス攻略の前進基地として機能していた。
そんな拠点を攻略する事でシリウス軍は対惑星戦闘のノウハウを磨いた。
ただ、それは思わぬ幸運の賜でもあるのだ。
実は、これと言った組織的な抵抗をする事無く、地球連邦軍は撤退。
地球の地上では地球連邦と国連による合流会議が強力に推し進められていた。
この会議の流れを見極めるまでは地球連邦宇宙軍も撤退を余儀なくされている。
遠く離れたシリウスで戦争をし続けた事は、莫大な財政負担となっていたのだ。
そしてそれは、地球連邦のキャッシュフローを悪化させていたのだった。
そもそもシリウス開発は貧民救済の為に行われた製作だ。 だが、そのシリウスで戦争をする為に中間層が増税される悪循環。 何より、『自分よりも下が居る』という安心感が消え去った層への仕打ち。 それは政情不安となり、地球の社会を不安定にしていた。
一定以上の収入を得る層にしてみれば、全く割に合わない負担でしかなかった。
だが、厭戦気分がはびこる地球に最初の衝撃が走る。
地球連邦軍本部の置かれていたオーストラリアのシドニーへ隕石が落ちた。
シリウス軍がベルトから少惑星を運び込み、狙って落とした事が発表された。
地球人民が厭戦気分の感情論でシリウス対策論議すら封じていた間。
連綿と準備してきたシリウス軍はベルト外側まで完全に勢力圏としたのだ。
ベルト最大の惑星タロンを巡る準天体攻防戦が繰り広げられたのが2269年初頭。
シリウス派の一方的勝利によって戦闘は終結を迎える。
そして、運命の2270年1月1日。
シリウス連邦は太陽系外縁部の完全制圧を宣言し、事実上の勝利宣言をした。
地球人類はシリウス人民の奴隷になるのか否か?
その論議が全く進まないまま、とりあえず火の粉は払ってくれと要望が出る。
海兵隊はそれを実現する為の手段なのだった。
「って事は……あれですか。海兵隊はグダグダ能書きが喧しい連中を無視して動くための仕組みってこってすか?」
ロニーは何となくだが海兵隊の全体像を掴んだ。
それは、間違い無く連邦軍海兵隊の実像その物なのだった。




