ROAD-NINE:ルーシーの旅立ち 01
その日、ルーシー・ハミルトンは抜けるような青空の下に居た。
真正面には風になびく星条旗があり、皆がそれを見つめていた。
UNITED STATES MILITARY ACADEMY
ハドソン川のほとりに広大なキャンパスを構える巨大な軍学校。
一般にはウェストポイント陸軍士官学校と呼ばれる所だ。
ポストと呼ばれる校庭に居並ぶのは、凡そ500人に及ぶ士官候補生たち。
彼等彼女等は四年制の本学にて、軍に必要な事の全てを学ぶ事になる。
そして、卒業した暁には少尉として任官し、国を護る名も無き精兵となる。
極々一般的な話として、この学校に入学できる事は相当なステータスだ。
そもそもアイビーリーグに合格出来る程度でなければ書類選考すら通らない。
また、要求されるのは頭脳だけでは無く、体力もまた重要視される。
アイビーリーグに合格でき、オリンピックの代表選手レベルでのアスリート。
そのレベルに達していて、しかも様々な面で立派な人間である事が要求される。
欧米的なノブレスオブリージュとして、率先した自己犠牲を要求される。
ボランティアや社会福祉活動に率先して参加し、浄財を募る事に精を出す。
自己利ではなく社会に奉仕する精神を持っている事が要求されるのだ。
ただ、ここで勘違いしてはならないのは、それがゴールでは無いことだ。
その審査に通って、初めて入学生候補の称号を得られるのである。
選りすぐりの選りすぐりは本学で更にふるいに掛けら、徹底的に鍛えられる。
鉄は熱いうちに打ての言葉どおり、この4年間は相当な試練が課せられるのだ。
――――国旗掲揚!
――――宣誓!
一糸乱れぬ整列で顔を上げるカデット――士官候補生――達は一斉に敬礼した。
軍楽隊が合衆国第2国歌ゴッドブレスアメリカを演奏するなか国旗が揚がった。
その演奏にのせ、未来ある若者たちが宣誓を唱えた。
――I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.
(私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民の為の自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います)
この学校はあくまでアメリカ合衆国の国軍士官を育てる学校だ。
それ故に、この学内では基本として星条旗への忠誠を誓う事になる。
他国からの留学生を除き、合衆国国民であればそれは義務だった。だが……
――違う……
ルーシーは内心でそう呟いていた。
ただ、そうは言ってもカデットの制服に身を包んでいるのだ。
少なくとも合衆国国民の権利を持つ以上、宣誓しない訳にはいかない。
今は合衆国国民として、その責務を果たすべきだと考えた。
――私は……
今では遠くなってしまったあの日から、ルーシーの世界はガラリと変わった。
そして、常に疑念と疑問を持ち、自問自答の日々を送ってきた。
自分が何者なのか。どこから来た誰なのか。
その問いは毎回毎回、自分勝手な妄想の果ての思い込みに至っていた。
――私は選ばれた人間だ……
年頃の少年少女が夢見る、大人びた憧憬からの熱病めいた振る舞い。
太平洋を挟んだ東洋の島国では、それを中二病と呼ぶらしい。
自分が特別な存在で、特別な能力を持って生まれてきたと勘違いする。
或いは、誰にも明かせぬ秘密を持ったまま、密やかに成長する。
恐らくは誰でも妄想するような、ある意味で背伸びした子供の思い込み。
ご多分に漏れず、ルーシーもそんな妄想を膨らませていた。
夢見る年頃の子供達なら、誰だって一度は通り過ぎる通過点だ。
だが、その妄想は今日から真実に格上げされた。
今日この日から、その心の奥底には、確信だけが横たわった。
国旗を見上げながら、ルーシーは自然に笑みを浮かべた。
多くのカデット達が自然にそうするように、ルーシーもまた笑っていた。
達成感や満足感。或いは、自分を導いてくれた人々の満足そうな笑顔への答礼。
だが、ルーシーだけはその中身が違った。
――そう……
――私は……
入学式を行なう直前、カデットは親族と最後の面会が許される。
一年生の間、カデット達は全寮制の士官学校で完全に籠の鳥生活となるのだ。
親族が死亡したと連絡があっても、すぐさま外出できるわけでは無い。
2年生に昇級するまでの一年間、彼等は合計8時間しか家族と面会できない。
それ故、カデット達は文字通りに今生の別れレベルで面会を行うのだ。
カデットは相当な試練を乗り越え入学する心身共に健康な若者達ばかり。
しかし、そんな若者達が涙を流して不安を吐露する事も珍しくない。
事実、ルーシーとて不安と心細さに顔色を悪くしていた。
ただ、そんなルーシーの心を支えているのは、最後の面会のひとときだった。
父であるチャールズ・ハミルトンの導きにより、ルーシーは強く成長していた。
士官学校への入学を前提とする幼年学校に学び、そこで相当鍛えられていた。
ただ、ルーシーを支える何よりも大きなもの。
それは、最後の面会に姿を現した人物だった。
――――――――西暦2269年 9月 1日
ニューヨーク州 ウェストポイント陸軍士官学校
――――入学式から約120分程、時間を遡る……
入学式を直後に控えているルーシーは、儀礼向けの制服姿で面会にやって来た。
ハミルトン家のご令嬢故に、家族と会うのは将官向けの控え室だ。
「おぉ! 随分とサマになっているな!」
部屋には北米大陸全域の責任者、チャールズ・ハミルトン大将が待っていた。
上機嫌でルーシーを迎えたチャールズは、今にも踊り出しそうな程だ。
プリーブサマーと呼ばれる入学前講習の開始式頃にはセーラー姿だった筈。
だが今は立派な礼装に身を包み、キリッとした表情で室内に立っている。
「どう? 似合う?」
クルッとターンを決めて笑みを浮かべたルーシー。
その姿を見ていたチャールズは、涙ぐみそうになり、必死に堪えていた。
「あぁ……似合う。似合うとも…… 良く育ってくれた……」
今にもこぼれ落ちそうな涙を堪え、チャールズは笑った。
その笑みの何と満足そうな事か……と、ルーシーも胸が一杯になる。
「ダディ?」
まるで幼い子は父親を呼ぶように、ルーシーはチャールズを呼んだ。
短く『どうした?』と答えたチャールズに、ルーシーは一言もらした。
「……今日までありがとう」
その言葉にチャールズは遂に涙を流して肩を震わせた。
ただ、その表情には満足そうな笑みが有った。
幾人かの付き人達は控え目に拍手を送り、チャールズは手を上げて感謝した。
ルーシーは父チャールズの僅かな所作に部下との固い絆を実感した。
グルリと室内を見回し、高級将校ばかりな状況に改めて気が付いた。
そして、その席に場違いな存在が居る事に気が付いた。
一般にグリーンドレスと呼ばれるペンタゴンの事務方向け制服。
だが、その制服の肩に貼られたワッペンには特別な意味がある。
――――シリウス工作機関所属章
小さなワッペンの中に青銀色の糸で刺繍された輝く星のマーク。
青く輝くシリウスをシンボライズした特務機関所属を示すマークだ。
――あっ……
ルーシーはそれ以上の言葉が無かった。
タイレル付属病院の入り口で死に掛けるほどの大怪我をした日。
あの日に見た姿と全く同じ父と思った若い士官だ。
「うそ……」
その言葉だけを呟き、自分の口を手で押さえてルーシーは立ち尽くした。
今日この日まで、自分はハミルトン家の娘であると思っていた。
だが、少なくとも目の前に居る男は、懐かしそうに目を細めている。
その姿、その表情、その雰囲気。
それを見れば、全てが伝わってきた。
間違い無い……と、そう確信した。
「パパ……なの?」
絞り出すように言ったルーシー。
そこに立っていたグリーンドレスの男はジャンだった。
「覚えていてくれたか…… そうか…… そうか…… 良かった」
グリーゼからシリウスへと戻ってきたジャンは、その足で地球へと来ていた。
シリウス星系の中でルーシーの話を聞き、いても立っても居られなかったのだ。
「グリーゼから帰ってきたんだ」
「……いつ?」
「ついさっきさ。まぁ、往復でなんやかんや15年を要したけどな」
ジャンは簡潔な表現でそう言った。
ただ、その全身から感極まった空気が溢れ出ていた。
「また会えるとは思っていなかったよ…… 大きく…… 綺麗になったな」
その言葉を聞いたルーシーは、様々な感情が次々にあふれ出て混乱していた。
ただ、ジャンの姿がある以上、母の姿も無ければおかしいのは気が付いている。
何処に居るのだろう?と思ったのだが、当のジャンはチャールズの前に居た。
「何とお礼を言うべきか……」
「それは私が言う事だ。私も本当に救われた」
ジャンとチャールズはガッチリと握手し、首肯しあった。
ただの少尉と大将が100年の知人のように振る舞っている。
――逆だったんだ……
ルーシーはチャールズを父親だと思ってきた。
とんでも無く危険なポジションに居た父親は、一人娘を若い夫婦に託した。
しかし、その若い夫婦は遙か遠くの惑星に行く事になり、実家に帰った。
ハミルトン家の一人娘として何ら不自由ない生活をし、無事に育った。
将来を考える歳になったルーシーは、自分の夢に向かって一歩、歩み出した。
その全てが真実では無いのだと、ルーシーは気が付いた。
目の前に現れたジャンが父親である事は間違い無いと確信した。
ならば聞きたいことは山程有る。これからどうすれば良いのか?
誰の娘として成長すれば良いのか? 身分や立場的な問題は。
何処から聞こうかと思った矢先、チャールズは口を開いた。
「ところで……細君は?」
その言葉にルーシーの表情が変わった。
グッと奥歯を噛んで、覚悟を決めた。
「キャシー? 彼女なら隣の部屋で待っ――」
ジャンの漏らしたその一言を聞き、ルーシーはいきなり走り出していた。
隣室の扉を開くと、そこにはシリウス軍士官服を着た女が何人か立っていた。
なぜ地球のそれもウェストポイントの中にシリウス軍が居るのか。
それも、高級士官を示すスクランブルエッグの載った帽子を被る士官が。
だが、ルーシーにはそんな事などどうでも良かった。
彼女の目は、その中に居る1人だけを捉えていた。
遠い日に見た優しい表情を、一日たりとも忘れたことは無い。
会いたくて会いたくて、震えながら泣いた夜を幾つも越えた。
その瞼の裏に幾度も描いた、母の姿だった。
「ママ!」
ルーシーは迷わずキャサリンの胸に飛び込んでいた。
見た限り、それほど年齢的に差があるようには見えない姿だった。
それもそのはず。
キャサリンはトータル20年を時に喰われた超光速飛行の後なのだから。
「会いたかった! ずっと会いたかった!」
零れる涙を拭こうともせず、ルーシーは力一杯にキャサリンを抱き締めた。
母の胸に飛び込み、グッと力を入れて抱きついたルーシー。
他でも無い母の愛に飢え続けた娘の感情が爆発したのだ。
「いつの間にか大きくなったわね。元気そうで何よりだわ……」
グフッと息を吐き出しつつも、キャサリンは笑って言った。
想像以上の力強さに面食らったと言う方が正しいのかも知れない。
メイクが崩れるのを気にする事無く、ルーシーは泣きじゃくった。
そんなルーシーを抱き締め、キャサリンはギュッと力を入れた。
レプリカントの強い膂力が締め上げる。
だが、ルーシーはそれが嬉しかった。
「なんだか年齢的に追いつかれちゃったかしら」
生年月日からの法的年齢では40歳を軽く越えるキャサリンだ。
だが、彼女は地球やグリーゼへの旅などで約20年程を時に喰われている。
その為か、現在の見た目年齢は20代半ばと言ったところなのだ。
「街を歩いていたら親子じゃ無く姉妹だと思われるな」
部屋へと入ってきたジャンは遠慮無くそう表現した。
ある意味では年齢以上に大人びて見えるカデットだ。
シリウス軍の姿で居るキャサリンと比べると、下手をすれば同年齢に見える。
「時に喰われるというと言うのは……辛いモノだな」
最後に部屋に入ってきたチャールズ・ハミルトン大将は、渋い声でそう言った。
そんなチャールズを見ていたルーシーは、表情を曇らせていた。
「ダッド……」
ハミルトン家のご令嬢として育ってきたルーシーだ。
チャールズを父親だと思ってきたのだから、一時的な混乱を来していた。
「じゃぁ……」
チャールズを見てからジャンとキャサリンを見たルーシー。
それは、理解出来ないと言わんばかりの混乱した表情だった。
「まず落ち着きなさい。お前はカデットだろ?」
チャールズの言葉にルーシーは首肯を返す。
思えばこの10年少々を娘として過ごしたのだから、チャールズもまた父親だ。
抱き締めていた両腕をほどいたキャサリンは、ハンカチを取り出した。
そして、娘の涙を拭いてやるのだが、その手付きは本当に母親だった。
されるがままのルーシーは、すっかり崩れたメイクに恥ずかしそうだ。
だた、それとは異なる次元で彼女は混乱していた。
それは、自らのアイデンティティに関することだった。
「ねぇママ……私は誰の娘なの?」
それこそがルーシーの聞きたい事だった。
ジャンとキャサリン夫婦に育てられたハミルトンの娘なのか。
それとも、ハミルトン家に預けられたジャンの娘なのか。
そこをハッキリさせたくなるのは、当然と言えば余りにも当然の事なのだった。
「さて……何処から話せば良いのやら……」
ジャンはそう切り出すと、ルーシーやキャサリンに椅子を勧めた。
そして、自分はその向かいに腰を下ろし、ハミルトンと並んでいた。
「お前は覚えてないかも知れないが……あの日、タイレルの病院へキャシーに逢いに行ったんだよ。お前が行くんだって言ったからな」
そう切り出したジャンだが、ルーシーはニコリと笑って言った。
「夢とか思い込みじゃ無かったんだ……」
何とも嬉しそうにそう言ったルーシー。
そんな彼女を見つめながら、チャールズはしばし感傷に耽った。
僅か6週間前。
不安を隠そうともせず、プリーブサマーの試練に挑んだルーシー。
カデットとなる為の夏期特別講習は、その時点で脱落者が出る程に苛酷だ。
そのプリーブサマーを乗り越えたルーシーは、最初の自信を身に付けた。
1つずつ試練を乗り越え、苛酷な経験を積み重ね、心身共に鍛えていく学校。
カデットの『最初の暑い夏』を乗り越え、ルーシーは人間的に成長していた。
――――綺麗な娘になったな
すっかり遠くなってしまった日、ルーシーを預かると言って別れた日。
あの日からもう12年の月日が流れていたのだった……
■―1―■
ルーシーが再生カプセルを出たのは、重傷を負ってから3ヶ月目だった。
西暦2257年6月22日。タイレル付属病院の研究室にチャールズは居た。
「おじちゃん……誰?」
最初にその言葉を発したルーシーは、年齢相応に不安そうな表情だった。
ただ、それを悟られぬよう、キッと鋭い眼差しでハミルトンを見ていた。
三ヶ月程前の3月24日。
タイレル付属病院の入り口でテロにあったルーシー。
彼女はテルミット系爆薬により、全身の90%近くを火傷していた。
その深度は三に達し、医師は『生きているのが不思議です』と言った。
最初の治療は、炭化しきった部分を剥ぎ取るデブリード処理だった。
ただ、それを行ったとき、残ったのは事実上頭だけだった。
脳と中枢神経の根元が残ったのは何よりも僥倖だったのだ。
レプリ育成技術のフィードバック医療は不可能を可能にする。
ルーシーは失った肉体の全てを再生させカプセルアウトした。
それは、おろし立ての新車のような、伸びやかでしなやかな身体だった。
ただ、その身体が元の身体と同じでは無い事を、ルーシーは知らなかった。
「パパとママは?」
不安そうな表情を精一杯に隠し、ルーシーは素直な言葉でそう問うた。
まだ半分カプセルの中にある身体が、カタカタと細かく震えていた。
この日から、ルーシーの世界は大きく変わってしまったのだった。
「そうか…… 覚えてはいないか……」
まだ人工羊水で濡れているルーシーの頭に手を乗せ、チャールズは微笑んだ。
キャサリンとジャンは既に旅立っており、ルーシーは1人地球に残されていた。
「とりあえず一緒においで。ゆっくりと思い出せば良い」
チャールズはルーシーをカプセルから抱え上げ、バスタオルで拭き上げた。
生きていれば同じ歳な筈の娘が居た筈なのだが……
――どんな顔だったか……
娘の顔を思い出せなくなっていることにチャールズは愕然とした。
そして、その空白を埋めるように、ルーシーの頭へキスした。
今日から、たった今から自分の娘はこの子だと自分自身に言い聞かせた。
「どこへ行くの?」
「ルーシーのおうちだよ」
「おうち燃えちゃったよ?」
「だから…… 本当のおうちへ帰るんだよ」
不思議そうな表情でチャールズを見上げるルーシー。
その眼差しは完全に疑いの色を帯びていた。
それに気圧される事無くチャールズは胸を張ってルーシーを抱え上げた。
これから慣れていけば良い……と、そう胸の内で反芻していた。
ルーシーを預かるに当たり、キャサリンから頼まれた3つのお願いと一緒に。
――なるほどな……
キャサリンがお願いしていった件をチャールズは理解した。
まず、シリウスとシリウス人を憎まないように育てて欲しい。
そして同じように、地球人を蔑む教育はしないで欲しい。
その人間の基礎的な思考パターンはこの時期に形作られるもの。
つまり、ルーシーの中に生まれるプリンシプルを大切にして欲しいと言う事。
ただ、何よりもキャサリンが望んだことがあった。
それは、ルーシーはチャールズの娘であると徹底して欲しいと言う点だ。
手段の中身は一切問わない。とにかく自分の出自を認識しないように……
いつか自分自身の正体を知る事に成るだろうから、それまでは平穏に。
その苛烈な運命に対抗出来る日まで、今はまだそれを背負わなくても済む様に。
キャサリンの残して行った要望は、間違い無く慧眼だとチャールズ思った。
――どれ程に不安だったろう……
キャサリンの内心をチャールズは思う。腹を痛めて産み落とした娘なのだ。
預かった以上は完璧にやり通さねば、米国軍人の名が廃る。
チャールズは悲壮なレベルの覚悟と矜持を持って気を揉んでいた。
ロス郊外の巨大な邸宅へ足を踏み入れたルーシーが、自分の家だと思うように。
現状を受け入れ、それを自分の事と飲み込むように……
ただ、邸宅前で車を降りたルーシーは、口を開けて驚いていた。
11代続く軍人一家なハミルトン一門は、伝統的に西海岸を住処とした。
「さぁ、ただいまを言おう」
「……うん」
面食らった様にしているルーシーは、チャールズに手を牽かれていた。
その邸宅前にはメイド達が整列し、『お帰りなさいませ』を言った。
「……ただいま」
礼儀正しい娘だ……とチャールズは思った。
ただ、今はそれを喜んでおこうとも思った。
これからは自分の娘だとして育てなければならない。
手の中に遺されている筈な娘の感触は、実際には何も無かったのだ。
――この感触がルーシーだ……
チャールズはルーシーの手を引き自宅へと帰った。
その自宅玄関から一歩入ったところには、大きな肖像画が飾られていた。
チャールズの妻であったダイアナと、彼女に並んで立つチャールズ。
そして、そのダイアナの両腕に抱えられる幼い女の子。
チャールズはその女の子を指差して言った。
「まだ幼い頃の大怪我だから、お前はきっと覚えてないだろう。テロに遭遇し死に掛けたんだよ。おまえをここに置いておくのは危険だったんだ」
チャールズはそう言ってルーシーを抱え上げた。
大きな肖像画に近づいたルーシーは、不思議そうにダイアナを見つめた。
「ダイアナはお前をかばって即死だった。シリウス系テロリストの犯行だったんだよ。だから、あの夫婦に預けていたんだが」
訥々と語るチャールズの言葉を聞きながら、ルーシーは壁の絵を見た。
「……本当のママ?」
落ち着いた声で『そうだよ……』とチャールズは言った。
ルーシーは不思議そうな声音で『ふーん……』と呟いた。
いきなりそんな環境に放りこまれれば誰だって混乱する。
もちろんルーシーだってそうだった。
今まで両親だと思っていた存在は、実はちょっと特殊な存在だった……
ルーシーも幼いながらにそれを理解していた。
ただ、いきなり画の中の女性が本当の母親と言われて納得出来るわけが無い。
父親は随分と年嵩の男で、その手からは機械の音がしない肉の身体の存在。
住んでいる家はとんでも無い豪邸で、家の中にはメイドが何人も居る。
飲み込みがたい現実を前にルーシーは混乱した。
不安に駆られ、両眼に涙を溜め始めたルーシーはポツリと言った。
「おうちかえりたい」
まだ6歳の女の子が全く知らない環境に放り込まれたのだ。
どれ程に心細いのだろうか?とチャールズも思った。
ただ、ここが正念場なのは間違い無い。
チャールズは気を強く持ち、優しく語りかける事にした。
「ここがルーシーのおうちだよ」
その小さな頭を抱き寄せ、落ち着かせようと努力した。
僅かに震えるその身体からは、不安と混乱が伝わってきた。
「大丈夫だよ。すぐに慣れる」
それから2週間。チャールズは可能な限りにルーシーと過ごした。
本物の父親がそうするように、優しく語りかけ愛情を注いだ。
そうやって努力した時間の経過は、如何なる問題をも解決すると言う。
一ヶ月としないうちにルーシーは新しい家に慣れていた。
新しい家族とメイド達全てから愛情を注がれ、自然な笑みを浮かべていた。
二ヶ月後には高階層の子女が通う学校へ転校した。
ハミルトン家のご令嬢として、恥ずかしくない振る舞いを教えられた。
その中で、ジャンとキャサリンの家庭の異常さを改めて認識していた。
そして、2年生へ進級した2257年の9月15日。
テレビを見ていたルーシーは、凍りついたように固まった。
幼い頃から幾度も見ていた人物がテレビに映し出されたのだ。
ロサンゼルスの郊外で発見された老人の死体。
ロス警察の公式発表では、老人は地球連邦軍の特別上級事務官だと言う。
「リャンじぃちゃん……」
リャン・ジーウィン。
その老人は、キャサリンの側近の様に振舞っていた男だった。
常に自分を見守り、実の祖父のように接してくれた人……
「あたし……この人知ってる……」
そう呟いたルーシーの言葉だが、チャールズは一言『危なかった』と答えた。
当初は物取り強盗による犯行かと思われた事件だ。
だが、ややあってテロリストから犯行声明が出た。
シリウス解放同盟と名乗る組織は、裏切り者を粛正したと発表した。
ただ、その真実はチャールズにより仕組まれた事だった。
全ての情報を封じる為だと言ったリャンは、チャールズの目の前で自決した。
チャールズに向かい『あの子をお願いしますよ』と、リャンは一言添えた。
そして、満面の笑みを浮かべつつ、拳銃をこめかみに当て引き金を引いた。
その死を見取ったチャールズは、リビングでルーシーを抱えあげ言った。
いつの間にか涙を流していた。
「……やっとダイアナの仇を討てたよ……もう大丈夫だ」
父親の涙をハンカチで拭ったルーシー。優しい子だとチャールズは思った。
だが、ルーシーは不思議そうにテレビを見ながら『嘘だ……』と確信した。
全く根拠のない確信だが、それでも幼いルーシーは見抜いていたのだ。
全てが仕組まれているのだと言う事を。その全てが自分の為の事であると。
サイボーグの父とレプリカントの母。だが、今は大きな家に暮らしている。
文字通り、お姫様のような生活をしているのだ。
それは、まだ精神的に幼い女の子が勘違いするのに十分なものだった。
ただ、その勘違いが結果として、更なる苦痛をもたらすのだった。




