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黒い炎  作者: 陸奥守
第三章 抵抗の為に
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新たなる日々

 ――リョーガー大陸 ニューアメリカ州 ザリシャグラード

    シリウス標準時間 6月30日 午後





 何かの物音に気が付いてジョニーは目を覚ました。静かな室内には時計の音だけが響いている。しかし、ジョニーのささくれ立った神経に触れたのは無機質な機械の音ではなく……


「あ、起しちゃった?」


 優しい声を掛けてきたリディアの衣擦れだった。


「いま何時?」

「あと10分で午後1時」

「そうか……」


 ベッドから起き上がったジョニーはウーンと伸びをした。バンデットのパイロット教育が始まってから3週間が経過し、気が付けば10キロ近く痩せたジョニーの苛酷な日々は、今日初めて一休みを迎えたのだった。


「随分痩せちゃったね」

「あぁ……」


 ベッドの上でリディアへ向け手を伸ばしたジョニー。その手を取ったリディアはジョニーに抱き寄せられた。


「自分で言うのも何だけど……」


 リディアの頬へそっとキスして、そして静かに笑ったジョニー。その表情にはやり切ったという満足感と、これから経験するであろう試練への恐怖が滲んでいた。


「よく生き残ったと思う」

「……訓練なんでしょ?」

「あぁ。だけど、訓練と言うよりいきなり実戦に放り込まれた感じだ」

「実戦?」

「うん」


 リディアを抱き締めたままジョニーは目を閉じて頬を寄せた。安心出来る温もりを探して心沈めるようなその仕草に、リディアはジョニーが見た物の凄惨さや非日常性をイメージする。


「訓練中の戦闘機は複座なんだ。椅子が二つある。おれは前に座って見学する役なんだけど、教官役は機体を飛ばしながらアッチを攻撃しろとかこっちを監視しろって指示を出してくる。とにかく場数を踏んで覚えろってトンでもねぇ教育だよ」


 小さく溜息をついたジョニーの頬をリディアの柔らかな両手が挟んだ。その手と指には僅かながら紙とインクの臭いが残っていた。事務方として仕事をこなしたらしいリディアもまた自分の職場で戦ったのだとジョニーは気が付いた。


「でも、それで訓練になるの?」

「夜になったらさ、その日に飛んだ事をおさらいするんだ。で、帰り道は飛行機の操縦をやらされるんだけど、実際に飛ばしながらテーマを出されて操縦してみるんだよ。そうすれば理屈はともかく兵士は育つって寸法さ」


 不安そうに見ているリディアの眼差しをジョニーが受け止める。言いたい事は十分解っているのだが、他にどうしようも無いと言うのが正しいのかも知れない。

 結局は方法論でしか無く、実戦で場当たり的に『こんな時はこうする』を覚えていくしか無い。そして、何事もセンスだ。土壇場でアドリブを効かして上手く切り抜ける才能が要求されるのだ。


「だから夜が遅いんだ」

「あぁ。だいたいは夜中までやってるから」


 この3週間。ジョニーの生活と言えば朝5時にバンデットのハンガーへ行って整備中隊と一緒に機体を整備し、午前7時から朝食を取ってその日の出撃目標を確認しつつカリキュラムのテーマを確認し、午前8時には出撃。

 昼時にシリウス軍が休憩タイムに入ると一旦帰投して昼食を取り、武装を再装備して出撃。夕方日没の頃までひたすら地上掃討を続け地上軍を支援した後基地へと帰還し、そこから反省会。夕食を終えると今度は一緒に出撃したパイロットから問題点を指摘され、その後に学術的な講義を立ったまま聴く。

 全部終わってシャワーを浴びて家に帰るのは平均して深夜2時。若さと体力が無ければ続かないやり方だった。


「だけど、もう飛ばせるようになったんじゃ無いの?」

「あぁ。飛ばすだけなら十分だよ。だから」


 リディアをもう一度抱き締めたジョニーは窓の外の景色へと目をやった。


「明日は卒業試験だって言われてる」

「試験って何やるの?」

「一人だけで搭乗し、武装したまま出撃して戦闘して生きて帰ってくるだけだ」

「それって……」

「そうだね。普通にぶっつけ本番だと思う。だけど、機体はあるのにパイロットが足りないんだ。だから飛ばせることが出来れば何でも良いんだよ。で、戦闘出来れば細かいことには目をつむるらしい」

「……ひどいね」

「あぁ」


 何度出撃しても地上は圧倒的なシリウス軍に埋め尽くされていて、パイロット教育を行う上で目標を探す手間が省けている状態だ。今は一人でも多くのパイロットが欲しい。武装自体は続々と地球から運び込まれている上に地球派は押されていると来た。

 そんな中でおよそ80人からなる候補生は文字通り金の卵で、ジョニーを含めたその候補生達の平均睡眠は3時間程度でしかない。そんな生活を約3週間も行えば血尿が止まらなくなるのは自明の理で、ジョニーも便器を赤く染める日々が続いていたのだった。


「道理で酷く疲れてる訳ね」

「……あぁ。自分で言うのも何だけど、よくついて行けたと思うよ」

「完全に目が窪んでいるよ」


 心配そうなリディアの頬に手を寄せて笑うジョニーだが、その肉体は若さあふれる十代のそれを持ってしても疲労困憊という状態だった。


「大丈夫なの?」

「もちろんだ」


 少しでも安心させたくて強がりを言うジョニー。その姿を泣きそうな表情のリディアが見つめた。


「ジョニーが変わっていっちゃう……」

「少しずつ大人になってるんだよ」

「そうじゃない!」


 リディアの頬に一筋の涙が零れた。


「なんだか…… ジョニーが知らない人になってくみたいで恐いの」

「知らない人?」

「雰囲気が全然違うひとみたいで、いつも緊張してて、寝ている時だって身体に力が入ってる」


 リディアの涙が止まらなくなり始めた。そのリディアの肩を抱いたジョニーだが、ふとその両手にレプリの白い地が付いているような気がした。

 間違い無くこの手で生き物を殺したんだと。その見えない重圧が自分にのしかかっているのだと。ジョニー自身もそう考えていた。だが……


「ジョニーはなんでも背負い込もうとしてる。ジョニーが背負わなくても良いものまで」


 リディアの涙声にハッと表情を変えたジョニーは、腕の中のリディアにそっとキスした。言われてみればその通りだ。ジョニーは自分自身が気がつかないうちにプレッシャーに負けていた。


「……神様は人間が空を飛べるようには作ってくれなかったんだ。だから空を飛ぶ上で起きる全ては自己責任だって言われてた。どうもそれが原因だろうな」


 小さく溜息をこぼしてこの3週間を振り返ったジョニー。考えてみれば、寝て起きて出撃し、戻って食事をして出撃し、また戻って食事と教育を受けてシャワーを浴びて泥のように寝る生活だ。他は何も教えられず、ファイターパイロットとして『生き残る為』のノウハウを教え込まれたのだから、人間性という部分で大事な何かが失われたのかもしれない。


「心配すんなって。俺はいつでも俺さ。リディアと一緒に生きてる俺なんだ」

「でも……」


 まだ不安そうなリディアにそっとキスをして頬を寄せたジョニー。


「……正直に言うと俺も不安だよ。いつ死んでもおかしくないところにいたんだ。今生きてるのが不思議さ。だけど、誰かがやらなきゃいけない事なんだ。で、たまたま俺がここにいる。それだけだよ。戦争したいわけじゃないんだ。ただ、向こうがやる気だから受けて立つだけだ。俺だって……」


 不安そうに笑うジョニーの目には隠しきれない怯えがあった。その目の輝きがリディアの知るジョニーとは全く違うモノなのをジョニー自身が気付いていない。


「俺だって怖い。だけど、リディアのところへ帰りたいから」

「ジョニー」

「明日の卒業試験はかなりヤバイと思う。今までもヤバイ所にいたけど、明日はもっとヤバイ所へ殴り込む。だけど、必ず帰ってくるよ。自棄にも無謀にもならずに、リディアの所へ帰ってくる」


 不安そうな表情だが、それでも力強く言い切ったジョニー。リディアは無意識に抱きついて震えた。もう逢えないかもしれないと何度も思ったリディアは、どうしてもその手を離したくはなかった。


「一緒に居る仲間はとにかく戦いたい!勝ちたい!そんな奴が多いんだ」

「……そうなんだ」

「だけど俺は違う。俺はリディアの所へ帰ってきたい」

「ジョニー……」


 ベッドの上でリディアを抱き締めていたジョニーは、リディアを抱えたまま立ち上がった。お姫様抱っこで身体を預けていたリディアは黙ってジジョニーの横顔を見ている。

 気が付けば男らしい風貌(かお)になっているジョニーに、リディアはすっかり忘れていたジョニーの父親を思い出していた。


「……おれはシリウスがどうなろうとあんまり関係無いと思ってる。ただ、静かに牛を追ってリディアと暮らせればそれで良いんだ。だけど、そうじゃない奴らが。それだと困る奴らが、戦争をしたい奴らが居るんだよ。それを倒せるなら、誰が政治家になったって良いと思うんだ」


 リディアをそっと床へ降ろしたジョニーは窓の外を見ている。その眼差しの向こうにはバンデットがあった。滑走路の脇に整列したバンデットの勇姿は戦闘中の興奮と無敵感や全能感をジョニーに想起させていた。


「あの戦闘機の持つ破壊力は想像以上だった。だけど、決して無敵じゃ無いんだ。決して最強じゃ無いんだ。訓練中に何人も死んでるし、実を言うと俺も何度かヤバイと思った時がある」


 ジョニーの漏らした言葉にリディアは涙をこぼした。


「だから、いつもここに居て欲しいんだよ。俺が帰る目標になって欲しいんだ。俺は必ず帰ってくる。リディアの隣へ帰ってくる。そしていつか、俺とリディアと、そして、リディアが産んでくれた俺の子供を抱いて、また大地と生きるんだ」


 両手でリディアを抱き締めたジョニー。その腕の中でリディアは震えた。押し黙ったままの沈黙が続くのだが、ややあってリディアはジョニーの腹が鳴るのを聞いた。


「……腹減ったなぁ」

「なんか作ろうか」

「メスホールへ食べ行こうぜ。なんせ食べ放題だから」


 静かに頷いたリディアの肩を抱いて歩き出したジョニー。連邦軍の食堂は常時食事の取れる環境になっていて、基地内に住む兵士とその家族は一日3食まで自由に食べられる仕組みになっていた。

 あのグレータウン郊外のボロ屋で食べたリディアの手料理を、ジョニーは不味いと思った事など一度も無い。だが、この食堂で食べる栄養価溢れた食事はふたりの身体に大きな変化をもたらしていた。


「なぁリディア」

「なに?」


 食堂の一角で肉料理を味わっていたジョニーは、下世話な笑みでリディアを見ていた。


「……最近丸くなってきたな」

「太った?」

「いや、丸くなった」


 ちょっと怪訝な表情のリディアを見つめて笑うジョニー。どこか病的に痩せていた少女はすでに過去の話となり、今は年齢相応にふっくらとして色艶の良い姿になっていた。基地での暮らしがリディアにもたらした変化。ジョニーはそこに充実を思った。


「……前より綺麗になった」


 ジョニーの口を突いて出た素直な言葉はリディアの胸にスッと染みこんだ。だが、それと同時にリディアは愛するジョニーがこのままどこか遠くへ行ってしまう錯覚を覚えていた。


「ねぇジョニー」

「どうした?」

「必ず帰ってきてね」


 食事の手を止め真顔になったリディアはジッとジョニーを見ていた。


「あぁ…… 勿論だ」


 ゆっくりと頷いたジョニー。少し眠たげな眼差しでリディアを見つめながら、ジョニーは心に堅く決めた。必ずここへ帰ってくるのだと。温かな食事を取りながら話す何気ない日常のアレコレを宝物のように胸にしまいながら、ジョニーは静かに微笑んでリディアを見ていた。




 その翌朝。

 ジョニーはいつものように5時には練兵場へやって来ていた。細かなチェックを重ね、出撃エリアを確認し、機体の点検を済ませた。その課程に一切の迷いや惑いは無く、まるで『10年前の朝も同じ事をしていました』と言うかのように振る舞っていた。


「候補生ジョニーマーキュリー。出撃します」


 滑走路を飛び立って想定戦闘空域へと進出する総勢100機近いバンデットの大編隊は、地上を埋め尽くすシリウス軍のロボットを見下ろしていた。全兵装の安全装置を解除したジョニーは攻撃命令を今や遅しと待っていた。


「全ての候補生に告げる。これより卒業試験を始める。制限時間は地上を一掃するまでだ。敵は生かして帰さなくて良い。遠慮する事は無いぞ。訓練の成果を十分発揮し、一人前のパイロットになったことを証明してくれ。以上だ」


 訓練教官の声が無線に流れ、ジョニーは周囲に居た仲間達の中から一頭早くに急降下をはじめた。照準器越しに見えるロボへ向かって荷電粒子砲を撃ち込みつつ、周囲の次の敵を探すのを繰り返した。

 およそ3時間ほどの戦闘で地上に残存兵力が無くなったのを確認し基地へと帰投したジョニー。


 そんな調子で3日間の卒業試験を終えたジョニーだが、その手に正式なバンデット搭乗許可が届いたのは訓練を始めてから1ヶ月後の事だった。地球連邦軍の宇宙軍に所属する戦闘機パイロット。ジョニー・マーキュリーの誕生であった。

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